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日本雨蛙―遊歩道で―

忘れられない事、その一つに「日本雨蛙」がある。

『電荷』と同じく、専門家の学識、解釈を否定するようなことが多くて、『日本雨蛙』の「オタマジャクシ説」の否定まで、誠に申し訳なく遺憾に思いながら!

2006年6月26日。雨上りの昼頃、遊歩道上でやっと撮った。日本雨蛙の産まれ立ての姿。長く、日の出前の散歩で、小さな雨蛙を見てきた。産まれ立てでも、逃げ足は素早く近寄りがたいのだ。まして、メジャーで寸法を計るのはとても困難だ。1.5㎝に満たない寸法で、スマートな形だ。日本雨蛙は産まれ立てでも、既に雄と雌に違いが有るように思う。この写真は雄のようだ。

この写真は、「雨蛙 その謎」2006年7月20日発行文集の裏表紙にも使った。その2006年7月24日頃の、NHK朝7時のニュースで文集を『ニセ科学』の集まりで取り上げられている様子を見たと記憶している。勿論、雨蛙の専門家は「オタマジャクシ説」であり、小生の日本雨蛙は産まれて、人の目に付く時には決して尻尾は見せない等の解釈は『ニセモノ論』となるようだ。奇跡の遭遇 (2021/10/25) にも関連して。

この日の遊歩道で、幾つかの写真を撮った。その前日から梅雨の終りの相当の雨で、土が柔らくなって、深夜に「日本雨蛙」が生まれるに適している筈と、予測して写真を撮る心算で出掛けたのだ。予想が的中して、多くの産まれ立ての姿に出会えた。

上と下の写真は両方雄か。上は傍に葉草がある。遊歩道の敷石の大きさと雨蛙の寸法が比較できる。

 

これも追掛けて、やっと撮った。雌雨蛙かと思う。

この写真は側溝を見たら、十数匹の産まれ立ての雨蛙が居た。

下の写真も同じ傍のものだ。

みんな産まれ立ての雨蛙で、決して水中のオタマジャクシからの生態の『尻尾』等は人の目には付かないのだ。土から這い出した時は既に『尻尾』は無いのが『日本雨蛙』の特徴だ。

だから、ITの検索結果を見ると、オタマジャクシを田圃から採取して、育てて大きな尻尾を示す蛙を雨蛙と称する記事が多い。

専門家と言うお方の『二ホンアマガエル』と小生の認識とは『尻尾』の違いで区別できる。最近、漸くWikipedia の記事から「オタマジャクシ」の解釈が消えている。また以前ほど、オタマジャクシ説が多くはなくなったと感じる。

 

 

奇跡の遭遇

日本雨蛙。

この写真は名刺にも使ったものを額に収めて、傍に飾っているものだ。『いつも脇にある』雨蛙と幼生生殖 (2012/10/04)の写真だ。

偶然とはいえ、こんな表情をされたら、撮る自分の気持ちをすべて見通しているよと言われているように思わざるを得ない。

普通の雨蛙の写真は多く検索結果に出ている。それは普通に昆虫を撮ったものに見える。少しも、特別の感情は起きない。しかし、この狭い箱庭に現れる雨蛙は、鳥などに捕食されずに残れば殆ど何処にも行かず、ずーとその狭い中で過ごすようだ。いつも現れる自分の姿も見慣れて覚えているから、こんな表情で写真に納まったのかとさえ感じさせる。他にも、梅の盆栽に毎日、毎日同じ枝で過ごし、筆者が近付こうが、写真を撮ろうが全く意に介せず、暑い陽を背に浴びて平然と日中過ごす、茶色の保護色(梅の木の茶色と同色)の大きな親雨蛙が居た。そんな生態の虫が雨蛙なのだ。冊子『雨蛙 その謎』(2006年7月)の裏写真の一部、上(2000/04/30 .撮影)がその蛙だ。

いつも脇にある、こんな表情を見て、皆さんは何も感じませんか?他にも、信濃川での鯉との出会い。雀の恩返し(稲穂)など考えられない不思議に出会った。

心は、その情報は空間伝播の『エネルギー』であれば、不思議も夢の出会いと思っても良いだろう。

こんな日本雨蛙に出会うこと自体が奇跡と思う。しかし、日本雨蛙が水中の「オタマジャクシ」の生態を採らないとの解釈に至るまでには他にも大きな観察の不思議があった。

それが右図の観察経験である。植木のため、土を掘った。其処に白い精々2㎝程の見たことも無い白い昆虫が、無数に塊となって絡み合いながら、蠢いていた。その時は、まだ雨蛙の事には関心も無く、青ガエルと捉えていたからそのまま意識も無く、埋め戻した。しかし、その後何年か経って、何故こんな水の溜まりも無い狭い庭に毎年雨蛙が30匹以上も棲んでいるのか?と気付いた。その当時は、まだ雨蛙の生態を常識の通りに水中の「オタマジャクシ」から成長すると思っていた。その不思議に気付いて、雨蛙に注意しながら、日々観察を無意識にするようになった。今は、年に1,2匹しか新生の雨蛙は出ないが、当時は相当多く居た。雨蛙は親雨蛙になるには相当の年数掛かるようだ。新生のものから、2年、3年と年数も幅が広いものまで居る。そんなことを観察しながら、土の中の白い虫の群れが居た事を思い出した。2度とそんな白い虫の群れを観ることは無い。その奇跡の遭遇が日本雨蛙についての、「オタマジャクシ説」の否定につながった。

蠢く(ウゴメク)の文字は?

春の新芽が生えて日差しが強くなる頃に、その草の下で虫が動き出す情景を象形文字にしたのが『蠢く』の文字に思える。白い虫の塊に成って、蠢くという意味に土の中の雨蛙の幼虫がそれに合うように思う。

しかし、日本雨蛙の土の中での生態は全く不明だ。幼生生殖かどうかの確認も出来ない。雄の雨蛙がどの様に関わるかは全く不明だ。何年土の中で過ごして誕生するかも分からない。生れ出る年数もまちまちで、異なる様な気がする。

拾遺科学論題考 (2021/ /  後日投稿) の一つとしてもう一度取り上げておきたかった。私と雨蛙 (2021/07/08)。

私と雨蛙

それは1994年7月22日早朝5時の事だった。庭の足元に小さな蛙が居る。よく見ると、お腹に虫が付いている。未だその頃は雨蛙に何も意識を持っていなかった。雨蛙と言う呼び名も知らなかった。青ガエルと言う意識で居た。

不図気づいたその蛙に惹かれて写真に撮った。幾つかのその時の写真を載せる。当時は、南陽団地のある大きな食品工場の排水処理設備の管理の仕事をしていた。お世話になった。曝気による食品の油性分処理。とても不思議な微生物との関りで、面白かった。曝気設備が機能すると、臭かった設備が芳香に包まれた場所に変わった。「風来坊」の額と共に。そんな朝の出かける前の2時間ほどの間の出来事だった。

腹部に何を❓ 意味も分からず、写真に収めた。1997年7月22日朝5時。
抱えて保護のしぐさか?
同日朝。7時半。

地面から1mほどの高台の土鉢のヘリに上っていた。未だ不安そうな表情だ。

素敵なポーズ。安心して、寄せる信頼の表情。名刺などにも使う。

 

版画の下絵の素描。驚きを詩に寄せた。

2002年の絵柄。1997年から5年経った。その間に、狭い庭の中で、雨蛙の不思議に思いを重ねて、その在り様をじっと眺めてきた。水の無い小さな場所に、多くの雨蛙が居る。決して「オタマジャクシ」の生態を雨蛙は採らないと判断する時間が必要だった。

雨蛙に思いを寄せた覚悟の版画。2003年年賀状。

比較的良い出来だ。それにしてもこの版画を受け取った人はきっと、『こりゃ何だ?』と驚いただろう。小生は気付かなかったが、人がNHK新潟放送局の放送でこの版画を見たと言っていた。当時は誰もが「オタマジャクシ説」を信じていた筈だ。トンデモナイ版画だ。この版画にする決断を迫った事件がある。十日町市内のある温泉施設で、「日本雨蛙」と言う写真の載った解説本を見た。山と渓谷社の本だ。そこに日本雨蛙の写真として、相当図太い形状の赤みを帯びて、長い尻尾を付けた姿で、日本雨蛙として示されていたのを見た。専門図書のような解説本として。その当時平凡社の百科事典(全七巻)でもオタマジャクシ説で解説されていた。何処にもみんな同じ解説で、オタマジャクシ説を否定する人は居なかった。最近までwikipedia もオタマジャクシ説だった。

しかし、どう考えても水の全くない場所で、オタマジャクシの生息は無理だと確信した。そこに一つの大きなヒントが土の中に隠されていた。ある日土を掘っていたら、15㎝程の深さと思うが、そこに白い細長い虫が塊状になって蠢いていたのに遭遇した。太さはマッチ棒程度で、とても多くが一塊に絡み合って居るのを見た。しかしその時は全く特別に注意を払わなかった。直ぐに土を埋め戻した。おそらく1年くらい過ぎてから、その情景を思い出した。あれは何だったのか?と不思議が脳に上った。完全にその事と雨蛙の生態が繋がった。それがいつの日かは今は忘れてしまったが、日本雨蛙は決して「オタマジャクシ」の生態を採らない事を確信した。

それを文集に纏めたのが2006年7月である。雨蛙―その謎― (2011/08/31)。

日本雨蛙の肖像権を汚さないように、きっと自分に自然世界の真実を伝えてくれと頼まれたように思った。『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づ電磁界の本質― (1987年4月) 以来の精神的葛藤を覚えた。漸く『電荷』が自然世界には存在しない、科学論的仮想概念であったと確信できたのと重なる。自然は不思議の魅力がいっぱいだ。

今思う。雨蛙の腹部の生物はいったい何なのか?未だにそれは謎だ。土の中が雨蛙の誕生の場所である事は間違いない。しかし土の中でどのように卵塊が産み落とされ、それが何年かかって成長し地上に生まれ出るかは全く分からない。蝉が7年と言うが、雨蛙の場合は特別何年と決まっていなくて、何かその状況によって相当の年数土の中で過ごすかと勘繰れる。早いものも、遅い者もいるような気がする。最近年に数匹しか生まれ出ない様子から、相当古く土の中に生まれたものが出てくるのかと思える。蝉以上の不可思議を未だ抱えている。最近はセミの声も聞けないようになりそうだ。人間の自然への畏敬の念が欠落し、自分自身の自然の生命さえ冒す経済成長と言う魔物が住み着いているようだ。コンクリートジャングルの言葉も消えて久しい。『エネルギー』の意味を教育で教えて欲しい。自然の多様性は『エネルギー』一つから生まれている事を!

 

雨蛙と自然

梅雨の終わりには豪雨災害に悩まされる。最近は災害の犠牲が尋常でない。

自然の巡り会わせで、気になるのが雨蛙である。今日は7月4日、ネジバナの咲くころだ。日本雨蛙 (2011/05/16)をはじめ関連記事を書いてきた。英語では Tree frog と言う。木のカエルで、雨と関連した意味が見えない。その意味には水に関連したカエルでなく、木に生息するカエルという意味で解釈したい。日本語では雨との関係で表現する。しかし、雨蛙は余り水が好きではないようだ。何故「雨」の文字を付けて呼ぶかと言えば、梅雨の時期の雨が降った頃に多く発生するからという意味で付けたと解釈したい。丁度今頃の特に梅雨の終わりごろ、ネジバナが咲く頃に雨蛙は多く生まれることに関連して付けたと思う。不図気づけば、小さな雨蛙が幾つか全く水辺の無い庭に生まれていた。

先ず一つ。

 

 

 

 

 

 

2匹目。

 

 

 

3匹目。

 

 

 

 

4匹目。

 

 

 

 

 

5匹目は素早く逃げられた。今年の雨蛙を見て、少し気になることがある。どうも雄系ばかりの様な気がする。雌はもう少しぷっくり太った形の筈だから。それにしても、それ程逃げ足が速くないから、2,3匹目あたりは形態から雌かも知れない。

少し雨が降ったから、土が柔らくなって、土の中から生まれ出たのだ。最近は以前のように3,40匹も生まれることは無くなったが、数匹は生まれ出る。時には9月頃になっても生まれる蛙もいる。

ここは全く水が無い場所だから、土の中から生まれ出るのだ。親雨蛙は春に既に土の中から這い出している。雨蛙がオタマジャクシから成長すると言う、専門家の自然認識は間違いである。雨蛙は、人の目に触れ時には決して尻尾は見せないのが雨蛙の自然の生態だから。学校教育で、水田の中からオタマジャクシを採って、育てる愚かな観察がある。とんでもない間違いだ。

最初から常識的な、頭で決めてかかる自然解釈が間違った論理を広めるようだ。

自然をじっくり観察し、疑問を持ってから自分の感覚と自然との間の関りを見つめ直すことをしてほしい。

専門家と言う使命。専門家は受けた教育を受け継ぎ、広める業界の枠組みの中で社会的役割を担う事に成る。だから、津波の解釈やあらゆる科学論がその先輩の指導の枠の中での社会活動の定めに在る。さもなくば指導に反旗を翻した道しか残されない。 雨蛙―その謎― (2011/08/31) にその意味の一端(2006年7月の事)がある。

雨蛙の「オタマジャクシ説」をその代表例として挙げる。

 

度胸と可憐さ

(2020/08/02) 追記。先日鳴き声の主の雨蛙を写真に収めようとしたが、素早く逃げ隠れてしまった。雨蛙の雄は中々写真に撮れない。オス雨蛙は、お尻が細くスマートである。それに対して雌雨蛙は人が近付いても動じない。有り触れた姿であるが、何年土の中で過ごして生れて来たのかと思えば、愛おしい。

 

 

 

 

 

少し模様がついている。

 

 

 

 

こんにちは!と声を掛けたくなる。

まだ若い娘の日本雨蛙。二歳ほどかと思う。今朝鉢にジョロで水遣りをした。逃げるかと思いながら。しかし、水を掛けても動かない。雨蛙は水が嫌いの筈だ。雨が降れば、雨水の掛からないところに避難する。此方の気持ちが分かっているかと思う程のその動かない『度胸』に悟りを感じてしまう。それが『可憐』に映る。

無為自然

(2020/03/06)追記。今日確認のために「日本雨蛙の尻尾」と検索すると、多くの写真が有ることを知って愕然とした。殆どが少し赤みを帯びた、一匹の透き通った写真である。それ等は水中のオタマジャクシの生態のカエルだ。みんな間違いの写真だ。日本雨蛙は田圃の畔の土の中などから深夜に生れ出るようだ。それも同時に多くが集団で生れる。6月末から7月初めの雨が多く降って土の表面が柔らかい時の深夜に生まれる。また、水辺の無い街中であるいは公園でも生まれる。日本雨蛙は生まれた瞬間から尻尾はすでに消えて、尻尾を見る事はできない。生まれた時から独特のあの緑色だ。一つ安心したことが有る。それは以前の Wikipedia でも他の記事と同じく、オタマジャクシ説で解説されていた。しかし今はその記述は無くなっていることで間違いが消えて安心した。

(2020/01/22)初めて知った。

「無為自然」老子の言葉らしい。紀元前4世紀の中国春秋戦国時代の哲学者と言う。

墨字に描いた。孔子の儒教に対照的な思想に思える。老子の思想は基本的に自由を根本に据えている。其れは禪の思想の原型をなしているように思う。

無為自然の意味は?

中国の歴史で、当時すでに文字が完成していたのだろう。何という高度文明を築いていたのか。文字が無ければ思想の形成は困難ではなかろうかと思う。インド哲学と中国思想の間の関係はとても複雑に融合していたのだろうとは思う。この言葉の意味を検索しても納得する解釈が観えない。自然への敬虔な思いを抱いて日々生活していたことを考えれば、自ずと自然の不思議と美しさ、その多様性更に恐怖が人の思いも及ばない偉大な神のごとくに思われただろうと感じる。ただ自然を前にして、何も余計な解釈を加えず、ただその心を受け止める事こそ大事だと唱えていると考える。現代的に言えば、高度な学説に捉われず、静かに自然に向き合い、己のこころと感じ合うことによって、そこに本当の姿が観えてくるという意味と解釈する。具体例を挙げる。日本雨蛙に関して、決してそれは水の中の「オタマジャクシ」ではない。また『電荷』などは世界に存在しない。

雅号『空道』について 昭和62年(1987/02)『空則無限なる有なり』と『空』の文字の意味を解釈した。自然界の実相は見える『色』と見えない『空』との間の認識ではないか。真空はすべてが生まれる究極の場である。『空』こそその可能性を無限に持っていると考えた。昭和から平成への変わり目(1989)で、老子の「道」を意識した。「色即是空」と「道」から採った。

生きる雨蛙

(2020/07/07) 追記。先日から雨蛙の声がしていた。先ほどボケの葉にオス雨蛙の姿を見つけた。写真に撮ろうと試みたが、案の定素早く逃げられて写せなかった。その日本雨蛙はお尻が細く尖っているから、「オス」と直ぐに見分けられる。未だ大人でなく、今年のこの雨で土が柔らかくなったから生まれたように見える。雨蛙も鳴くのは「オス」で先日からの鳴き声の主であろう。雨蛙は土の中で相当の年数暮らしているように思う。生れ出るまで何年と決まっていないような気がする。早く生まれるものと何年も土の中で過ごすものといろいろの様に感じる。蝉のように7年とか決まっていないようだ。日本雨蛙の「雄」と雌」に特徴的な特性がある。オス雨蛙を写真に収めるのはなかなか難しい。「メス」は決して人が近付いても動じる事はない。しかし「オス」は直ぐに逃げて草などの茂みに隠れてしまう。それが日本雨蛙の特徴の一つだ。

(2019/07/11)追記。雨蛙と幼生生殖 (2012/10/04) の記事がある。今でも信じてもらえるかが気になる。誰もが信じられないかも知れない。しかしもう一度述べておきたい。日本雨蛙は決して水の中でのオタマジャクシの生態は取らない。これが全ての基になる。では普通のカエルの生殖行動が土の中で可能か。しかも、日本雨蛙の雄がいることも確かである。雄は比較的細い体形をしている。しかし、人目に付く場所にはあまり現れない。素早く草の茂みに逃げ隠れてしまう。先日、少し予想と異なるものを見た。雨蛙の鳴き声がした。当然鳴くのは雄と理解していた。ところがその鳴き声の雨蛙は色が茶色系の雌の体形であった。(2019/07/16)追記。色は茶色でなくご覧のようであった。喉元も膨らんで鳴き声を立てそうに見える。雄の体形ではなく、腹部のずんぐりした雌雨蛙であった。この点は初めてのことで、鳴くのは雄との認識が正しいかどうか悩ましいことになった。幼生生殖との生態も科学的な検証結果があるわけではない。土の中で雄と雌の生殖行動が卵胞になされるかは理解困難であることからの推論として幼生生殖にたどり着いた。この点は今でも絶対正しいと断言できる訳ではない。雨蛙の度胸ある生活とその悟りの姿が並の生物に観えない。

生きると言う意味

日本雨蛙は土の中に生きる。土の中で生きるものに蝉がいる。蝉は7年間土の中で成長し、地上に出てからは短い生命で終わる。しかし日本雨蛙は長い年月地上と土の中の生活を繰り返して、生き続ける。決して1年では親雨蛙にはならない。しかし土の中での生態が分かっていない。新生雨蛙となって地上に誕生するまでの生態が分からない。何年土の中で幼虫の生活をして地上に生まれ出るかが分かっていない。ハッキリしている土の中の姿、それはたった一度の春5月頃に遭遇した土の中に観た事実である。木の苗木か花かを植えようと土を掘って、そこに見た光景である。それは白くて、1.5cm程のマッチ棒より細い幼虫が数十匹も絡み合って一塊りで蠢いているのを観測した。それは長い尻尾があり、4本足で細いオタマジャクシと同じ形状をしていた。その時は未だ全く雨蛙の生態に何の関心もなく、これは何だ?と一瞬感じただけでまた土を被せて、その事も忘れて過ごした。その後何年か経って、全く水や池のない狭いその場所に毎年雨蛙が溢れ出ることに何故かと気付いた。それまで水の中でカエルはすべてオタマジャクシの生態を取るものと世間の常識どおりに思っていたのに、不図気付いたら、眼の前の雨蛙の発生が理解できない疑問となった。それから何年も毎年そこに棲む無数の雨蛙をじっと観察することに成った。特に母親雨蛙は大きくて、貫録が有り、傍でじっと観察しても逃げもしなければ、隠れもしない。毎日夏の日照りの中で背中に強い陽を受けてもじっと過ごし、同じ梅の盆栽の木に棲み続ける。特に雨蛙の生態で不思議に思ったことがある。保護色の茶褐色かと思わせる色で毎日居る。そんな生き物がいることを知って、自然の世界は不思議に満ちていると驚嘆せざるを得なかった。そのような雨蛙を見ていて、あの過去の土の中の蠢く白い虫の存在が頭に蘇った。それからが、雨蛙の筆者が考える生態と世間の科学常識(百科辞典でも、専門書籍でもすべて水中のオタマジャクシ説)との間での葛藤が始った。夜行性の生態で、夕方寝床の傍に糞一つを残して、食事に出かける。朝はまた同じ場所に帰って来て、夕方までじっと一日そこで過ごす。そんな姿を見れば、如何にも禅僧の悟りの象に見える。それは相当年数を生きた親雨蛙の日常生活であるが。

地上への誕生。

雨蛙の形状で、特筆すべきは決して生れ出たその瞬間からオタマジャクシのような尻尾は無いことである。既にあの特有な美しい緑色をして、とてもか細いが逃げ足は速く、多くが集団でいる。水の中から生れ出るなら、尻尾が残っている状態を見せる筈だ。決してそれは無い。或る専門図書に薄赤色の尻尾の有る姿を雨蛙として示してあるが、それは無い筈。すべては推論の域であるが、雨蛙が水のない場所に長い間生まれ出る意味を考えれば、その誕生まで地中で何年も過ごしているのではないかとも思える。解らない不思議を秘めた日本雨蛙にささやかな応援を送りたい。

アジサイに姿を見せた。親雨蛙1っ匹。

大きな親雨蛙であるが、少し寸法が小さく見える。

 

全部で、姉さん雨蛙が3匹。妹(今年の新生なら大き過ぎる)雨蛙が1っ匹。計5匹。

 

姉妹で。右側の妹雨蛙は今年の新生児にしては少し大きい。あるいは1月前ぐらいに生まれたか?正面の雨蛙は今年の新生ではない。

 

 

ハーブに娘。傍に昨夜の糞一つ。雨蛙の生態で特徴となるものが昼夜の生活スタイルである。

 

 

 

もう一匹の姉さん。

 

 

 

 

 

 

ネジバナと雨蛙

(2021/04/03) 追記。日本雨蛙の誕生は丁度ネジバナが咲く時期と重なるようだ。その誕生花は7月4日のようだ。開花時期が6月~9月となる。雨蛙は春には道に多く群がる。カラスなどのエサにもなる。しかしそれは冬を越冬した雨蛙の成虫である。新生児の雨蛙は梅雨の時期の雨で土が軟らかくなった、ネジバナが咲く時期に初めて地上の世界に生れ出る。それは弱弱しい細くて小さな姿だ。長さも1㎝程だ。それは深夜に生れ出る。しかし、その尻には既に決して尻尾はない。オタマジャクシは必ず尻尾を見せる。尻尾を人に見せるカエルは日本雨蛙ではない。日本雨蛙は水溜まりなど無い所の土の中から生まれる。土の中で細い糸状の、白い尻尾の有る絡み合った一塊に成って群れている。それが土の中の日本雨蛙の誕生前の姿だ。その時は長い尻尾がちゃんとある。しかし地上に生まれる前にその尻尾は尾の中に消えてしまう。だから水中のオタマジャクシのように人には尻尾を見せない。田んぼの中に日本雨蛙は卵を産まない。

梅雨時で空気が湿っている。雨も土を湿らせ、十分に降った。丁度ネジバナが草の中に咲いている。晴れ間に草藪に近づくと、雨蛙が跳ねて草むらに逃げ込む。

ネジバナネジバナ 梅雨時に咲く独特の個性。

新生雨蛙新生日本雨蛙 日本雨蛙はきっと真夜中に土から出て来るのだろう。本当に産まれたばかりの日本雨蛙を確認出来ないから、その大きさは知らない。先日1っ匹だけそれらしいものに出会った。太さはマッチ棒ほどで、体長も1cmに満たない程であった。久しぶりに、田圃の畦近くで探した。見付けて写真に撮ろうとしても、逃げ足が速く、近接写真は採れない。この写真は追いかけて適当にシャッターを切った中の1枚である。田圃わきの側溝に逃げる蛙。運良く逃げる蛙が収まっていた。これでも、産まれたばかりでないかもしれない。ここには少し大きめの1っ匹と小さな蛙6っ匹程が写っている。

日本雨蛙の「雨蛙権」のために、オタマジャクシ論を撃退したいと頑張った。せめて学校でオタマジャクシを飼育する雨蛙学習というのはやめて欲しい。

このブログを書かせて頂いたきっかけはやはり日本雨蛙の事であった。当初は、spaces.live.com の記事であった。有り難いと感謝です。

日本雨蛙 その土根性

(2016/10/20)追記。今年の観察記録。ネジバナと雨蛙に下の記事の田圃の側溝で今年も同じような雨蛙の子供の姿を写真に収めた。もうそろそろオタマジャクシ説は間違いと気付くかと思うが。

 雨蛙ーその謎ーとして2006年7月20日、小冊子を作って世に問うた。最初は癸未(2003)年に年賀の版画を出した。

写真283版画(2003)  写真に撮って9年後に意を決して絵にして発表した。さらに3年後(2006/o7/22)に「雨蛙 その謎」の冊子として出した。それはどんな百科事典も専門書もすべてオタマジャクシで説明されている中での、専門図書に反論する生態論であるから覚悟の上であった。ずっとこの版画を出してから、疑問と不安の中に居た。

自分を信じる 2006/06/27/ 前日相当の雨が降った。梅雨の終わりの大雨が降るような時期で、不図気掛かりになり、田圃に雨蛙が生まれているのではないかとカメラを持って確認に行った。予想通りに多くの雨蛙が溢れている処に出会えた。先の冊子「雨蛙 その謎」を見ても、誰も専門図書の『オタマジャクシ説』しか信じないようであった。そこで改めてその田圃の側溝での写真を添えて出した。

写真281田圃側溝写真 2006/07/27の記録。

写真280添付文書 この首に付いている虫が幼生ではないと言われる。今でも素直に受け入れられない指摘である。その大きさも、雨蛙の表情も害虫とは信じられない。

写真248ネガフィルムから 上の②の写真である。運良く多くの雨蛙が纏まっていた。確認いただきたい事は、日本雨蛙には決して尻尾は無いのである。人の目に触れる時にはすでに尻尾は退化して無くなっているのです。丁度人間と同じく生まれたときには尻尾はありません。専門図書に尻尾の写っているような写真もありますが、それは日本雨蛙ではありません。学校でオタマジャクシを育てて雨蛙だと考えているようですが、それは必ず尻尾が残っている筈で、そのような尻尾を付けた日本雨蛙は居ません。尻尾の付いた雨蛙などは間違っているのです。日本雨蛙のオスに一匹雨蛙に似たカエルを捉えた写真がある。オタマジャクシから飼育する蛙がおそらくそのカエルであろうと思う。それは雨蛙に似て雨蛙ではない。

雨蛙と幼生生殖 での記事のように、昨年(2015)いろいろご指摘いただいた。首に付いている虫は幼生でないと。しかし、決して日本雨蛙は水の中でオタマジャクシからの生態は採らない事は間違いない。1994年7月22日に収めた写真が長く疑問として残っていた。その雨蛙の語りかけるような表情には、害虫が取り付いている苦しそうな様子は見えない。2003年に版画にするまでに思い出した事があった。春土を掘り返して花や木を植えた。その時土の中に不思議な虫の群れがいた事を後に成って思い出した。水辺の無い場所に30匹以上の雨蛙がいる不思議とその土の中の不思議な虫とを重ね合わせて、日本雨蛙が水の中のオタマジャクシと異なる生態を成して生まれると結論付けた。5月頃、土の中に真白な、細長くて尻尾のある幼虫(ちょうどオタマジャクシに足が生えた)が一塊りに成って群れている姿は一体何だったのかと大きな謎である。その白い虫が土が雨で柔らかくなったときに成長して、土から生れ出るとすれば、すべてが辻褄が合うと解釈した。当然生れ出る時には、その長い尻尾は既に体の中に消え、雨蛙の緑色の姿で現れる。これが日本雨蛙の生態である。しかし、どのように土の中に卵塊(多分そうだろう)を生み、何年土の中で過ごし、その年数もすべて同じ年数ではないのではないかとも感じるなど、全く解らない事ばかりである。断言できる事は水の中ではなく、土の中で生育すると言うことだけである。今でも時に一っ匹で生まれて来る雨蛙の子供が居る事から、年数に関しても解らない。個体によっては蝉に似たところがあるかもしれない。そんな日本雨蛙の不思議に惚れ込んだ。自然科学論の『電荷』概念否定と同じく、不思議はたまらない魅力だ。日本雨蛙の土根性(あえて土に根を持ち生れ出る)と。

日本雨蛙のオス

もう一度確認しようと、尋ねてみた。草むらも刈り取られて、生息環境が悪化しているからどうしているかと心配だった。それ程多くはなかったが結構の数が確認できて嬉しかった。長い間日本雨蛙のオスとメスの区別を見分けるにはと、その判断を下すに機会を探していた。今までと違って、幾らか人の意見もインターネットを通して聞いた関係で、少し考えを伝えるに安心を得たと言える。
今日の雨蛙との出会いで、オスの形態に解釈を下そうと思った。
オスはお尻、腹部が細く尖った形態である。ズボンバンドが余った細い若き自分の腹を思って苦笑い。

♂1オス

♂2おす2 この蛙は皮膚の色合いが少し日本雨蛙と違うかと言う感じもする。(2015/10/04)追記。ずっと気掛かりであった。足の模様はやはり日本雨蛙とは異なる。余りにもはっきりし過ぎた模様だから。思い出しても今までの日本雨蛙には、これほど規則的な縞模様の雨蛙には出会った記憶が無い。(2015/10/22)追記。先日から考えて見た。この模様のカエルをもし日本雨蛙と考える人が居るとしたら、おそらくオタマジャクシから育てたカエルだからであろうと思う。決して田圃のオタマジャクシを育てても日本雨蛙には成らない。

♂3おす3

♀1メス 小さいながら腹部の膨らみがメスの形であろう。

10日産れたてまれたてのオス 古い出会いの新生日本雨蛙。2013年7月10日で、夜に生まれたばかりの赤ちゃん雨蛙です。オタマジャクシでないから決して尾はありません。生まれたてでも、オスとメスが形態で判別できるかと言う例として提示する。

(2015/09/19)追記 庭にもオス雨蛙が居た。

IMG_1189オス 急いだので、反射光が入る。目木の葉に。雨蛙の特徴を一つ掴んだ。この記事の最初の写真(16日)を撮るのに苦労した。オスはなかなか表に姿を現さない。草陰に潜んでいて、追い出しても素早く逃げる。今日の写真も、草むらから突然出て来た。珍しく撮れたオスだ。それに対してメス雨蛙はほとんど動かない。人が傍に寄っても急いで逃げる事は無い。だから雨蛙の写真は殆どメスになる。このオスがどのような生殖行動をとるのか、土の中に卵塊を生むメスとの隠された秘密は。雨蛙を観察するだけで、決して特別の手を加えることはしない。