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レンズの焦点・焦点距離とは?

(2017/11/21)追記。焦点距離(太陽の焦点距離)と写像距離(フイルム位置)の関係について、筆者の誤解も含めて、レンズと焦点距離に訂正・追記した。焦点距離と言う用語の定義が分からなくなったからである。しかし、焦点距離

(ウイキペヂア)には太陽の焦点距離と同じ平行光線に因る教科書の『焦点』の位置を定義しているようだ。観測対象・被写体の遠近で、焦点距離と言う写像距離は変化する。その使い方がカメラの焦点距離の意味であろう。

(2017/11/13)追記。レンズで気付いたことがある。スマホ等の携帯端末機の写真機能が抜群に良くなっている。あの小さなレンズで近距離撮影を考えれば、焦点についてレンズ軸に平行な光線などを光学的原理説明にする意味が見えない。生活に結びついた理科教育なら、高校生に携帯端末のレンズで解説するのが求められよう。今年のセンター試験の物理レンズ問題についての感想である。

(2017/07/24)追記。この記事の後、『フレネルレンズ』と言うものがあることを知った。やはり素人は知識量が少ない事を自覚した。しかし知識が多いか少ないかでは、レンズの焦点の解釈の誤りについては判断できない。灯台の大きなレンズは光を遠くまで分散させないで、平行光線で届ける機能が要求される。光が分散しては役に立たない。さて、普通のレンズの『焦点』は対象物からの光がレンズ軸に平行であればその光路は必ずレンズ軸の『焦点』の一点を通ると言うその一点が『焦点』と定義した専門的解釈である。それなら普通のレンズの『焦点』に光源を置いたら、その光は必ずレンズを通った後、平行光線になる筈である。そこで『焦点』の概念を否定する素人としての解釈を述べる。決して平行光線には成らないと。それは『フレネルレンズ』の片面は平面になっているから、平面に『焦点』の光源から入射する光の光路は、普通のレンズの球面に入射する光の光路と同じ筋道は決して通らない事だけは間違いない。その事は『フレネルレンズ』の片面が平面であるから平行光線としてレンズから放射されると言うことを示しているのだ。レンズの片面が平面であるか球面であるかによって、その光路が変わる訳がレンズの屈折の原理になっている筈じゃなかったのか?全く実験もせずに、ただのレンズに関する素人の解釈でしかないが、普通のレンズとフレネルレンズ(両方のレンズ直径の同じ物)で実験してみれば結果は明らかである。

昨年末(2016/10~12)にレンズの焦点について常識を否定する記事を書いた。今年の大学入試のセンター試験(物理)にも出題された内容に関わる点で、社会的問題でもある。長く教科書での標準的レンズ問題の解釈法として定着して来た理科教育の常識である。それを否定するなど正気の沙汰ではない筈だ。しかしやはりその解釈、教育指導法は間違っていると考える。

写像面全面が焦点 専門的にはカメラの光学技術で論じられる問題である。専門家の解釈はレンズの焦点という専門的解釈で論じられる。全くの素人である自分の、専門家の論理に違和感を抱いての、反論であることをお断りしておく。

写像面が焦点写像面(フイルム面)が焦点 上の図は所謂レンズ軸に在ると言う『焦点』など必要ないと言う意味を表現したものである。図は観測対象の3点A、BおよびC各点からの光はレンズ全面を通して写像面の各一点a、bおよびcの各一点に集まり、その各点がすべて焦点であると解釈する図面である。観測対象からの光線がレンズ中心軸に平行光線である場合に、その軸上に定義される『焦点』に集まると言う専門的解釈を否定する図面である。特別に定義される『焦点』など考える必要が無いと言う意味である。即ちレンズ面に平行な写像面が焦点距離Fにあれば、その全面が『焦点』の集合した二次平面であると言う解釈である。『焦点距離』という意味もなかなか難しい意味でもある。レンズで太陽光線の焦点を求めた時、それをレンズの『焦点距離』と仮に決めるとする。ではその焦点距離が全ての観測対象の場合に対して写像を鮮明に得る条件に成るかといえば、違うであろう。カメラの焦点を合わせると言う意味はその焦点距離(フイルム面の位置)を観測対象のレンズからの距離によって変えなければならないと言う意味であろう。太陽光線でレンズの焦点を決めるが、それは太陽の無限遠の太陽像を写像面に映している事なのである。太陽熱で焦点は焦げるが、それは太陽の写像なのである。丁度観測対象の距離に適合する焦点距離の場合には、レンズを通して得られる写像面のすべての面の各点には、観測対象のそれぞれ各一点からの光だけが集まる訳で、その写像面全面が『焦点』と解釈すれば良いだけであろう。だから人がその丁度レンズの焦点距離の位置に眼の瞳を置いて対象を観測すれば、何も像は見えないのである。その訳はその瞳の位置に入る光が全て観測対象のただ一点からの光だけであるから、何も像など見える筈が無いのである。瞳の位置をその焦点距離のままの平面上の位置で移動すれば、また観測対象の別の点の光だけの視界となり、像など見えないのである。

関連記事 レンズと焦点距離 眼は一筋の光を観る 眼球の光路とカメラ機能-?― レンズの機能

 

2017センター試験 物理レンズ問題を見て

大雪の中センター試験が実施された。受験生はじめ関係者の皆様御苦労さまでした。2日目の物理にレンズの問題があった。昨年の暮れに、レンズと焦点距離で『レンズの焦点』を否定した。3年前にレンズと光路で、レンズの焦点の意味を取上げて疑問を記した。今年の問題を見て、自分の能力不足のために教科書の理論が理解できない事からの誤解であれば、社会的混乱を引き起すようなことがなくて良いとも思うのだが、やはり残念ながら問題が間違っているとの意味を述べるべきと考える。御免なさい。
試験問題

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上の問題を見て少し異様に感じた。それは物体(蝋燭の火?)とレンズの寸法の違いである。余りにもレンズ寸法が大き過ぎると感じた。この図の寸法の違和感の原因に教科書のレンズ解釈に原因があるのではと勘繰らざるを得ないのだ。教科書の指導内容で重要な点はレンズの焦点の理解であろう。観測対象物体からのレンズ軸に平行な光線は必ず軸上の『焦点』を通る。と言う点であろう。
物体寸法拡大変更図

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物体の寸法が大きいと何が違うか。それは『実像』と言う図形の形状に違いが現れる。
実像とは何か?

%e5%86%99%e7%9c%9f434レンズ軸に平行な光線光路は『焦点』を通ると解釈されている。またレンズの中心点Oを通る光線は真っ直ぐ進むと解釈されている。試験問題の『実像』とは何かがハッキリとは理解できないのだが、写真機のフイルムに像が写る時のその『写像』の事なら焦点距離(この焦点距離と言う意味が曖昧である。太陽光線の写像位置を焦点距離と決めれば、レンズに一つの焦点距離が定義されることになり、曖昧さは消える。2017/12/31追記)の位置に、レンズ軸に垂直に表れると解釈される『像』の事であろう。教科書の理論の『焦点』の意味を図面上に用器画法で描いてみたのが上の図である。何方が描いてもそんなに違う筈はないだろう。図のように、得られる『実像?』は多分予想する図とは異なっているだろう。無理に教科書通りの『焦点』の意味を生かして描けば、ご覧のとおりの奇妙な『実像』となるのだ。こんな『実像』を教科書は求めて教育しているのか?物体の寸法がレンズの寸法に比べて小さければ、用器画法で得られる実像はこんなに奇妙な姿であるとははっきり分からないだろう。

レンズ機能の原理 焦点距離(写像距離と言うべきであった。その事はレンズと焦点距離で訂正とその訳を示した。2017/12/31追記)の位置に像は結ばれるのだ。その位置のフイルム面(カメラ)全面が対象物体からの『焦点』である。レンズ軸上に『焦点』があるのではない。レンズ軸上の『焦点』は物体のレンズ軸上の光だけが通るのである。だからレンズ軸上の『焦点』には物体のただ一点(軸上の物体の点)からの光しか像を結ばない。

レンズの機能

教育と科学がとても大きな問題に思える。今過去の、いや現在の教育内容で何か空(ムナ)しい、無意味なものが多くあるように思えて来た。来年度の新入生を迎える為の学力評価の『入学試験』が始る時期に来た。日本の教育制度では「理科教育」で『科学教育』ではない。理科の問題に既に伝統のレンズの問題も予定されているだろう。レンズの『焦点』と言う概念が何時から使われているかは知らないが、長くレンズの機能解釈の基本原理として教育内容に位置付けられて来た。『焦点距離』は重要な概念であるが『焦点』は存在しないのである。電磁気の『マグネット』の意味はその自然現象の本質を理解するには難しいかもしれないので、磁束で教育されている事をそれ程非難できないかも知れない。しかし、レンズの『焦点』については余りにもお粗末すぎるだろう。一体理科の教育者は何を教えているのか。考えない教育する側の社会的問題と言えないだろうか。天眼鏡、ルーペ、拡大鏡と呼び方もさまざまにある程に身近なレンズで、メガネなどもその機能を使う日常生活の必需品である。その機能がレンズを手に持って誰も確認しなかったなどとは信じられないじゃないですか。レンズの中心軸に平行な光線が一点の『焦点』を通過するなどと言う理論が罷り通る科学・理科とは何なんだ。ここに記す内容もただ感覚に頼るだけの思考が導くだけなのだが。

レンズに二つの機能 レンズには大きく分けて二つの機能があると観る。一つは拡大機能(ルーペ)、もう一つは写像機能(カメラ)の二つであろう。天体望遠鏡も顕微鏡も拡大機能を利用する器具・道具である。しかしそこには写真に記録する写像機能も重要なものになっている。拡大機能と写像機能の二つを兼ね備えているのである。肉眼で観測する拡大機能がレンズの基本の利用価値になっている。カメラのフイルムに映す仕組みは眼で観測する拡大機能とは異なるのである。カメラの焦点距離の位置で眼で見ても全く像は見えないのである。フイルムに映す写像のピント・焦点距離と眼で観測する視覚像の光の関係は全く異なるのである。眼は何を・どんな光の入射を見るかの認識の問題かもしれない。

拡大機能 レンズを使うのは拡大して、詳細に視たいからである。

%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e6%a9%9f%e8%83%bd%e8%a6%96%e7%95%8c拡大機能 レンズの焦点距離をFとする。単位は勿論[cm][mm]の長さである。確かに焦点距離が重要なレンズの機能を表す科学概念・用語である。ルーペで文字を見ようとする時、文字とレンズと眼の位置の間には自然にある関係があろう。レンズと文字の間の距離にはD<F、眼とレンズの間にはF<leの関係があろう。しかし丁度文字とレンズの距離Dが焦点距離Fと同じくなると何も見えなくなることが分かろう。その何も見えない状態は何故かと考えないだろうか。何か訳の分からないぼんやりとした普段経験しない視界が見える筈だ。何か見えるが、見えている物が何かが分からない視界である。きっとカメラの焦点ボケと同じ事と簡単に解釈して、気にも留めないで過ごすのだろう。拡大機能でレンズが使えれば何も不満はない訳だから、そんな見えない視界の意味を考えるなどの無駄はしたくないのが普通の生活の人だろう。何の得にもならないから。本当はそんな意味の分からない事にこそ大切な意味が隠されているんじゃなかろうか。その眼で見ている物の正体は、文字の一点の像(光)がレンズの全面から眼の瞳に入っているのである。だから眼は文字の一点の拡大像だけを見ている状態である。眼の位置を動かせばまた文字の異なる部分の光だけを瞳に取り入れている状態になるのである。その眼の位置にスクリーンを立て、像を写せばレンズを通した文字の像が写像される筈だ。なお、D=Fの状態は丁度レンズを通した像が正立像の拡大から、縮小の反転像に切り替わる境の点である。また、眼に映る視界、脳で認識する普通のルーペ利用時の視覚像は即ち拡大機能の場合は、眼の位置が変わっても拡大像の大きさは変わらないようだ。leが大きくなればレンズを通した視界が狭まり、眼をレンズに近付けleが小さくなれば、視界が広くなるだけで像の大きさはほとんど変化しないだろう。

拡大機能と眼の光路 眼のレンズからの位置が変わっても、拡大像の大きさは変化しないように見える。その訳はどう解釈したら良いか?

%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e3%81%a8%e4%b8%80%e7%ad%8b%e5%85%89%e8%b7%af拡大と一筋光路 あくまでも拡大の視界は感覚的な認識が基である。厳密に測定できるものではなかろう。拡大像の位置は感覚的に基の対象の位置と同じ所に在るように思える。その条件で解釈すれば、観測対象の或る一点からの光はレンズのそれぞれ無数の方向に入射している筈だ。その無数の光路の内眼の瞳に入る光の筋は一筋である。眼の位置をレンズに近付けても対象からの光の光路の内その位置に対応した光だけが眼の瞳に入ると解釈する。その様子が図となる。眼の光路の入射角が同じかと勘違いしたが、拡大像の位置が変わらないと感覚的に思えるので、結局角度が変化してしかも大きさが変わらないと言う現象で捉えた結果が図となった。拡大像の位置は全く感覚的なものであろうから、その意味では上の解釈図は場合に依れば人によって違うかもしれない。

スクリーン拡大写像 実験による確認。厳密な距離設定が必要だが、そんな装置は持ち合わせていない。天眼鏡の柄をクランプで挟んで固定。LEDランプ光源を観測対象に選ぶ。レンズの焦点距離Fも太陽光線の反転写像(そこには一緒に空の青色や白い雲の姿も一緒に写っている)の状態から大よその寸法として測る。残念ながら実施した科学実験の厳密性など保証の限りではない。しかしこれでも立派な科学実験として通用すると思う。レンズの機能の原理くらいは大体理解できるから。少なくとも『焦点』などの誤りはない。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e5%8f%8d%e8%bb%a2%e5%86%99%e5%83%8fdfスクリーン拡大反転写像 D=F時のスクリーンの写像である。レンズの拡大機能を実験で確認した。光の像を写す必要から、LEDの小型ランプの光をレンズを通してスクリーンに映した像である。それを写したカメラの性能が良くないので鮮明さに欠けるが、紙面のスクリーンに写した像は拡大されて、LEDのランプの中のリード線らしき2本の影まで映っているのが分かるほど鮮明な写像である。この像の意味はもし眼で見るとしたら、視界の意味が分からない茫洋としたものになるのである。像が見えないのである。レンズとスクリーンの間で、眼で像を観測すれば、写像の一点に当たる位置に対応する瞳の点に入る光は同じ観測対象の一点からの光だけが全方向から入射するから、何も像は見えないのである。

実験結果に対する考察 少し距離の厳密設定での測定が出来たら良いがと思う。数mm程度の精度で実験できたら申し分なかろう。この大まかな実験では、測定対象距離Dと焦点距離Fとの間の関係が厳密にどのように切り替わるかは確認できない。D=Fと言うが、その今回の実験上の精度は曖昧なものである。クランプで挟んでランプとの位置関係は目視で適当なものでしかないから。さらにスクリーンの位置もいい加減である。何しろ光に関係した科学実験だから、もう少し光の物理的厳密性に沿った実験でなければ、世界の王者の光(『エネルギー』の素粒子と言う意味で)に失礼かとも思う。実験結果は拡大機能と写像機能の両方の機能を同時に映し出した結果である。D>Fで写像機能に移り、カメラの縮小反転写像となると思うのだが、このD=Fなのかどうか厳密ではないが、実験結果の写像は拡大反転写像である。Dが遠い遠方の大きな値なら、例えば太陽のような場合なら、縮小反転写像が焦点距離のスクリーン(スクリーンが燃えてしまうが)に鮮明に写る訳である。

レンズの写像機能 観測対象が遠い場合のレンズの機能である。スクリーンやカメラのフイルムにレンズを通して像を写す機能である。

%e5%8f%8d%e8%bb%a2%e5%86%99%e5%83%8f%e6%a9%9f%e8%83%bdレンズの反転写像機能(カメラ) この場合も、眼で観測するのとスクリーン上に映すこととは違うのである。写像機能のスクリーンで映る像は、その位置で眼で観測しても何も見えない。その位置は焦点距離で、ほぼls=Fに近い(少し大きい)関係にある。眼でレンズを通した反転像を見ようとすれば、相当距離leが大きくないと見えない。しかもその位置はどこでも見える。反転した小さな像が見える。

 

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e5%86%99%e5%83%8f%ef%bc%88d%e2%89%abfスクリーン写像機能(カメラ) D>FでのLEDランプの反転写像である。いわゆるカメラの機能である。ルーペの姿も影で写っている。そのルーペの像はランプの影絵であるから何も反転等していない。その中心の光の像がLEDのランプの光の写真の像に対応するものであり、それがレンズの機能に依る反転した像である。このレンズとランプの間の距離Dが変化するとその像を写すスクリーンの位置も変えなければならない。それがカメラの焦点距離を調整するピントを合わせる操作と同じ事になる。

自然の心 レンズは世界を見る不思議の窓である。レンズは教育の意味を考える要に見える。自然はただそこにその心を伝えている。君の居るそこで、君が見ている物に自然の心が開かれている。君がその思いを読んでくれなければ自然も哀しかろう。物理学は自然を見つめることがその学問の肝心である。自然を見ないで数式に頼り、数式で理解できると考えるような教育をしてはいけない。眼もレンズも自然そのものの心である。数式ではレンズの心は見えないだろう。身近で、自然の不思議を見つけることに教育の本源があろう。眼もレンズも世界を見る為に在る筈なのに、その本質(機能)を見ていなかったのである。理論と言う人間の創りだした色眼鏡の頭脳意識で都合よく考えていただけだったのである。いつ官製理論の『学習指導要領』による官製統制教育から日本が解放され、自由の学習が出来るようになるのか。

レンズと焦点距離

極める専門を見失った浦島太郎は競争社会に向かないのかな?昔は電気工学が自分の専門分野だと少しは思っていた。去年は変圧器の奇想天外診断などと言う思い付き実験が長年実験的証明も無しで悶々としていた電気回路に明確な電線路空間におけるエネルギー分布の姿を捉えることに結びついた。それも電気の教科書の内容に背くような結果になった。その流れから電気回路現象の解釈に今年は幾つかの進展を得たと安心している。いつも考えることが物議を醸すようなことが多いようで誠に恐縮している。レンズと焦点距離などと言って何を書くかと責められそうで誠に心配ではある。高等学校の3年生の物理の授業でレンズの機能を教わって、感心して了解し、納得して長いことその教科書の解釈を信じて来た。ここ数日眼とカメラの関係で、レンズの焦点距離に頭の中で混乱が生じていた。以前書いたレンズと光路を見たのが切っ掛けでもある。焦点距離と光路の話として、雑科学ノートー光学機器の話 などがある。この光路と焦点距離の解説が理解できないのである。そのレンズと光路の関係を全く数式を使わずに、日常用語で説明してみよう。

(2017/11/18)追記。 『焦点距離』とはどのような定義用語なのか分からなくなってしまった。一つのレンズには一つの焦点距離しか存在しないのではないか?と考えたいのだが、カメラの焦点距離はそんな意味では使っていないようだ。 理科や物理で教えるレンズの機能は一つのレンズで、その光学的光の道筋を説いて理解を促している。しかし実際のカメラの『焦点距離』は上の説明にあるように、11mmと数100mmとで、遠くの像が大きく拡大された望遠レンズでの像が示されている。カメラの『焦点距離』はレンズの機能説明の意味とは全く異なった使い方をしている。デジタル一眼レフカメラの基礎知識は画角と言う用語との関係で解説されている。もう少し考えたい。コメントに対する意見で考え違いであった事から追記となった。用語『焦点距離』の定義が明確か(?)の問題でもある。次の図で考えて見た。

レンズの写像と焦点距離(焦点距離とは?) カメラで使う焦点距離とレンズの焦点距離との用語の意味が必ずしも同じとは見えない。筆者自身も明確に捉えていなかったようで、実に不甲斐ない。実用的にはレンズはカメラとしての光学技術を生かす事を求めるものである。しかし学校教育でレンズとしての機能を学ぶ場合には、カメラの焦点距離は理論的に難し過ぎて、学習するには困難である。単一レンズの光学的機能を理解する事が先ず基礎として必要であろう。その場合の焦点距離とはどのような意味で定義するかの問題として捉えたい(筆者の独断であるが)。無限遠の太陽の写像はレンズに決まった写像距離即ち『焦点距離』を示す。それを焦点距離と定義すれば分かり易いと思う。そのレンズを使って被写体の像を写すと、その写像位置は太陽の写像より必ず離れた位置に結ぶ。その関係をレンズ径11㎝のもの(下の手持ちレンズの①)で調べた結果が上の図である。同じ寸法の観測対象・被写体A、BおよびCをレンズを通して衝立に写す。少し遠いAは太陽の写像距離とほぼ同じ距離に小さな像を結ぶ。観測対象が近付くと、写像位置は離れて結び、像は大きくなる。この写像位置をすべて対象に対しての、それぞれの焦点距離と言っているようだ。それがカメラの焦点距離の意味に近い。ただカメラでは、望遠レンズなども含めるとなかなかその焦点距離と言う用語の意味はレンズの意味を理解する事とは繋がり難いように思う。『焦点距離』と言う用語も観測被写体に対する鮮明な写像を得るそれぞれのレンズからの写像距離であるという意味で使われている。無限遠の太陽の写像距離を焦点距離と決めれば、レンズ単体に対して、一つだけの焦点距離となり混乱しないと思う。ただカメラでの使用とは違ってしまうが。さて上の図のような写像距離を簡単に調べるには、手にレンズを持ち被写体を観測しながら、レンズと眼の距離を変えて、丁度被写体の姿が消えた時(被写体の像が正立像で見える状態から眼を離すと或る位置で像が見えなくなる。視界が靄のように何も見えない状態に成る。その眼とレンズの距離が写像位置に成り、衝立に像が写る焦点距離と言われる距離である。それ以上に眼を離すと、反転像が見える事に成る。その眼で見えるレンズとの間の距離は焦点距離・写像距離とは何の関係も無い距離である。)のその距離が写像距離(普通に言う焦点距離)である。形が消える未経験の写像となる距離の時が所謂一般に言う焦点距離に当たる。その点の前後で、視界に見える像は正立像から逆転像に丁度切り替わる境でもある。眼で見えなくなる位置がいわゆる焦点距離(フイルムに写る写像距離)であるという意味が分かれば、レンズの実像と言う意味が理解できたと言えるだろう。教科書の『焦点(レンズ軸に平行な光線が収束するという点)』と言う概念は無意味であり必要が無い。また理解不能の状態だ。ウイキペディアに焦点距離がある。この焦点距離の定義は太陽の焦点距離と同じ意味である。カメラの写像の距離(フイルムの位置)とは異なる意味だ。??。

%e5%ae%9f%e5%83%8f%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95%e3%81%a7%e3%81%99%e3%81%8b実像って何ですか? 凸レンズの機能の説明の教科書的解説方法である。レンズに入射する観測対象からの軸平行光線の光路は焦点を通り、レンズの中心を通る光路との交点に実像が結ばれると説明される。そんな実像はありません。おそらくカメラの撮像面に写る反転像を解釈する原理としての説明になったのであろう。

%e3%82%ab%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%81%a8%e7%84%a6%e7%82%b9%e8%b7%9d%e9%9b%a2カメラと焦点距離 カメラのフイルムや撮像面は丁度焦点距離(この焦点距離と言う意味が曖昧なのである。カメラの写像距離で被写体までの距離で変化するから焦点距離と言う用語で解釈すると、焦点距離は無限に存在する訳である。その『焦点』と言う意味にどのような意味を持たせているかが明確でなければならない。その『焦点』の用語が、単一レンズの原理として使う教科書用語『焦点(こんなものは存在しない)』との意味と関係付ようとする処に混乱の基が生まれる。平行光線の『焦点』は存在しない事を知るべきだ。2017/12/28追記)の位置に在る。光が焦点を通過した後に出来る像などではない。カメラの像は確かに反転像である。カメラについてはデジタル一眼レフカメラ (この解説記事でも、「レンズの焦点距離」と言う表現が使われている。しかしレンズに決まった焦点距離が定義されている訳ではない。レンズと観測対象との距離で、その写像距離はそれぞれの距離に対して、無限に存在する。だからレンズの焦点距離と言う表現は誤解と混乱を招く。太陽光線の焦点距離と言う意味で定義すれば、確かにレンズに一つの焦点距離が確定する筈だが、そのように定義されている訳でもない。2017/12/28追記)が参考になろう。

%e3%82%ab%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%81%ae%e5%8e%9f%e7%90%86カメラの原理 薄暗い部屋で、障子戸をレンズを通してレンズから焦点距離(太陽光線の焦点距離で、実際はそれより少し大きい筈であった。写像距離とすべき意味を間違っていた。2017/11/21追記)だけ離した紙に写すことが出来る。レンズと距離と像の関係はカメラの原理を表している。この紙に写った像を実像と言えばそれは理解できる。しかし教科書の説明の焦点距離より後方の像は存在しない(文末のコメントの指摘通り、間違いでした。太陽光線の焦点距離より必ず後方に写像位置は来る。2017/11/21訂正追記。)。

焦点の意味が分からない

%e6%89%8b%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%83%ac%e3%83%b3%e3%82%ba手持ちレンズ ①は直径11.5cm 、f=30cm (焦点距離)でジオプター+3Dとある。②は直径5.25cm 、f=10.5cm程。焦点距離は太陽光線を集光して測定した。老眼鏡も同じ凸レンズで、同じ機能の特性を示す。メガネの焦点距離についてはハヤシメガネ度数・焦点きょり早見表 にジオプターとの関係が示されている。また高校物理の教科書の理論がメガネの理論ーFNの高校物理 に解説されている。この高校生が学習する内容がとても難しくて私は分からないのである。特に問題と考える点が焦点距離と光路の関係である。

拡大鏡の例

3d%e6%8b%a1%e5%a4%a7%e9%8f%a1+3D拡大鏡 焦点距離(約30cm)より短い5cm程での拡大。目の位置には無関係に同じ大きさに見える。

%e5%86%99%e7%9c%9f381焦点距離(この焦点距離は太陽の写像距離で解釈していたが、必ずしもそのような定義ではなかった。2017/12/28追記) レンズを手にして考えた。レンズで文字を拡大してみる。文字とレンズの距離が焦点距離以内なら、眼をレンズに近付けても、遠避けても文字の大きさは同じように見てとれる。

%e5%86%99%e7%9c%9f375眼で見るレンズの像① 正立拡大像はAが焦点距離fに対してf以下であれば、ほぼ同じ大きさに見てとれる。目の位置Bの距離に関係なく。この拡大鏡のレンズ機能はどこに像を結ぶと言うものでもなく、眼とレンズの距離Bがほとんど零でも文字は同じく見える。この意味は目に入る光の光路がどの位置でも同じように存在することを示している。目の位置がBの範囲のどこにあっても眼の瞳に『ア』の文字の各点からの光が同一立体角の中に含まれた立体錐の範囲で入射すると言う事である。

%e5%86%99%e7%9c%9f377眼で見るレンズの像② 反転縮小像。Aが焦点距離より相当大きい場合で、カメラに近い状況。Bが焦点距離以下で像はボケる。Bがf以上なら比較的鮮明な反転像が見える。B=fの時が焦点距離の意味を如実に説明している。その時何も眼に像は見えない。その意味を考えて欲しい。その答がカメラの光路の解釈になる。

レンズを通した眼およびカメラの光路 これが難しい。カメラの光路はどのように結像を結ぶか。フォーカス(絞り)に依る光量の意味を合わせて考える必要がある。

カメラの写真と光路 カメラは焦点距離(写像距離か・・?)にフイルムがあり、そこに像を結ぶ。今は技術革新が進み、カメラもその機能をデジタル技術の仕組みにしてしまった。像も画素の点のパズルの組み合わせになった。カラーフイルムは一部を拡大してもアナログであるから鮮明な像が印刷できる。そんな昔のカメラを眺める。

nikon-fe2一眼レフカメラNikon FE2  裏ぶたを開ければ、カメラの原理が見える。

%e7%84%a6%e7%82%b9%e9%9d%a2%e5%83%8fカメラバルブ(解放)のフイルム面の像、像は何も見えない。

%e3%83%88%e3%83%ac%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%82%b0%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bc%e5%86%99%e5%83%8fフイルム面のトレーシングペーパー上の写像(解放撮影)。フイルム面の反転像(障子戸)が鮮明に写っているが、その焦点距離面で眼で観測すると何も像は見えない。

レンズ機能の焦点距離 焦点距離(これも写像距離と言うべきか?)に結像する写像はその位置で眼で見ると決して像は見えない。フイルム面の2次平面上の各点にレンズの全面を通した被写体の各一点からの光が到達する。その光路は焦点などを通らない。

%e6%9c%aa%e7%b5%8c%e9%a8%93%e3%81%ae%e8%a6%96%e7%95%8c未経験の視界 今チューリップをレンズを通して見るとする。目がレンズの焦点距離に在るとする。その位置には2次元平面でチューリップの反転像の光の模様が描かれている。しかし目で観測すると、その観測像は現実世界では決してお目にかかれない渾沌の視界である。目の瞳にはチューリップの或る一点からの光がレンズ全面を通して到達する。だから瞳には上下左右全面からチューリップの一点の赤い光が入射することになる。それがフイルム面なら、その点に鮮明なチューリップの一点の像が写ることになる。目の位置を動かせば、その2次元平面のそれぞれ対応した反転像の光線の視界になる訳である。

レンズの光学理論と教育 (2017/11/21追記)単一レンズの解釈で、『焦点』と言うレンズに平行な光線が収束するという点など存在しない。その単純な疑問からレンズの機能を理解しようと考えたが、高度の光学機械のカメラ、望遠鏡および顕微鏡等の虚像概念なども含めて考えるととても複雑な機能で、単純には理解できない事を知った。以下の記事での教育に関わる問題については、筆者も『焦点距離』の意味を太陽光線の焦点距離と捉えた間違いもあったようでお詫びしたい。光学と言うレンズ一つの機能でも、その基礎的理解が教科書の『焦点』の解釈で間違っている事が何故なおざりにされているかは、教育者側の大きな問題であると思う。教育に対する専門家が問われているのではなかろうか。顕微鏡や望遠鏡の光路の意味を考えて見る必要を感じている。焦点距離と写像距離の用語の使い方なども含めて。以上2017/11/21追記。レンズの話は高等学校の物理教育で教える内容である。上に述べた考察は教科書の理論が間違いであることを論じた事になる。何も特別に科学研究費を請求する程高度の研究などではないのだ。レンズを手にして光の像がどのように出来るかを眺めてみれば分かる筈だ。日常の遊び心で分かる問題だ。どんな高度の数式を扱っても理解できない問題だ。こんな基本的な光の現象が間違って教育されていたことになる。教えるとなれば真剣にその意味を理解し、とことん納得して疑問の無い自分の考えを子供達に教える筈だ。教科書に書いてあるからと言うだけで、納得できるのだろうか。科学理論とは何なんだ。入学試験では、レンズの解釈に焦点は必ず光が通ると答えなければ間違いとなる。しかしその答が間違いである。誤った教育である。学習指導要領が間違っている。電気現象で『電流』が自然界の真理であるかの如く教育される『物理学』の問題と同じ事である。日常の生活感覚と厳めしい科学理論の間を遮る絶壁のような社会問題と看做せよう。なお、とても詳しい解説がある。「光と光の記録ーレンズ編 」は所謂専門家の解説であろう。(2017/08/24)追記。確かに近軸光線について焦点がずれることまで詳しく解説されています。平行光線がすべて焦点を通ると言う『焦点』があると言えば、それは違うと言うことを言いたかったのです。それ程単純ではないと言う意味です。この論説はさすがに専門家の詳細な検証記事で素晴らしい。それが近軸光線について焦点の意味に踏み込んだ解説であり、平行光線が『焦点』を通る訳でない事を示していると思う。

レンズと光路

(2020/5/19)追記。今少し反省と後悔を感じている。この記事は、初めてレンズの特性を考えて、教科書の解釈を図にして見た。しかしその像は余りにも歪んでいた。その驚きで、書いたものである。科学理論の根幹で、『電荷』概念の怪しさから始まって、多くの疑問で理論を信じられなくなった。教科書の解釈を信じられなくなった。その思いがレンズにまで誤りがあるかとの怒りにも似た気持ちでつい行き過ぎて、「一筋の光路」などの誤りを犯したことを大いに反省し、申し訳ないと思っている。2016年頃に漸くレンズの意味は理解できたかと思う。電気工学から電気回路の電線路空間を『エネルギー』が伝送する現象が、その自然の深い意味であったとやっと理解できた。『電子』概念は間違いであると。一言この記事を書いたころの思いも併せて、追記させて頂いた。

光学レンズは天体観測や顕微鏡など古くからの貴重な道具である。その光学的解釈も万全と思っていた。しかし、ふと思った。レンズの解釈が間違いではないかと。観測する対象からの光をレンズを通して、屈折現象からの光の光路の変化を利用する器具である。焦点と光路?

上に示した凸レンズには焦点Fがある。簡単に作図で焦点を基に、『実像』と言はれる結像の位置を描いてみた。教科書の説明では、平行光線がレンズで屈折して、必ず焦点を通る。この説明は正しい(2016/11/21 追記。この説明が間違いだったのだ。焦点などに光が集まる解釈こそ間違った説明であったのだ)。

(2020/5/19)追記。この記事は上に示した図で、観察対象からの光路(平行光線とレンズの中心を通る二つの)による写像の解釈が間違っていると指摘した点で意味が有る。しかしその他の記述部分については今になると曖昧であったと反省する。問題は、もう一つの光路であるレンズの中心を通る軌跡が使われる。その中心の光路と焦点を通る光路との二つの軌跡の交点で、『実像』の位置を規定する。この『実像』そのものの実在的意味が何もないと断言したい。上の絵図で、赤Rと緑Gおよび青Bの各対象がどこに所謂『実像』を結ぶかを調べてみた。それは、rgおよびbに結ぶ事になる。その位置関係は元の対象から見れば、相当に乱れている。こんな実像は求める物とは違うであろう。

(2020/5/19)追記。以下の内容では、「一筋の光路」など誤りも多く、削除とする。何がこの奇妙な結果を導いたのだろうか。また物議の基になりそうだが、『実像』概念は不要である。レンズを通して物を観測してみる。レンズと目の位置で像が観測できる範囲がどのようであるかを調べてみれば分かる事である。焦点距離と目の位置との関係は殆ど無関係と思う。『実像』など有る訳ではない。目に入る対象からの光は一筋の光が観測できればそれで十分であろう。

(2017/12/04)追記。以下の記事(レンズの光路と屈折のカッコ内)はまだ十分レンズの焦点について考えが纏まっていなかった状態で、平行光線の焦点と写像の意味の焦点距離とを理解し切れずに書いたものであり、「像なし」も無意味な説明である。実際は虫眼鏡を通して観測した文字などの場合に、眼で観測して「像なし」の位置は衝立に写像される焦点距離に当たると勘違いした思い込みであった。レンズを通して見えなくなる位置がいわゆる焦点距離(図の焦点ではない)・写像距離に当たるので、その位置と勘違いした事により、そこに眼を置けば、何も観測出来なくなる事を示したものである。しかし削除せずに、早合点で書いた過程も残しておきたい。

早合点の説明として残しておく。(レンズの光路と屈折 レンズについては今回初めて考えて見た。一例に二つの球面からなるレンズを取り上げ、その光の光路と像について考えてみた。焦点と光路早合点の間違った図である。教科書の焦点の説明を図に示したものである。平行光線が図の様な焦点になど集光しない。レンズと空気との境界での光の屈折率で、光路が決まる。レンズの球面の中心がO1とO2 である。光の方向、光路1と光路2の二通り示した。球面S1とS2の境界で屈折するから、それぞれの光の光路の収束点が焦点になると見做した。光路1の場合の、焦点はF2と見做した。そこには、光路の先に『実像』などどこにもない。ただ光が一筋の道を進むだけである。観測する光は平行光線だけではないから、角度により、観測眼に入射する光の筋道、光路は様々な通り道からの光になる。レンズの焦点とその前後で、観測する像の状況は正立像から反転像まで変化する。丁度観測眼と観測対象の位置が焦点の前か、後ろで変化し、像も茫洋としたものから鮮明な状況までさまざまに変化する。観測眼あるいは観測対象物が焦点に在ると、すべての光路の光が混在して、物の形を示す光模様からずれた状態になる為、対象物の像は無い状況になる。)

観測対象物からの各部の光はただ一筋の光だけが観測眼に入射する。道草問答(6)-球面鏡の像ーにその関係の問題を示した。この屈折の問題を少し掘り下げてみた。天眼鏡の屈折司令官

道草問答(6)ー球面鏡の像ー

球面鏡の像理科に幾何光学と言う章が有る。レンズや鏡などの焦点距離を基に、実像あるいは虚像などの意味を学ぶ。少し教科書を開いて理屈を確認しようと思った。しかしとても難しい事を知らされた。覚える訳にはいかないので、論理的に理解しようと挑戦してみた。やっぱり教科書の説明を理解出来なかった。生活者の視点で考えてみる事にした。
球面鏡の像 球面鏡の焦点はどこになるのだろうか?球面の中心点はO点であるが、O点を球面鏡の焦点と言えるのか。入射光は入射点に於いて、O点軸に対称な方向に、入射・反射が等角度で反射する。平行光線の入射波は決してO点には集まらない。教科書の説明では、像が焦点距離(?)の所に出来るような事になっている。対象物がA点にある。その像はどう結像するのだろうか。実像とか虚像とかの用語が使われる。そんな実像、虚像など実際に在る訳ではない。凹型の球面鏡の場合を採り上げて、対象の像を観測する場合にどう考えたらよいかと『問答』に取り上げてみた。球面鏡を通して、A点の像を見るとどんな風に見えるだろうか?その観測する像には、焦点(?)など余り関係が無いように思う。ただ鏡面で光が入射・反射の角度が同じである事だけで人が見る像は決まると解釈できる。瞳の一点に対象の像が入射してくる。どんな経路で入射するかだけの問題である。僅かな角度の違いで像の形が映るのだ。入射像は正立像か、逆転像かである。理科の教科書の説明で、焦点距離(?)などから分かるだろうか。人の目に入る光の筋は対象の1点からの光の道は一筋だけである。焦点(?)に像を結ぶような光の道筋は意味の無い説明である。

IT検索で、球面鏡の焦点と検索すると、子供への学習の説明記事に『平行光線が球の中心・焦点に集まる』とある。何処からそんな理屈が出るのか。入射・反射の理屈、等角度の理屈をどこに捨てた説明か。球面の材質が硝子かアルミニュウムかで反射特性に影響が出るであろう。しかし反射を基本にする限り、入射・反射角度は等しいであろう。決して中心O点には集まらない。

球面鏡の反射 少し球面鏡の反射を具体的に考えてみた。数式を解釈するのは難しそうだ。そこで、用器画法で反射の様子を描いてみた。球面鏡の反射二つの光源で、青のAと赤のBを図のように位置を決めた。その反射光の正反射の方向を描いた。Bの位置は自動車のヘッドライトの光源に近い平行光線反射になろう。A点の青い光源の場合は、広く拡散するようだ。図の左下に示した図形は照明の説明で使われる配光曲線の例である。反射面が実際は正反射する事は少ないかもしれない。球面の中心点Oに対して入反射角が等角であれば、正反射と言うのだろう。しかし反射面に対して垂直に入射した光がどのように反射するかと言うと、完全拡散面では、図のように光度 I[cd(カンデラ)]の方向分布強度が I_0_ cos θ = I_θ_のようになる。だから実際の球面鏡での反射が図のように正反射になる事は無いだろう。しかし、少なくとも中心Oを焦点とした解釈のように、Oに集まると言う事はさらにない筈だ。数式での解説に頼り過ぎない事も大切かと思う。

問題の観測予想図を示す。球面内の正反射だけで、予測してみた。コンパスと定規だけでの『用器画法』により描いてみた。おそらく反転像が見えるであろう。球面鏡の予測像あくまでも想像の像である。球面鏡があれば確認出来るが、残念である。赤の光路Rおよび緑の光路Gがそれぞれ平行線での入射光路を考える。その場合はそれぞれ2回の正反射で、R’,R”を通って、RおよびG’,G”を通って、Gへと反射する。目に入るにはB点でR’とG’が反転反射図(点線で囲んだ図)のように反射点が入れ替わらなければならないだろう。しかし、目の位置で、その像もどのように変化するかは不明だ。曖昧な解釈で、済みません。何方か明快な答えを出して下さい。