タグ別アーカイブ: Education

自然の世界と科学論の世界

(2024/04/30).

 今年も桜の世界はほとんど終わった。桜の花見は春に人の心をも華やかで、平和な一時に浸れる世界に連れて行ってくれる。

 自然の世界は人の心を縛らない。科学理論の世界は人の心を決まった法則に縛り付け易い。

 学校で、教科として理科や物理学を学ぶ。教えられた事を記憶し、その解釈法を学習して修得しなければならない。

 最近思う。物理学理論と自然世界の間には大きな断裂が深い溝となっていると。科学理論は経済競争の手段として、自然界を利用する視点での解釈法に取りまとめられたものだ。それが多くの『法則』となって人々の意識を縛り付けている。自然界を利用する共通の手段の統一化が図られた。それが物理学理論であり、多くの何々の法則だ。

 科学理論の法則とは何か?

 科学理論は自然世界の現象を利用する為に、人がその便利な利用法を共通理解の手段としてまとめた解釈法である。決して自然世界の真理を捉えたものではない。便利な解釈方法を述べただけである。それを信じれば、自然世界に抱く恐れや、恐怖から解放される安心感が得られると言う事もあろう。みんなと共通意識で繋がる安心感が得られる。

 科学理論の法則の欠格問題。

 それは、その法則の唱える内容を『何故か❓』と言う視点で考える事から、人の意識を遠ざける欠格問題を含んでいる事である。決して、『電荷』とは何か?『電子』とはどんな空間構造体か?等と殆ど人は疑問を抱いて、考える事をしない。

 〈問答〉の欠落した科学理論体系。

 理論:解釈法の羅列が科学理論体系となった。

 〈万有引力の法則〉:代表的法則だ。
 ニュートンが唱えた万有引力の法則。リンゴの落ちる現象を見てその解釈法に閃いて、法則を生み出したと言われている様だ。確かに重力加速度G[m/s²] が地球表面に在ると解釈すれば、殆どの運動の現象は実際の運動を正しく計算できるのだろう。しかしその「万有引力の法則」はどの様な法則かと言えば、自然世界に『質量』が有れば、他の『質量』との間にすべて引合う引力が存在すると言う解釈法を唱えたものだ。地球と月の間に、〈万有引力の法則〉を適用したとしても、地球も月もその『質量』が分からないから、その法則が正しいかどうかを検証はできないと思う。太陽の周りに地球が一定の規則で、公転し、更に地球が自転している物理的現象の意味を知りたいと思っても、〈万有引力の法則〉では理解することはできない。確かに〈万有引力〉で運動の意味を解釈できると思えば、何となく精神的な不安からより安心に居られるかも知れない。何も考えなくて済むから。そんな意味を、社会的安定化の意味を学術理論の権威は備えていると思う。

 『禪問答』がある。その究極の到達点の一つが、『色即是空 空即是色』であるのだろう。『質量』は『エネルギー』である。E = mc² [ J ] がある。その『エネルギー [J] 』が目の前にある事実を人は認識できない。光が『エネルギー』の空間分布構造体であることを認識できない。

 「クーロンの法則」、「アンペアの法則」は『電荷』に関する法則だ。その『電荷』概念を基にして、新しく『磁束』が自然世界に存在すると言う意味を生み出した解釈法だ。『電荷』と『磁束』の間の物理的意味を、その空間における物理的関係をどの様に解釈すれば良いか等と、『禪問答』は殆どしない。『何故か❓』とは問わないで済ます。

 光の屈折問題。何故光は伝播媒体間の境界で、その進行方向を変える『屈折』現象を起こすか?その解釈法にホイヘンスの原理がある。確かに光は境界面で屈折する現象の在ることは誰でも理解できる。ホイヘンスの原理の解釈法が唱えられたとしても、『何故か❓』と言う疑問には全く答えて居ない。それは一つの解釈便法でしかなく、何もその『屈折』の物理的現象に答えていないのだ。単なる解釈法を唱えただけでしかない。光を『エネルギー』光速度伝播現象と捉えない限り、プリズムの屈折現象の物理的意味など理解したとは言えない筈だ。科学技術は幾らでも精密なレンズを作り出し、高度の写真撮影技術は開発できる。光の空間像を理解しなくても。だから光が『振動』する物理的意味など無いにも拘らず、科学理論は『光の振動数』で高度な学術理論が展開される。教育では、『光の振動数』が重要な指導内容となって、子供達に記憶させる。『振動』する物理的実体など光には存在しないのだが、実験室での科学論的解釈法の共通手法に成っているからでしかない。『何故か❓』と疑問を持って、考える事は車座社会では邪魔者として排除され易いのだ。参考(#):プリズム問題で、ご迷惑を掛けたことお詫びしたい。所属が無いことで、大切な内容であったが、発表を故意に欠席した。気持ちに整理が出来ずの所業で、関係者に御迷惑をお掛けしてしまった。他にも多くの発表を無断で欠席し、御迷惑をお掛け致した。しかし内容は全て貴重なものである。

 しかし、科学法則は社会的共通解釈法の世界の構築によって、科学論の専門家の集団体制には大切な事なのだ。

 (#) 金澤:28aYE-2 プリズムと光量子の分散 日本物理学会、第64回年次大会。64-1-2. p.405.(2009).

 

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

電気とは何か?

(2024/o4/09).

 『電気』と言う用語の意味が説明出来ない。電気は多く使われている。しかし電気とは何か?と誰かに尋ねても、殆どの人が答えられないだろう。例えば、失礼かも知れないが、現代物理学理論の専門家も答えられないだろう。一応それなりの現代物理学の常識的解釈でお話されるだろうが、多分それも曖昧な答えではなかろうか。

 電気の正体❓ 電気工学、電気物理、摩擦電気、静電気、更に、電子、電荷、電流、電圧等と多くに関係した分野で『電』の文字が付く用語が使われている。専門家であれば、やはり原子や電子周回軌道の構造更に原子核の陽子、中性子など、理解しようもない原理から解かれるだろう。でもいくら聞いても、ただそうですかと頷く以外外なく、理解には至らない。

 そんな電子が原子の周りを回っている等と言う『電荷』のクーロンの法則に縛られた原子構造を納得しろと言われても無理だ。何で原子周期表が『八』の周期性であるかも論理的説明が為されない。原子が何故結合するかも論理的解釈が示されていない。共有結合はクーロンの法則の電荷を否定しなければ、説けない論理だ。原子結合は八表面体の120度軸のマグネット結合(Axial energy flow)しか無かろう。

 最も大切な『エネルギー』と言う物理量が現代物理学理論では認識されていない。今も、マックスウエル電磁場方程式の空間伝播像を頭に描いても、矛盾だらけで、理解などできないし、その式の論理性等信じる事など出来ない。それでも大学の理学部では、電気磁気学理論で、その偏微分方程式が解説されているのだろうが、無意味な授業だ。光の光速度伝播現象を電界と磁界で解説する愚かな事になる筈だ。

 電気とエネルギー。発電技術は殆どボイラーあるいは原子炉で水を加熱して水蒸気の気体圧力エネルギーでタービンの歯車の機械的回転動力エネルギーに変換し、更に発電機で電気エネルギーに変換して、送電線路の電線路の空気空間の内を電気エネルギーを伝送している。

 発電所から送り出される電気エネルギーも、初めは燃料の燃焼などの『熱エネルギー』から始まる。その次にタービンの羽根を回す機械の『回転動力エネルギー』の軸空間の伝送エネルギーに変換される。その回転軸エネルギーの流れは発電機に掛かる負荷側からの反抗力に逆らった回転動力エネルギーが電線路空間に『電気エネルギー』となって送電されるのだ。『電気エネルギー』は電線路空間を流れるエネルギーなのだ。決して『電子』などお出まし頂く余地は無いのだ。
 発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/28)  の図だ。科学技術では、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道線路での蒸気機関車が力強い牽引力の雄姿を見せてきた。発電所も蒸気機関車もそこに『エネルギー』と言う物理量が実在している意味を御理解頂かなければ、物理学理論など幾ら『電子』で解説しようとも、自然の前では絵に描いたお餅でしかない。誰もが日常生活で、『エネルギー』を使いながら生活をしている。しかし学術理論の物理学に、『エネルギー』の意味が認識されていない現実は異様な世界と言わなければならない。理論が空中分解している。

 『エネルギー』を物理学理論の中心に据えるか、『電子』と言う自然世界に実在しない『電荷』概念に御縋りするかが科学者に問われているのだ。

 

電力p=vi [W] の哲学

(2024/04/04).

 物理学理論での電子概念が電気回路の世界に論理的混乱を蔓延させた。

 大学の理学部でこんな電子概念に論拠を置いた物理学を教育している現状が信じられない。

 それは只過去の古い伝統的、歴史的解釈手法に依存した考えない権威の牙城を守っているだけでしかない。

 「自然を観ないようにして居る」と言う物理学者のお言葉を聞いた事が有る。それは正しく、伝統的学説を守り、その学説を否定する現象は受け付けないようにしていると言う事だ。

 昔、『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う概念で電力系統の解釈論を展開した事がある。電力技術者にとっては『電圧』と『電流』は欠く事の出来ない基本的論拠概念である。しかし、筆者を含めてその『電圧』や『電流』がどの様な物理的意味であるかを説明出来ない科学理論の専門家集団群の中に居たのだ。決して『電圧』の単位ボルト[V]が、『電流』の単位アンペア[A]がどの様な物理量を意味したものであるかを解説できなかったのだ。電気回路では、その電磁気現象は全て光速度流の原理の基に在るのだ。決して『電子』や『電荷』がその光速度流の電磁気現象の解釈論拠概念となど成り得ないのだ。

 筆者は、1987(昭和62)年4月『静電界は磁界を伴う』と言う実験による『電荷』概念否定の発表をした。それは世界の権威ある物理学理論の根底を否定する無謀な発表であった筈だ。当時は中曽根臨時教育審議会の教育公務員としての資格のない(公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していなかったとの疑い?)組織職員として邪魔な存在が故の抹殺対象として選ばれて、社会的事件のど真ん中で、教育の政治的中立性から見て論外な政治的事件であったと今は理解できる、そんな中で踊らされていたようだった。そんな中での愚かなる考えでの抵抗の結果が、「不可解」と言う闇に彷徨う結果の己の存在の意味を探る旅に、1988(昭和63)年末に旅立ちをした。あれから延べ36年程経過した。

 今、結局分かった政治的意味は1945(昭和20)年終戦時に、
舞鶴鎮守府のー
 (1939年12月1日故郷から強制的に舞鶴鎮守府へ『戸籍転籍』の行政処置がなされて、1941年には長野県栄村志久見の日本発送電株式会社の社宅に母と妹と筆者の3人で住む、父は既に舞鶴鎮守府に9月に召集されて離れて居た。しかも、その頃10月には既に父は巡洋艦「香取丸」の在役艦となっていた。その年の太平洋戦争突入の8日を過ぎた12月19日家族は「香取丸」に戸籍が移動された。1944(昭和19)年2月11日頃、香取丸は被弾沈没、3月31日香取丸船籍除籍となった。『戸籍』の行へは不明のまま消えた❓)
ー京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅に家族4人で住んで居た。その時から現在までの筆者の身分は何であったのか❓市民権の対象ではなかったか❓と言う事の政治的問題と認識している。

 電力の電気回路における物理的意味は如何なるか❓
 何故電圧と電流の積で電力が評価できるのか?電力の単位ワット[W]とはどの様な意味かと言う極めて基礎的な物理的意味を問うのである。決して『電子』などと言う仮想概念では解説できない筈なのだ。現代物理学理論では、科学技術理論としての電圧と電流の積と言う計算で算定される電力の物理学的意味が説明できない筈なのだ。その意味、訳を物理学者が真摯に考えられるかを問うのである。筆者の研究者としての働き方改革の、研究室の無い天下の野ざらしの研究の実績が認められた上で初めて未来に繋がるのではないかと思う。現状は筆者への政治的虐待だ❣ 研究室など、身分等どうでも良い。
 子供達への理科教育内容の構築を如何にすべきかが問われている筈だ。全ての科学者の社会的責任として!!
 
 電力の意味を問う。全ての物理学に関わる研究者、教育者に、科学研究に携わる科学者に問う。

〈問〉 電力の単位ワット[W] の意味の物理現象をどの様に解釈しますか。

 電気回路で、その信号は1秒間に地球七回り半する。それは光速度の意味だ。
電力p[W]=[J/s] は1秒間のエネルギー量の消費を表現した単位だ。そのエネルギー量とはどの様な物理量だと理解していますか?どの様に空間に存在する物理量と解釈、理解していますか。それが光速度で伝送されるのだ。その『エネルギー』は空間を伝送されるのだ。それは空間に実在する物理量だ。

古い記事、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) がある。

純粋・自然の実相

(2024/03/31).


 自然現象は極めて『純粋』であるとの認識に至った。その意味を表現してみた。空間に流れる『エネルギー』には光のように、空間的寸法も無限に細分化される。素粒子なる概念も『エネルギー』によって構成されるものと解釈する。

 長く電気回路現象の物理的意味を考えて来た。特にこのブログ記事として投稿しながら、自己問答を繰り返してきた。学術機関では何処か不可解な自己に気付いて、研究室が無いことから、雲水の様な天下での研究に費やした。終戦時(1945年)に舞鶴鎮守府、溝尻海軍住宅で迎えた意味はどの様な身分であったかと考えた時、社会的な存在が❓❓筆者の過去の職歴、所属歴及び「退職、免職など」極めて不可解に気付かずに過ごしてきた。市民権で、長く選挙権も無く、投票の権利が無かった意味まで、行政としては理由を明らかに示して欲しい。

 漸く、電気回路現象の物理学的理論が極めて曖昧で、子供達の教育内容として不適切であるとの確信に至った。
 現在の教科書の内容は、科学技術による経済競争の視点から見れば、それなりの教育上の成果を収めて来た。しかし今、ハッキリした事は、『電荷』なる解釈用の概念が論理的には全くの間違いであったのだ。
 如何にこれからの子供達に対する物理学教育を整えるかは、科学理論としての根幹から立て直さなければならないところに在るのだ。理論物理学者が如何に『電荷』なる概念を、その物理的意味を子供達が分かるように解説できるかに掛かっている社会的責任と思う。世界に問うのはその一点だ。

 そのような科学理論の意義を問う題材として、全ての人に考えて頂きたい高周波伝送回路現象での『定在波』の物理現象を提起したい。

 筆者が初めて、研究報告として1967年、新潟県工業教育紀要に投稿した、
 金沢喜平(何故か『沢』だ):分布定数線路実習に対する考察、新潟県工業教育紀要、第3号(昭和42年)の内容に関するものになる(新潟県立図書館所蔵)。
 
 その関係で、エネルギー流と定在波 (2021/02/27) がある。
この内容で、『定在波』が発生する物理現象を如何に解釈するかを問うのだ。決して電気回路で『電子』が導線内を流れる等と言う解釈論では、この『定在波』の発生理由を理解できない筈だ。
 
 『回路定数L[H/m]、C[F/m]に対する訂正』。ここで過去の記事に対する訂正をさせて頂きます。電気回路の『エネルギー』伝播空間構造係数を k として、
    L= μ₀k [H/m], C= ε₀/k [F/m]
 と訂正させて頂きます。ただし、μ₀およびε₀は真空空間の透磁率および誘電率とする。

 
 電気回路での電気物理現象は、電線路空間の『エネルギー』の光速度流である。こんな単純な電気物理現象が、過去の長い科学技術的解釈概念の多くによって、特有な理論で構築されてきたのだ。電流[A=(C/s)] あるいは電圧[V=(C/F)]などと電荷量[C(クーロン)]によって解釈、定義されてきた。それは誤りであった。
 

津波の物理

 日本列島は地震災害が多い。とても恐ろしい。能登半島の皆様には、一日も早く困難を乗り越えて、平安が取り戻せることを願います。

 津波の意味、物理的現象を最初に考えたのは、奥尻島での津波を知った時のように思う。到来した波が22m程の高さまで達したように覚えている。しかし、その意味は波の高さという意味では解釈できない『圧力エネルギー』として少しも不思議でない当然の物理現象と思う。津波が到達する上昇高さは、波の高さと言う表現では当てはまらない物理現象と思う。それも物理学の問題の筈だ。理科教育の基本的問題と思う。普通の水面波の解釈で、物理学理論の解釈に矛盾が有るからであろう。水面を伝播する『圧力エネルギー』の認識が無い問題だ。

 波による災害には、津波と高潮。強風、気圧降下などで海面が高まり海水が海岸に打ち寄せる波は高潮と言う。恐ろしいのは、「津波」だ。海底の地震などで、急に陸地を襲う高い波が『津波』と言う。と辞書に説明がある。
 『津』の漢字を調べてみた。結構古い字形は難しい文字だ。『津』とは①船着き場。港。②渡し場。③人の集まる所。の事を言うと辞書にある。そこに災害をもたらす波を『津波』と言うようだ。

 その後、2004(平成16)年10月23日に中越地震で身近な経験をした。その年の暮れ12月26日にスマトラ島沖での巨大な津波に因った被害が生じた。その時のテレビ映像で、海面が遠くまで引き、海水の引けた海底に魚が跳ねていた。その後途轍もない津波が襲ってきたのを見た。

 また、2011年3月11日に東日本大災害の地震が基で津波による災害に襲われた。その後、素人乍らの解釈を述べてきた。その訳は、専門家が唱える津波の解説が自分には納得が出来ないからだ。その中で、大津波の発生原因を探る (2011/04/18) がスマトラ島沖津波の海底亀裂写真。更に、東日本大震災に関する海底亀裂で、地震とは何か (2011/10/20)  も記事にした。また、地震・津波発生の原因 (2014/06/15) にも深海5351mの海底亀裂。

 これらの海底亀裂の映像などを見て思えば、それ以外に巨大津波の原因は考えられない。しかし、気象庁やその他の専門家の解釈は、地殻の滑り込みの重なり部で、歪の蓄積による跳ね上がりが原因のような解釈が主流になっているように思えるが、とても納得できるものではない。

 この度の能登地震を切っ掛けとして、再び疑問が浮かんだ。今までの自分の解釈でも、津波の物理的状況を説明できていないと感じた。そこから再び、考えた。自分の解釈で、何が間違っていたかと言うと、海水面上を伝播する津波の階段状の衝撃波で、その波は海水の流れを伴って居ない。ただ海面が高く立ち上がるだけである。右図に示す。決して津波は高く跳ね上がるような波ではない。図のように海洋を伝播して海岸に到達する津波の波形は階段状の衝撃波である。

 それでは、海岸に到達した時、津波として海水が上陸して流れ込み、大災害を引き起こす。その水は何処から大量に流れ込むことになるのかと、その海水が海岸に流れ込む訳だが、その水はどの様に流れるのか?流入の原因は何かと、今までの自分の解釈、階段波の水の圧力波では説明できないことに気付いた。海水面の階段波は、水が流れる訳ではないのだ。図の船は高く押し上げられるが、決して陸側に流される事は無い。津波が到達する前の、引き波では船も海水と一緒に流される。

 やっと津波現象の本質に思い至った。先ず、深海に生じる海底亀裂が第一の原因である。その解釈は初めから筆者は感覚的に感じていた。海底亀裂は、意外に海底の平坦な地形の処に発生するように、海底亀裂の写真映像から思う。その亀裂は、人力では考えられない現象として地球の活動で生じる。地震の海底の地盤深くの崩落による震源により、海底に亀裂を生じる。その亀裂は殆ど真空に近い空間を生じる。その海底の空間の水の保有する『圧力エネルギー』は相当の大きなジュール[J]量である。
 その亀裂に向かって、周辺から海水がどの様に流れ込むか?
その亀裂空間に向かって、海底の周辺から海水が急激な衝撃波として流れ込む。元々その流れ込む海水も大きな圧力エネルギーを持っているから、海底の海水に馴染む。海底の周辺から流れが生じると、水は全体が繋がった慣性になって、その流れの波が周辺に及び遠くからの海水を引き込む現象として伝播する。と同時に、震源のその亀裂部は海水の流れ込みで水圧が高まり、今度は周辺に拡散する海底水流を引き起こす。水圧エネルギーの大きな海底水流は何処までも海底の広がりとしての水流となって広がって行く。その先端が伝播する水流となって、海水面上の階段波の津波として、海水面に上昇波形が表面を伝播する。海水面の水は全く流れず、ただ波頭部が高く立ち上がった波形として広がり、伝播して行く。津波も、普通の水面波と同じく海水面では海水は流れない。しかしその海底部は地震の震源からの海水の流れとして、海水が陸に向かって流れているのだ。その水が津波として、陸に上陸する災害の原因である。巨大津波は、海底亀裂に向かう周辺からの流れ込みを生じる場合が多い筈だ。それが「引き波」と言う津波前の海岸部に生じる海底が現れる原因でもある。
 しかし、地震と津波の関係は、今回の能登半島の場合のように、ここで述べたような海底亀裂でない、複雑な海底地形の変動によっても津波は発生する場合もあろう。海水は一体の繋がった慣性体でもあるから。広く海底の変動が海水の流れを生み出すだろう。その場合は、巨大津波とはならない場合が多かろう。高飛び込みの水泳競技で、全く波を立てない高技術を見る。水の慣性を思う。水泳などで、水の一体としての慣性体としての感覚を知る。

光エネルギー流と空間特性

(2024/02/27).

 最近、特に物理学が子供達、高校生や大学生で科目として学習するに人気が無いらしい。それはとても残念な事だ。その訳は、子供達が感覚的にその教科内容に違和感を感じるからではないかと思う。

前の記事で、
 『電圧』とは

〇 電気回路空間へエネルギー [J] を供給する能力を評価した電気技術概念である。
〇 電気エネルギー供給源即ち電源の能力によってその接続電気回路空間に即応したエネルギー供給状態を整える能力評価概念。

とした。

 それは、物理学理論が空間を流れる『エネルギー』を認識していないところに、『電圧』と言う電気用語の意味が正しく認識できていないところに在るからだ。

 この様な単純な科学技術量・概念さえ曖昧な認識にある。『電圧』を『電荷』によって解釈しようとすれば、其れでは結局曖昧な、感覚的に納得しかねる解説を記憶する苦痛を子供達に強いることになる。

 子供達に、自然世界の神秘に感動する経験を与えて欲しい。それは実験室や研究室での観察、計測と異なる、自然の感覚的な経験によって受け取る現象を基に深めて欲しい。それを光のエネルギーの物理的意味に求めて欲しい。

 日向ぼっこ。日光浴の実感を物理現象としてどの様に解釈するか?そんな日常生活の中での経験を、物理的な現象として考えて欲しい。

 日光に全身を晒して、太陽からの光を受ける。その時、身体がポカポカと暖かくなるだろう。その暖かくなると言う物理的現象の意味をどの様に理解するか?それは光・太陽光線によって齎された物理的現象の結果である。
〈問〉その訳を説明してください。
 この回答には、光と熱の関係で、その物理的意味が理解できなければならない筈だ。即ち、光とは何か?の問題だから。

 上の「日向ぼっこ」で、光が『空間エネルギー』の流れであるという意味を知らなければならない。決して科学的実験ではその意味は分からないだろう。光の振動数が幾らだとか、粒子性と波動性を兼ね備えている等と言っても、殆ど、光の実体は分からないのじゃなかろうか。

 『答』 光は空間エネルギー流である。空間を流れるエネルギー [J] の密度分布波である。日光に当たるとは、衣服を通して光のエネルギーを吸収する事だ。そのエネルギーの時間積分で衣服の中にエネルギーが溜まり熱エネルギーとなる。その熱エネルギーの輻射として皮膚から身体に入り込むからだ。

 上の例は光のエネルギーがどの様な物理量か、その空間像をどの様に捉えれば良いかを熱エネルギーへの変換現象を通して、光の意味を考えて欲しくて取り上げた。

 その物理現象は、光エネルギーの流れる空間によって決まる。その空間の科学技術的解釈の基本がある。それは物理量の概念を決める基礎として、『真空透磁率』μ₀ = 4π×10^-7^ [H/m] が決められた。

 その 自由空間の特性は右のように表せる。何も無い空間が、その単位長さ ( 1[m] )当たり、電気回路の静電容量 C[F/m] とインダクタンス L[H/m] と同じ特性で捉えられる。真空空間の誘電率も ε₀ = 1/36π ×10^-9^ [F/m] と決められた。光のエネルギーの流れに対するインピーダンスは空間の特性インピーダンス Zo =120π [Ω]である。光エネルギーの流速、即ち光速度は  co=1/√( μ₀ε₀ ) =3×10⁸ [m/s] となる。なお、電気回路との関係で、光の伝播特性は負荷抵抗が常に整合、α=1の状態にあると見做せる。

 これらの空間の特性が光に対する伝播特性を決める事となる。その事が、電気回路に於ける電気現象が光伝播特性と同じ意味であると解って欲しい。決して『電子』が導線の中を流れる等と言う事はなく、その解釈は無意味な間違い解釈であるのだ。

 光のエネルギーの空間像はどの様な科学実験でも観測できるものではなかろう。観測できない光の空間像を示すとなれば、それは自然現象の多くの具体的姿を感覚的に捉えて、統合的に解釈する以外なかろう。 その表現法の一つを右図に示す。光のエネルギーの空間像をどの様に捉えるかは、科学的実験で観測できるもので無いから、どう説明すれば良いかは分からない。光の空間構造の捉え方は様々であろうが、筆者の解釈は、光量子空間像(D線)がその例だ。

『電圧』その物理的意味

(2024/02/22).

 前の記事で言い過ぎたかと反省している。

 『電圧』の物理的意味が、どの物理学者も答えられない不可解な状態に在るのだ。等と反感を買う恐れ多い事を印した。しかし、その意味は『電荷』が『電圧』の物理的原因だと考える限りでは、『電圧』の物理的意味を理解していないと言わなければならない。そこで、『電荷』と言う物理量の意味不明を問題にしたい。

 『電荷』とは何か?
 『電圧』という意味を解釈するには、先ず『電荷』と言う伝統的基礎概念の物理的意味をハッキリさせなければならない。電気磁気学と言う物理学理論の一つの基幹分野がある。その物理学理論の基幹概念が『電荷』であろう。その『電荷』の物理学的意味を明らかにしなければ、『電圧』という科学技術用語・概念の意味も明らかにはできないと思う。
 誰もが何時でも何処でも、『正電荷』『負電荷』と言う物理量が思い通りに、いとも簡単に発生・消滅するような解釈を展開できる。しかし筆者には『正電荷』という意味が解らないのだ。電気回路でコンデンサと言えば、『正電荷』と『負電荷』がそこに貯蔵されると言う。然し『正電荷』は物理学では、原子核の『陽子』しか持っていない筈だ。その『陽子』は正の電荷と質量から成り立つ素粒子のようだ。他に物理学理論では『正電荷』を保有した物理的実在は無いと考える。従って、電気回路のコンデンサの正電極側に現れる『正電荷』とは一体陽子関係以外何が考えられるのだろうか。『陽子』の質量が身に纏った衣類の様な物が『正電荷』かと考えざるを得ない。更に、『負電荷』も同じことで、『電子』の質量が身に纏ったものが『負電荷』で、それがコンデンサの負電極側に現れる『負電荷』の意味かと考えざるを得ないのだ。こんな余りにも素人的な疑問が、本当はとても重要な意味を持っている筈なんだ。高度な科学論での学術論は、その専門家しか理解できない様な専門用語の羅列で論理が展開される。そのような専門的科学論では、『電荷』がどの様な物理的実体かは全く疑問も持たれずに、その存在は至極当たり前のものとして共通に理解されている。筆者は50年も前に「アンペア―の法則」に疑念を持ち、1987年春には『静電界は磁界を伴う』で『電荷』の物理概念に疑いの発表をした。その夏には遂に『電流』概念の矛盾に気付いた。その後、様々な視点から多くの物理学理論の解釈論と自分の感覚的認識との間のズレを対象に思考を重ねて来た。自然現象の統合的論理性を求めた時、マグネットの電磁力の解釈で Axial energy flow と言う磁場解釈がその要であるとの認識に至った。磁束の物理学的無意味さが決定的な認識の方向性に道を開いてきた。全てが『エネルギー』の流れと言う単純な空間像から、科学実験では計測も、認識もできない意味を知った。現在は、完全に『電荷』が物理学理論の混迷概念の基となっているとの認識にある。

 電気回路現象で重要な事は、電線路の空間を伝送する主役は『エネルギー』である。決して『電荷』や『電子』などは無意味な物理概念である。

 さて、『電荷』概念の矛盾を述べたので、漸く『電圧』の物理的意味を述べることが出来る。『電圧』は『電荷』等では解釈できない概念なのだ。『電流』も『電荷』の流れ等ではない。物理現象として重要な事は『エネルギー』は空間でその本領を発揮すると言う事だ。
 電気回路の『エネルギー』伝送機能を正しく認識するには、電線路の導体で挟まれた空間がその舞台になるのだ。決して導体の中を『電子』など流れないのだ。そもそも自然界に『電荷』等と言う物理量は存在しないのだから、他に何がとなれば『エネルギー』以外無いのだ。今回は、そんな事から電気回路の物理現象の意味を『電圧』という意味を取り上げて、解説しようと思った。

 電気エネルギーも電波のエネルギーも光のエネルギーも基本的には空気や絶縁体空間を流れるのだ。その流れ方を規定するのが、電気技術理論での『静電容量 C
[F] 』と『誘導特性 L[H] 』である。

 その回路定数と電気回路の物理的状態の関係を理解して欲しい。この回路は電線路の回路特性 (2021/08/11)で取り上げた回路である。
 この回路は『電圧』の物理的意味を考えるに役立つ。回路は極めて単純である。直流回路で、電源電圧が電圧値Vである。電気回路が図のように、(A)部と(B)部からなる。負荷は抵抗である。(A)部と(B)部の導体の太さ d や線間間隔 D が違うだけだ。当然この回路の何処で『電圧』を計っても同じ値 V である。しかし(A)部と(B)部では物理的状態は異なるのだ。それは電気回路の回路空間などが違うことで、回路特性が異なる為に生じるのだ。回路の静電容量 C[F] はどの様な機能を持つか。また、インダクタンス L[H] はどの様な機能の定数か。

 C[F] と L[H] の機能。
 静電容量と言うC[F]はその空間に『エネルギー』をどの程度貯蔵するかを評価する電気技術的概念量である。この用語の表現に静電と言う言葉が使われている。静電という意味は正と負の『電荷』が対峙した、その間の空間の状態を言うように学習させられている『静的空間』と関係した『静電荷』との連想に繋がる。しかし、コンデンサは『電荷』等を貯める機能ではないと認識を改めなければならない。

 次に、インダクタンスと言う L[H] はその空間の『エネルギー』の流れる速さを制限する機能要素と考えたら良いだろう。
 回路の空間には、C[F] によってエネルギーの分布量を決める特性がある。その回路空間のエネルギー分布量に対して、L[H] によって時間的なエネルギーの通過量を決めることになる。負荷の値に関わらず、線路空間に分布するエネルギー量が決まり、そのエネルギーの流れ方が決まる。静電容量とインダクタンスの回路定数で、その電気回路空間の『エネルギー』の伝送特性が決まる。

 電気回路の『エネルギー』の伝送速度は回路定数が決める。

 伝送・通過時間は T = √(CL) [s]
となる。

 電線路単位長さ当たりの回路定数が、 C[F/m] , L[H/m] とすれば、

 『エネルギー』の伝送速度は c= 1/√ (LC) [m/s]
となる。

『電圧』の意味を纏めれば、次のように言えよう。

 

温度の物理概念

  28aEB-10 温度とは何か 日本物理学会 第66回年次大会 (2011).に取り挙げた問題であった。
 新潟大会で期待していたが、残念ながら東日本大災害で中止となった。その大会には不思議にも、筆者の標題と全く同じ表題の投稿があった。

 誠に単純な『温度とは何か』を問う、物理学の問題である。

 『電荷』概念と同じく、『温度』の概念も理論物理学の基礎概念でありながら、極めて意味不明な解釈が採られている事項である。その解釈論は、気体分子運動論が後生大事に教育されているようだった。即ち、気体分子の速度エネルギーが温度を決めるような認識が教育されている。とても意味不明で筆者には理解出来ない大学の御講義内容に思えた。

 運動エネルギーが何故『温度』になるか? そこには熱エネルギーと言う意味が筆者の解釈とは異なり、『何』を温度計で測定するのか理解できないのだ。少なくとも『熱エネルギー』と言う空間に分布する物理量ではないようだ。

 それは核融合反応でも基礎概念に於いては、同じような意味に思える。

 ここでは、御高尚な学術論には及びも付かないが、卑近な日常生活からの自然観察眼での解釈を述べたい。

 例に『ホッカイロ』を具体例に取り挙げて論じたい。右がそのホッカイロだ。中味は良く知らないが、鉄の酸化反応を利用しているらしい。身体に貼るホッカイロと貼らないホッカイロがある。最近貼らないホッカイロを使ってみた。とても不思議に、それを布団の中に入れて睡眠、するとその発熱体の放射熱は信じられない程強烈なのだ。小さな10㎝程の袋なのに湯たんぽを抱いて寝るに等しい保温器なのだ。

 さて、何を論じたいかと言うとホッカイロの温度をどの様に解釈するかと言う事だ。まさかホッカイロの素材・鉄分が酸素を取り込んで、美味しいと興奮して、振動や運動し始める訳ではなかろう。振動や運動速度(?)に依っても温度にはどう考えても成りそうもない。『温度』は温度計で測定する。温度計が何を測定するかを考えれば、物理学者の御講義の様な『運動エネルギー』や『振動エネルギー』には『温度』の意味が繋がるような解釈は産まれない筈だ。温度計に発熱体からの放射エネルギー、所謂輻射熱と言う空間を流れる『熱エネルギー』が入射する結果、その定常入射エネルギーの時間当たりの強さを評価する量的解釈法を技術として完成したのが温度計の測定法である。ただそれだけの単純な解釈で『温度』の意味を捉える。複雑な振動や運動は、『温度』には全くの無意味なものである。

『静電界は磁界を伴う』の物理的意味

 電気磁気学の理論は電荷概念がその基礎的論拠となって構築された。その理論はマックスウエル電磁場方程式にその完成されたとも観える。しかし、その時点では電子の概念は無く、電界と磁界の直交する電磁波の光速度伝播現象の偏微分方程式としての解釈であったのだろう。実際の電波伝播の実験的検証もヘルツの実験まで待たなければならなかった。電子概念も、J.J.Thomson 以降になって認識された事であった。19世紀末以降に、本格的な電磁気学が完成したのであろう。

 さて、現在の電気磁気学理論の常識は電界と磁界との二つの直交した空間概念によって解釈することになる。基本的に電界と磁界は、その空間での発生原因は異なるものと認識されている。電界は電荷により、磁界は電流(電荷の流れ)によって生じると解釈されている。その特徴的な意味で、静電界という空間概念が在る。この静電界は、正の電荷と負の電荷が静的状態で空間に向かい合った状態にある時の、その間の空間の電界強度が一定の変化のない、静的状態にある意味を捉えた概念である。勿論その空間には磁界は存在しない。電荷の変化が無いから電流による磁界は存在しない。この意味は電荷が実在するとの基本認識によって決まる論理である。所謂、電気と磁気とは基本的に異なる現象である、という意味になる。

 しかし、『静電界は磁界を伴う』は、電荷が動かなくても磁界が電界には伴って存在する。という意味である。即ち、電界と磁界は必ずその場に一緒に存在する。という意味である。電界と言えばそれは磁界を伴い、磁界と言えばそれは同時に電界を伴うという意味である。即ち電界と磁界は必ず同時にその空間に有るという意味である。静止電磁界であろうと変動電磁界であろうと、電界と磁界は必ず二つが共に存在するという意味である。その意味は、電界と磁界と言う概念で分け隔てることはできないという意味である。

 それは電気磁気学概念の完全なる理論的意味の否定である。それは電荷による空間電界も電荷の流れと言う電流による磁界も、そんな概念は間違いであるという意味である。即ち電気磁気学の根本が矛盾の理論で間違いであると言う表明である。

 電気磁気学はその理論が、厳密な論理で解釈すれば、全く表現できない『不立文字』の世界の内容なのだと言う事を述べている。

 その自然世界の真相はただエネルギーの存在する空間でしかないという意味だ。そのエネルギーが見えないし、実験的に測定もできないから、仮想的に人間が電荷で解釈した、その電気磁気学でしかないのだ。当然の事に、アインシュタインの電磁場方程式に基づく特殊相対性理論もその誤解の解釈論でしかないのだ。

 残念ながら、大学の理学部でどの様に講義をしようとその空間に実在する『エネルギー』の意味を捉えて、その現代電気磁気学での解釈法を論じない限りは、自然世界の真実を理解させる講義には成らないのだ。

 その意味を、古い解説として残してあった。それが『静電界は磁界を伴う』の解説である。

 結論は、電荷概念に因る電界や電流による磁界が結局電気磁気学と言う専門的解釈用の理論でしかなく、自然世界を理解・認識する科学的理論としての意味は余りない学問でしか無いのだと言う事である。専門家の皆様には🙇ね。『電荷』は破棄すべき偽概念だ。