カテゴリー別アーカイブ: 科学技術

体温と赤血球

(2024/04/29).

 実は初めに、「体温とパルスオキシメーター」と言う表題で記事にした。しかし削除した。4月29日の新聞(新潟日報)にパルスオキシメーターの原理の発明者、青柳卓雄の記事が載っていた。素敵な業績だ。医学関係の事については門外漢の筆者は初めて知った事だ。その事で、体温の意味について赤血球との関係としての認識を纏めようと思ったのがその切っ掛けだ。パルスオキシメーターも赤血球の酸素量の意味に関係した結果を評価した原理の計測器と思う。赤血球の赤色はその内部からの放射エネルギー量によって決まるものと解釈できる。それは赤血球の内部での燃焼現象による結果のエネルギー放射量の評価に因る値だ。決して酸素を運ぶ機能ではなく、体温保持のエネルギー放射源としての意味が赤血球の機能だ。

 再び、その記事との関連として、体温と赤血球として下書きにして置いたものを取り上げる(2024/05/03 記)。

 皆さんは体温について考えた事がありますか?
 体温について、検索の解説を見ても良く分からない。そこには学術論に特有な、理由を示さない曖昧な解説が殆どだ。それらの記事を見る限り、誰も良く分かっていないように思える。特に『赤血球』の基本的機能が余りにも曖昧な認識にしかないと思う。ヘモグロビンで酸素を何処かに供給し、炭酸ガスを肺まで運び出すような解説だ。全く『体温』がどの様に保たれているかを考えない解釈だ。中に、アデノシン三リン酸(ATP)が関係している様な解説があるが、全く理解できない頓珍漢な解説に思える。

 体温の物理的意味とは❓ それは体の全身の『エネルギー』の分布の量を評価した技術計測量、温度の「 [℃] 」だ。そんな単純な『エネルギー』評価の物理的意味の筈なのだ。

 その原因は単純である。体温の物理的意味が分かっていないのだ。物理学と言う自然科学の基礎・基本を研究する学問において、物理量の『エネルギー(ジュール [J] )』の認識が無いのである。体温は体の細胞の機能を働かせるに必要な、全身の『エネルギー分布』を保持する量の、計測技術による評価概念量『℃』の数値と考える。

 電気回路の電圧の物理的意味が分からなかったのだ。電圧の単位ボルトの物理的意味が分からなかった。電気回路の電線で囲まれた空間を『エネルギー』が流れる現象が電気回路の物理的意味だ。その電線路空間の『エネルギー』分布量が電線路のコンデンサ特性C[F/m]で決まる。それと同じ意味で、体の構成物質・細胞の誘電率の特性値によるコンデンサ容量[F/(m³)] とエネルギー分布密度[J/(m³)] の比率から決まる評価量に関係した物と考えられる。

 温度 t[℃]=[(J/F)^1/2^] に関係した意味で、外界の気温との関係で、放射される体表面の放射エネルギー量の計測値の筈だ。

 『エネルギー』は温度も電圧も熱もすべてその技術評価物理量の基本で、同じ基礎量であるから。 

 今まで考えた体温と赤血球などに関する記事を拾い上げておく。

 1.体温と身体活動エネルギー「基礎理科」を想定して
 2.体温とエネルギー
 3.体温36度5分に思う
 4.体温と呼吸
 5.あッ!-体温と電圧-
 6.赤血球が謎運ぶ
 7.呼吸の意味を問う
 8.体温と基礎代謝
 9.体温と肺機能

 まとめ。
 余りにも、医学生理学の学術論から懸け離れた、素人と思える内容の解釈を記事にした。しかし、現代の科学論が余りにも専門的な極端に高度な内容になっていて、市民が理解できる内容ではなく、とても特別な自然科学論となってしまった。自然の世界の基本は、それ程複雑の筈はないと思う。確かに、医科学の血液検査の分析や生体の神秘は複雑で高度な専門性の知的知識の分野となった。しかし、電圧や体温の物理的意味が易しく説明出来ないようでは、何処かあやふやな基礎の上に踊らされているようで、自然科学者の統合的な科学論が疎かになっているようで心配だ。その問題点が教育における、『電荷』、『電子』および『イオン』等を基に解かれる教育内容だ。身近な『体温』の物理的意味を問う事で、一つの問題点として取り上がた。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電池とエネルギー

電池は『エネルギー』を貯え、便利にその『エネルギー』を使うための科学技術の貴重な成果の製品だ。決して存在しない『電子』などを貯えるものではない。『エネルギー』とはどの様な特性を持った物理的実体か?と考える。見えなくて測れないものだから、その『エネルギー』の動特性を探ることも出来ない。どうすれば、『エネルギー』の空間特性を理解できるかが電池の物理的現象を知る要点であろう。

電池とエネルギーの関係。

電池の内部で『エネルギー』がどの様に貯蔵され、それがどのような条件で電池内部から解放されて電気回路空間に放出されるか。その現象を『電子』なしに『エネルギー』の物理的特性として解釈する必要が有る。電池から送出された『エネルギー』は決して電源に戻る必要はない。負荷に供給されて、それで電池の役割は完了する。『電子』のような概念では、再び電源に戻る無意味な解釈が繰り広げられる。無意味とは何故に負荷を『電子』が通過する必要が有るのか。負荷に『エネルギー』を『電子』がどの様な物理現象として届けることになるのか。何故に『電子』が保有した『エネルギー』を負荷に届けて、その『エネルギー』分だけ欠乏した状態の、異なる『電子』が電源に戻る必要が有るのか。『エネルギー保存則』の意味を忘れないで欲しい。『電子』が負荷を通過しただけで、負荷で『エネルギー』を発生できる訳はない筈だ。無から『エネルギー』は生まれないのだ。電池における電子の役割を問う (2018/05/24) で矛盾の解説に使ったのが下図である。

Fig.1. の図の意味。普通の電池記号と異なる図で表現した。単純に電池の意味を表現すれば、陰極の電極金属で『エネルギー』源のエネルギー貯蔵物質を包み込み、そこから『エネルギー』の無い陰極側に放出され、負側電線路を通して負荷に供給される絵図で捉える。電池の陽極電極および充填物質は所謂電位としては同一にある。充填剤に貯蔵された『エネルギー』はその内部では『エネルギー』として存在している訳ではない。しかし陰極金属体との間には『エネルギーギャップ』が存在する。陰極のエネルギーレベルが充填剤より低い。その接触ギャップで、自動的に充填剤の内部から空間構造変換として『エネルギー』が陰極側に放出される。それは同時に電線路が繋がれていれば、その回路空間に対してもそのギャップを埋めるために『エネルギー』が放出される。だから電池内部に見える形で『エネルギー』が貯まっている訳ではない。充填剤の分子的な構造変化として含まれているだけで、結局は質量開放として『エネルギー』の放射になるだけである。

電池の物理現象と科学論。電池の『エネルギー』を観測することも計測することも出来ない。ましてや『電子』の数量を計ることなどもっと困難である。仮想概念で、実在しない物は計れないから。それでは、電池内の『エネルギー』は在るかと言われればそれも無いと言わざるを得ない。『エネルギー』は忍者じゃないが、分子構造の中の質量となって貯えられているとなれば、それは空間分布の『エネルギー』として存在する物にはならないから「無い」となる。質量と『エネルギー』に変換し合う物理量は科学論で測り様が無い物だ。自然世界は余りにも純粋過ぎて、物質論の理論の計測手法に馴染まない物かも知れない。分子構造から解放される『エネルギー』が科学論で解明されることを祈る。

関連記事。独楽の心 (2019/01/05) 。熱の物理 (2019/02/07) 。

電圧とエネルギー

 観えなくて測れない物理的実在量、それが空間の『エネルギー』。しかし、それは物理学理論の概念にはない。その空間像の象徴が『光』だ。光に因って物は見えてもその光およびその『エネルギー』は観えない。

 『エネルギー』とは不思議だ。誰もが言葉にするが、その姿を見る事が出来ない。物理学理論で『エネルギー』と言えば、運動エネルギーと位置エネルギーがその意味になる。その物理学理論の『エネルギー』は何となく見えるような気がするかも知れない。ボールが飛んで行けば、その速度で運動エネルギーを感覚的に理解できたように思う。しかし、その飛ぶボールを見ても、ボールが見えるだけで『エネルギー』などどこにも見えないし測れない。速度と質量から計算式で算定することはできるが。

 また、蓄電池は電気エネルギーを蓄えた電気製品だ。しかしその貯えたエネルギーを認識できない。どんな像であるかを理解できない。代わりに『電子』で代用して理論を作り上げる。しかしそこでも『エネルギー』を説明出来ない。

 貯蔵電気エネルギー。電気回路で『エネルギー』を貯蔵できる要素はコイルとコンデンサである。しかしその『エネルギー』を、その像を見る事はできない。また、抵抗も『エネルギー』を貯えない訳ではない。抵抗もその構造体の中に『エネルギー』を貯えるから、時間積分で温度が上昇する。だから『エネルギー』を貯えたことには間違いがない。しかし、電気回路にその『エネルギー』を再び戻す働きを持っていないのが抵抗体の不思議な機能である。

『エネルギー』

 エネルギー W[J] を青色で描いた。それが電気要素の空間に存在する『エネルギー』である。描いて示したと言っても、それは科学的な検証に耐える証明が出来ない。だから物理学理論の概念には成り得なかったのかも知れない。見ることの出来ない『エネルギー』を、その空間像だと言って描いても、物理学理論の概念として受け入れられる論理性もないし、実測できる保証がないから、絵に描いた「餅」と言われても当然のことである。その意味ではこの空間の『エネルギー』の概念認識が無い物理学理論を非難できないかも知れない。それでもこの空間の『エネルギー』を認識することが自然現象を理解するには欠かせない。何か「電荷」の実在を頭ごなしに押し付けるのと、空間の『エネルギー』を押し付けるのと何処か似ているかも知れない。それは電気回路の現象を多くの観点から、各人が確認しながら納得する以外ないのかも知れない。磁石の周りの空間の『エネルギー』の流れと同じことなんだろう。見えないものを在るとは強制的に押し付けるべきではないから。とは言っても、電気回路の動作現象を突き詰めれば総合的に『電荷』と『エネルギー』のどちらがより論理的で、矛盾なく理解できるかで結論は出よう。

電気理論による数式で表せば、

コイルのエネルギー     W =(1/2)L×i^2^ [J]           (1)

コンデンサのエネルギー  W = (1/2)C×v^2^ [J]         (2)

となる。このような数学的表現で纏められる意味はとても大きな科学技術の業績である。いくらコイルの中に『エネルギー』があると力説してみても、その量を計れないことを知れば、(1)式が如何に優れた技術的表式であるかを理解できよう。『電流』と言う技術概念とその測定技術が如何に優れたものであるかを。しかし電線導体の中を『電流』や『電子』などは流れていないことも知らなければならない。そこに科学技術と自然現象の真理との差を知る必要が有るのだ。『電子』での解説者は、そこに『エネルギー』の認識を解説する義務がある事もまた分かってほしい。

電気技術論によってこの数式で算定はできるが、決してコイルやコンデンサの中に蓄えられた『エネルギー』は観えないし、測れない。コイルの空間に『エネルギー』があると理解するためには、電気回路技術の多くの計算を通して、感覚的に認識することが大事だ。学んで、そこから深く理解するには、疑問を抱き分からない不思議に直面して、そこを乗り越えて感覚的に納得できるのだろう。『電流』が流れていないことを理解する迄には、長い難しい道を辿る必要があるかも知れない。

電圧は『エネルギー』の評価技術量。見えない『エネルギー』と電圧の関係を考えてみよう。不平衡の空間の『エネルギーギャップ』を電圧として解釈している。コイルとコンデンサの貯蔵エネルギーに対する、その端子電圧には特徴的な差がある。コイルの中の『エネルギー』量を外から推し量ることはできない。一定値の安定した『エネルギー』の貯蔵状態では、端子電圧は零になり、『エネルギー』の量を推し量れない。一方コンデンサの場合は、その貯蔵の『エネルギー』量は端子電圧に直接現れる。コイルもコンデンサも貯蔵する『エネルギー』に違いがある訳ではない。同じ『エネルギー』を貯蔵するのである。同じ『エネルギー』を貯蔵する、その金属導体によって作られる空間構造が違うだけだ。貯蔵するのは『電荷』でもなければ『磁束』でもない。それは見えない『エネルギー』なのである。

電圧 [V] の次元は [(J/F)^1/2^] 。

電気物理(電圧時間積分とエネルギー) (2019/03/26) との関係での記事となる。

線路定数L[H/m]、 C[F/m]の『エネルギー』と端子電圧の関係を考える。線路容量Cに関わる『エネルギー』分布密度をw[J/m]とする。負荷のコイルとコンデンサの貯蔵エネルギーをW_L[J] W_C[J]とすれば、次の式で表される。

貯蔵『エネルギー』量はそれぞれの要素の端子電圧との関係で決まる。

wL は端子電圧が掛かる限り、その時間積分で増減する。コンデンサのwc は端子電圧そのものが貯蔵エネルギーを表す。この式から、端子電圧は次の図のような意味と解釈できる。

(1) コイルの端子電圧の意味。電線路に繋がれた負荷のインダクタンスLl[H] とする。コイル端子の電圧もその次元は [(J/F)^1/2^] である。コイルが繋がれた電線路は回路定数 C[F/m]の『エネルギー』分布空間である。コイル端子が繋がれた外部条件によってコイルへの『エネルギー』の入出力が決まる。電線路の『エネルギー』がコイル端子の電圧を表している訳である。電圧がコイルに掛かれば、コイルの『エネルギー』は変化し、その微分がまた端子電圧でもある。

(2) コンデンサの端子電圧の意味。容量 Cl[F] のコンデンサ負荷が線路に繋がれている。コンデンサの場合は、線路『エネルギー』分布により、コンデンサとの『エネルギー』は線路定数 L[H/m] を通して行われる。そのコンデンサの端子電圧はコンデンサ自身の保有『エネルギー』量によって直接決まる。コンデンサ内の空間ギャップでの『エネルギー』の空間分布構造が如何なる形態であるかを判断しなければならない。誘電体の分子構造内に貯蔵される訳であろうから、『電荷』否定の上での捉え方としては分子内での軸流以外予想できない。電極の負極側の高密度分布が予想されるが、未だにその誘電体分子構造内の空間エネルギー分布流は不明だ。結局は、磁性体内と誘電体内で同じような軸性エネルギー流になるかも知れない。前にコイルとコンデンサの磁気ループ (2016/07/13) に考え方を示したが、誘電体での微視的分子構造までは考えていなかった。電極間の『エネルギー』不均衡分布が電圧だという解釈との整合性をどう認識するかの課題かもしれない。

何が電池電圧を決めるか?

電池電圧と『エネルギーギャップ』 (2016/05/08) で考察したが、『電子』ではその訳を説明できない筈だ。電池は『エネルギー』の貯蔵器で、『エネルギー』を使っても端子に現れる電圧は常に一定値である。その電圧を決める意味には『電圧』とは何か?の「問」が示されている。『エネルギー』と電圧の関係が問われている筈だ。ここにまとめの意味を含めたい。

豪雨災害も酷暑も海から遣って来る

 (7月23日)。SDG’s と言う問題がある。

 最近の洪水災害や酷暑は尋常ではない。

 それも世界的な規模で、何処に災害が襲うか分からない。

 気温が45℃にも成るか?と言う状況らしい。日本でも39℃が何度も記録されたようだ。

 https://hokakebune.blog/2018/06/17/フェーン現象の解剖/ にフェーン現象と水蒸気の関係を述べた。余り、水蒸気の熱エネルギーの認識が無いようだったので投稿した。

 今日ある討論会の一部を聞かせて頂いた。お話をお聞きしながら、いつも思う筆者の解釈と異なるので、少し述べたい。

 年々危険な災害状況が頻繁に起こるように思う。

 洪水、暴風雨 その大災害の頻度。
 日常生活が破壊される。長い歴史を通して安全基準として決まった筈の設計基準、それによって建設された送電線鉄塔が、その安全設計基準による強度が、いとも簡単に覆されて倒壊する。その強風は、空気に水蒸気が多分に含まれれば、風圧は強まり送電鉄塔をも破壊する災害となる。その水蒸気は海から遣って来る。
 最近、線状降水帯と言う言葉を覚えた。一か所に雨雲が停滞し続けて、局所的に降水量が増加する。また内水氾濫と言う言葉も学んだ。兎に角災害が日本列島を襲う頻度が格段に増えている感じだ。

 生活破壊とも言うべき状況が、自分が子供の頃に比べて極端に増えているのではないか。また、気温が39℃と言う考えられない灼熱の状況が起きている。
 地球規模では、45℃さえ聞こえてくる。

 専門家による討論を聞いて思った。『熱エネルギー』と言う意識が無いように思えた。空間に実在する『エネルギー』と言う物理量が物理学理論には認識されていないようだ。気象関係の専門家、災害・防災の専門家と様々な専門的学問分野の解釈で対策・方策を御提言頂く。だが、最近の災害の規模とその頻度の状況がどの様な原因で起きているかのお話は殆ど頂けないようだ。海水温度の上昇原因を何に因ると解釈されているのかとても気掛かりである。地球温暖化の意味を『カーボンニュートラル』と言う、炭素燃料の削減で対処可能であるとの認識が世界的科学論であるようだ。

 今の気象災害の原因は海水温度の上昇に在る。豪雨災害も灼熱地獄も、その原因は海面から発生する『水蒸気』である。

 最近頓にみられる日本での九州地方の線状降水帯の長期の停滞状況だ。中国大陸と九州の間の海水面からの水蒸気の発生が大きく影響している。その水蒸気は、地球自転の方向に偏西風が流れている。地磁気の原因たる地上の電磁エネルギー流の流れと同じだ。その流れによって水蒸気も流れる。陸に上陸した最初が九州地方での線状降水帯となる。

 中国大陸と九州との間の海水温度の上昇。その原因を何だと認識しているか。日本列島周辺海水面の温度も、全体として上昇している。最大の海水温の上昇原因は経済活動が進展すると発電所の発電電力が増加する事にある。

 とても気掛かりに感じる事は、海水面温度の上昇の原因を科学者はどの様に理解しているかだ。最近の気温で、10年ほど前に比べて、『クーラ―』を使わなければ済まない状況が急に増えた。熱中症にならないように、クーラーを使いようにと伝えられる。しかし、『クーラー』を使う事に、とても気が引けるのだ。この高温の状況をさらに加速する原因に自分も加担することになるから。『クーラー』を使う事は、電気エネルギーをその分使う事になる。電気エネルギーを使いう事の物理的意味は、発電所での発電エネルギーの増加の加担をする事になる。

 発電所の発電技術の物理的現象。誰もが理解して欲しい事。物理学理論で、認識していない『空間エネルギー』と言う物理量。我々が使う『エネルギー』とは何か?巷の解説で、『エネルギー』とは何か?の問に、『物が仕事をする能力』の意味である等と定義が示されている。そんな物理学的解説が罷り通る認識である限り、『エネルギー』の意味など理解されない社会なのだ。『熱』とは『エネルギー』だ。『圧力』とは『エネルギー』だ。海水温度は『エネルギー』が貯えられて上昇するのだ。その『エネルギー』は見えないのだ。

 『電気エネルギー』を使うという意味は、電力 1[kw] を1時間使うと、 3.6[MJ] (3.6メガジュール)の『エネルギー』を消費するのだ。その事が、海水温度をどれだけ上昇させるか?原子力発電所や重油燃焼発電所等の汽力(蒸気)発電所の効率は、40%以下である。発電所の炉で発生するエネルギーの60%程の『熱エネルギー』は海水や川の水で冷却する事で発電技術の原理が達成できる。その水の加熱によって発電が可能なのだ。3.6✖1.6 [MJ]程(生活で消費するエネルギーの1.6倍程)の『エネルギー』が海水温度の加熱やその他の熱損失となるのだ。水で冷却しなければ、原理的に発電はできないのだ。その事の発電技術の原理を誰もが理解してこそ、気温の上昇と水災害の発生原因を知ることになる。その上で、自然環境の現代的意味を認識する必要がある。カーボンニュートラルという意味が、この水害の災害に直接どの様な意味が有るか、自分には良く理解できない。

 『エネルギー』の消費が科学技術社会の経済活動を推進し、益々生活様式が変化してゆく。その経済活動の推進が、発電エネルギーの増加を来す。基本的に海水温度を上昇させ、豪雨災害の激甚化を来し、生活環境を破壊する運命に在るのだ。その社会的補償が更に経済的損失を生む。何か悪循環の中に彷徨い込む恐れを感じる。科学者の専門的知識の科学技術との統合した総合的学術認識が求められていると思う。

相当古いデータを基にして、前に纏めた図だ。原子力発電の熱の行方 で取り上げた。水蒸気による蒸気タービンの駆動力を使う発電方式での、『熱エネルギー』がどの様な流れを辿るかを図に表現したものだ。 

 汽力発電所の熱効率は40%にも成らない。核燃料も、重油燃料もボイラーで燃焼した、その発生熱量の内電力エネルギーとして利用できるものは40%にも成らないのだ。それでは60%の『熱エネルギー』は何処に行くかが問題である。

 ボイラー、原子炉で発生した『熱エネルギー』の60%は有効に利用されずに、地球上に放出されることになる。所謂地球表面の加熱に放出されるのだ。発電所には『復水器』と言う設備がある。それはタービンで駆動力として使われた水蒸気がタービンの出口で『復水器』に導かれる。その『復水器』で冷たい海水あるいは大河の水に因った冷却でタービンの駆動力が効果的に働く。その『復水器』での冷却する『熱エネルギー』は結局海の温度を加熱する事に成るのだ。それは汽力発電方式の原理的宿命なのだ。その『復水器』から海水に放出される『熱エネルギー』がほぼ50%に近いと観て良かろう。

 最近の海水温度の上昇が何を原因として起こっていると考えられているか?気象の専門家、災害の専門家のお話に殆ど何が原因でこのような状況が起きているかの、専門的お話が示されていないようだ。『カーボンニュートラル』と言う世界的対策の科学論はよく聞く。しかしそれがどの様に海水温の上昇に関係するかは説明出来ていないようだ。このまま気温が上昇したら、おそらく人の普通の生活ができなくなる筈だ。経済成長に伴う、電力消費の増加がが基本的な温暖化の原因と考える。

 災害は海から遣って来るのだ。発電所の運転には、海水加熱の基本的仕組みが原理的に在る。

 
 

危うい原発運転期間の算定

大変気掛かりな最近の原子力発電所運転延長政策。

運転停止期間を発電所経過年数に計算しないと言う政府方針が唱えられているようだ。

原子力発電所に限らず、科学技術設備・製品の「運転停止期間」は様々な意味を持っている。

その中でも、原子力発電設備は技術の総合巨大制御技術設備だ。隅々まで、一つとして欠陥があれば、一穴の欠陥がどの様に制御系全体に影響するか計り知れない危険性を含んだ状態になる。

『運転継続』と『運転停止期間後の再運転』の巨大制御システムの安全性には、大きな差が潜んでいると見做さなければならない。

『運転停止期間』の設備については、日常の点検も、設備の動作監視も停止していた。運転中より気付かない設備の腐食も発生し易い筈だ。そこに気付かない『一穴』がとても大きな安全性を損う可能性となっている筈だ。

長い期間の『運転停止原子力発電所』の運転再開は大きなリスクを抱えていると思えば恐ろしい。

逆に『運転停止期間』は通常の運転期間の数倍に考えるべきと思う。

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

(2022/08/29)追記、訂正。上の回路で、電力 p が

p=δp/√(LC) とした。この条件は、負荷が電線路の特性インピーダンスに等しい場合である。瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03) を参照。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。

電流計は何を計るか(2)

初めの頃の記事、電流計は何を計るか (2010/11/10) で、少し長い記事だが磁気の関係を論じた。

電気回路について前の記事で漸く、電線路の回路特性 (2021/08/10) の認識に辿り着いた。線路空間を伝送する『エネルギー』が電気回路の機能の眞相であった。それでは電線路に繋ぐ電流計は何を計るのかと、新たな疑問が浮かぶ。

この記事(下書きは、8月28日で止まっていた。)を書くために、その準備が必要であった。平行二線式回路の定数について がそれだ。

 

図は電灯回路だ。電源は電池の直流電圧だ。

図(1)はプラス側の電線路にコイルLaaが付加されている。このコイルはどんな働きをするのだろうか。直流回路でコイルはどのような機能を持つと考えるか。さらに、プラス側の電線路には『エネルギー』は分布しないと今まで解説してきた。図(2)の電流計の接続との関係も含めて考えてみよう。電流計接続はプラス、マイナス側のどちらでもほとんど変わりなく、同じ値の計測値を示す筈だから。

このような簡単な回路で、電気現象を考えることに科学理論としての価値をどの様に観るだろうか。

その検証は学術理論の専門家の科学論の世界に入って論じても、無理である。『電子』否定の科学論が愚直に、真剣に考えて頂けて意味を持つのは、このような中学生にも解る単純な電気現象にこそ、そのカギが隠されている。今もって、電気回路で『電子』が『エネルギー』を如何に負荷に伝送するかの機能を高度な物理学理論を研究なさる専門家は誰も説明しない。それは論理的に理論が矛盾に満ちているから、『エネルギー』を負荷に伝送するための、どの様な『電子』の具体的機能によって『エネルギー』の保有を担うかの合理的解釈が出来ないからである。

(1)の回路。直流では、定常状態でコイルはインダクタンスとしては機能しない。周波数が無いから、ω=0 であり、ωL=0 である。電源電圧 V「V] とすれば、電流は

式   I=V÷R [A]

となり、コイルのインダクタンスLaa[H]は式には現れず、負荷に影響を与える意味は無く、『エネルギー』伝送に何の意味も持たない解釈となる。

コイル内の『エネルギー』を考えてみよう。電流の式にはコイルの意味は現れない。しかし電気回路内の現象で、コイルが全く存在しないと同じかと言えば、そうではない。コイル内には必ず『エネルギー』が貯蔵される。その『エネルギー』をどの様な物理量と認識するか、それは科学理論での『エネルギー』の概念とは何を指すのかの問題でもある。市民が学校教育で受けるべき科学リテラシーの基礎的素養としての内容に関わる問題でもある。コイル内の空間に実在すると考えるか、数式上の抽象的な意味で考えるかの問答である。

答えは空間には『エネルギー』が実在するだ。それが自然世界の物理的(物理学理論的ではない)実像である。しかし、ここ迄科学技術が進展し、ドローン空撮、極超音速ミサイル、自動運転自動車等空恐ろしい程の、予測し難い未来社会に突入しようとしている。技術は進展すれど、自然認識の基礎となるべき現代物理学理論が余りにも前時代的な認識の誤りの中を彷徨う現状を恐ろしいと思う。

『エネルギー』が空間に実在する物理量だと見做せない意識の中に、基礎理論としての役割を果たしていない科学常識の過ちの中に居る。

そんな自然哲学、社会科学の課題を多寡が電気回路の電磁現象の中からではあるが、明らかにしなければならない未解決の問題の中に居る。『電子』が電気回路で、何の役にも立たない概念である事を長く指摘してきた。電流計のコイル内の『エネルギー』の実像を考えれば、そこに『電子』がどの様な役割を果たすと理解しているかを個々人が考えれば、上の意味が分かる筈と思う。

そんな科学理論の基礎の危うさ、矛盾の困難の中を、皆が泳がされているのだ。科学技術の経済的競争の中で、経済的利益に無関係の基礎概念など、誰も研究対象として取り組まない。電流は『電子』の逆流だ等と逃げているようだ。狭い専門性の細分化された研究体制は哲学を忘れたカナリヤ科学論になる。

『エネルギー』一つの意味を認識して欲しい。波はエネルギー流 (2021/10/08) など誰もが観測できる『エネルギー』の物理現象だ。『エネルギー』を忘れてはカナリヤ科学論から脱却しなければならない。

今までの物理学理論では、光についても『エネルギー』の空間の流れとは認識していないようだから。振動数では空間の『エネルギー』が認識できない。

直流回路の電流計が電気回路内で、どの様な『エネルギー』を計測しているのだろうか。回路定数C[F/m] およびL[H/m]との関係を含めて考えてみよう。

結論。記事 電流計とエネルギー流 (2021/10/ 23 )にまとめた。

 

 

原子力発電への技術過信

(2021/03/07)。2011年3月11日のあの忌まわしい原子力発電所崩壊事故から10年を迎える。原子力発電と住民の覚悟 (2021/02/04) にも関係して。

2月の新潟日報の新聞報道で知った。

右がその記事の一部だ。地下2階に高圧代替注水系ポンプが設置されている。地上1階に核燃料の核分裂による原子力発電の心臓部である原子炉が据えられているのかと思う。

この注水系ポンプの配管貫通部の止水工事の未施行の問題のようだ。この注水ポンプは原子炉の重大事故時の注水の非常代替え設備だ。気掛かりは福島第一原発事故では、地下の非常電源設備が津波で水没して機能を発揮できずに、原子炉溶解・メルトダウンで水素爆発での致命的な放射性元素の拡散を起こした。近隣住民の生活を奪い、街とその市民コミュニテーを崩壊させたのだ。その重大な過失への反省があるとは思えない今回の問題だ。床を突き抜ける注水配管が激震に対して安全と言えるのだろうか。それは最後の非常用の設備と思えば、絶対浸水しないという安全志向の気休め設備でなければと思う。

地震と津波災害が起きないという前提での安易な、安全志向から少しも抜けていない東京電力首脳の意識、そして政府の原子力依存の電力政策が相も変わらずの危険感覚の欠如が起こす結果の姿だ。

原子力発電設備は人が非常時に的確に対応できるほど単純な科学技術の機能ではない筈だ。地下に非常設備を据えることは津波による水没など意識しない安全神話をそのまま踏襲しているとしか考えられない。高度な制御機能を備える事はどれ程の制御ケーブル、電源配線等が複雑に張り巡らされるか想像もできない筈だ。地震で配電盤の接続端子と配線ケーブルの間に起きる力学的加速度による断裂応力など想像だに難しい筈だ。重いケーブルの束に加速度でどれ程の応力が掛かるか、地震の揺れの加速度方向によっても全く力の強さは異なり、何処で断裂するかは予想などできなかろう。平常時での安全設計ではなく、非常時での安全率がどれ程かは知らないが、今回の未施工問題がある事から推察して、決して原子力発電の放射性物質放出の危険を回避できる安全設計などできる訳が無いのだ。運良く非常事態にならずに済むことを神頼みとしての運転しか保障などされない複雑怪奇な制御システムの筈だ。経営責任者にそんな危機意識が持てるほど単純な設備ではない筈だ。技術を何も知らない経営責任者でしかなかろう。経営責任者が安全運転に責任持てない知識で、原子力発電設備の運転など放射性物質放出の阻止の責任をどこに求められるか。原子力規制委員会の姿勢も気掛かりになって来た。

福島第1原子力発電所の崩壊の原因。以下の制御棒の問題は筆者の間違いであった。原子炉は制御棒投入で無事停止していた。停止と言う意味は、核燃料の核分裂が停止したという意味ではない。核分裂による熱エネルギーは運転に近い発生であろう。制御系統が正常に機能することが必須の条件だ。運よく呈しなければという危険が拭えない。

以下が間違い「津波襲来以前に既に制御機能を失っていたのではと思える。地震から津波到達までに時間があった筈だ。あれだけの激震があれば、発電所停止に向かって安全処置が執られる筈と思う。制御棒が核分裂停止のために何故投入できなかったが大きな疑問だ。もし大きな震度で自動的に停止動作に入る制御が組まれていなかったとは考えたくないが、何故制御棒が入らなかったのか。激震時の原子炉停止制御が組まれていたとしたら、津波到達前に既に制御信号系が機能不全の状態になっていたかとも思われる。制御ケーブルなどの基本の仕組みが既に激震で破断していたのではと危惧される。

それは本質的に、原子力と言う核分裂制御の科学技術が余りにも複雑な要因に覆われた設備である為、人が対応できない『化け物』なのだという事を突き付けられていると考える。人は技術を過信するべからず。と肝に銘じたい。

エネルギー流と定在波

科学理論とは?(2020/12/08)。科学技術に依って生活が成り立っている。その拠り所は科学技術の基礎概念であろう。しかしその基礎概念がとてもあやふやなものに観える。電気回路論の中の分布定数回路に現れる定在波を取り上げて、その意味に観る科学論を考察してみたい。分布定数回路空間の世界 (2019/10/14)はエネルギー流による解釈のまとめでもある。

物理学理論の『エネルギー』は?
とても残念な事ではあるが、自然科学の基礎である物理学理論が拠って立つ基礎概念が筆者には極めて曖昧な、未来性が観えないものに思える。その典型的な概念が『電荷』である。自然界に、『負』の物など決して実在しない。『正』と『負』と言う対照的な物の捉え方が、一見分かり易く思える為に、極めて頑強な基礎概念として科学理論の根幹を成すこととなっている。物理学理論の根幹ともなっている原子構造論が原子核の外郭を周回する『電子』によって認識されている、そんな基礎理論が間違っているのだ。『電荷』、『電子』など自然界は必要としない。今年になって、明確に自然現象は『エネルギー』がその基礎物理量としてすべてを支配しているとの確信に至った。たった一つの『エネルギー』がその存在する空間で、全宇宙を支配していると。露草の一枚の葉も、雨蛙の細胞の一片もその極限の原子と言う構造体の片隅を構成するのが『エネルギー』に依った空間構造から成り立っているのだと。それは光の一波長の空間の一部にもなっている『エネルギー』であると。しかし残念ながら、現代物理学理論で、その『エネルギー』の存在を認識してはいない。素粒子理論には空間に分布する『エネルギー』の存在と言う認識が無い。『正』と『負』の『電荷』によって認識する自然世界の姿を教育によって全ての人に強制的に憶えこませているからだ。それが現代科学パラダイムだ。教えられる子供達には、その『電荷』を拒否する学問の自由は保障されない結果となる。

科学パラダイムとロゴウスキー電極空間の磁界。
『電子』が科学理論の構成基盤をなしている。その『電子』こそ『負の電荷』の象徴的概念となっている。原子論は核の『陽子』と周回軌道の『電子』との電気力がその構成原理となっている。『電荷』概念に依るクーロンの法則が全ての科学論の基礎として、その科学パラダイムとなっている。その『電荷』に対して、ロゴウスキー電極空間の磁界 (2020/06/18) によってその概念の矛盾を指摘した。そこで指摘した実験的検証内容は当然学術論文で公開すべきものであろう。しかし、それは30年以上前の事であり、当時研究者としての身分が保証されていなかった。その内容は到底現代科学論のパラダイムから理解されるには無理であっただろう。殆どの科学理論を否定するような内容だから。『電子』の存在を否定する必要が有るから。

定在波の『波』の正体は何か?
今、定在波と検索しても、そこに示される解説は正弦波の波動の合成波形が主である。その正弦波の波の意味は何を示したものかが分からない。電圧波形を表示しているのであろうが、その電圧とはどの様な物理概念量かを深く認識していないように思う。今年(2020年)になって、漸く定在波の発生原理 (2020/09/23) および エネルギー流が電圧・電流 (2020/10/01) によって,その波の物理的意味が理解できた。電圧と言えば、教科書では、やはり『電荷』に頼らざるを得ないか、電磁誘導起電力の電圧(この場合の巻き線コイル内に『電荷』が分離するとは考えられないから、どの様な原因で解釈するか不可解。)に原因を求める。物理学理論に『エネルギー』の概念が無いから、電気回路理論にも『エネルギー』を伝送する事の論理的解釈を示し得ない『電子』によって取り繕う解説となってしまう。

定在波の学習と実験。

工業高等学校で、最初に科目『電子工学』を担当した。教科書に定在波の項目があった。しかし、その内容を教える筆者が理解できなかった。生れてはじめて自分で研究計画を立て、実験装置を組んでデータを採り、定在波を調べた。その報告を昭和42年、新潟県工業教育紀要、第3号に報告した。そこには実際の定在波の測定値が示してある。それは価値があるものだ。しかし、初心者の報告書という事で未熟にも、電源と負荷の方向が逆向き表現に成っている。その定在波が『エネルギー』の光速度伝送現象である解釈に辿り着いたので、改めてその元データの幾つかを選んで、それを電源(発振器)を左側に配置した表現に書き改めてみた。

実験供試回路。

Fig.1. 特性インピーダンスZo=500[Ω]の線路で、図のような回路構成で実験をした。発振周波数は、 f=163[MHz] 程度であった。発表記事の内容を振り返って記憶を辿るとする。

 

右は負荷終端を短絡した場合の電圧、電流の定在波測定結果である。

 

 

Fig.2.の測定結果は終端短絡時の、定在波の基本的電気現象を理解する基であると考える。定在波と言う物がどの様な電気現象によって発生するかを理解することが、直流回路を含めてすべての回路動作の理解に通じると考える。波動とは何か?それが『電子』でも『電流』でもなく、『エネルギー』の流れによって起きているという事を理解する必要が有る。

測定法の回路。検波用ダイオードと

DC mA (直流電流計)に依った。従って、線路電圧何ボルト、電流何アンペアと言う数値は測定できない。定在波の大きさの線路分布状況の測定である。

終端短絡時のエネルギー伝送現象。その定在波の発生原理を考察しておく。それが電気現象における『電荷』概念否定の検証にもなると考えるから。

電圧定在波の測定は、その電圧と言う測定量の物理的意味を確認する検証でもある。電線路上にその定在波の波長 λ [m] が示される。電源の周波数 f[Hz] と電線路空間の電波信号の伝送速度即ち光速度 c = 1/ √(LC) [m/c] と波長λ[m] との間の関係を示す。『波』と言う実態が何を表すかと言う疑問にも答えるものと思う。その光速度伝播現象と言う事実は、どの様に考えても『電子』が電線導体内を流れるという事から説明するには無理の筈だ。Fig.3. に電線路空間を伝播する『エネルギー』の伝送波δp[J/m]と反射波δr[J/m]の時間的変化を示した。最も単純な定在波がこの終端短絡時の模様である。反射波は伝送波が反対側の電線近傍空間を戻る。その反射エネルギーが電源にどのように影響を及ぼすかは明確には理解できていない。Fig.1.に示したように電源とはコイルのカップリング結合である。電源が電線路に如何なる電圧規定の機能を発揮するかが不明であるから。時刻 t1 から t6 迄の電線路上の『エネルギー』の分布の流れを示した。この線路空間の『エネルギー』の分布がその時刻の瞬時の電圧の物理的意味を表している。二本の電線の『エネルギー』の分布量の差がその電線路の『エネルギーギャップ』として『電圧』と言う技術量の原因となっていると解釈する。その意味に一つの疑問が生じる。

『エネルギーギャップ』。

定在波は電線路の位置で、『波節』と『波腹』が生じる。短絡終端から λ/4 の位置が波腹で、定在波振幅最大になる。λ/2 の位置が波節で、定在波電圧が常に零となる。Fig.4. のように、『エネルギー』が両電線空間に等しく分布した状態はエネルギーギャップδg=0 [J/m] で電圧は零である。この『エネルギー』分布の差が『電圧』と言う技術概念の意味示すことを理解するに有効と思う。決して『電荷』で電圧が決まる訳ではない。

負荷抵抗と電圧定在波測定結果。負荷抵抗は記憶の限り、ミノムシクリップで止めたように思う。また、抵抗の形状、特性も磁器のカーボン被膜抵抗や巻き線コイル抵抗など様々であった。

右のFig.5.は終端短絡位置から λ/4 の位置に負荷抵抗 R を繋いだ時の電圧定在波測定結果である。この抵抗接続点は線路終端短絡位置から丁度電圧振幅最大の位置である。元データから幾つかの負荷抵抗の場合を選んで書き換えた。負荷整合の500Ω。300Ω、100Ωおよび30Ωを選んで示した。このような具体的な定在波の測定データ波形は余り見掛けない貴重なものと思う。工業高等学校での生徒実験に取り入れたのは、生徒に対する少し望みが高すぎた。筆者自身も理解出来ていなかった。今、電流概念および『電荷』概念を否定して、初めて納得できる境地に到達したばかりである。それでも未だこの結果について理解できない点がある。

線路特性Zo=500[Ω]の適用回路である。

電圧定在波測定結果で、500Ωの場合は殆ど一定値分布である。殆ど反射エネルギーが無いからである。

その他の場合は、反射エネルギー伝送が加わり、電線路位置によって、伝送エネルギーδp[J/m]と反射エネルギーδr[J/m]との合成分布エネルギーδ=δp+δrのエネルギー線路ギャップ電圧

v=√(δ/C) [V]

の脈動の大きさが異なる結果である。この関係については上に挙げた、エネルギー流が電圧・電流 (2020/10/01) の記事が参考になろう。

測定結果の考察。負荷端は無負荷であれば、定在波最大である。

測定結果への疑問。

三つの定在波測定結果を右のー?-に示す。短絡点から、λ/4の位置が負荷端である。測定はその点から線路に20㎝毎に印をつけて、その各点の電圧定在波を測定した。波形は正弦波状の予測に合う結果を示している。しかし、100Ωの場合だけは特に理解し難い結果を示している。惜しまれることであるが、上の結果には短絡終端からのλ/4の範囲について測定しなかったことが悔やまれる。負荷で伝送エネルギーが吸収された後、短絡終端迄の伝送エネルギーの分布がどのようになるかを測定していなかったから。

(1)100Ωの場合。負荷端子の電圧定在波がゼロとは不可解な結果だ。R=αZo [Ω]で、α=0.2 の場合に当たる。この抵抗体がどの様な抵抗素材で有ったかが分からない。もし誘電体系の詰め物であれば、抵抗より容量性負荷であったかも知れない。

(2)30Ωの場合。30Ωの場合は特異な結果を示した。

(3)1500Ωの場合。30Ωと共に考察する対象として意味が大きい。

まとめ。[測定結果への疑問]についてデータの数値の詳細が不明のため、結果の詳細の検討が出来ないのが残念である。スミスチャートでの評価が可能になれば、その時点で改めて検討したい。書き始めて3カ月経過してしまった。一応公開とする。