タグ別アーカイブ: 熱エネルギー

体温と赤血球

(2024/04/29).

 実は初めに、「体温とパルスオキシメーター」と言う表題で記事にした。しかし削除した。4月29日の新聞(新潟日報)にパルスオキシメーターの原理の発明者、青柳卓雄の記事が載っていた。素敵な業績だ。医学関係の事については門外漢の筆者は初めて知った事だ。その事で、体温の意味について赤血球との関係としての認識を纏めようと思ったのがその切っ掛けだ。パルスオキシメーターも赤血球の酸素量の意味に関係した結果を評価した原理の計測器と思う。赤血球の赤色はその内部からの放射エネルギー量によって決まるものと解釈できる。それは赤血球の内部での燃焼現象による結果のエネルギー放射量の評価に因る値だ。決して酸素を運ぶ機能ではなく、体温保持のエネルギー放射源としての意味が赤血球の機能だ。

 再び、その記事との関連として、体温と赤血球として下書きにして置いたものを取り上げる(2024/05/03 記)。

 皆さんは体温について考えた事がありますか?
 体温について、検索の解説を見ても良く分からない。そこには学術論に特有な、理由を示さない曖昧な解説が殆どだ。それらの記事を見る限り、誰も良く分かっていないように思える。特に『赤血球』の基本的機能が余りにも曖昧な認識にしかないと思う。ヘモグロビンで酸素を何処かに供給し、炭酸ガスを肺まで運び出すような解説だ。全く『体温』がどの様に保たれているかを考えない解釈だ。中に、アデノシン三リン酸(ATP)が関係している様な解説があるが、全く理解できない頓珍漢な解説に思える。

 体温の物理的意味とは❓ それは体の全身の『エネルギー』の分布の量を評価した技術計測量、温度の「 [℃] 」だ。そんな単純な『エネルギー』評価の物理的意味の筈なのだ。

 その原因は単純である。体温の物理的意味が分かっていないのだ。物理学と言う自然科学の基礎・基本を研究する学問において、物理量の『エネルギー(ジュール [J] )』の認識が無いのである。体温は体の細胞の機能を働かせるに必要な、全身の『エネルギー分布』を保持する量の、計測技術による評価概念量『℃』の数値と考える。

 電気回路の電圧の物理的意味が分からなかったのだ。電圧の単位ボルトの物理的意味が分からなかった。電気回路の電線で囲まれた空間を『エネルギー』が流れる現象が電気回路の物理的意味だ。その電線路空間の『エネルギー』分布量が電線路のコンデンサ特性C[F/m]で決まる。それと同じ意味で、体の構成物質・細胞の誘電率の特性値によるコンデンサ容量[F/(m³)] とエネルギー分布密度[J/(m³)] の比率から決まる評価量に関係した物と考えられる。

 温度 t[℃]=[(J/F)^1/2^] に関係した意味で、外界の気温との関係で、放射される体表面の放射エネルギー量の計測値の筈だ。

 『エネルギー』は温度も電圧も熱もすべてその技術評価物理量の基本で、同じ基礎量であるから。 

 今まで考えた体温と赤血球などに関する記事を拾い上げておく。

 1.体温と身体活動エネルギー「基礎理科」を想定して
 2.体温とエネルギー
 3.体温36度5分に思う
 4.体温と呼吸
 5.あッ!-体温と電圧-
 6.赤血球が謎運ぶ
 7.呼吸の意味を問う
 8.体温と基礎代謝
 9.体温と肺機能

 まとめ。
 余りにも、医学生理学の学術論から懸け離れた、素人と思える内容の解釈を記事にした。しかし、現代の科学論が余りにも専門的な極端に高度な内容になっていて、市民が理解できる内容ではなく、とても特別な自然科学論となってしまった。自然の世界の基本は、それ程複雑の筈はないと思う。確かに、医科学の血液検査の分析や生体の神秘は複雑で高度な専門性の知的知識の分野となった。しかし、電圧や体温の物理的意味が易しく説明出来ないようでは、何処かあやふやな基礎の上に踊らされているようで、自然科学者の統合的な科学論が疎かになっているようで心配だ。その問題点が教育における、『電荷』、『電子』および『イオン』等を基に解かれる教育内容だ。身近な『体温』の物理的意味を問う事で、一つの問題点として取り上がた。

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

電界と絶縁破壊

(2024/04/07).

 標題を見れば、電気磁気学の初歩の講義内容のようで誠に申し訳ないような気持ちだ。先日も、高校生の運動中に雷が落ちて、恐ろしい事故となった。言葉で〈雷が落ちた〉とはよく使う表現だ。〈落雷〉とも言う。しかし⦅雷⦆が落ちると言うような事は無い筈だ。天から何か⦅雷⦆と言う怪しい者が落ちて来るような意味に取れるが、そんな事はない筈だ。確かにそのように言いたい程⦅雷⦆と言う現象は意味が分かり難いのだ。いや、一般の人も電気の専門家も良く分かっていると思っているだろう。それは今でも、電気の話と成れば、必ず『電荷』や『電子』によってその物理学理論は解説され、授業で教えられるているから。しかし本当の自然世界には、そんな『電荷』や『電子』などは実在しないのだ。教科書も教育も間違っているのだ。〈雷〉の意味が解らないように、電気に感電すれば心室細動が起き、命も失うように恐ろしい事が起きる。雷はそれ程、意味の分かり難い物理現象を引き起こすのだ。雷の正体 (2012/11/13) など過去にもいろいろ書いた。

 考えて見たら、結局物理学理論が科学者向きの特殊な難しい解釈法に成っていると言う事だ。様々な概念を創り出し、自然世界に『電荷』等と言う特殊な物理量が実在する訳など無いのだ。簡単に言えばそこに根本的解釈の間違いが有ったのだ。『電界』とは何か?電気磁気学理論の基本である、『電界』や『磁界』と言う理論用の概念の物理的意味を明確に認識していないところに根本的間違いがあった。

 高圧送電線路。500 [kV],1000[kV]等と言う超高圧送電線路もある。鉄塔は大地に立てられているから、アースだ。電線が3本で3相交流回路を構成し、アースの鉄塔と電線は磁器碍子で絶縁支持されている。電線間も間隔が広く、空間の絶縁距離が大きく取られている。送電線路は電圧が高く、その電線間の絶縁を空気によって保持している。空気の電気絶縁性能によって、送電線路は成り立っている。

 さて、空気の空間は電気磁気学理論とどのような関係に在るだろうか。理論では、『電界』と『磁界』、記号で E[V/m] 、H[A/m] 等と電圧の単位[V]、電流の単位[A]が基本となって理論が構築されている。空気の絶縁性能は、その空間に『何か』が存在する事で、その空間の状態が変る意味を評価する事だ。影響を与える物は何か。その『何か』が原因で絶縁が破壊されて火花のアーク放電障害の故障を引き起こすのだ。空気中の何が『電界』と言う物理的評価量の基に成っているかを認識する問題なのだ。

 空気の空間の物理的解釈法の手法に、真空透磁率と真空誘電率がある。この定数は自然界でどのような意味を持つか。それは自然科学理論を展開するに極めて重要な意味を持った定数なのだ。自然世界は「光」に支配されている。太陽光線が無ければ地球も存在しない。光の物理現象は空間の定数に因ると解釈して良い程、重要な基本定数だ。光速度 co [m/s] も空間伝播する『エネルギー(電磁波)』[J] の伝播特性もこの定数によって決まるのだ。その関係を示したのが上の図だ。この定数の空間長さ[m]はどの方向の意味を指すでしょうか?それは『エネルギー』の伝播する方向の距離[m]です。丁度電気回路空間内の『電気エネルギー』の伝播方向の長さと同じ意味だ。

 さてそこで、『電界』と絶縁破壊の空間内の物理現象の意味になる。それが『雷』の意味の解釈につながる。『電荷』など関係ないのだ。右の(A)図は球電極を1cm離して、電圧30[kV] を掛けたのだ。その電界 E=30 [kV/cm] となる。空気はこの電界になると、空気の絶縁が破壊して、火花放射現象に至る確率が高くなる。この電界は空気の状態に『何』が起きた事か。物理学や電気の教科書の解釈は『電荷』が原因で火花放電に至ると解釈される。雷では「雷が落ちた」等と言うことになる。この解釈が科学的常識論に成っている。
 しかし、『電荷』のどの様な訳で火花の放射現象になったかについての論理的説明が出来ないのだ。光になったのは『何』か?雷様が落下して、光に成った訳でもなかろう。専門家も『電荷』が衝突するとが光に成ると言う物理的現象の説明が出来ないのだ。『電荷』が光から構成されていると言う理論・訳でも無い。

 『電荷』による科学論では、深く具体的にその詳細を追究すると、何も答えられない曖昧な解釈の押し付けで済ます事になっている。論理性のない、意味不明な「クーロンの法則」の表式で。

  図(A)の球電極ギャップに火花放電が起きる原因は、その空間の『電界』と言う電気概念の正体が実はその空間内の『エネルギー』の分布状況を評価した技術量なのだ。『電荷』など無関係なのだ。その意味を(B)図に示した。球電極の負側の電極近傍空間に、密度が高い『エネルギー』分布が出来る。同じ電圧でも、空間ギャップが大きければ、『エネルギー』密度が小さく空気の絶縁性を脅かさないから、火花放電には至らない。

  電界とは空間の『エネルギー』の分布密度勾配の強さを評価する技術概念だ。『電界』が『電荷』に因る等と言う誤った電気磁気学理論が根本的な間違い理論なのだ。自然はそんな複雑な物理量・概念は持ち合わせて居ない。人間が、研究者と言う専門家が解釈用に、理論用に仮想的に創り出した概念でしかないのだ。

 図(B)のエネルギーの分布形状がどの様になるかは、実験的に観測できないから、検証できるような図は示せない。あらゆる電気現象を広く、それぞれの人が深く経験して、認識を深めて到達するより外に、真理に到達することはできなかろう。それは結局哲学になる。

 雷の火花放電に至る空間の現象を、よく観測して、光が何故『電荷』から発生するかの訳を明確に理解するより外はない。『電荷』に論拠を置く限り、論理性はそこには見えない筈だ。〈雷〉の物理現象を理解するには、海から蒸発する水蒸気の『熱エネルギー』の行へと上空の冷気との関係を総合的の捉えて、解釈する必要がある。『熱エネルギー』が何処に消えるかを理解して欲しい。光も熱も同じ『エネルギー』であることを知らなければならない。

 電気磁気現象はすべて、導線内を流れる『電子』等と言う妄想理論には無関係である。すべて光と同じ空気の空間を光速度で伝送する『エネルギー』の流れであるのだ。その『エネルギー』に対する空気の絶縁耐性が火花放電を引き起こす原因である。『エネルギー』分布の空間分布密度勾配が『電界』の意味でもあり、その強度が絶縁破壊の原因となり火花放電となるのだ。こんな話は余りにも、日常生活的で、科学論文にも成らない市民的話題だ。
 
 筆者も、大学学部の卒業研究の課題が『炭素電極ギャップの放電電圧特性』であったと、薄々覚えている。少しは高電圧は馴染みがある課題だ。

電気とは何か?

(2024/o4/09).

 『電気』と言う用語の意味が説明出来ない。電気は多く使われている。しかし電気とは何か?と誰かに尋ねても、殆どの人が答えられないだろう。例えば、失礼かも知れないが、現代物理学理論の専門家も答えられないだろう。一応それなりの現代物理学の常識的解釈でお話されるだろうが、多分それも曖昧な答えではなかろうか。

 電気の正体❓ 電気工学、電気物理、摩擦電気、静電気、更に、電子、電荷、電流、電圧等と多くに関係した分野で『電』の文字が付く用語が使われている。専門家であれば、やはり原子や電子周回軌道の構造更に原子核の陽子、中性子など、理解しようもない原理から解かれるだろう。でもいくら聞いても、ただそうですかと頷く以外外なく、理解には至らない。

 そんな電子が原子の周りを回っている等と言う『電荷』のクーロンの法則に縛られた原子構造を納得しろと言われても無理だ。何で原子周期表が『八』の周期性であるかも論理的説明が為されない。原子が何故結合するかも論理的解釈が示されていない。共有結合はクーロンの法則の電荷を否定しなければ、説けない論理だ。原子結合は八表面体の120度軸のマグネット結合(Axial energy flow)しか無かろう。

 最も大切な『エネルギー』と言う物理量が現代物理学理論では認識されていない。今も、マックスウエル電磁場方程式の空間伝播像を頭に描いても、矛盾だらけで、理解などできないし、その式の論理性等信じる事など出来ない。それでも大学の理学部では、電気磁気学理論で、その偏微分方程式が解説されているのだろうが、無意味な授業だ。光の光速度伝播現象を電界と磁界で解説する愚かな事になる筈だ。

 電気とエネルギー。発電技術は殆どボイラーあるいは原子炉で水を加熱して水蒸気の気体圧力エネルギーでタービンの歯車の機械的回転動力エネルギーに変換し、更に発電機で電気エネルギーに変換して、送電線路の電線路の空気空間の内を電気エネルギーを伝送している。

 発電所から送り出される電気エネルギーも、初めは燃料の燃焼などの『熱エネルギー』から始まる。その次にタービンの羽根を回す機械の『回転動力エネルギー』の軸空間の伝送エネルギーに変換される。その回転軸エネルギーの流れは発電機に掛かる負荷側からの反抗力に逆らった回転動力エネルギーが電線路空間に『電気エネルギー』となって送電されるのだ。『電気エネルギー』は電線路空間を流れるエネルギーなのだ。決して『電子』などお出まし頂く余地は無いのだ。
 発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/28)  の図だ。科学技術では、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道線路での蒸気機関車が力強い牽引力の雄姿を見せてきた。発電所も蒸気機関車もそこに『エネルギー』と言う物理量が実在している意味を御理解頂かなければ、物理学理論など幾ら『電子』で解説しようとも、自然の前では絵に描いたお餅でしかない。誰もが日常生活で、『エネルギー』を使いながら生活をしている。しかし学術理論の物理学に、『エネルギー』の意味が認識されていない現実は異様な世界と言わなければならない。理論が空中分解している。

 『エネルギー』を物理学理論の中心に据えるか、『電子』と言う自然世界に実在しない『電荷』概念に御縋りするかが科学者に問われているのだ。

 

光エネルギー流と空間特性

(2024/02/27).

 最近、特に物理学が子供達、高校生や大学生で科目として学習するに人気が無いらしい。それはとても残念な事だ。その訳は、子供達が感覚的にその教科内容に違和感を感じるからではないかと思う。

前の記事で、
 『電圧』とは

〇 電気回路空間へエネルギー [J] を供給する能力を評価した電気技術概念である。
〇 電気エネルギー供給源即ち電源の能力によってその接続電気回路空間に即応したエネルギー供給状態を整える能力評価概念。

とした。

 それは、物理学理論が空間を流れる『エネルギー』を認識していないところに、『電圧』と言う電気用語の意味が正しく認識できていないところに在るからだ。

 この様な単純な科学技術量・概念さえ曖昧な認識にある。『電圧』を『電荷』によって解釈しようとすれば、其れでは結局曖昧な、感覚的に納得しかねる解説を記憶する苦痛を子供達に強いることになる。

 子供達に、自然世界の神秘に感動する経験を与えて欲しい。それは実験室や研究室での観察、計測と異なる、自然の感覚的な経験によって受け取る現象を基に深めて欲しい。それを光のエネルギーの物理的意味に求めて欲しい。

 日向ぼっこ。日光浴の実感を物理現象としてどの様に解釈するか?そんな日常生活の中での経験を、物理的な現象として考えて欲しい。

 日光に全身を晒して、太陽からの光を受ける。その時、身体がポカポカと暖かくなるだろう。その暖かくなると言う物理的現象の意味をどの様に理解するか?それは光・太陽光線によって齎された物理的現象の結果である。
〈問〉その訳を説明してください。
 この回答には、光と熱の関係で、その物理的意味が理解できなければならない筈だ。即ち、光とは何か?の問題だから。

 上の「日向ぼっこ」で、光が『空間エネルギー』の流れであるという意味を知らなければならない。決して科学的実験ではその意味は分からないだろう。光の振動数が幾らだとか、粒子性と波動性を兼ね備えている等と言っても、殆ど、光の実体は分からないのじゃなかろうか。

 『答』 光は空間エネルギー流である。空間を流れるエネルギー [J] の密度分布波である。日光に当たるとは、衣服を通して光のエネルギーを吸収する事だ。そのエネルギーの時間積分で衣服の中にエネルギーが溜まり熱エネルギーとなる。その熱エネルギーの輻射として皮膚から身体に入り込むからだ。

 上の例は光のエネルギーがどの様な物理量か、その空間像をどの様に捉えれば良いかを熱エネルギーへの変換現象を通して、光の意味を考えて欲しくて取り上げた。

 その物理現象は、光エネルギーの流れる空間によって決まる。その空間の科学技術的解釈の基本がある。それは物理量の概念を決める基礎として、『真空透磁率』μ₀ = 4π×10^-7^ [H/m] が決められた。

 その 自由空間の特性は右のように表せる。何も無い空間が、その単位長さ ( 1[m] )当たり、電気回路の静電容量 C[F/m] とインダクタンス L[H/m] と同じ特性で捉えられる。真空空間の誘電率も ε₀ = 1/36π ×10^-9^ [F/m] と決められた。光のエネルギーの流れに対するインピーダンスは空間の特性インピーダンス Zo =120π [Ω]である。光エネルギーの流速、即ち光速度は  co=1/√( μ₀ε₀ ) =3×10⁸ [m/s] となる。なお、電気回路との関係で、光の伝播特性は負荷抵抗が常に整合、α=1の状態にあると見做せる。

 これらの空間の特性が光に対する伝播特性を決める事となる。その事が、電気回路に於ける電気現象が光伝播特性と同じ意味であると解って欲しい。決して『電子』が導線の中を流れる等と言う事はなく、その解釈は無意味な間違い解釈であるのだ。

 光のエネルギーの空間像はどの様な科学実験でも観測できるものではなかろう。観測できない光の空間像を示すとなれば、それは自然現象の多くの具体的姿を感覚的に捉えて、統合的に解釈する以外なかろう。 その表現法の一つを右図に示す。光のエネルギーの空間像をどの様に捉えるかは、科学的実験で観測できるもので無いから、どう説明すれば良いかは分からない。光の空間構造の捉え方は様々であろうが、筆者の解釈は、光量子空間像(D線)がその例だ。

温度の物理概念

  28aEB-10 温度とは何か 日本物理学会 第66回年次大会 (2011).に取り挙げた問題であった。
 新潟大会で期待していたが、残念ながら東日本大災害で中止となった。その大会には不思議にも、筆者の標題と全く同じ表題の投稿があった。

 誠に単純な『温度とは何か』を問う、物理学の問題である。

 『電荷』概念と同じく、『温度』の概念も理論物理学の基礎概念でありながら、極めて意味不明な解釈が採られている事項である。その解釈論は、気体分子運動論が後生大事に教育されているようだった。即ち、気体分子の速度エネルギーが温度を決めるような認識が教育されている。とても意味不明で筆者には理解出来ない大学の御講義内容に思えた。

 運動エネルギーが何故『温度』になるか? そこには熱エネルギーと言う意味が筆者の解釈とは異なり、『何』を温度計で測定するのか理解できないのだ。少なくとも『熱エネルギー』と言う空間に分布する物理量ではないようだ。

 それは核融合反応でも基礎概念に於いては、同じような意味に思える。

 ここでは、御高尚な学術論には及びも付かないが、卑近な日常生活からの自然観察眼での解釈を述べたい。

 例に『ホッカイロ』を具体例に取り挙げて論じたい。右がそのホッカイロだ。中味は良く知らないが、鉄の酸化反応を利用しているらしい。身体に貼るホッカイロと貼らないホッカイロがある。最近貼らないホッカイロを使ってみた。とても不思議に、それを布団の中に入れて睡眠、するとその発熱体の放射熱は信じられない程強烈なのだ。小さな10㎝程の袋なのに湯たんぽを抱いて寝るに等しい保温器なのだ。

 さて、何を論じたいかと言うとホッカイロの温度をどの様に解釈するかと言う事だ。まさかホッカイロの素材・鉄分が酸素を取り込んで、美味しいと興奮して、振動や運動し始める訳ではなかろう。振動や運動速度(?)に依っても温度にはどう考えても成りそうもない。『温度』は温度計で測定する。温度計が何を測定するかを考えれば、物理学者の御講義の様な『運動エネルギー』や『振動エネルギー』には『温度』の意味が繋がるような解釈は産まれない筈だ。温度計に発熱体からの放射エネルギー、所謂輻射熱と言う空間を流れる『熱エネルギー』が入射する結果、その定常入射エネルギーの時間当たりの強さを評価する量的解釈法を技術として完成したのが温度計の測定法である。ただそれだけの単純な解釈で『温度』の意味を捉える。複雑な振動や運動は、『温度』には全くの無意味なものである。

電池における電子の役割を問う

リチュウム電池の解説を読んで思う。『電子』の役割が全く理解できない科学理論だ。

はじめに 半導体のpn junction (pn接合部)のエネルギーギャップの意味を考えてみた。電池の意味との関連を考えた。電池の原理を問う (2014/11/27) があった。

電池電圧とエネルギー 電池はエネルギーの貯蔵庫であり、エネルギーの供給源である。人の思考における常識が如何に自己に立ちふさがる障壁となるか。すべてが『エレクトロニクス』の支配する世界に居る。その語源でもある『エレクトロン(電子)』の存在の意義を問うことになる。人は高いことを低いより有利と考えがちであろう。電圧が高ければ高い程、それは影響力が強いと考えるだろう。電圧が高いという表現は良くないのであるが、技術用語としては電位が高いとなろう。科学技術用語の持つ常識に『電圧』が有り、プラス極とマイナス極でその電圧の高い方と低い方を区別している。電池はエネルギーの供給源であることは誰もが知っていよう。しかし、誰もがその『エネルギー』とは何かを知っているかと問えば、さて答えられるであろうか。答えられなくても、決して気にしなくてもよい。『電子』に因って解説している人は『エネルギー』の意味を考えていない人が殆どであるから。ましてや化学方程式に因って解説する場合は、殆どその方程式の変換過程の中でその空間に実在する『エネルギー』を意識することは無い筈である。乾電池も蓄電池も+端子から電流が流れて、負荷にエネルギーを供給すると考える。しかし電流と言うものが電池のエネルギーを負荷に運ぶことなど出来っこない。電気理論では、電池のマイナス端子から電子が導線の中を流れて、負荷を通り電池の+端子に戻ると解釈している。電子の逆流が電流であると電気理論の常識が世界の共通認識になっている。それではその電子が電池からエネルギーを負荷に運ぶか?と解説者に問えば、答えないであろう。『電子』あるいは『電荷』に『エネルギー』をどのような意味で結び付けて解釈しているかが明確ではなかろう。2年程前に電圧ーその意味と正体ー (2016/05/15) に纏めてあった。

電池のエネルギー供給端子は-極である 直流の電気回路はプラスとマイナスの2本の導線でエネルギー供給回路が構成される。電池からのエネルギーは-極から送り出される。プラス側の導線は殆どマイナス側のエネルギー供給を支える脇役と考えて良い。負荷にエネルギー供給時、プラス側導線を通して電池へエネルギーは戻らない。電池のプラス端子はエネルギー供給に直接関わらない。電池の負側端子からエネルギーは放出され、負側導線近傍空間を通して主に負荷までエネルギーが伝送される。勿論導線の金属内などエネルギーは通らない。電池は-極がエネルギー放出源である。そのエネルギー(電気や熱あるいは光)を陰極線や電子と考えてきたのである。

エネルギーを運べない電子(科学的願望との乖離) 原子核の周りを回転する電子で世界の構成源を捉える原子像が世界標準である。電子が回転すると解釈する科学的根拠はどこにあるのだろうか。『電荷』否定が結局とんでもない現実にぶつかってしまった。科学理論の根源さえ信用出来ない自己を観る。そんな意味を卑近な日常生活の電池の意味に探し求めて見ようと考えた。簡便な科学的解釈を示すに『電子概念』がとても便利であろう。電池のマイナス極から電子が外部回路を通りプラス極に戻ればすべてが説明出来たことに成る。その不思議な論理が科学論理の正当性を世界標準として認められるのだから。 『エネルギー』を置き忘れていませんか? 電池はエネルギーの供給源です。電子論であれば、電子がそのエネルギーをどのように負荷に届けるかの問に答えてこそ科学論と言えるのではないか。そこに電子の実像が問われることに成るのです。電子の特性:質量me=9.1083 ×10^-28^ [g]、 電荷e=1.60206 ×10^-19^ [C] と質量と電荷の混合素粒子。この桁数の算定基準の厳密らしさと混合空間像の認識不可能の不思議に包まれている電子。電子が背負い籠に『エネルギー』を入れて負荷まで届けるのですか。帰りは『エネルギー』分だけ身軽に成ってプラス極に帰るのですか。 『エネルギー保存則』とはどんな意味なんですか。 『エネルギー』が観えますか?そこで、エネルギーに対して電子に求めると無理に仮定した時の科学的願望を絵図にしたみた。

電子の責務と珍道中。 電池はエネルギーの貯蔵庫である。そのエネルギーを負荷で利用する訳だ。どのようにそのエネルギーを電池から負荷に届けるかを科学論として完成しなければならない。高度の量子力学は電子に重い責務を課しているように思える。太陽光発電で電子にどんな物理的機能を果たして欲しいと望んでいるのだろうか。電子がエネルギーを担うべき責務を無造作に要求しているようである。電子の身に成ってその心情を汲んで少し考えてみた。電池も太陽発電パネルも電源としては同じものである。ただ太陽発電パネルは負荷の前にエネルギー貯蔵庫(蓄電池)に繋がっている。負荷の影響は直接受けない。さて電池のエネルギー貯蔵庫からどのように負荷に必要なエネルギーを供給するかを考えるべきだろう。検索で電池の原理を尋ねると電池のマイナス極から化学方程式の反応によって、電子が外部導線を通って陽極に廻り込み、その電池内で電荷を遣り取りして解説が終わっている。電子は何の為に負荷を通ったのか。 『子供の使いじゃあるまいし、ただ通り過ぎるだけじゃ理屈も通らぬ!!』 何故電子が通り過ぎるだけで電池からエネルギーが負荷に届けられると考えるのだろうか?電子は何故マイナス端子から導線を通ってプラス端子に行くことが出来るのだろうか?電子の移動はどんな理論で可能だったか?電界と電荷の関係は無視されても理屈が通るのか。上の図は電子に御足労願う訳だから、その科学認識に寄り添って何とか電子の責務とエネルギー運搬の道筋を考えて描いた図である。電子の(行き道)は、重い責務に喘ぎながら。負荷にエネルギーを届けた(帰り道)は、身軽に成って鼻唄まじり。そんな電子に期待された仕事の責務が想像できる。電子も行きと帰りで異なる姿に。しかし、量子力学には背負い籠でエネルギーを運ぶ意味はない。むしろ質量に頼った運動エネルギーの増加で電子がエネルギーを身に纏う意味に似ている。その場合は電子の帰り道は速度の遅い電子の姿を描くことに成るのか。当然理屈の通らぬ無理な道理ではあるが。もう一つ、化学方程式で『電荷』の辻褄を合せようとしても『負荷御殿の主から必要なエネルギー量が発注される』のである。エネルギーの発注に合わせたエネルギーの発送をしなければ電源・送配電線路・負荷間の辻褄が合わなくなる。勝手に化学方程式に従って、電子を送り出す訳にはいかないのである。負荷の要求をどのように電池側で処理するかが極めて重要な瞬時電力の話に成るのだ。電子に自動的にそんな責務まで負わせては酷と言うものだろう。

(2020/08/14)追記。上の絵図を書き換えた。img298

電子にエネルギー伝送責務は無理な注文である 電子は不要である。電池からのエネルギー(熱エネルギー即ち電気エネルギー)そのものが負荷の要求に応じて電線路空間内を伝送されるのである。電子不要の科学論。

体温と基礎代謝

(2023/09/30).

 『体温』と言う人に備わった解釈概念・評価量が在る。しかし、余りにも当然の誰もが知っている測定量であり乍ら、その意味が本当に何を指す意味であるかが理解されているのだろうか。それも一つの物理量『エネルギー』に基づく人の解釈概念量であろう。生体に備わった、生理学的状態量だ。人の平熱である『体温』は36度5分である。

 体温 36度5分 とは。
 その値は体温計での測定値として計測される。古くは、水銀温度計で脇の下に挟んで測定された値だ。今は特にコロナウイルス感染により、街中での非接触型体温測定器で、『遠赤外線』の測定から評価する方式が『体温』測定の標準となっている。しかし、人の『体温』が何故36度5分なのかは分からない筈だ。その『体温』も、人類の科学技術測定概念量である。その測定値は何を測定した値なのか?『体温』とは何か?それは丁度、電気回路での『電圧』という意味がどの様な物理的意味を指すかと同じ事なのだ。
 例えば、単三乾電池の『電圧』が1.5 [V] であるが、その物理的意味はどの様な事なのかは、殆ど誰も正確にその物理量【科学技術評価概念量】の意味を説明出来ないのだ。その『電圧値』の正確な意味を解説するには、乾電池の負極側金属体表面に、プラス端子金属表面(基準)に対して如何程の『エネルギー』を供給する能力を保持しているかを捉えた科学技術概念量だと認識できなければ、分からないことなのだ。物理学理論では、その『エネルギー』という概念量即ち物理量の空間分布量の認識が無いのだ。それでは『電圧』という物理概念量の意味が解らないのだ。
 だから、『体温』とはどの様な物理量を評価したものかは中々分かり難いのだ。それが結局、自然世界の真理を理解するに欠かせない要点なのだが、そこにはまだ理解が到達して居ないのだ。
 検索で、『体温』についての解説に触れると、筋肉が働くと熱が上がるような意味が説明されていたりする。焚き木の燃焼に『酸素』が必要で、その燃焼の結果の化学反応で『熱エネルギー』に変換されて放出されるため、輻射熱の放射となる現象が有る。基本的に『体温』も体の中に『熱エネルギー』が貯えられる結果として、ある値・36度5分になるのだ。身体も一つの空間に在る『熱エネルギー』の放射体なのだ。その生体内の『熱エネルギー』の産生現象が血液と肺の機能によって保持される仕組みに在るからだ。その現象を科学的な測定データで証明することは難しいかも知れない。科学論とはならないかも知れない。測定できなければそれは、哲学論になるのかも知れない。空間の『エネルギー』の分布は測定できないのだから。物理学理論の限界でもある。

 『体温』の物理的意味は重要な科学的認識に繋がる。その物理的意味はとても興味の湧く対象だ。それは物理学理論に『エネルギー』という物理量の認識が無いこととの関係で意味が膨らむ。その意味を理解するには、「基礎代謝」との関係を認識できなければならない。

 基礎代謝とは?
 人は『熱エネルギー』の放射体である。自分が食べる食べ物の量がとても多いと思う。大した社会的役割も果たせないのに、食べる事だけは負けていないようだ。三食の食事で、取る食糧の『エネルギー』の換算量は一日当たり如何程かは分からない。その中で、基礎代謝は1500[kcal] 程度かと理解している。ジュールに換算すれば、6300 [kJ] 程か。
 
 食物からの消費エネルギーの分類比率は検索に示されている。60,70%程が基礎代謝になるかと。
 しかし、基礎代謝とは何かが余り良く分からない。何となく、体から放射されて消える『熱エネルギー』がその基礎代謝に相当するかと解釈する。それは食べた食物の内殆どが小腸で血液中に吸収される。長い小腸の各部で吸収される栄養素の種類(タンパク質、炭水化物、脂肪分あるいはアミノ酸など)が同じかどうかも知らない。小腸から吸収された栄養分は肝臓に運ばれるようだ。肝臓から心臓静脈そして肺静脈、全ての血液が肺で酸素によって浄化され、その血液が心臓から動脈で全身に回る。
 右に下手な人の絵図を載せた。 36度5分と熱輻射。 食物の栄養分の殆どが基礎代謝と言う消費エネルギーに変換されて消え去る。その消えるエネルギー分が基礎代謝と言う意味を表すものだろう。筋肉が働いてエネルギーは消費する。しかし、筋肉の機能として『体温』を保つ作用はない筈だ。どこで『体温』を保つ機能を担っているかが極めて重要の意味を持っている筈だ。人は『体温』という発熱体である。発熱するには、体内で酸化現象による『熱エネルギー』の発生現象が起こる必要がある。

 基礎代謝は『体温』と言う生体の機能保持環境の為に、全身に供給される『熱エネルギー』への変換現象に伴って消費される『エネルギー』分のことと解釈する。寒い冬になれば、『体温』保持のため厚着で保温する。それにしても、今年の夏の気温、40℃は植物を枯らす異常事態だ。海水加熱発電技術は人の知恵とは言えない。医学・生理学に疎い素人の、電気回路現象からの解釈を『体温』の意味について考えた。

熱エネルギーの具象像を尋ねて

(2023/09/23).

 日常生活で『エネルギー』と言えば、毎日欠かさず台所で使う『熱エネルギー』を挙げなければならなかろう。

 ところがその『熱エネルギー』という物理量もどこか捉え難くて、心に描きにくい。『熱』と言えば見えるようであり乍ら、物理学理論でも理解し難い対象ではなかろうか。

 水の加熱の物理現象を先ず取り挙げたい。

 鉄球内の水の加熱。
 鉄瓶で湯を沸かす場合が、その現象になろう。しかし、熱源から容器の底に熱の炎を掛ける。容器を通して水が加熱される。
 今回は、少し特殊な事例を対象にする。右図のように、鉄の球体に水を満タンに入れる。そして口を栓で封印する。その栓は強い圧力に耐えるものとする。球体を炎で過熱する。『熱』という物理量が鉄金属を通って水を加熱する。この時『熱』というエネルギーが水の中に侵入する。まさか鉄球を炎が振動して、その振動が中の水に伝わる等と、頓珍漢な解釈をするお方は居ないと思う。炎の『熱エネルギー』という物理的空間体積を占める実体が水に入射するのだ。空間体積を占めると言っても、他の空気や他の質体の存在する空間体積を押し分けて、『熱エネルギー』が割り込むわけではない。光が他の光の空間の存在を妨げる事が無いように、他の物体の空間に邪魔するような事には成らない。『エネルギー』という空間の実像は他の物の存在を妨げたりせず、霞のように空間を通り過ぎる様なものと考えたい。その目の前に無限に在っても、その『エネルギー』を見ることが出来ないのだ。この図の場合も、炎は誰もが見えるし、その熱さは感じられる。しかしその空間の『熱エネルギー』という物理的実像を人は見ることが出来ない。見ることが出来なくて、科学的手法でその空間像を観測、検証することも出来ない。誠に解説するに、取り扱い難い事この上ないのが『エネルギー』という物理量の実体なのだ。
これが電気回路の『電圧』の物理的意味における、分かり難さ、見え難さに通じる事なんだろう。電線路の『負』側の電線の近傍空間に存在する『エネルギー』密度の高い分布が『電圧』の高さの意味であることだから。その『エネルギー』など測り様がないし、見ることも出来ない。

 さてこの具体的水の加熱問題で何を考えるかだ。気体に関する、ボイル・シャルルの法則は次式で表される。圧力 p [N/㎡] 、体積 V[㎥] 、絶対温度 T[K] とする。気体定数 k [J/K] 。
    pV = kT [J]      (1)
 ただし、T= 273.5 + t [K] , t [℃] 。  

 実際の具体例に近いのが、圧力鍋になろう。水で充満されている点は違うが、『熱エネルギー』を加えて、中の『圧力エネルギー』に変換する点では何か近いものがある。水であっても、気体とは異なるが、『熱エネルギー』の加熱が圧力と体積の積の『エネルギー』の増加になると考える。

 この実験的考察例は、水で充満されて空間が無い。加熱すれば、水の圧力の増加として、『熱エネルギー』Q[J] が『圧力エネルギー』の増加分 pV [J] に変換されると考えて良かろう。この場合は体積が変らないから、圧力の増加分になると考えたい。加熱前の圧力の平均値(球中心部)が1気圧とする。

 ここで過熱するにつれて、体積は変わらないから圧力が増加する。圧力が増加した分水の物理的状態の何が変るか?『熱エネルギー』という物理的実体の存在を認識するかしないかの問題となる。決して水分子の運動エネルギーが変化するような事には成らない筈だ。水の等価質量の増加として、『熱エネルギー』が変換されたと同等の意味に考える。

 熱の加熱が進むと、『栓』が水の圧力に耐えられなくなり、その圧力に応じた速度 v[m/s] の速さとなって『栓』が飛び出す。丁度汽力発電所の蒸気タービンの初段の羽根の回転駆動力として作用する意味に似た事になる。

過去の『熱』に関する記事。
『熱』の正体 (2014/05/16) 。熱の物理 (2019/02/07) 。更に『熱エネルギー』から離れた『エネルギー』の意味も、独楽の心 (2019/01/09) 。

光と熱と温度(関連記事)

(2023/09/19).

 ここで、『体温』について、医学生理学に関して全くの素人が僭越ながら思う処を述べたいと思う。その前段階として、熱や温度の関連について述べたい。

 その訳は、人の『体温』一つを取り挙げても、医学的にも大変基礎的でありながら、その意味の認識が余りにも無関心のまま、誰にも意識されずに見過ごされているようだ。その根本的原因は物理学理論が余りにも過去の学説や法則に縛られて、少しもその根本に疑問さえも抱かれずに今日まで見過ごされてきたことにある。本当は、自然科学理論の基礎はやはり物理的概念がその基になる筈なのだ。しかし、『電荷』や『電子』、その他の多くの専門的概念・用語が論理的な説得力無しに、基礎教育の必須事項として取り上げられている。『電荷』等自然界に存在しないものが教育の基礎的素養として、その矛盾が放置されてきた。科学者の社会的責任が問われて然るべきだ。経済的利益にならない事は研究の対象として意識が向かないようだ。その結果が今の教育内容に矛盾の混乱を取り残してしまったのだ。

 『エネルギー』という物理量の認識が無い基礎物理学論になってしまったのだ。  
 
 エネルギーの認識が無いから、人の大切な『体温』の意味さえ分からない現状の奇妙な状況を来たしているのだ。電気回路の電線路内の空間を伝送する『エネルギー』の意味を認識出来れば、『体温』の意味も解って当然な事なんだ。

 だから、ここで『体温』の意味を説く前に、光や熱のエネルギーが『体温』に関係している事から、その関連記事(光、熱と温度)として幾つかを拾って、前段の予備的意味を取り上げておく。

 温度の解釈で、気体分子運動論があるがそれは間違い理論だ。右に温度計が計る『温度』の意味を考える絵図を示した。
 この温度計で気温を計ろうとしても、電灯から光が入射する。光は気体分子運動論には無関係だ。電灯と温度計の間を遮れば、温度計に指示値は気体の温度になるだろう。気体もその保有する熱エネルギーに対応した輻射熱を放射しているのだ。決して気体が分子運動して、温度計のガラス表面に衝突して、その運動エネルギーをガラスに伝導している訳ではない。気体の分子の運動など全く無意味な解釈論が『気体分子運動論』に成っているのだ。

 温度計が計る物理量 (2022/09/25) に関係の絵図だ。

 光と熱に関連した『エネルギー』の空間像に関する記事を拾っておく。
  熱と光の科学論 (2023/01/28) 、熱と光の『エネルギー像』 (2023/02/02) 、熱の正体『熱エネルギー』 (2023/09/08)、そして光の空間像として、プランク定数の概念 (2018/07/17) を関連記事としてまとめておく。