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慣性座標系の意味不明

(2024/05/10).

『慣性座標系』と言う用語を使ったこと反省する。自分の書いた 32『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質-(電気学会、1987年4月、発表)にも慣性座標系と言う用語を使っていた。後日その資料に、「この慣性座標系と言う曖昧用語の使用は間違いであった。」と反省が記されていた。他にも、その中で数式に間違いもあって、誠にお恥かしい。ただ、この実験結果の報告は電磁場方程式の解釈が主ではなく、所謂コンデンサなどの内部に掛かる静電界に対して、そこに在る筈のない『磁界』が存在する事が最大の報告内容であった。しかし、その後の歳月37年を考えると、伝統的電磁界解釈理論と異なる、あるいは否定する結果を観ないようにするのが通例の科学界の通例なのであろう。それは又、マックスウエルの電磁場方程式それ自身が、無意味な横波解釈式である事の証明でもあった筈だ。それは結果的に、『電界』と『磁界』さえ空間を流れる『エネルギー』の密度分布波の、一つの解釈概念でしか無かった事だったのだ。直流の電気回路の電線路間の空間を光速度で伝播する『エネルギー』の伝送現象と、電波の自由空間の伝播現象と特別異なるものではないのだ。デジタルパルス信号波の『エネルギー』波をどの様なマックスウエル電磁場方程式で解釈するか?正弦波だけで、広く統合した論理性を考えないでは理学理論が教育で笑われてしまう。

ベクトル式で表現すれば、空間分布エネルギー密度δ[J/m]、電波光速度ベクトル
co [m/s] とすれば、
δ co
の光速度伝播現象の電力波 [J/s]となるだけでしかない。

『慣性座標系』に思う。

『慣性座標系』に思う。アインシュタイン選集 3 (共立出版K.K.)にも、P.271. 相対性理論とは? のp.273. に ・・力学において許される”座標系”は”慣性系”という名でよばれている。・・から始まって、幾ら読んでも理解できない曖昧な論述が続いている。この3巻は、論文とは異なるアインシュタインの様々な、講演や記事が纏められた巻である。筆者も、アインシュタインの論文の訳文ではあるが、同選集の1の p.19.に、[A] 運動している物体の電気力学について がある。それが所謂『特殊相対性理論』と呼ばれている論文のようだ。しかし、アインシュタインは『相対性原理』とか『相対性理論』とかの用語を使っている。誰が『特殊相対性理論』と呼ぶようになったか不明に思える。しかし、この論文を読む限りから判断すると、電気力学と言う表現を使っている点で、質量の運動力学と関連付けた認識で、様々な勝手な条件を付加して、極めて人の理解する困難さを織り交ぜて、独自の解釈を展開した論述に思える。その基には、マイケルソン・モーレーの実験の結果が予想に反していた事を念頭に置いたものであろうが、その事には一切触れていない所が誠に不可解な論文である。しかも、アインシュタインは全く電気磁気学についての『実験』を含めて、自身では「科学的な実験」を全く行っていない点が、筆者には理解できないことである。『慣性系』と言う用語自体も、運動力学の万有引力論の重力場の解釈からの単純な論から、独特の数学的論理を駆使しただけの論文に思える。中に、『エネルギー』と言う用語も使われているが、それがどの様な意味かは理解しかねるが。勿論光の空間エネルギー像など認識している筈もない。プランクの定数及び放射特性については知っていた筈だ。

兎に角、物理学理論全体が、アインシュタインの論文によってとても不可解な科学論の世界になったように思う。基礎概念のその物理的意味を自然世界の現実と照らし合わせて、その実像を矛盾の無い確信するまで考える事を放棄してしまった。特殊相対性理論からの一般相対性理論などが唱えられ、それとの関連での『重力波』がどの様な訳で発生するかなど全く論理性もない空想論の科学論の世界となった。ブラックホールが何処に存在すると言うのか❓

マックスウエル電磁場方程式の矛盾

(2024/04/08).

 電磁場方程式は大学理学部などの物理学理論の一つの分野として取り扱われる内容だろう。
 マックスウエル電磁場方程式。 James Clerk Maxwell (1831-1879) によって33歳の時、1864年に唱えられた方程式である。

 しかし残念ながら、その方程式の唱える内容は無意味なものとなり、矛盾に在る。

 過去にも何度かその方程式について問題を指摘していた。分かり易い、具体的な問題は、パラボラアンテナと正反射 (2013/03/06) がある。マックスウエル電磁場方程式の偏微分方程式の示す意味は、電磁波の伝播現象に対して、その光速度伝播の方向に対して、直交方向に『電界』、『磁界』および「変位電流」が空間に展開される絵図で解釈される。その絵図は現実に有り得ない電磁波模様だ。光速度伝播に対して、更に直交方向に現象が起こるとは、電磁波の時間的描像の合成速度は如何程と解釈すれば良いのか?そんな光速度を超えた波動の現象は、この自然世界に有り様が無いのだ。まさに魔術的瞑想理論と成る。それは、具体的にパラボラアンテナへの電磁波の縦波エネルギー波のアンテナ反射面での電界・磁界の物理的空間状態を考えれば、直ちに偏微分方程式が無意味な表現式であると分かる筈だ。電磁波は光速度縦進行のエネルギー密度分布波なのだ。光速度伝播という、それだけでマックスウエル電磁場方程式は時間的空間展開の無理な方程式なのだ。如何に光速度と言う自然世界の原則、その光速度で規定される絶対的原則の意義、その意義の深さを留意して考えなければならない筈だ。

 今回も、『電界』、『磁界』および「変位電流」について、光速度伝播現象としての『エネルギー』に着目して、その矛盾(電荷概念・変位電流)を再度伝えたい。マックスウエル電磁場方程式が空間エネルギーの光速度伝播現象から観れば、全く無意味な方程式である事を。

 『エネルギー』の空間分布波の光速度伝播現象の意味から考えて、『電界』とその方向に流れる『電荷』の移動『変位電流』が光速度伝播方向の直交方向に如何程の速度対応で可能と解釈できるのだろうか。どうも、偏微分と言う高等概念の数式に何か惑わされた解釈論の方程式に成っているようだ。『電磁エネルギー波』の光速度伝播と捉えれば、マックスウエル電磁場方程式など殆ど意味が無い筈なのだ。兎に角パラボラアンテナ表面に到達した電磁波の『電界』、『磁界』の空間ベクトルの金属表面での意味を考えれば分かる筈だ。金属導体面に垂直に入射する『エネルギー』分布縦波の垂直反射現象の『電界』、『磁界』の空間像を考えれば、『電界』、『磁界』など殆ど無意味なんだ。易しい空間の像を描いてみれば、方程式の無意味さが分かる筈だ。電気回路のオームの法則で、『電圧』や『電流』さえも、その単純な『エネルギー』の意味との関係が理解されていないのだ。

 残念なことは、科学者と言う専門的学識経験者は過去の学術理論をそのまま伝達する役割に終始しているとしか見えない。電気回路の空間を伝送する『エネルギー』の波と言う意識が無ければ、電気料金は何(❓)に⦅ 円 / [kWH=(J)] ⦆対して電気料金を支払っているかも考えないのか?素粒子、『電荷』とは何か?と疑問を持って欲しい。『エネルギー』を消費していると言う意識さえない事になる。

 電磁波も空間分布エネルギーの分布密度 w[J/m³] の光速度ベクトル co [m/s] での伝播現象でしかないのだ。

   wc₀ [J/(m² s) ]

 

 

電力p=vi [W] の哲学

(2024/04/04).

 物理学理論での電子概念が電気回路の世界に論理的混乱を蔓延させた。

 大学の理学部でこんな電子概念に論拠を置いた物理学を教育している現状が信じられない。

 それは只過去の古い伝統的、歴史的解釈手法に依存した考えない権威の牙城を守っているだけでしかない。

 「自然を観ないようにして居る」と言う物理学者のお言葉を聞いた事が有る。それは正しく、伝統的学説を守り、その学説を否定する現象は受け付けないようにしていると言う事だ。

 昔、『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う概念で電力系統の解釈論を展開した事がある。電力技術者にとっては『電圧』と『電流』は欠く事の出来ない基本的論拠概念である。しかし、筆者を含めてその『電圧』や『電流』がどの様な物理的意味であるかを説明出来ない科学理論の専門家集団群の中に居たのだ。決して『電圧』の単位ボルト[V]が、『電流』の単位アンペア[A]がどの様な物理量を意味したものであるかを解説できなかったのだ。電気回路では、その電磁気現象は全て光速度流の原理の基に在るのだ。決して『電子』や『電荷』がその光速度流の電磁気現象の解釈論拠概念となど成り得ないのだ。

 筆者は、1987(昭和62)年4月『静電界は磁界を伴う』と言う実験による『電荷』概念否定の発表をした。それは世界の権威ある物理学理論の根底を否定する無謀な発表であった筈だ。当時は中曽根臨時教育審議会の教育公務員としての資格のない(公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していなかったとの疑い?)組織職員として邪魔な存在が故の抹殺対象として選ばれて、社会的事件のど真ん中で、教育の政治的中立性から見て論外な政治的事件であったと今は理解できる、そんな中で踊らされていたようだった。そんな中での愚かなる考えでの抵抗の結果が、「不可解」と言う闇に彷徨う結果の己の存在の意味を探る旅に、1988(昭和63)年末に旅立ちをした。あれから延べ36年程経過した。

 今、結局分かった政治的意味は1945(昭和20)年終戦時に、
舞鶴鎮守府のー
 (1939年12月1日故郷から強制的に舞鶴鎮守府へ『戸籍転籍』の行政処置がなされて、1941年には長野県栄村志久見の日本発送電株式会社の社宅に母と妹と筆者の3人で住む、父は既に舞鶴鎮守府に9月に召集されて離れて居た。しかも、その頃10月には既に父は巡洋艦「香取丸」の在役艦となっていた。その年の太平洋戦争突入の8日を過ぎた12月19日家族は「香取丸」に戸籍が移動された。1944(昭和19)年2月11日頃、香取丸は被弾沈没、3月31日香取丸船籍除籍となった。『戸籍』の行へは不明のまま消えた❓)
ー京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅に家族4人で住んで居た。その時から現在までの筆者の身分は何であったのか❓市民権の対象ではなかったか❓と言う事の政治的問題と認識している。

 電力の電気回路における物理的意味は如何なるか❓
 何故電圧と電流の積で電力が評価できるのか?電力の単位ワット[W]とはどの様な意味かと言う極めて基礎的な物理的意味を問うのである。決して『電子』などと言う仮想概念では解説できない筈なのだ。現代物理学理論では、科学技術理論としての電圧と電流の積と言う計算で算定される電力の物理学的意味が説明できない筈なのだ。その意味、訳を物理学者が真摯に考えられるかを問うのである。筆者の研究者としての働き方改革の、研究室の無い天下の野ざらしの研究の実績が認められた上で初めて未来に繋がるのではないかと思う。現状は筆者への政治的虐待だ❣ 研究室など、身分等どうでも良い。
 子供達への理科教育内容の構築を如何にすべきかが問われている筈だ。全ての科学者の社会的責任として!!
 
 電力の意味を問う。全ての物理学に関わる研究者、教育者に、科学研究に携わる科学者に問う。

〈問〉 電力の単位ワット[W] の意味の物理現象をどの様に解釈しますか。

 電気回路で、その信号は1秒間に地球七回り半する。それは光速度の意味だ。
電力p[W]=[J/s] は1秒間のエネルギー量の消費を表現した単位だ。そのエネルギー量とはどの様な物理量だと理解していますか?どの様に空間に存在する物理量と解釈、理解していますか。それが光速度で伝送されるのだ。その『エネルギー』は空間を伝送されるのだ。それは空間に実在する物理量だ。

古い記事、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) がある。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電圧とエネルギー

 観えなくて測れない物理的実在量、それが空間の『エネルギー』。しかし、それは物理学理論の概念にはない。その空間像の象徴が『光』だ。光に因って物は見えてもその光およびその『エネルギー』は観えない。

 『エネルギー』とは不思議だ。誰もが言葉にするが、その姿を見る事が出来ない。物理学理論で『エネルギー』と言えば、運動エネルギーと位置エネルギーがその意味になる。その物理学理論の『エネルギー』は何となく見えるような気がするかも知れない。ボールが飛んで行けば、その速度で運動エネルギーを感覚的に理解できたように思う。しかし、その飛ぶボールを見ても、ボールが見えるだけで『エネルギー』などどこにも見えないし測れない。速度と質量から計算式で算定することはできるが。

 また、蓄電池は電気エネルギーを蓄えた電気製品だ。しかしその貯えたエネルギーを認識できない。どんな像であるかを理解できない。代わりに『電子』で代用して理論を作り上げる。しかしそこでも『エネルギー』を説明出来ない。

 貯蔵電気エネルギー。電気回路で『エネルギー』を貯蔵できる要素はコイルとコンデンサである。しかしその『エネルギー』を、その像を見る事はできない。また、抵抗も『エネルギー』を貯えない訳ではない。抵抗もその構造体の中に『エネルギー』を貯えるから、時間積分で温度が上昇する。だから『エネルギー』を貯えたことには間違いがない。しかし、電気回路にその『エネルギー』を再び戻す働きを持っていないのが抵抗体の不思議な機能である。

『エネルギー』

 エネルギー W[J] を青色で描いた。それが電気要素の空間に存在する『エネルギー』である。描いて示したと言っても、それは科学的な検証に耐える証明が出来ない。だから物理学理論の概念には成り得なかったのかも知れない。見ることの出来ない『エネルギー』を、その空間像だと言って描いても、物理学理論の概念として受け入れられる論理性もないし、実測できる保証がないから、絵に描いた「餅」と言われても当然のことである。その意味ではこの空間の『エネルギー』の概念認識が無い物理学理論を非難できないかも知れない。それでもこの空間の『エネルギー』を認識することが自然現象を理解するには欠かせない。何か「電荷」の実在を頭ごなしに押し付けるのと、空間の『エネルギー』を押し付けるのと何処か似ているかも知れない。それは電気回路の現象を多くの観点から、各人が確認しながら納得する以外ないのかも知れない。磁石の周りの空間の『エネルギー』の流れと同じことなんだろう。見えないものを在るとは強制的に押し付けるべきではないから。とは言っても、電気回路の動作現象を突き詰めれば総合的に『電荷』と『エネルギー』のどちらがより論理的で、矛盾なく理解できるかで結論は出よう。

電気理論による数式で表せば、

コイルのエネルギー     W =(1/2)L×i^2^ [J]           (1)

コンデンサのエネルギー  W = (1/2)C×v^2^ [J]         (2)

となる。このような数学的表現で纏められる意味はとても大きな科学技術の業績である。いくらコイルの中に『エネルギー』があると力説してみても、その量を計れないことを知れば、(1)式が如何に優れた技術的表式であるかを理解できよう。『電流』と言う技術概念とその測定技術が如何に優れたものであるかを。しかし電線導体の中を『電流』や『電子』などは流れていないことも知らなければならない。そこに科学技術と自然現象の真理との差を知る必要が有るのだ。『電子』での解説者は、そこに『エネルギー』の認識を解説する義務がある事もまた分かってほしい。

電気技術論によってこの数式で算定はできるが、決してコイルやコンデンサの中に蓄えられた『エネルギー』は観えないし、測れない。コイルの空間に『エネルギー』があると理解するためには、電気回路技術の多くの計算を通して、感覚的に認識することが大事だ。学んで、そこから深く理解するには、疑問を抱き分からない不思議に直面して、そこを乗り越えて感覚的に納得できるのだろう。『電流』が流れていないことを理解する迄には、長い難しい道を辿る必要があるかも知れない。

電圧は『エネルギー』の評価技術量。見えない『エネルギー』と電圧の関係を考えてみよう。不平衡の空間の『エネルギーギャップ』を電圧として解釈している。コイルとコンデンサの貯蔵エネルギーに対する、その端子電圧には特徴的な差がある。コイルの中の『エネルギー』量を外から推し量ることはできない。一定値の安定した『エネルギー』の貯蔵状態では、端子電圧は零になり、『エネルギー』の量を推し量れない。一方コンデンサの場合は、その貯蔵の『エネルギー』量は端子電圧に直接現れる。コイルもコンデンサも貯蔵する『エネルギー』に違いがある訳ではない。同じ『エネルギー』を貯蔵するのである。同じ『エネルギー』を貯蔵する、その金属導体によって作られる空間構造が違うだけだ。貯蔵するのは『電荷』でもなければ『磁束』でもない。それは見えない『エネルギー』なのである。

電圧 [V] の次元は [(J/F)^1/2^] 。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (2019/03/26) との関係での記事となる。

線路定数L[H/m]、 C[F/m]の『エネルギー』と端子電圧の関係を考える。線路容量Cに関わる『エネルギー』分布密度をw[J/m]とする。負荷のコイルとコンデンサの貯蔵エネルギーをW_L[J] W_C[J]とすれば、次の式で表される。

貯蔵『エネルギー』量はそれぞれの要素の端子電圧との関係で決まる。

wL は端子電圧が掛かる限り、その時間積分で増減する。コンデンサのwc は端子電圧そのものが貯蔵エネルギーを表す。この式から、端子電圧は次の図のような意味と解釈できる。

(1) コイルの端子電圧の意味。電線路に繋がれた負荷のインダクタンスLl[H] とする。コイル端子の電圧もその次元は [(J/F)^1/2^] である。コイルが繋がれた電線路は回路定数 C[F/m]の『エネルギー』分布空間である。コイル端子が繋がれた外部条件によってコイルへの『エネルギー』の入出力が決まる。電線路の『エネルギー』がコイル端子の電圧を表している訳である。電圧がコイルに掛かれば、コイルの『エネルギー』は変化し、その微分がまた端子電圧でもある。

(2) コンデンサの端子電圧の意味。容量 Cl[F] のコンデンサ負荷が線路に繋がれている。コンデンサの場合は、線路『エネルギー』分布により、コンデンサとの『エネルギー』は線路定数 L[H/m] を通して行われる。そのコンデンサの端子電圧はコンデンサ自身の保有『エネルギー』量によって直接決まる。コンデンサ内の空間ギャップでの『エネルギー』の空間分布構造が如何なる形態であるかを判断しなければならない。誘電体の分子構造内に貯蔵される訳であろうから、『電荷』否定の上での捉え方としては分子内での軸流以外予想できない。電極の負極側の高密度分布が予想されるが、未だにその誘電体分子構造内の空間エネルギー分布流は不明だ。結局は、磁性体内と誘電体内で同じような軸性エネルギー流になるかも知れない。前にコイルとコンデンサの磁気ループ (2016/07/13) に考え方を示したが、誘電体での微視的分子構造までは考えていなかった。電極間の『エネルギー』不均衡分布が電圧だという解釈との整合性をどう認識するかの課題かもしれない。

何が電池電圧を決めるか?

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) で考察したが、『電子』ではその訳を説明できない筈だ。電池は『エネルギー』の貯蔵器で、『エネルギー』を使っても端子に現れる電圧は常に一定値である。その電圧を決める意味には『電圧』とは何か?の「問」が示されている。『エネルギー』と電圧の関係が問われている筈だ。ここにまとめの意味を含めたい。

磁気(磁界)の本質

(2022/02/07) 磁気の本質は何か?本質と言う語句の意味は、辞書に因ると:そのものを特徴付け、欠くことのできない大事な要素。本質的:物事の根本にかかわるようす。等とある。

電気磁気学の『磁気』という事になる。磁気と言うとマグネット等の特徴で顕著に表れる性質になるかと思う。それに対して『磁界』と言うと、『電流』によってその近傍空間に生じる空間の或る磁気的状況を指すかと思う。しかし、『磁界』とか「磁気」と言うそのものが自然世界にある訳ではないのだ。それは本質では無いから。何が本質かと言えば、それはやはり『エネルギー』の空間に生じる空間像の姿と言えよう。本質は『エネルギー』なのである。となると、物理学理論の基本概念に空間の『エネルギー』が無いから、『磁界』の意味も分かっていないと言う事になる。そこで『磁界』をどの様に認識しているかを自問して、その本質が何かを明確にすることから始めなければならない。その点の基本的概念が極めて曖昧のまま、今日の物理学理論の不思議な、恐ろしい状況に成っているのだ。結局誰もが狭い専門家と言う分野での解釈法を創り上げ、その範疇での論理の仕来りやその概念に疑問を抱く事から逃避してきた結果として、理論の矛盾が増幅してしまったのだろう。自然世界に在りもしない『電子』、『電荷』さらに「磁束」等の科学理論構築用の簡便概念を創造してきた結果、その物理的意味を自然世界の中での意味としてトコトン追究して来なかった結果が現在の曖昧さに取り残された姿に成っているのだ。

コンパスが何故北を向くか?

その原因は地球表面の『エネルギー』流とコンパスの軸ネルギー流との近接作用力に因るのだ。

磁界 H=1[A/m]  とはどの様な空間の状況の概念か?

磁界は「アンペアの法則」によって定義づけて解釈する。それが物理学理論の、電気磁気学理論の『磁界』の意味と成っている。

「アンペアの法則」

図の説明。『電流』と逆向きに、しかも電源の負側電線路のみに青色の『エネルギー』の流れδI [J/m]を描いた。電流I[A]の次元に関しては、実際には[(J/H)^1/2^]の様な『エネルギー』のジュール[J]の平方の意味に関係しているのだ。そんな次元の物理量が実際の空間に流れられる訳など無いのだ。それでも、その『電流』と言う概念は科学技術解釈概念として優れた創造概念なのだ。『オームの法則』としての技術解析の手法を提供しているから。他にそれ程の解析法は無く、完璧である。ただ、問題はその科学技術概念が自然世界の本質を捉えた概念だと勘違いするところに大きな間違いがあるのだ。決して『電圧』『電流』の概念が自然世界を解釈する真理などではない事を理解していなければならないのだ。自然科学論としてその真髄は『エネルギー』を捉えたところにしか有り得ないのだ。『エネルギー』のルートは自然世界には存在しない量だ。

磁界の単位は単位長さ当たりの電流単位のアンペアで定義し、H[A/m]と成っている。概略の図を上に示した。電流が電線を流れると、その電線からの離隔距離の長さに反比例した『磁界』と言う物理概念が空間に発生するという意味である。しかし、その磁界も電流の単位[A]で定義されている。電線から垂直に離れた空間点に電流[A]が流れているという意味になる。ただ電流との違いは、長さで割った電流値[A/m]となる。電線から同じ距離ならどこも同じ『磁界』の強度と言う定義だ。数式で表現すると、如何にも厳密性を示すと思い易いかも知れないが、そんな筈はない。『電流』が『電荷』の流れとの認識がそもそも嘘なのだが、その意味を理解するには教科書の内容を隈なく調べ上げて、納得しなければならないから、それは各人の努力による以外ない。それはさて置き、『磁界』の単位[A/m]の空間的物理概念をどの様な意味で捉えらか。電流[A]を長さ[m]で除した物理量はどんな意味か?このような具体的で、単純な意味を詳しく確認することが「考える」という意味と思う。法則や理論をただ覚えるだけなら、考えない習慣を頭の機能訓練として定着させる。初めはそれで止むを得なかろう。しかし、いつかは『はてな?』と疑問を抱く筈だ。実際問題としては、『電流』や『電子』の物理概念を批判的に考えたからと言って、社会的に、経済的にどれだけ評価されるかには全く無関係だ。寧ろ排除されやすく、科学常識の世界での反逆者扱いされる可能性が大きい。少しも競争社会での評価などされるとは限らない。だから誰も考えない体制に従うのだろう。

蛇足と不愉快の話。原子同士の「共有結合」を素直に『電子』同士が結合力を発揮すると言う論理に、本当に疑問を抱かないのかと問いたい。「クーロンの法則」も信じ、『共有結合』も信じて、自己矛盾に落ちないかが不思議なんだ。先生方は不思議に思わないで教えているのか?『電子』は相手が『電子』か『陽子』かをどんな認知機能で認識できるのか?とつい人間的な生物機能で皮肉りたくなる等と🙇。

以上少し長くなったが、磁気の本質は『エネルギー』の空間像を捉えることによってはじめて理解できる。

磁気と『エネルギー』。電気回路で、『電流』や『電子』の解説はあるが『エネルギー』が流れると言う解説はほとんど見た事が無い。驚くべきことは、負荷に『エネルギー』を供給すると言う物理現象を必要としない電気技術解析法に疑問が呈されずに今日まで来たことである。そこで、『電流』と電気回路での『エネルギー』という意味の関係を改めて取り上げて、電気理論、物理学理論を扱う方に考えて頂きたいと思う課題・問題を提起したい。ただし、教科書や物理学理論に従って御回答ください。

〈問題〉コイルL[H]と抵抗R[Ω]の直列回路に、直流電圧を印加する。過渡状態の経過後、一定の直流電流 I が流れて、其の後はコイル L の無い純抵抗負荷の様な回路状態になる。その状態で、

(1)コイルの貯蔵『エネルギー』とはどの様なものでしょうか。

(2)コイル端子をスイッチSで短絡したとき、コイルの『エネルギー』はどの様になるでしょうか。スイッチSには『電流』が流れると言う解釈が成り立たなくなる?元々『電流』は流れていないのだから当然なのだが。

さて、『電子』や『電流』概念無しに回路現象を解釈しよう。空間の『エネルギー』を科学的計測器で測ることが出来ない。それが自然世界の真相だ。従って、『エネルギー』で解釈する事は科学理論に因らない、自然現象に対する感覚的認識論になるのかも知れない。光で物は見えるが、その光の『エネルギー』は見えない。プランク定数の自然空間での物理的(物理学的ではない)概念の認識は科学的検証ができない。それと同じように、電気回路内の『エネルギー』の空間像はあくまでも感覚的認識によるものである。科学的検証は不可能である。空間に流れる『エネルギー』は光速度であるから、その空間分布の計り様が無い。電気回路も同様である。敢えてその見えない空間を流れる『エネルギー』で解釈しなければ、電気回路現象を真に理解することが出来ないのも真理である。『エネルギー』による伝送現象の解釈が欠かせないのだ。その結果の『エネルギー』の流れを印したのが上の図である。その電線付近に、コンパスを近付けると、その向きがある方向を向く。その訳は何か。その物理的原因は何か。それに答えるにはコンパスの近傍空間に何が起きているかを知らなければならない。コンパスの物理的特性をどの様に理解するかである。コンパスに掛かる力の原因は何か。空間の『エネルギー』の流れを認識しなければ『磁力』の原因は分からない筈だ。

『磁力』は『エネルギー』流同士の間に生じる近接作用力だ。空間を流れるが、見ることが出来ない更に測定もできない雲のような得体の知れない『エネルギー』と言う物理量が目の前の空間で、世界を創り支配しているのだ。

科学実験の世界

とても面白く、貴重だ。世界を変えた20の科学実験

表紙の写真はマイケルソンとモーリーの光の相対速度検出実験に関するものであろう。

実験で光の相対速度が検出されなかったという結果をアインシュタインが『特殊相対性理論』の根拠にしたと理解している。

しかしそれは、レーマーが木星の衛星観測から『光の速度』の相対性を実験的に証明している筈だから、光の速度は何処で観測しても、観測者に対して「一定だ」と言うのはアインシュタインが間違っていると思う。

アインシュタインの「特殊相対性理論」が物理学理論に大きな影響を与えた。そのころから量子力学など理解困難な理論が華やかに唱えられてきたようだ。

マイケルソンとモーリーの実験は光の相対速度検出実験が成功しなかったが、その実験結果への試みが間違っていた訳ではない。光は『エネルギー』の縦波伝播であるから、観測者との間には必ず『相対速度』がある。ドップラー効果と言う現象が存在する事は、それが光の観測者に対する相対性の証拠である。

『静電界は磁界を伴う』は『電荷』概念否定の実験結果でもある。一つの新しい科学論への認識を喚起すると思う。ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18)。

 

 

電力 その禪問答

『電力』と言う用語の意味位は分かって当たり前だ。それは電気『エネルギー』を利用して、社会経済活動の根幹を成す仕組みを支える用語であろう。

ところがだ、その意味が理解できないのだ。電気回路現象をその物理的本源から問い直すと、『はてな?』が考えろと促すのだ。不思議な事に、分からない疑問が増えるのだ。

基本回路で考えてみよう。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt) ?

 

我乍ら驚いた。正しく禅問答だ。電圧と電流の積が何故電力になるか?その物理的意味が分からないのだ。

『はてな?』の意味。少しその前提を述べておく。『電圧』は電線路空間の『エネルギー』分布密度で解釈する。

v(ωt)=√(δv/C) [(J/F)^1/2^=V] 。

のように電線路単位長さ当たりの『エネルギー』密度分布δv(ωt)[J/m]がその電圧の技術概念の基になっている。同様に、『電流』も

i(ωt)=√(δi/L) [(J/H)^1/2^=A]

のように、『エネルギー』分布密度δi(ωt)[J/m]の流れとして解釈する。

この意味で電圧、電流を捉えれば、それは如何にもその時刻における瞬時値と解釈できる。電線路の1メートル当たりの分布『エネルギー』密度と言う瞬時値と見做せようから。しかし、電圧と電流の積として、電力 p[W=J/s]を考えるとそれは瞬時値とは言えない。1秒間、1[s]当たりの『エネルギー』量を意味する事に成る。電圧、電流及び電力の波形を描けば、次のように表現する事に成っている。

この波形を見ても今まであまり違和感を持たないでも済んだ。科学技術理論と言う学術論は殆どその専門家の解釈理論で、専門家と言う慣用学術論組織内では立派に通用する。然し乍ら、図の電力p(ωt)の次元は[J/s]の1[s]間の『エネルギー』量を示す瞬時値である。

禅問答という意味。実はもっと不可解な迷路に迷い込むのだ。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt)=√(δv(ωt)δi(ωt)/LC)=co√(δv(ωt)δi(ωt)) [W]

ただし、光速度co=√(1/LC)[m/s] である。

上の式は光速度の30万キロメートル分の『エネルギー』量を積算した意味で捉えれば、何とか辻褄合わせは出来るようだ。電力はやはり1秒間の積分量を評価する意味だと。だから波形の意味は論理的な瞬時値概念を表現しているとは言い難いのだ。 しかし、電力が電圧と電流の積と言う算定値に依って技術評価することの意義は極めて高いのだ。

負荷が電力設備系統に要求するものは『エネルギー』しかないのだ。『電子』や『電荷』など全く必要としていない。だから電線路空間を通して『エネルギー』の流れが物理現象として捉えるべき対象の筈である。そこで、『エネルギー』の流れなら δi(ωt)[J/m]だけで解釈出来るのではないかと思うが、そうでは無いのだ。必ず、電圧との積でなければ『エネルギー』の供給の評価が出来ないのだ。

電力系統は送電電圧値に依って、同じ電流でも送電容量が、そのレベルが違うのだ。『電圧「と『電流』の積でなければ送電『エネルギー』の評価が出来ないのだ。

一体『電圧』の意味は伝送『エネルギー』に対して、どの様な物理的概念を持つと言うのか?それが不可解の『禪問答』たる意味である。自己撞着とはこの事か?

分かろうと藻掻いて、分からなさが増大する。❓❓

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

(2022/08/29)追記、訂正。上の回路で、電力 p が

p=δp/√(LC) とした。この条件は、負荷が電線路の特性インピーダンスに等しい場合である。瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03) を参照。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

コンパスが示す道

今年初めに、磁気に関する記事をまとめた。文末に、「コンパスは自然世界の羅針儀 」。

電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03)で原子結合等もマグネットの機能が担っている事を述べた。

コンパスの指し示す意味が科学理論の本質の理解に欠かせないと思った。

コンパスは何故北を指すか?

誠に気が重い。筆者のような謂わば偏屈者が、伝統的で歴史の重みを背負った科学理論に異論を唱える事態をどう理解すれば良いかが分からず、途方に暮れる。

長い科学技術理論(電力工学の半導体電力制御論)に関わったお陰で、あらゆる電気理論の諸法則の深い意味を統合することによって、その関りに於いての矛盾が観えてきた。見えるもの 見えないもの (2015/03/12)にも『電荷』の意味を述べた。『電荷』と同じく『エネルギー』も目で見ることはできない。自然の眞髄は見えないものを観ることに尽きるかと思う。見えるは目で確認できるが、観るはその空間像を見ることが出来ないものを心で捉える意味と解釈する。

コンパスの磁極近傍空間に『エネルギー』が回転して流れていると観る。

『静電界は磁界を伴う』と表現した。しかしもう少し具体的な表現をすれば『静電界もエネルギーの回転流の場である』となろう。電界も磁界も同じ『エネルギー』の光速度流を解釈する技術的評価概念であると。

磁気コンパスの認識で、その磁極の Axial energy flow の方向の見えないものを観る作務であったと思う。何故マグネットの磁気は消えないかが不思議な疑問として残る。

世界は軸性エネルギー流によって創られた (2021/01/04)。

コンパスは自然世界の羅針儀 (2021/01/05)。