タグ別アーカイブ: 電気回路

電気とは何か?

(2024/o4/09).

 『電気』と言う用語の意味が説明出来ない。電気は多く使われている。しかし電気とは何か?と誰かに尋ねても、殆どの人が答えられないだろう。例えば、失礼かも知れないが、現代物理学理論の専門家も答えられないだろう。一応それなりの現代物理学の常識的解釈でお話されるだろうが、多分それも曖昧な答えではなかろうか。

 電気の正体❓ 電気工学、電気物理、摩擦電気、静電気、更に、電子、電荷、電流、電圧等と多くに関係した分野で『電』の文字が付く用語が使われている。専門家であれば、やはり原子や電子周回軌道の構造更に原子核の陽子、中性子など、理解しようもない原理から解かれるだろう。でもいくら聞いても、ただそうですかと頷く以外外なく、理解には至らない。

 そんな電子が原子の周りを回っている等と言う『電荷』のクーロンの法則に縛られた原子構造を納得しろと言われても無理だ。何で原子周期表が『八』の周期性であるかも論理的説明が為されない。原子が何故結合するかも論理的解釈が示されていない。共有結合はクーロンの法則の電荷を否定しなければ、説けない論理だ。原子結合は八表面体の120度軸のマグネット結合(Axial energy flow)しか無かろう。

 最も大切な『エネルギー』と言う物理量が現代物理学理論では認識されていない。今も、マックスウエル電磁場方程式の空間伝播像を頭に描いても、矛盾だらけで、理解などできないし、その式の論理性等信じる事など出来ない。それでも大学の理学部では、電気磁気学理論で、その偏微分方程式が解説されているのだろうが、無意味な授業だ。光の光速度伝播現象を電界と磁界で解説する愚かな事になる筈だ。

 電気とエネルギー。発電技術は殆どボイラーあるいは原子炉で水を加熱して水蒸気の気体圧力エネルギーでタービンの歯車の機械的回転動力エネルギーに変換し、更に発電機で電気エネルギーに変換して、送電線路の電線路の空気空間の内を電気エネルギーを伝送している。

 発電所から送り出される電気エネルギーも、初めは燃料の燃焼などの『熱エネルギー』から始まる。その次にタービンの羽根を回す機械の『回転動力エネルギー』の軸空間の伝送エネルギーに変換される。その回転軸エネルギーの流れは発電機に掛かる負荷側からの反抗力に逆らった回転動力エネルギーが電線路空間に『電気エネルギー』となって送電されるのだ。『電気エネルギー』は電線路空間を流れるエネルギーなのだ。決して『電子』などお出まし頂く余地は無いのだ。
 発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/28)  の図だ。科学技術では、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道線路での蒸気機関車が力強い牽引力の雄姿を見せてきた。発電所も蒸気機関車もそこに『エネルギー』と言う物理量が実在している意味を御理解頂かなければ、物理学理論など幾ら『電子』で解説しようとも、自然の前では絵に描いたお餅でしかない。誰もが日常生活で、『エネルギー』を使いながら生活をしている。しかし学術理論の物理学に、『エネルギー』の意味が認識されていない現実は異様な世界と言わなければならない。理論が空中分解している。

 『エネルギー』を物理学理論の中心に据えるか、『電子』と言う自然世界に実在しない『電荷』概念に御縋りするかが科学者に問われているのだ。

 

電力p=vi [W] の哲学

(2024/04/04).

 物理学理論での電子概念が電気回路の世界に論理的混乱を蔓延させた。

 大学の理学部でこんな電子概念に論拠を置いた物理学を教育している現状が信じられない。

 それは只過去の古い伝統的、歴史的解釈手法に依存した考えない権威の牙城を守っているだけでしかない。

 「自然を観ないようにして居る」と言う物理学者のお言葉を聞いた事が有る。それは正しく、伝統的学説を守り、その学説を否定する現象は受け付けないようにしていると言う事だ。

 昔、『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う概念で電力系統の解釈論を展開した事がある。電力技術者にとっては『電圧』と『電流』は欠く事の出来ない基本的論拠概念である。しかし、筆者を含めてその『電圧』や『電流』がどの様な物理的意味であるかを説明出来ない科学理論の専門家集団群の中に居たのだ。決して『電圧』の単位ボルト[V]が、『電流』の単位アンペア[A]がどの様な物理量を意味したものであるかを解説できなかったのだ。電気回路では、その電磁気現象は全て光速度流の原理の基に在るのだ。決して『電子』や『電荷』がその光速度流の電磁気現象の解釈論拠概念となど成り得ないのだ。

 筆者は、1987(昭和62)年4月『静電界は磁界を伴う』と言う実験による『電荷』概念否定の発表をした。それは世界の権威ある物理学理論の根底を否定する無謀な発表であった筈だ。当時は中曽根臨時教育審議会の教育公務員としての資格のない(公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していなかったとの疑い?)組織職員として邪魔な存在が故の抹殺対象として選ばれて、社会的事件のど真ん中で、教育の政治的中立性から見て論外な政治的事件であったと今は理解できる、そんな中で踊らされていたようだった。そんな中での愚かなる考えでの抵抗の結果が、「不可解」と言う闇に彷徨う結果の己の存在の意味を探る旅に、1988(昭和63)年末に旅立ちをした。あれから延べ36年程経過した。

 今、結局分かった政治的意味は1945(昭和20)年終戦時に、
舞鶴鎮守府のー
 (1939年12月1日故郷から強制的に舞鶴鎮守府へ『戸籍転籍』の行政処置がなされて、1941年には長野県栄村志久見の日本発送電株式会社の社宅に母と妹と筆者の3人で住む、父は既に舞鶴鎮守府に9月に召集されて離れて居た。しかも、その頃10月には既に父は巡洋艦「香取丸」の在役艦となっていた。その年の太平洋戦争突入の8日を過ぎた12月19日家族は「香取丸」に戸籍が移動された。1944(昭和19)年2月11日頃、香取丸は被弾沈没、3月31日香取丸船籍除籍となった。『戸籍』の行へは不明のまま消えた❓)
ー京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅に家族4人で住んで居た。その時から現在までの筆者の身分は何であったのか❓市民権の対象ではなかったか❓と言う事の政治的問題と認識している。

 電力の電気回路における物理的意味は如何なるか❓
 何故電圧と電流の積で電力が評価できるのか?電力の単位ワット[W]とはどの様な意味かと言う極めて基礎的な物理的意味を問うのである。決して『電子』などと言う仮想概念では解説できない筈なのだ。現代物理学理論では、科学技術理論としての電圧と電流の積と言う計算で算定される電力の物理学的意味が説明できない筈なのだ。その意味、訳を物理学者が真摯に考えられるかを問うのである。筆者の研究者としての働き方改革の、研究室の無い天下の野ざらしの研究の実績が認められた上で初めて未来に繋がるのではないかと思う。現状は筆者への政治的虐待だ❣ 研究室など、身分等どうでも良い。
 子供達への理科教育内容の構築を如何にすべきかが問われている筈だ。全ての科学者の社会的責任として!!
 
 電力の意味を問う。全ての物理学に関わる研究者、教育者に、科学研究に携わる科学者に問う。

〈問〉 電力の単位ワット[W] の意味の物理現象をどの様に解釈しますか。

 電気回路で、その信号は1秒間に地球七回り半する。それは光速度の意味だ。
電力p[W]=[J/s] は1秒間のエネルギー量の消費を表現した単位だ。そのエネルギー量とはどの様な物理量だと理解していますか?どの様に空間に存在する物理量と解釈、理解していますか。それが光速度で伝送されるのだ。その『エネルギー』は空間を伝送されるのだ。それは空間に実在する物理量だ。

古い記事、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) がある。

純粋・自然の実相

(2024/03/31).


 自然現象は極めて『純粋』であるとの認識に至った。その意味を表現してみた。空間に流れる『エネルギー』には光のように、空間的寸法も無限に細分化される。素粒子なる概念も『エネルギー』によって構成されるものと解釈する。

 長く電気回路現象の物理的意味を考えて来た。特にこのブログ記事として投稿しながら、自己問答を繰り返してきた。学術機関では何処か不可解な自己に気付いて、研究室が無いことから、雲水の様な天下での研究に費やした。終戦時(1945年)に舞鶴鎮守府、溝尻海軍住宅で迎えた意味はどの様な身分であったかと考えた時、社会的な存在が❓❓筆者の過去の職歴、所属歴及び「退職、免職など」極めて不可解に気付かずに過ごしてきた。市民権で、長く選挙権も無く、投票の権利が無かった意味まで、行政としては理由を明らかに示して欲しい。

 漸く、電気回路現象の物理学的理論が極めて曖昧で、子供達の教育内容として不適切であるとの確信に至った。
 現在の教科書の内容は、科学技術による経済競争の視点から見れば、それなりの教育上の成果を収めて来た。しかし今、ハッキリした事は、『電荷』なる解釈用の概念が論理的には全くの間違いであったのだ。
 如何にこれからの子供達に対する物理学教育を整えるかは、科学理論としての根幹から立て直さなければならないところに在るのだ。理論物理学者が如何に『電荷』なる概念を、その物理的意味を子供達が分かるように解説できるかに掛かっている社会的責任と思う。世界に問うのはその一点だ。

 そのような科学理論の意義を問う題材として、全ての人に考えて頂きたい高周波伝送回路現象での『定在波』の物理現象を提起したい。

 筆者が初めて、研究報告として1967年、新潟県工業教育紀要に投稿した、
 金沢喜平(何故か『沢』だ):分布定数線路実習に対する考察、新潟県工業教育紀要、第3号(昭和42年)の内容に関するものになる(新潟県立図書館所蔵)。
 
 その関係で、エネルギー流と定在波 (2021/02/27) がある。
この内容で、『定在波』が発生する物理現象を如何に解釈するかを問うのだ。決して電気回路で『電子』が導線内を流れる等と言う解釈論では、この『定在波』の発生理由を理解できない筈だ。
 
 『回路定数L[H/m]、C[F/m]に対する訂正』。ここで過去の記事に対する訂正をさせて頂きます。電気回路の『エネルギー』伝播空間構造係数を k として、
    L= μ₀k [H/m], C= ε₀/k [F/m]
 と訂正させて頂きます。ただし、μ₀およびε₀は真空空間の透磁率および誘電率とする。

 
 電気回路での電気物理現象は、電線路空間の『エネルギー』の光速度流である。こんな単純な電気物理現象が、過去の長い科学技術的解釈概念の多くによって、特有な理論で構築されてきたのだ。電流[A=(C/s)] あるいは電圧[V=(C/F)]などと電荷量[C(クーロン)]によって解釈、定義されてきた。それは誤りであった。
 

『電圧』その物理的意味

(2024/02/22).

 前の記事で言い過ぎたかと反省している。

 『電圧』の物理的意味が、どの物理学者も答えられない不可解な状態に在るのだ。等と反感を買う恐れ多い事を印した。しかし、その意味は『電荷』が『電圧』の物理的原因だと考える限りでは、『電圧』の物理的意味を理解していないと言わなければならない。そこで、『電荷』と言う物理量の意味不明を問題にしたい。

 『電荷』とは何か?
 『電圧』という意味を解釈するには、先ず『電荷』と言う伝統的基礎概念の物理的意味をハッキリさせなければならない。電気磁気学と言う物理学理論の一つの基幹分野がある。その物理学理論の基幹概念が『電荷』であろう。その『電荷』の物理学的意味を明らかにしなければ、『電圧』という科学技術用語・概念の意味も明らかにはできないと思う。
 誰もが何時でも何処でも、『正電荷』『負電荷』と言う物理量が思い通りに、いとも簡単に発生・消滅するような解釈を展開できる。しかし筆者には『正電荷』という意味が解らないのだ。電気回路でコンデンサと言えば、『正電荷』と『負電荷』がそこに貯蔵されると言う。然し『正電荷』は物理学では、原子核の『陽子』しか持っていない筈だ。その『陽子』は正の電荷と質量から成り立つ素粒子のようだ。他に物理学理論では『正電荷』を保有した物理的実在は無いと考える。従って、電気回路のコンデンサの正電極側に現れる『正電荷』とは一体陽子関係以外何が考えられるのだろうか。『陽子』の質量が身に纏った衣類の様な物が『正電荷』かと考えざるを得ない。更に、『負電荷』も同じことで、『電子』の質量が身に纏ったものが『負電荷』で、それがコンデンサの負電極側に現れる『負電荷』の意味かと考えざるを得ないのだ。こんな余りにも素人的な疑問が、本当はとても重要な意味を持っている筈なんだ。高度な科学論での学術論は、その専門家しか理解できない様な専門用語の羅列で論理が展開される。そのような専門的科学論では、『電荷』がどの様な物理的実体かは全く疑問も持たれずに、その存在は至極当たり前のものとして共通に理解されている。筆者は50年も前に「アンペア―の法則」に疑念を持ち、1987年春には『静電界は磁界を伴う』で『電荷』の物理概念に疑いの発表をした。その夏には遂に『電流』概念の矛盾に気付いた。その後、様々な視点から多くの物理学理論の解釈論と自分の感覚的認識との間のズレを対象に思考を重ねて来た。自然現象の統合的論理性を求めた時、マグネットの電磁力の解釈で Axial energy flow と言う磁場解釈がその要であるとの認識に至った。磁束の物理学的無意味さが決定的な認識の方向性に道を開いてきた。全てが『エネルギー』の流れと言う単純な空間像から、科学実験では計測も、認識もできない意味を知った。現在は、完全に『電荷』が物理学理論の混迷概念の基となっているとの認識にある。

 電気回路現象で重要な事は、電線路の空間を伝送する主役は『エネルギー』である。決して『電荷』や『電子』などは無意味な物理概念である。

 さて、『電荷』概念の矛盾を述べたので、漸く『電圧』の物理的意味を述べることが出来る。『電圧』は『電荷』等では解釈できない概念なのだ。『電流』も『電荷』の流れ等ではない。物理現象として重要な事は『エネルギー』は空間でその本領を発揮すると言う事だ。
 電気回路の『エネルギー』伝送機能を正しく認識するには、電線路の導体で挟まれた空間がその舞台になるのだ。決して導体の中を『電子』など流れないのだ。そもそも自然界に『電荷』等と言う物理量は存在しないのだから、他に何がとなれば『エネルギー』以外無いのだ。今回は、そんな事から電気回路の物理現象の意味を『電圧』という意味を取り上げて、解説しようと思った。

 電気エネルギーも電波のエネルギーも光のエネルギーも基本的には空気や絶縁体空間を流れるのだ。その流れ方を規定するのが、電気技術理論での『静電容量 C
[F] 』と『誘導特性 L[H] 』である。

 その回路定数と電気回路の物理的状態の関係を理解して欲しい。この回路は電線路の回路特性 (2021/08/11)で取り上げた回路である。
 この回路は『電圧』の物理的意味を考えるに役立つ。回路は極めて単純である。直流回路で、電源電圧が電圧値Vである。電気回路が図のように、(A)部と(B)部からなる。負荷は抵抗である。(A)部と(B)部の導体の太さ d や線間間隔 D が違うだけだ。当然この回路の何処で『電圧』を計っても同じ値 V である。しかし(A)部と(B)部では物理的状態は異なるのだ。それは電気回路の回路空間などが違うことで、回路特性が異なる為に生じるのだ。回路の静電容量 C[F] はどの様な機能を持つか。また、インダクタンス L[H] はどの様な機能の定数か。

 C[F] と L[H] の機能。
 静電容量と言うC[F]はその空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵するかを評価する電気技術的概念量である。この用語の表現に静電と言う言葉が使われている。静電という意味は正と負の『電荷』が対峙した、その間の空間の状態を言うように学習させられている『静的空間』と関係した『静電荷』との連想に繋がる。しかし、コンデンサは『電荷』等を貯める機能ではないと認識を改めなければならない。

 次に、インダクタンスと言う L[H] はその空間の『エネルギー』の流れる速さを制限する機能要素と考えたら良いだろう。
 回路の空間には、C[F] によってエネルギーの分布量を決める特性がある。その回路空間のエネルギー分布量に対して、L[H] によって時間的なエネルギーの通過量を決めることになる。負荷の値に関わらず、線路空間に分布するエネルギー量が決まり、そのエネルギーの流れ方が決まる。静電容量とインダクタンスの回路定数で、その電気回路空間の『エネルギー』の伝送特性が決まる。

 電気回路の『エネルギー』の伝送速度は回路定数が決める。

 伝送・通過時間は T = √(CL) [s]
となる。

 電線路単位長さ当たりの回路定数が、 C[F/m] , L[H/m] とすれば、

 『エネルギー』の伝送速度は c= 1/√ (LC) [m/s]
となる。

『電圧』の意味を纏めれば、次のように言えよう。

 

光の正体-エネルギー-

光の正体とは、空間を光速度で伝播する『エネルギーの流れ』がその正体である。電気回路の電線間の空間を伝送するのが電気エネルギーの流れである。決して『電子』など電気回路には必要が無かったのだ。

 光の正体

 プランクの定数の意味も光の振動数も全て『エネルギー』の流れの物理学の解釈上の評価概念である。それが自然世界に『電荷』の存在しない事を認識する基本になる。 

電気磁気学理論の不可解❓

 今日は日本の祝祭日 『文化の日』だ。


 この電気回路で、Lamp の物理的機能は何でしょう?

 電源は Power source と言うが、その Power が電力 [W= J/s ] ようなエネルギー [J] の時間微分値となるから、その物理量の意味が曖昧となる。時間的平均値の物理量の概念は、空間に実在量として存在する物と異なる、抽象的で曖昧な概念となる様だ。上図には、エネルギー源 Energy source と電源が供給する『エネルギー』であることを直接印象付けるべく表記した。電源は負荷が要求する物理量が『エネルギー』である事を認識して、表記するべきと考える。その空間概念が物理学理論には無いようだ。

 科学理論の基礎に電気磁気学がある。
 その電気磁気学理論の全体に極めて大きな矛盾を感じていた。それは物理学理論全体に広がる矛盾でもあった。その事が、この WordPress に投稿させて頂いた初期の記事となった。それをここで纏めておく。

 磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。 電流計は何を計るか (2010/11/10) 。電流は流れず (2010/12/22) 。

 10数年かけて、様々な自然世界の現象について、一般社会常識の認識に違和感を抱く事が多くあった。日本雨蛙の生態やら津波現象の物理的解釈やら本当に多くの事で、専門家の論説に違和感を抱き、その都度自分の思いを投稿させて頂いてきた。今に至るも、その思いは間違っていなかったと思っている。

 今月に入り、この11月1日が新潟県の⦅新潟教育の日⦆と定められたようであり、子供達の為の『教育環境』を整える意味でもあるかと考えた。そして思った。今の教科書の内容は、とても子供達に胸を張って進められるようなものでないと思った。これだけ科学技術の恩恵を受けて、便利な世の中に成っているにも拘わらず、子供達には心安らかに日々の生活が、学校生活が楽しく過ごせるかと思うととてもそんな状態でないと思う。それは理科教育で、中学生が『電子』が電流と逆向きの導線内を流れると教えられている一事を考えただけで、空恐ろしさを抱かざるを得ない。決して電気回路の導線内など『電子』が通ることは無い。訳も分からないことを強制的に憶えこませる教育であってはならない。覚えるより自然の姿の不思議さに感動する楽しさを味わえる理科教育の内容が多い教室授業であって欲しい。中学生の理科教育内容はそんな意味で十分と思う。

 このような電子の逆流の説明の現実に、教育の現実に、優れた科学者が多く居られるにも拘らず、子供達の教育内容に心砕いて頂けないのかと。大学の理学部では、本当に現在の電気磁気学の矛盾に気付かないのかと理解出来ない。初期の電気磁気学に関する記事を、もう一度取り上げる手がかりとして拾い上げた。電気回路では、決して『電子』が何の機能、役割も果たし得ないことを解説したい。電流とは何か?について『電子』の意味とエネルギー流更に磁束の意味について述べよう。そんな哲学ともとれる内容であるが、科学的な実験で検証できない空間に流れる『エネルギー』の意味の重要性について御認識頂ければとの思いだ。

電池とエネルギー

電池は『エネルギー』を貯え、便利にその『エネルギー』を使うための科学技術の貴重な成果の製品だ。決して存在しない『電子』などを貯えるものではない。『エネルギー』とはどの様な特性を持った物理的実体か?と考える。見えなくて測れないものだから、その『エネルギー』の動特性を探ることも出来ない。どうすれば、『エネルギー』の空間特性を理解できるかが電池の物理的現象を知る要点であろう。

電池とエネルギーの関係。

電池の内部で『エネルギー』がどの様に貯蔵され、それがどのような条件で電池内部から解放されて電気回路空間に放出されるか。その現象を『電子』なしに『エネルギー』の物理的特性として解釈する必要が有る。電池から送出された『エネルギー』は決して電源に戻る必要はない。負荷に供給されて、それで電池の役割は完了する。『電子』のような概念では、再び電源に戻る無意味な解釈が繰り広げられる。無意味とは何故に負荷を『電子』が通過する必要が有るのか。負荷に『エネルギー』を『電子』がどの様な物理現象として届けることになるのか。何故に『電子』が保有した『エネルギー』を負荷に届けて、その『エネルギー』分だけ欠乏した状態の、異なる『電子』が電源に戻る必要が有るのか。『エネルギー保存則』の意味を忘れないで欲しい。『電子』が負荷を通過しただけで、負荷で『エネルギー』を発生できる訳はない筈だ。無から『エネルギー』は生まれないのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で矛盾の解説に使ったのが下図である。

Fig.1. の図の意味。普通の電池記号と異なる図で表現した。単純に電池の意味を表現すれば、陰極の電極金属で『エネルギー』源のエネルギー貯蔵物質を包み込み、そこから『エネルギー』の無い陰極側に放出され、負側電線路を通して負荷に供給される絵図で捉える。電池の陽極電極および充填物質は所謂電位としては同一にある。充填剤に貯蔵された『エネルギー』はその内部では『エネルギー』として存在している訳ではない。しかし陰極金属体との間には『エネルギーギャップ』が存在する。陰極のエネルギーレベルが充填剤より低い。その接触ギャップで、自動的に充填剤の内部から空間構造変換として『エネルギー』が陰極側に放出される。それは同時に電線路が繋がれていれば、その回路空間に対してもそのギャップを埋めるために『エネルギー』が放出される。だから電池内部に見える形で『エネルギー』が貯まっている訳ではない。充填剤の分子的な構造変化として含まれているだけで、結局は質量開放として『エネルギー』の放射になるだけである。

電池の物理現象と科学論。電池の『エネルギー』を観測することも計測することも出来ない。ましてや『電子』の数量を計ることなどもっと困難である。仮想概念で、実在しない物は計れないから。それでは、電池内の『エネルギー』は在るかと言われればそれも無いと言わざるを得ない。『エネルギー』は忍者じゃないが、分子構造の中の質量となって貯えられているとなれば、それは空間分布の『エネルギー』として存在する物にはならないから「無い」となる。質量と『エネルギー』に変換し合う物理量は科学論で測り様が無い物だ。自然世界は余りにも純粋過ぎて、物質論の理論の計測手法に馴染まない物かも知れない。分子構造から解放される『エネルギー』が科学論で解明されることを祈る。

関連記事。独楽の心 (2019/01/05) 。熱の物理 (2019/02/07) 。

電圧とエネルギー

 観えなくて測れない物理的実在量、それが空間の『エネルギー』。しかし、それは物理学理論の概念にはない。その空間像の象徴が『光』だ。光に因って物は見えてもその光およびその『エネルギー』は観えない。

 『エネルギー』とは不思議だ。誰もが言葉にするが、その姿を見る事が出来ない。物理学理論で『エネルギー』と言えば、運動エネルギーと位置エネルギーがその意味になる。その物理学理論の『エネルギー』は何となく見えるような気がするかも知れない。ボールが飛んで行けば、その速度で運動エネルギーを感覚的に理解できたように思う。しかし、その飛ぶボールを見ても、ボールが見えるだけで『エネルギー』などどこにも見えないし測れない。速度と質量から計算式で算定することはできるが。

 また、蓄電池は電気エネルギーを蓄えた電気製品だ。しかしその貯えたエネルギーを認識できない。どんな像であるかを理解できない。代わりに『電子』で代用して理論を作り上げる。しかしそこでも『エネルギー』を説明出来ない。

 貯蔵電気エネルギー。電気回路で『エネルギー』を貯蔵できる要素はコイルとコンデンサである。しかしその『エネルギー』を、その像を見る事はできない。また、抵抗も『エネルギー』を貯えない訳ではない。抵抗もその構造体の中に『エネルギー』を貯えるから、時間積分で温度が上昇する。だから『エネルギー』を貯えたことには間違いがない。しかし、電気回路にその『エネルギー』を再び戻す働きを持っていないのが抵抗体の不思議な機能である。

『エネルギー』

 エネルギー W[J] を青色で描いた。それが電気要素の空間に存在する『エネルギー』である。描いて示したと言っても、それは科学的な検証に耐える証明が出来ない。だから物理学理論の概念には成り得なかったのかも知れない。見ることの出来ない『エネルギー』を、その空間像だと言って描いても、物理学理論の概念として受け入れられる論理性もないし、実測できる保証がないから、絵に描いた「餅」と言われても当然のことである。その意味ではこの空間の『エネルギー』の概念認識が無い物理学理論を非難できないかも知れない。それでもこの空間の『エネルギー』を認識することが自然現象を理解するには欠かせない。何か「電荷」の実在を頭ごなしに押し付けるのと、空間の『エネルギー』を押し付けるのと何処か似ているかも知れない。それは電気回路の現象を多くの観点から、各人が確認しながら納得する以外ないのかも知れない。磁石の周りの空間の『エネルギー』の流れと同じことなんだろう。見えないものを在るとは強制的に押し付けるべきではないから。とは言っても、電気回路の動作現象を突き詰めれば総合的に『電荷』と『エネルギー』のどちらがより論理的で、矛盾なく理解できるかで結論は出よう。

電気理論による数式で表せば、

コイルのエネルギー     W =(1/2)L×i^2^ [J]           (1)

コンデンサのエネルギー  W = (1/2)C×v^2^ [J]         (2)

となる。このような数学的表現で纏められる意味はとても大きな科学技術の業績である。いくらコイルの中に『エネルギー』があると力説してみても、その量を計れないことを知れば、(1)式が如何に優れた技術的表式であるかを理解できよう。『電流』と言う技術概念とその測定技術が如何に優れたものであるかを。しかし電線導体の中を『電流』や『電子』などは流れていないことも知らなければならない。そこに科学技術と自然現象の真理との差を知る必要が有るのだ。『電子』での解説者は、そこに『エネルギー』の認識を解説する義務がある事もまた分かってほしい。

電気技術論によってこの数式で算定はできるが、決してコイルやコンデンサの中に蓄えられた『エネルギー』は観えないし、測れない。コイルの空間に『エネルギー』があると理解するためには、電気回路技術の多くの計算を通して、感覚的に認識することが大事だ。学んで、そこから深く理解するには、疑問を抱き分からない不思議に直面して、そこを乗り越えて感覚的に納得できるのだろう。『電流』が流れていないことを理解する迄には、長い難しい道を辿る必要があるかも知れない。

電圧は『エネルギー』の評価技術量。見えない『エネルギー』と電圧の関係を考えてみよう。不平衡の空間の『エネルギーギャップ』を電圧として解釈している。コイルとコンデンサの貯蔵エネルギーに対する、その端子電圧には特徴的な差がある。コイルの中の『エネルギー』量を外から推し量ることはできない。一定値の安定した『エネルギー』の貯蔵状態では、端子電圧は零になり、『エネルギー』の量を推し量れない。一方コンデンサの場合は、その貯蔵の『エネルギー』量は端子電圧に直接現れる。コイルもコンデンサも貯蔵する『エネルギー』に違いがある訳ではない。同じ『エネルギー』を貯蔵するのである。同じ『エネルギー』を貯蔵する、その金属導体によって作られる空間構造が違うだけだ。貯蔵するのは『電荷』でもなければ『磁束』でもない。それは見えない『エネルギー』なのである。

電圧 [V] の次元は [(J/F)^1/2^] 。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (2019/03/26) との関係での記事となる。

線路定数L[H/m]、 C[F/m]の『エネルギー』と端子電圧の関係を考える。線路容量Cに関わる『エネルギー』分布密度をw[J/m]とする。負荷のコイルとコンデンサの貯蔵エネルギーをW_L[J] W_C[J]とすれば、次の式で表される。

貯蔵『エネルギー』量はそれぞれの要素の端子電圧との関係で決まる。

wL は端子電圧が掛かる限り、その時間積分で増減する。コンデンサのwc は端子電圧そのものが貯蔵エネルギーを表す。この式から、端子電圧は次の図のような意味と解釈できる。

(1) コイルの端子電圧の意味。電線路に繋がれた負荷のインダクタンスLl[H] とする。コイル端子の電圧もその次元は [(J/F)^1/2^] である。コイルが繋がれた電線路は回路定数 C[F/m]の『エネルギー』分布空間である。コイル端子が繋がれた外部条件によってコイルへの『エネルギー』の入出力が決まる。電線路の『エネルギー』がコイル端子の電圧を表している訳である。電圧がコイルに掛かれば、コイルの『エネルギー』は変化し、その微分がまた端子電圧でもある。

(2) コンデンサの端子電圧の意味。容量 Cl[F] のコンデンサ負荷が線路に繋がれている。コンデンサの場合は、線路『エネルギー』分布により、コンデンサとの『エネルギー』は線路定数 L[H/m] を通して行われる。そのコンデンサの端子電圧はコンデンサ自身の保有『エネルギー』量によって直接決まる。コンデンサ内の空間ギャップでの『エネルギー』の空間分布構造が如何なる形態であるかを判断しなければならない。誘電体の分子構造内に貯蔵される訳であろうから、『電荷』否定の上での捉え方としては分子内での軸流以外予想できない。電極の負極側の高密度分布が予想されるが、未だにその誘電体分子構造内の空間エネルギー分布流は不明だ。結局は、磁性体内と誘電体内で同じような軸性エネルギー流になるかも知れない。前にコイルとコンデンサの磁気ループ (2016/07/13) に考え方を示したが、誘電体での微視的分子構造までは考えていなかった。電極間の『エネルギー』不均衡分布が電圧だという解釈との整合性をどう認識するかの課題かもしれない。

何が電池電圧を決めるか?

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) で考察したが、『電子』ではその訳を説明できない筈だ。電池は『エネルギー』の貯蔵器で、『エネルギー』を使っても端子に現れる電圧は常に一定値である。その電圧を決める意味には『電圧』とは何か?の「問」が示されている。『エネルギー』と電圧の関係が問われている筈だ。ここにまとめの意味を含めたい。

常識外れの道端での科学論

過去を振り返ってしまう。

比較的価値があると思う記事が、エネルギー流と定在波だ。

 実は、電力用変圧器の物理現象を解説しようと思った。変圧器の原理は『ファラディーの電磁誘導則』によって19世紀初めに唱えられ、現在の基礎理論と成っている。それが全ての教科書の解説理論である。『磁束』という技術概念を導入しての理論である。しかし『磁束』という物理概念が現実にこの自然世界にある訳ではない。あくまでも科学技術解釈用の概念として導入されたものである。これから論じようとする電力用変圧器の動作物理的原理と定在波の関りとしての科学論は、現在の科学論文として取り扱う分野は無いだろうから、ブログ記事か。そんな高校生の為の教育での教科書問題になるかと思う。

 (2023/08/15) 追記。ここで取り上げる変圧器の物理現象という意味は、『エネルギー』の流れとしての解釈論を念頭に置いている。それは、コンデンサ(容量 [F] )とコイル(リアクトル、変圧器 [H])の間に於ける、『エネルギー』の貯蔵機能としての関係からの解釈論である。コンデンサとコイルとの間における相似性と相違性に関する考察である。自然界は『エネルギー』一つに支配された世界との基本認識に立てば、そこに行くことは自然の流れであろう。技術解釈用概念の『磁束』や『電荷』の自然界に存在しない仮想概念量に縛られない、真の自然世界の物理現象の解釈法を考えての意味だ。

上の定在波は、新潟県立新津工業高等学校で、最初の担当であった『電子工学』の授業の内容で、高周波定在波の意味が解らなかった。そこで、ある事業所の払い下げの通信機を頂いて、それを分解して、発振器部分だけを利用させて頂いた。実際の通信での実用製品だから、とても強力な電磁波発振器であった。真空管は、双三極管(2B29)である。発振周波数は160MHz である。最近気付いたが、その生徒実験に適用した回路構成は、変圧器と同じく、発振器と分布定在波回路とは直接繋がっていない。言わば、変圧器と同じく、空間を通したコイル間の電磁結合となっている。言ってみれば、160MHzの正弦波電磁結合で、基本的には空芯の変圧器結合である。空芯でも、高周波だから所謂技術概念の『磁束飽和現象』は起きないで変圧器動作が可能なのだと解釈できる。この空芯結合変圧器の物理現象は電力用変圧器の動作原理と、自然世界の実相から見れば、至極当然の事なのだ。新潟県立新津工業高等学校での生徒実験実習用の研究が物理学理論の置き忘れた『エネルギー』の実在性の解説になるとは不思議な事だと思った。当時、教育・研究者としての身分が有ったのか無かったのか❓❓。学術的研究でない、市民科学としての自然科学論が大切かと。専門家が取り組まない科学論。

変圧器の物理現象とエネルギー伝送 の前に。

更に、この記事の前に二つの記事がある。『エネルギー』一筋の道 (2021/02/24) と 科学教育の未来を問う (2021/02/27) である。

電圧・電流―その用語の社会的意義と物理的実相―

電圧・電流とは、自然世界におけるどの様な物理量を表現した技術概念か?電気量か?その意味を考究してみよう。初めにお断りさせて頂きます。ここで述べる解釈論は、余りにも現代の学問体系から学問として認められた自然科学理論とは異なる論である。所謂科学論としての常識と真っ向から異なる論であることをお断りさせて頂きます。

電圧と電流、これほど日常生活で馴染みの深い科学用語もなかろう。現代社会生活を営む上で、誰もが知っている用語だ。それは電気エネルギー消費の生活基盤となっているから、常に意識して生活している科学技術用語だ。

その単位がボルト[V] とアンペア[A]であり、その意味を誰もが知っている。だから電気技術、電気回路論で共通に理解し合える訳で、実生活で欠くことのできない科学技術用語・概念である。今から200年~150年ほど前に、世界的な合意の下で完成した用語であり、その御蔭でここまで豊かな科学技術の世界を享受できる事になっているのだ。西洋文明の御蔭だ。

しかし、不思議な事にその用語と単位の意味を殆どの人が、的確に把握できていないのである。その訳が驚くべきことに、物理学理論が極めて曖昧な論理で科学用語を創り出して来た、その長い過去の歴史的な科学研究の世界に原因があるのだ。と言う事は、現代物理学理論を構築してきた科学者の皆さんが、『電荷』、『電子』によって自然現象を科学的な論理で矛盾なく理解できるとお考えになって来られた結果だと言う事になる。そんな事がある訳は無いと、誰も信じたくないであろう。しかし、残念乍らそれが本当の事なんだ。どうか電気回路での『電子』の機能を考えてみてください。電気回路で、電源から『電子』がどの様な機能で『エネルギー』を負荷に伝送するのか?どんな機能を発揮して、電源内から『エネルギー』を負荷に届けるのか?その『エネルギー』の伝送の理屈を明確に示し得るかどうかに掛かっているのだ。しかし、『電子』は電気回路で、『エネルギー』の伝送機能など全く発揮できない仮想概念であったのだ。

上に述べた不可解な意味が科学研究の、正にその中に在ると言う意味を中々御理解頂けないかも知れない。即ち、科学技術文明の社会的意義とその基礎理論の間に得も言われぬ不可解さがあると言う事なのだ。

最も重大な誤りは、自然世界に実在しない『電荷』が存在すると解釈した事である。その『電荷』概念に基づく抽象粒子『電子』と『陽子』などを創造してしまった事だ。『正』と『負』の『電荷』間にどのような空間的作用力が働くかの論理的蓋然性もなく、クーロンの法則と言う解釈論に従った『力』を論拠に構築した結果にその原因があると考える。

電圧・電流と言うと、そこには長く習慣的な科学法則に習熟した頭脳の蓄積知識に基づき、無意識に『電荷』が頭の中に呼び起されることだ。それ程科学理論の論理的解釈概念に『電荷』が強く植え付けられてしまったのだ。教科書が『電荷』、『電子』と言う抽象的な構築概念によって構成されているから、そこの問題をどの様に構築し直すかに、現代的科学理論の再構築の喫緊の社会的課題が突き付けられているのだ。基礎から科学理論の論理性を再検討すべき学会の問題に掛かっているのだ。科学技術開発とは異なる、子供達に対する大人の真摯な教育に対する社会的責任として考えなければならない問題の筈だ。

このような基礎概念『電荷』や『電子』は、実際には有っても無くても、科学技術の開発研究競争には、ほとんど無関係の事なんだ。ジェット機が飛び、ドローンが様々の状況の調査に活躍し、工場の生産機能は複雑なロボットの働きに因って高度な生産性を実現してきた。決して『電子』などがどの様に流れるか流れないか等、実際の技術開発においては『電子』の存在など全く関りが無いにも拘らず、学校教育において、教科書ではとても重要な基礎であるかの如くに解説されている。記憶して置くべき重要な科学理論の根幹を成す基礎情報となっているのだ。金属銅線を繋げば、そこを電流が流れて、回路動作が設計通りに働くのだ。電線の金属導体内を流れるものなど何も無いにも拘らず、全く『電子』など流れる必要もないにも拘らず、物理学基礎教育では『電荷』や『電子』の必要性が特別に詳しく取り上げられる。この電気回路で、『電流』が流れる理屈は無いと確信したのが、1987年8月5日であった。その研究界での発表は(1987年10月8日)巻末〈資料〉。この時は既に、電磁エネルギーと言う物理量が空間を流れていると、何の違和感もなく当たり前の事と認識していた。

それにしても、電圧と言う概念はとても便利な、利用価値の高い計測量であることには間違いないのだ。電圧は電圧計で測定できる数値量である。同じく電流と言う概念量も電流計で測定できる数値量で、それ無しに電気技術理論は成立しない。この計器で測定できると言う点で際立って、実社会における共通理解の概念量として有意義であるのだ。しかし電流が『電荷』の時間での微分値と言う定義量に成っているところが大変悩ましいことになる。電流の単位アンペア[A] =[C/s}と言う『電荷』との関係で定義されて、MKSAの単位系の基本となっているから。だから、『電荷』を否定するような、物理学理論の根幹を否定するような論法の解釈論は、科学論として理解されるにはとても大きな壁に立ちはだかれる訳で、とても悩ましいことになって来る筈だ。だから科学理論と言う研究内容としては桁外れの領域のものになるのだろう。誰もが反感を抱きそうな内容・論法になるから。

もう一つの重大な誤りは、『エネルギー』と『エネルギーギャップ』の空間的その像の認識が無いと言う点である。その代わりに、『電荷』概念を取り入れてしまったところに、物理学理論の論理的混乱の原因があると解釈する。

この『エネルギー』の空間概念を認識できない科学理論、物理学理論を野放しにしたまま科学技術研究等と言う、大学教育を進めて良いものだろうか。大学は企業研究とは経済的競争と言う面から異なる学問的責任があると思う。技術研究の場で、回路を流れる電流と言う用語は、必ず『電荷』の流れと言う物理学理論の基本から意識が離れない。それでは『電荷』が導線内を流れると、負荷までその『電荷』はどの様な機能を発揮すると言うのか?など詳しい論理的な意味を誰も考えないのか。とても曖昧な解釈論で済ませてしまっているのだ。

電圧・電流と『空間エネルギー』

電圧も電流も、その科学技術概念を、もはや『電荷』概念で解釈できるような物理量ではないのだ。自然世界に現実に実在する、『エネルギー』を認識しない科学理論が矛盾なく、この自然世界を解釈できるような事は不可能な事だと知るべきだ。電圧も電流も、金属導体で囲まれた空間内での『エネルギー』の状態を解釈する技術概念であったのだ。『電荷』など全くの仮想概念で、少なくとも電気回路現象ではその存在価値など何も無いのだ。『エネルギー』と言う見ることも、その空間分布を測定することも出来ない、全く新しく認識すべき物理量『エネルギー』の空間像で、電圧も電流も認識しなければならない時代になったのだ。

電圧とエネルギー


今まで『電荷』で解釈してきた電圧の意味が、『電荷』でなく見えない『エネルギー』の分布模様で解釈すべきものとなった。電線を空間に張れば、その電線間にはある空間構造が形成される。その空間構造は、導体の形状である貯蔵機能容量[F]値が決まる。その電線の1[m]当たりの空間の解釈法として静電容量[F/m]で捉える手法が有効である。この過去の手法での『静電』という意味は全く無い。静電と言う言葉は、コンデンサの過去の解釈法の意味と関係付けただけである。コンデンサで貯蔵するのは『エネルギー』以外無いのだ。静電荷など全く無意味な概念なのだ。だから空間の貯蔵できるという意味でエネルギー容量とでも表現すれば、実際の意味に近い用語になる。
更に、同様に エネルギー慣性 L[H/m] という意味で今までのインダクタンスを表現した。エネルギー慣性と言う訳は、インダクタンスLは『エネルギー』の流れを抑制する機能である。光の光速度の意味は、空間を流れるエネルギーに慣性的な流れを抑制する空間構造の機能がある、それを今までインダクタンスL[H]と言う表現で捉えていた訳である。エネルギーの流れを抑制する意味で、力学の質量に対する慣性に似た意味でその特性をエネルギー慣性定数L[H/m]と表現した。

『エネルギー』と言う物理量の特性。それは空間に不均等に分布する基本的特性を持っている。更に物質にはその物質特有の他の物質との接触間に基本的に、『エネルギー』のギャップが生じる。例えば、半導体の PN 接合間には差が生じる。電圧をその極性でプラス、マイナスで捉える評価法が一般だ。そのマイナス側が『エネルギー』の高分布側である。プラス側はエネルギーの無い側に成る。図の青色で表現した『エネルギー』の密度分布を科学的測定での検証はできない。この分布勾配の強さが、いわゆる電界の強度になる。

電流とエネルギー

電流と言う大切な電気回路理論の概念量のアンペア I[A]は何を捉えた物理量かと言えば、それも電線路の空間を流れる『エネルギー』の量を捉えたものだった。回路にはその構造から決まるエネルギー伝送特性を決める特性インピーダンスZo[Ω]が決まる。電気回路の負荷によって、電源から伝送されるエネルギー量が負荷抵抗R[Ω] と特性インピーダンス Zo との関係から決まるとても簡便な関係にある。
負荷係数 α を
R/Zo= α なる関係で捉えれば、
電源から負荷への伝送エネルギー流 δi [J/m] は
δi = δv/α² [J/m]
なる関係で捉えられる。

この伝送エネルギー流の大きさ・数量を測定する技術として電流計が開発された訳である。この電流 I[A] の次元には『電荷』は必要がなく、
I= √(δi/L)^1/2^ [(J/H)^1/2^]
なるエネルギーのジュール値[J]の関係量であったのだ。

電気回路特性は今までのように、『オームの法則』で十分解析できる訳で、何も変わる事は無い。

しかし、『オームの法則』の輝かしい解釈技術と『電子』と言う自然世界に実在しない科学論的仮想概念『電荷』の[C=クーロン]での物理学理論は自然科学論としては、その矛盾から逃れられない運命にある。

この論の基礎は〈資料2〉の1987年4月の発表内容にすべて含まれている。電磁界現象は『エネルギー』の空間伝播現象であり、全ての視点が『エネルギー』一つの物理量から説き起こされる。今までの物理学理論、電気磁気学理論での電界も磁界も空間の『エネルギー』分布の解釈概念量であったのだ。

〈資料〉 電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察  電気学会、電磁界理論研究会資料 資料番号:EMT-87-106 。(1987/10/08)。
〈資料2〉『静電界は磁界を伴う』