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波 「理科基礎(仮称)」の題材として

「理科基礎(仮称)」が科学教育の中に望ましいと日本学術会議のある部会の提言として公表された。高等学校の理科の科目の中には、地学、生物、物理および化学の4科目がある。その中身は相当内容がかけ離れたものから構成されているようだ。さて、それらの4科目を統合して、一つの科目「理科基礎」を確定しようとしたとき、誰がどのように取りまとめる事が出来るだろうか。提言が出た以上は、日本学術会議の提言であるから、日本の科学者・教育者の力量が問われることになろう。高等学校の教科書が出来ないなどとは言えない。何年も先では済まない筈だ。教育行政を担う、文部科学省の緊急の対応が問われる筈だ。理科の各科目の中から、基礎として何を選ぶかという考え方では、先ず纏まる可能性は低かろう。文科省の『学習指導要領』がある限りは、その内容からはみ出すことは出来ない硬直化した教育体制であるから。もし一科目としてまとまったとしたとき、その中身は全くつまらない役にも立たない内容の羅列に成らざるを得なかろうから。先ず解決する可能性は、『学習指導要領』の枠を取り外すことに尽きる。しかし、提言の3 高校理科教育に求められるもの の中で、(C)現在までの学習指導要領の変遷の経験を重視 という項目が前提条件として楔を打っている。この(C)がある限りは日本学術会議の折角の提言も絵に描いた御飾り餅にしかならない。以上の思いを踏まえた上での無駄な記事とは思うが、一つ「波」を取上げて論じて見よう。全く過去の理科の基礎とは異なる面から考えてみたい。

葛飾北斎「富嶽三十六景」の一つ「神奈川沖浪裏」に波の象徴的な姿が描かれている。絵画として誇張されて描かれてはいるものの、海岸における波しぶきは如何にも心に響く迫力を持っている。決して正弦波ではないその波形は、ある瞬間を切り取って、写した空間の具象図である。そこには心の美的感性を揺り動かすが、頭を悩ます難しさは微塵もない。さて、波の科学論はと考えると途端に難しくなる。その原因は何であろうかと考えて見た。それは目で観たり、感覚で捉える自然現象を日常生活に馴染み難い抽象的表現で共通理解を計ろうとする手法が科学理論の本質を成しているからであると思う。例えば太鼓の響きは耳だけでなく、腹にも響き気持ちを高揚させもする。その事も太鼓の持つ特性であり、自然現象と人の心身の関係性が造る世界の姿である。その事を科学理論で表現し、説明しなさいと言われても、「チョット待ってください」と言わざるを得ない。こんな事を考えるようじゃ、学校で教える理科教育などの話が出来る訳がないとも思う。

「波」をどう教えるか 子供達が興味を持って授業を受けるかどうかが大事な視点である。それは受ける側の子供の立場に立って考える事が出来るかどうかの行政側の問題である。教える内容やその取り扱いが適切かどうかは行政側の問題だ。子ども・保護者側の意見をくみ取る方策があるだろうか。教える側の論理だけで、教科書内容が過去の手法を伝承するだけの形式に陥っていないだろうか。葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の絵図の物理的解釈が題材になったら良かろうと思う。そこには水の持つ「エネルギー」を意識しなければ解決できない基本概念が含まれている。サーフィンの力学エネルギーなら子供達も面白かろうと思う。海底の地形が海水面の波形に影響することが理解できるにはエネルギーの意味を理解しなければ無理であるから。

サーフィンサーフィンと波  この波は波頭が競り上がった波形だ。水が何故先頭で重力に逆らって、上昇するのだろうか。それを考え、理解するのが自然現象を対象とした教科「理科」が学校教育で取り上げられる存在理由である。考える事を、覚えるだけではいけないと解りかけている筈だが、生徒に求めるだけで、教育環境を整備する側の機関・文部科学省が考える事を怠り、過去に拘る現状は誠に見苦しい。何故、水が波頭部で上昇するのか位は子供達が理解できるような教育でなければ価値がない。水の波が横波の解釈では、『学習指導要領』の廃止を考える事からしかまともな理科教育への解決方法は無かろう。

波はすべて縦波 『学習指導要領』は水面波を横波の代表例として指導することに決めている。それは残念ながら間違っている。そこにはエネルギーの意味が全く考慮されていない。波を生み、伝播する原因はエネルギーである。波の本質を理解しない波動論は間違いである。波はすべて「エネルギー」の縦波である。それが波を教える眼目でなければならない。

音声 「オーイ」と呼び声が聞こえる。その声を波形に描いてください!と言われてもそれは無理であろう。日常生活での空間伝播の波の自然現象ではあるが正弦波などで描く訳にはいかない。音声については「学習指導要領」も縦波として教えてはいる。音声の本質は何であろうか。話し声は空気や水の『何か』を伝える媒体(気体、液体)が必要です。真空中を音声は絶対に伝わらない。ラジオやTVなどを通した音声は伝達経路が真空であっても伝わってくる。それは電波と言う波だからだ。同じ波でありながら、電波と音声には本質的に異なる何か、理解できない事が隠されているのだろうか。電波も音声波もどちらもエネルギーの縦波である。理科の教科書では電波を縦波とは教えていない。横波として説明している。それは世界の物理学で、おそらく横波として取り扱っているからでもあろう。それは間違っている。その訳は、エネルギーの縦波と理解しないからであり、エネルギーの存在を認識しないからでありましょう。電波の場合は『電界エネルギー』と『磁界エネルギー』がエネルギーとして同じものとの認識が出来ないからであろう。別の異なる空間のエネルギーなど存在できない筈なのに、別々のエネルギーとして分析しているからである。その原因は空間に、質量の関わりのないエネルギーが存在すると認識しないからであろう。その意味が象徴的に表れるのが『光』である。『光』の半波長でもエネルギーを持っている。振動数、周波数を持ちださなくても光のエネルギーである。

縦波 水の波も音の波も弦の波も電磁波も、みんな波と言う波はすべてエネルギーの縦波である。エネルギーの空間(媒体も含む)の縦の伝播現象である。水面波も水にエネルギーを与えなければ決して波を発生しない。波と言う波はすべてエネルギーが造り出しているのである。過去の波に関する記事を拾い上げておこう。三味線と縦波 糸電話ー力学的解剖ー 津波(tsunami)を解剖する 専門用語『振動数』の解剖 など。

『エネルギーに論及してこそ物理』光の屈折もエネルギーの縦波としての解釈が必要。

糸電話ー力学的解剖ー

エネルギーの物理的意味を考える例題として、糸電話が役立つだろう。

糸電話の縦波最近は糸電話での子供の遊びは無くなっただろう。紙筒にセロハン紙などを張り、そこに糸を留める。糸を通して相手に話をする糸電話である。時代がスマートフォンになれば、糸電話に興味など向かないのは当然だ。しかしその音声伝播の物理的解釈は、自然の意味を理解するには有効である。高等学校、大学では、『波動論』の難しい論説が授業内容になっている。シュレーディンガー波動方程式等の論理は、波を基本的に正弦波で解釈する。ところが、現実には水面の波でさえ、正弦波ではない。殆どの波は縦波であり、そこには正弦波形は無い(電気回路のエネルギー流のような局部的な波形は特殊なのである)。エネルギーの縦波伝播の具体例が糸電話になる。音声は空気に乗せた縦波伝播現象である。糸電話も同じ糸に乗せたエネルギーの縦波伝播現象である。

糸電話の力学的解釈 話して側で、紙筒に口を当てて言葉を発しても、糸で繋がっていなければ、聞き手側の紙筒を耳に当てても話し言葉は聞こえなかろう。その紙筒を糸でつなぐと話し言葉が相手側に伝わる。セロハン紙は縦に振動するが、空気だけでは拡散して相手側に音声エネルギーの縦波は届かないのであろう。糸が張られると、その糸の伸び縮みとなって、話し声が伝わるのである。そのエネルギー波が縦波である。その辺の意味をまとめて図に示した。同じような記事に三味線と縦波がある。

力学問題として、過去の記事を拾っておく。不思議の国の弥次郎兵衛道草問答(5)津波と真空破壊力隕石突入の衝撃波など。