Yoshihira KANAZAWA のすべての投稿

Yoshihira KANAZAWA について

金澤 喜平。昭和20年4月、京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅(戸籍は舞鶴鎮守府所管 巡洋艦:香取丸?)に住んで居た。舞鶴国民学校に4月、7歳で入学したが、入学者名簿には残っていないと回答を得た。新潟教育委員会での採用事務手続きが一切なし?

慣性座標系の意味不明

(2024/05/10).

『慣性座標系』と言う用語を使ったこと反省する。自分の書いた 32『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質-(電気学会、1987年4月、発表)にも慣性座標系と言う用語を使っていた。後日その資料に、「この慣性座標系と言う曖昧用語の使用は間違いであった。」と反省が記されていた。他にも、その中で数式に間違いもあって、誠にお恥かしい。ただ、この実験結果の報告は電磁場方程式の解釈が主ではなく、所謂コンデンサなどの内部に掛かる静電界に対して、そこに在る筈のない『磁界』が存在する事が最大の報告内容であった。しかし、その後の歳月37年を考えると、伝統的電磁界解釈理論と異なる、あるいは否定する結果を観ないようにするのが通例の科学界の通例なのであろう。それは又、マックスウエルの電磁場方程式それ自身が、無意味な横波解釈式である事の証明でもあった筈だ。それは結果的に、『電界』と『磁界』さえ空間を流れる『エネルギー』の密度分布波の、一つの解釈概念でしか無かった事だったのだ。直流の電気回路の電線路間の空間を光速度で伝播する『エネルギー』の伝送現象と、電波の自由空間の伝播現象と特別異なるものではないのだ。デジタルパルス信号波の『エネルギー』波をどの様なマックスウエル電磁場方程式で解釈するか?正弦波だけで、広く統合した論理性を考えないでは理学理論が教育で笑われてしまう。

ベクトル式で表現すれば、空間分布エネルギー密度δ[J/m]、電波光速度ベクトル
co [m/s] とすれば、
δ co
の光速度伝播現象の電力波 [J/s]となるだけでしかない。

『慣性座標系』に思う。

『慣性座標系』に思う。アインシュタイン選集 3 (共立出版K.K.)にも、P.271. 相対性理論とは? のp.273. に ・・力学において許される”座標系”は”慣性系”という名でよばれている。・・から始まって、幾ら読んでも理解できない曖昧な論述が続いている。この3巻は、論文とは異なるアインシュタインの様々な、講演や記事が纏められた巻である。筆者も、アインシュタインの論文の訳文ではあるが、同選集の1の p.19.に、[A] 運動している物体の電気力学について がある。それが所謂『特殊相対性理論』と呼ばれている論文のようだ。しかし、アインシュタインは『相対性原理』とか『相対性理論』とかの用語を使っている。誰が『特殊相対性理論』と呼ぶようになったか不明に思える。しかし、この論文を読む限りから判断すると、電気力学と言う表現を使っている点で、質量の運動力学と関連付けた認識で、様々な勝手な条件を付加して、極めて人の理解する困難さを織り交ぜて、独自の解釈を展開した論述に思える。その基には、マイケルソン・モーレーの実験の結果が予想に反していた事を念頭に置いたものであろうが、その事には一切触れていない所が誠に不可解な論文である。しかも、アインシュタインは全く電気磁気学についての『実験』を含めて、自身では「科学的な実験」を全く行っていない点が、筆者には理解できないことである。『慣性系』と言う用語自体も、運動力学の万有引力論の重力場の解釈からの単純な論から、独特の数学的論理を駆使しただけの論文に思える。中に、『エネルギー』と言う用語も使われているが、それがどの様な意味かは理解しかねるが。勿論光の空間エネルギー像など認識している筈もない。プランクの定数及び放射特性については知っていた筈だ。

兎に角、物理学理論全体が、アインシュタインの論文によってとても不可解な科学論の世界になったように思う。基礎概念のその物理的意味を自然世界の現実と照らし合わせて、その実像を矛盾の無い確信するまで考える事を放棄してしまった。特殊相対性理論からの一般相対性理論などが唱えられ、それとの関連での『重力波』がどの様な訳で発生するかなど全く論理性もない空想論の科学論の世界となった。ブラックホールが何処に存在すると言うのか❓

重力波-その奇怪な科学論‐

(2024/05/06).

 余りにも訳の分からない、特殊な科学者集団の科学論、その一つが重力波論だ。

 重力波とは?KAGRAなどに解説がある。

 アインシュタインの一般相対性理論の予言の実験的観測との解説もある。しかし、その基は「特殊相対性理論」にある。

 その特殊相対性理論と言う学説が全く筆者には理解できない。何が理解できないかと言うと、アインシュタインが唱えた『光速度一定』と言う座標が曖昧で、論理的に無意味である。だから、アインシュタインの『特殊相対性理論』は全く混迷の論理なのだ。社会的矛盾を科学理論に残したものである。光が『特殊性』を持つと言う解釈が間違いである。その原因は、マイケルソン・モーレーの実験の解釈を誤って認識したところにある。そこにアインシュタインの間違いがあった。その理論がその後の科学界の理論に誤解と問題を残したのだ。更に曖昧な『ブラックホール』が在るなどと言う混乱を社会に残したのだ。

 光に対して、観測者は常に相対性の下でしか地球上以外からの放射光源の光の観測は出来ないのだ。光がどの空間座標を伝播しているかをその光の観測者は認識できないのだ。光の放射源がどの様な運動速度に在っても、一旦放射された光は、その放射瞬時から光の速度を規定する空間座標に対して、所謂一定の『光速度』毎秒30万キロメートルの速度で伝播する。光は何が伝播するかと言えば、空間の『エネルギー』の密度分布波でしかないのだ。その『エネルギー』と言う物理量を現代物理学理論は認識できない欠陥状態にある。

 関連記事に、特殊相対性理論は詭弁論 がある。
 更に、信じられない事件(研究録の紛失)。驚愕事件 がある。

 

 

体温と赤血球

(2024/04/29).

 実は初めに、「体温とパルスオキシメーター」と言う表題で記事にした。しかし削除した。4月29日の新聞(新潟日報)にパルスオキシメーターの原理の発明者、青柳卓雄の記事が載っていた。素敵な業績だ。医学関係の事については門外漢の筆者は初めて知った事だ。その事で、体温の意味について赤血球との関係としての認識を纏めようと思ったのがその切っ掛けだ。パルスオキシメーターも赤血球の酸素量の意味に関係した結果を評価した原理の計測器と思う。赤血球の赤色はその内部からの放射エネルギー量によって決まるものと解釈できる。それは赤血球の内部での燃焼現象による結果のエネルギー放射量の評価に因る値だ。決して酸素を運ぶ機能ではなく、体温保持のエネルギー放射源としての意味が赤血球の機能だ。

 再び、その記事との関連として、体温と赤血球として下書きにして置いたものを取り上げる(2024/05/03 記)。

 皆さんは体温について考えた事がありますか?
 体温について、検索の解説を見ても良く分からない。そこには学術論に特有な、理由を示さない曖昧な解説が殆どだ。それらの記事を見る限り、誰も良く分かっていないように思える。特に『赤血球』の基本的機能が余りにも曖昧な認識にしかないと思う。ヘモグロビンで酸素を何処かに供給し、炭酸ガスを肺まで運び出すような解説だ。全く『体温』がどの様に保たれているかを考えない解釈だ。中に、アデノシン三リン酸(ATP)が関係している様な解説があるが、全く理解できない頓珍漢な解説に思える。

 体温の物理的意味とは❓ それは体の全身の『エネルギー』の分布の量を評価した技術計測量、温度の「 [℃] 」だ。そんな単純な『エネルギー』評価の物理的意味の筈なのだ。

 その原因は単純である。体温の物理的意味が分かっていないのだ。物理学と言う自然科学の基礎・基本を研究する学問において、物理量の『エネルギー(ジュール [J] )』の認識が無いのである。体温は体の細胞の機能を働かせるに必要な、全身の『エネルギー分布』を保持する量の、計測技術による評価概念量『℃』の数値と考える。

 電気回路の電圧の物理的意味が分からなかったのだ。電圧の単位ボルトの物理的意味が分からなかった。電気回路の電線で囲まれた空間を『エネルギー』が流れる現象が電気回路の物理的意味だ。その電線路空間の『エネルギー』分布量が電線路のコンデンサ特性C[F/m]で決まる。それと同じ意味で、体の構成物質・細胞の誘電率の特性値によるコンデンサ容量[F/(m³)] とエネルギー分布密度[J/(m³)] の比率から決まる評価量に関係した物と考えられる。

 温度 t[℃]=[(J/F)^1/2^] に関係した意味で、外界の気温との関係で、放射される体表面の放射エネルギー量の計測値の筈だ。

 『エネルギー』は温度も電圧も熱もすべてその技術評価物理量の基本で、同じ基礎量であるから。 

 今まで考えた体温と赤血球などに関する記事を拾い上げておく。

 1.体温と身体活動エネルギー「基礎理科」を想定して
 2.体温とエネルギー
 3.体温36度5分に思う
 4.体温と呼吸
 5.あッ!-体温と電圧-
 6.赤血球が謎運ぶ
 7.呼吸の意味を問う
 8.体温と基礎代謝
 9.体温と肺機能

 まとめ。
 余りにも、医学生理学の学術論から懸け離れた、素人と思える内容の解釈を記事にした。しかし、現代の科学論が余りにも専門的な極端に高度な内容になっていて、市民が理解できる内容ではなく、とても特別な自然科学論となってしまった。自然の世界の基本は、それ程複雑の筈はないと思う。確かに、医科学の血液検査の分析や生体の神秘は複雑で高度な専門性の知的知識の分野となった。しかし、電圧や体温の物理的意味が易しく説明出来ないようでは、何処かあやふやな基礎の上に踊らされているようで、自然科学者の統合的な科学論が疎かになっているようで心配だ。その問題点が教育における、『電荷』、『電子』および『イオン』等を基に解かれる教育内容だ。身近な『体温』の物理的意味を問う事で、一つの問題点として取り上がた。

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

「今日(2024/05/01)のダッシュボードに載っていた。人事問題の意味を考え始めた切っ掛けだった。周りで何を騒いでいるのか、その意味が分からずに混乱の中かでじっと我慢しながら日々を過ごした。然し年末に雲隠れをした。根本問題に何か在るかと?

根本的疑念が昭和20年8月15日の終戦の日に、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅の住所だった事に関わると認識している。舞鶴市の市民ではなかった。だから、東舞鶴国民学校で4月から4カ月以上勉強したが、入学者名簿には存在しない事を知った。人事問題は、何処で生れ、何処に住み、どの様な経歴を辿ったかが全て確認されて居なければならない筈だ。昭和14年12月1日、貝野村から舞鶴鎮守府所管に『戸籍転籍』。昭和16年9月1日、召集令状。父はその10月巡洋艦「香取丸」の在役艦。その年12月19日、「香取丸」に戸籍異動。昭和19年2月、「香取丸」被弾沈没。同19年3月31日、「香取丸」船籍除籍。その後戸籍に関する行方不明。追記、2024年5月1日。末尾に関連して」

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります(追記:昭和55年3月新聞紙上の教員移動記事に、筆者が退職となっていた。しかしそれはその4月新潟県立新津工業高等学校での離任式で、恥ずかしながら長岡技術科学大学に転勤と生徒に話をした。しかし、実際は新潟県教育委員会には筆者の正式に採用した履歴は無かったようだ。だから、どうも免職処分となっているようだ❓さらに、平成2年7月長岡技術科学大学で、もう一度免職処分に成ったようだ。しかし、新潟県からも、長岡科学技術大学からも直接『免職辞令』を貰ったことが無い。平成2年に精神病院に投獄されて4年に世間に戻ってからすべてが「免職」になっていた事を知った。その免職理由も知らない。今も理解できないで居る。以上、2024年5月1日追記。)。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

自然の世界と科学論の世界

(2024/04/30).

 今年も桜の世界はほとんど終わった。桜の花見は春に人の心をも華やかで、平和な一時に浸れる世界に連れて行ってくれる。

 自然の世界は人の心を縛らない。科学理論の世界は人の心を決まった法則に縛り付け易い。

 学校で、教科として理科や物理学を学ぶ。教えられた事を記憶し、その解釈法を学習して修得しなければならない。

 最近思う。物理学理論と自然世界の間には大きな断裂が深い溝となっていると。科学理論は経済競争の手段として、自然界を利用する視点での解釈法に取りまとめられたものだ。それが多くの『法則』となって人々の意識を縛り付けている。自然界を利用する共通の手段の統一化が図られた。それが物理学理論であり、多くの何々の法則だ。

 科学理論の法則とは何か?

 科学理論は自然世界の現象を利用する為に、人がその便利な利用法を共通理解の手段としてまとめた解釈法である。決して自然世界の真理を捉えたものではない。便利な解釈方法を述べただけである。それを信じれば、自然世界に抱く恐れや、恐怖から解放される安心感が得られると言う事もあろう。みんなと共通意識で繋がる安心感が得られる。

 科学理論の法則の欠格問題。

 それは、その法則の唱える内容を『何故か❓』と言う視点で考える事から、人の意識を遠ざける欠格問題を含んでいる事である。決して、『電荷』とは何か?『電子』とはどんな空間構造体か?等と殆ど人は疑問を抱いて、考える事をしない。

 〈問答〉の欠落した科学理論体系。

 理論:解釈法の羅列が科学理論体系となった。

 〈万有引力の法則〉:代表的法則だ。
 ニュートンが唱えた万有引力の法則。リンゴの落ちる現象を見てその解釈法に閃いて、法則を生み出したと言われている様だ。確かに重力加速度G[m/s²] が地球表面に在ると解釈すれば、殆どの運動の現象は実際の運動を正しく計算できるのだろう。しかしその「万有引力の法則」はどの様な法則かと言えば、自然世界に『質量』が有れば、他の『質量』との間にすべて引合う引力が存在すると言う解釈法を唱えたものだ。地球と月の間に、〈万有引力の法則〉を適用したとしても、地球も月もその『質量』が分からないから、その法則が正しいかどうかを検証はできないと思う。太陽の周りに地球が一定の規則で、公転し、更に地球が自転している物理的現象の意味を知りたいと思っても、〈万有引力の法則〉では理解することはできない。確かに〈万有引力〉で運動の意味を解釈できると思えば、何となく精神的な不安からより安心に居られるかも知れない。何も考えなくて済むから。そんな意味を、社会的安定化の意味を学術理論の権威は備えていると思う。

 『禪問答』がある。その究極の到達点の一つが、『色即是空 空即是色』であるのだろう。『質量』は『エネルギー』である。E = mc² [ J ] がある。その『エネルギー [J] 』が目の前にある事実を人は認識できない。光が『エネルギー』の空間分布構造体であることを認識できない。

 「クーロンの法則」、「アンペアの法則」は『電荷』に関する法則だ。その『電荷』概念を基にして、新しく『磁束』が自然世界に存在すると言う意味を生み出した解釈法だ。『電荷』と『磁束』の間の物理的意味を、その空間における物理的関係をどの様に解釈すれば良いか等と、『禪問答』は殆どしない。『何故か❓』とは問わないで済ます。

 光の屈折問題。何故光は伝播媒体間の境界で、その進行方向を変える『屈折』現象を起こすか?その解釈法にホイヘンスの原理がある。確かに光は境界面で屈折する現象の在ることは誰でも理解できる。ホイヘンスの原理の解釈法が唱えられたとしても、『何故か❓』と言う疑問には全く答えて居ない。それは一つの解釈便法でしかなく、何もその『屈折』の物理的現象に答えていないのだ。単なる解釈法を唱えただけでしかない。光を『エネルギー』光速度伝播現象と捉えない限り、プリズムの屈折現象の物理的意味など理解したとは言えない筈だ。科学技術は幾らでも精密なレンズを作り出し、高度の写真撮影技術は開発できる。光の空間像を理解しなくても。だから光が『振動』する物理的意味など無いにも拘らず、科学理論は『光の振動数』で高度な学術理論が展開される。教育では、『光の振動数』が重要な指導内容となって、子供達に記憶させる。『振動』する物理的実体など光には存在しないのだが、実験室での科学論的解釈法の共通手法に成っているからでしかない。『何故か❓』と疑問を持って、考える事は車座社会では邪魔者として排除され易いのだ。参考(#):プリズム問題で、ご迷惑を掛けたことお詫びしたい。所属が無いことで、大切な内容であったが、発表を故意に欠席した。気持ちに整理が出来ずの所業で、関係者に御迷惑をお掛けしてしまった。他にも多くの発表を無断で欠席し、御迷惑をお掛け致した。しかし内容は全て貴重なものである。

 しかし、科学法則は社会的共通解釈法の世界の構築によって、科学論の専門家の集団体制には大切な事なのだ。

 (#) 金澤:28aYE-2 プリズムと光量子の分散 日本物理学会、第64回年次大会。64-1-2. p.405.(2009).

 

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾

(2024/04/20).

 現代物理学理論の社会的価値失墜と科学者の無責任。

 具体的に、電荷概念の極めて非論理的な欠陥は誰の責任なのか?科学界全ての無責任が生み出した結果である。

 『電荷』と言う物理学の理論的論拠概念が唱えられ、一世紀半にも及ぶ今、その物理的意味さえ解説できない曖昧な、科学者の専門家集団の責任を如何に捉えれば良いのか?

 『電荷』には「正」と「負」の二つの種類があると成っている。物理的現象はその二つの空間的相互の作用によって起こると成っている。それなら、その二つの相対的作用に及ぼす関係性の原因が何かを明確に示さなければならない筈だ。然し乍ら、その具体的な原因については、論理性の片鱗も無く、全く説明が出来ない。そんな論理の欠乏した科学論が社会的に意義があるとは考えられない。こんな状態を創り上げた科学者組織には、一体どのような社会的意義が有るのか。

 確かに、科学技術は目覚ましく進展し、高度な情報化社会となり、一世紀前とは隔世の現実社会になって、肉体的苦痛から解放された生活環境での日々となった。その分人間の社会的生活様式が、とても危険性を含む状況ともなり、人の意識がより優越を競う傾向が相互間の不信や野心で、大きな危険性を孕んだ綱渡りの社会となっている。

 人が経済的な競争社会に向かえば、手に入れた科学技術は、その威力が様々な危険性を含んど物に化ける。科学技術は、基礎概念が如何に在ろうと、その経済性が故に、『電荷』等の仮想概念など何の意識する価値もない訳だから、何処までも置き忘れられたまま、誰も科学研究の対象として、研究に取り組む事など無くなっている。『論理的』等と言う哲学的な問題は日々の科学者の生活には全く影響がなく、誰も考えもしない。

 ただ、便利な解釈用基礎概念が過去に、当時の科学者によって唱えられ、仮想的に造られた便利な拠り所として利用して、物理学の基礎は盤石だ等と唱えていれば誰からも責任など追及されなくて済む。だからどんなに子供達が意味が解らなくて疑問に悩んでも、自分と同じように何時かは紛れて科学的常識に慣らされて行くから、それまで古い理論を学習しなさいと、言い逃れて無責任を押し付ける。子供達の未来の為の教育など誰も責任など持って考えないで日々過ぎて行く。犠牲者は子供達だ。

 もう一度、科学者に問う。『電荷』の「正」と「負」の違いはどんな物理的状態を言うのか?だだ単に、「正」と「負」の違いがある。それは余りにも無責任な科学論ではないか?下敷きで頭を擦れば、「正」と「負」の電荷が分かれて発生する。そんな言説で、子供達を強制的に、科学常識と言う「嘘」の世界に引き摺りこむ科学論とは学識経験者の良心に恥じないのか。〈クーロンの法則〉では「正」と「負」の電荷は引合って、電気的状況は消される。また同じ『電荷』の極性のもの同士は反発して集まらない。と言いながら、いとも簡単に人が思うように、その法則に反した状況を何の論理性も無く創り出して解釈に利用する。

 『電荷』一つだけでも、それが科学理論の社会的無責任の産物、科学者と教育機関の無責任の産物となっている。

 

マックスウエル電磁場方程式の矛盾

(2024/04/08).

 電磁場方程式は大学理学部などの物理学理論の一つの分野として取り扱われる内容だろう。
 マックスウエル電磁場方程式。 James Clerk Maxwell (1831-1879) によって33歳の時、1864年に唱えられた方程式である。

 しかし残念ながら、その方程式の唱える内容は無意味なものとなり、矛盾に在る。

 過去にも何度かその方程式について問題を指摘していた。分かり易い、具体的な問題は、パラボラアンテナと正反射 (2013/03/06) がある。マックスウエル電磁場方程式の偏微分方程式の示す意味は、電磁波の伝播現象に対して、その光速度伝播の方向に対して、直交方向に『電界』、『磁界』および「変位電流」が空間に展開される絵図で解釈される。その絵図は現実に有り得ない電磁波模様だ。光速度伝播に対して、更に直交方向に現象が起こるとは、電磁波の時間的描像の合成速度は如何程と解釈すれば良いのか?そんな光速度を超えた波動の現象は、この自然世界に有り様が無いのだ。まさに魔術的瞑想理論と成る。それは、具体的にパラボラアンテナへの電磁波の縦波エネルギー波のアンテナ反射面での電界・磁界の物理的空間状態を考えれば、直ちに偏微分方程式が無意味な表現式であると分かる筈だ。電磁波は光速度縦進行のエネルギー密度分布波なのだ。光速度伝播という、それだけでマックスウエル電磁場方程式は時間的空間展開の無理な方程式なのだ。如何に光速度と言う自然世界の原則、その光速度で規定される絶対的原則の意義、その意義の深さを留意して考えなければならない筈だ。

 今回も、『電界』、『磁界』および「変位電流」について、光速度伝播現象としての『エネルギー』に着目して、その矛盾(電荷概念・変位電流)を再度伝えたい。マックスウエル電磁場方程式が空間エネルギーの光速度伝播現象から観れば、全く無意味な方程式である事を。

 『エネルギー』の空間分布波の光速度伝播現象の意味から考えて、『電界』とその方向に流れる『電荷』の移動『変位電流』が光速度伝播方向の直交方向に如何程の速度対応で可能と解釈できるのだろうか。どうも、偏微分と言う高等概念の数式に何か惑わされた解釈論の方程式に成っているようだ。『電磁エネルギー波』の光速度伝播と捉えれば、マックスウエル電磁場方程式など殆ど意味が無い筈なのだ。兎に角パラボラアンテナ表面に到達した電磁波の『電界』、『磁界』の空間ベクトルの金属表面での意味を考えれば分かる筈だ。金属導体面に垂直に入射する『エネルギー』分布縦波の垂直反射現象の『電界』、『磁界』の空間像を考えれば、『電界』、『磁界』など殆ど無意味なんだ。易しい空間の像を描いてみれば、方程式の無意味さが分かる筈だ。電気回路のオームの法則で、『電圧』や『電流』さえも、その単純な『エネルギー』の意味との関係が理解されていないのだ。

 残念なことは、科学者と言う専門的学識経験者は過去の学術理論をそのまま伝達する役割に終始しているとしか見えない。電気回路の空間を伝送する『エネルギー』の波と言う意識が無ければ、電気料金は何(❓)に⦅ 円 / [kWH=(J)] ⦆対して電気料金を支払っているかも考えないのか?素粒子、『電荷』とは何か?と疑問を持って欲しい。『エネルギー』を消費していると言う意識さえない事になる。

 電磁波も空間分布エネルギーの分布密度 w[J/m³] の光速度ベクトル co [m/s] での伝播現象でしかないのだ。

   wc₀ [J/(m² s) ]

 

 

熱と光(電磁波、電気回路現象を含む)は同じエネルギーの空間形体の違いである

(2024/04/16).

 基本的に自然界は唯一の物理量『エネルギー』によって創造された世界である。

 太陽からの光が太陽系を構成していると解釈する。当然地球もその生物体系も、すべて太陽からの光によって創造されたと。

 その結論は、科学理論の根源概念が全て一つの物理量『エネルギー』であるとの認識に因った結論である。決して『電荷』等自然世界には実在しない。

 『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質ー  がマックスウエル電磁場方程式の矛盾を検証したから。電磁波・光と言う空間に展開した『エネルギー』の伝播現象でしかないから。『電荷』、『電子』による科学理論をすべて否定したから。

 『エネルギー』および電気回路に関する記事を拾ってみる。

 特性インピーダンスとエネルギー伝送特性 (2019/10/06)。
 エネルギー流が電圧・電流 (2020/10/01) 。
 電気回路の電圧と電流 (2020/11/27) 。
 電流の世界 (2020/12/01) 。
 『エネルギー』それが物理量 (2022/07/08) 。
 電気回路の新基礎理論に向けて (2022/08/31)。
 新電気回路理論 (2022/09/01) 。
 一寸異なる? 教育の政治的中立性と中曽根臨時教育審議会 (2023/05/19) 。
 空間エネルギーの発見 (2023/07/07) 。
 物理学理論と空間エネルギー (2023/08/09)。

『電荷』に関する記事。
 原子構造と光放射現象 (2021/04/07) 。
 原子構造論 その虚像 (2021/12/07) 。
 電荷の定義 (2022/12/08) 。
 理論物理学の電荷矛盾 (2023/11/28) 。

電界と絶縁破壊

(2024/04/07).

 標題を見れば、電気磁気学の初歩の講義内容のようで誠に申し訳ないような気持ちだ。先日も、高校生の運動中に雷が落ちて、恐ろしい事故となった。言葉で〈雷が落ちた〉とはよく使う表現だ。〈落雷〉とも言う。しかし⦅雷⦆が落ちると言うような事は無い筈だ。天から何か⦅雷⦆と言う怪しい者が落ちて来るような意味に取れるが、そんな事はない筈だ。確かにそのように言いたい程⦅雷⦆と言う現象は意味が分かり難いのだ。いや、一般の人も電気の専門家も良く分かっていると思っているだろう。それは今でも、電気の話と成れば、必ず『電荷』や『電子』によってその物理学理論は解説され、授業で教えられるているから。しかし本当の自然世界には、そんな『電荷』や『電子』などは実在しないのだ。教科書も教育も間違っているのだ。〈雷〉の意味が解らないように、電気に感電すれば心室細動が起き、命も失うように恐ろしい事が起きる。雷はそれ程、意味の分かり難い物理現象を引き起こすのだ。雷の正体 (2012/11/13) など過去にもいろいろ書いた。

 考えて見たら、結局物理学理論が科学者向きの特殊な難しい解釈法に成っていると言う事だ。様々な概念を創り出し、自然世界に『電荷』等と言う特殊な物理量が実在する訳など無いのだ。簡単に言えばそこに根本的解釈の間違いが有ったのだ。『電界』とは何か?電気磁気学理論の基本である、『電界』や『磁界』と言う理論用の概念の物理的意味を明確に認識していないところに根本的間違いがあった。

 高圧送電線路。500 [kV],1000[kV]等と言う超高圧送電線路もある。鉄塔は大地に立てられているから、アースだ。電線が3本で3相交流回路を構成し、アースの鉄塔と電線は磁器碍子で絶縁支持されている。電線間も間隔が広く、空間の絶縁距離が大きく取られている。送電線路は電圧が高く、その電線間の絶縁を空気によって保持している。空気の電気絶縁性能によって、送電線路は成り立っている。

 さて、空気の空間は電気磁気学理論とどのような関係に在るだろうか。理論では、『電界』と『磁界』、記号で E[V/m] 、H[A/m] 等と電圧の単位[V]、電流の単位[A]が基本となって理論が構築されている。空気の絶縁性能は、その空間に『何か』が存在する事で、その空間の状態が変る意味を評価する事だ。影響を与える物は何か。その『何か』が原因で絶縁が破壊されて火花のアーク放電障害の故障を引き起こすのだ。空気中の何が『電界』と言う物理的評価量の基に成っているかを認識する問題なのだ。

 空気の空間の物理的解釈法の手法に、真空透磁率と真空誘電率がある。この定数は自然界でどのような意味を持つか。それは自然科学理論を展開するに極めて重要な意味を持った定数なのだ。自然世界は「光」に支配されている。太陽光線が無ければ地球も存在しない。光の物理現象は空間の定数に因ると解釈して良い程、重要な基本定数だ。光速度 co [m/s] も空間伝播する『エネルギー(電磁波)』[J] の伝播特性もこの定数によって決まるのだ。その関係を示したのが上の図だ。この定数の空間長さ[m]はどの方向の意味を指すでしょうか?それは『エネルギー』の伝播する方向の距離[m]です。丁度電気回路空間内の『電気エネルギー』の伝播方向の長さと同じ意味だ。

 さてそこで、『電界』と絶縁破壊の空間内の物理現象の意味になる。それが『雷』の意味の解釈につながる。『電荷』など関係ないのだ。右の(A)図は球電極を1cm離して、電圧30[kV] を掛けたのだ。その電界 E=30 [kV/cm] となる。空気はこの電界になると、空気の絶縁が破壊して、火花放射現象に至る確率が高くなる。この電界は空気の状態に『何』が起きた事か。物理学や電気の教科書の解釈は『電荷』が原因で火花放電に至ると解釈される。雷では「雷が落ちた」等と言うことになる。この解釈が科学的常識論に成っている。
 しかし、『電荷』のどの様な訳で火花の放射現象になったかについての論理的説明が出来ないのだ。光になったのは『何』か?雷様が落下して、光に成った訳でもなかろう。専門家も『電荷』が衝突するとが光に成ると言う物理的現象の説明が出来ないのだ。『電荷』が光から構成されていると言う理論・訳でも無い。

 『電荷』による科学論では、深く具体的にその詳細を追究すると、何も答えられない曖昧な解釈の押し付けで済ます事になっている。論理性のない、意味不明な「クーロンの法則」の表式で。

  図(A)の球電極ギャップに火花放電が起きる原因は、その空間の『電界』と言う電気概念の正体が実はその空間内の『エネルギー』の分布状況を評価した技術量なのだ。『電荷』など無関係なのだ。その意味を(B)図に示した。球電極の負側の電極近傍空間に、密度が高い『エネルギー』分布が出来る。同じ電圧でも、空間ギャップが大きければ、『エネルギー』密度が小さく空気の絶縁性を脅かさないから、火花放電には至らない。

  電界とは空間の『エネルギー』の分布密度勾配の強さを評価する技術概念だ。『電界』が『電荷』に因る等と言う誤った電気磁気学理論が根本的な間違い理論なのだ。自然はそんな複雑な物理量・概念は持ち合わせて居ない。人間が、研究者と言う専門家が解釈用に、理論用に仮想的に創り出した概念でしかないのだ。

 図(B)のエネルギーの分布形状がどの様になるかは、実験的に観測できないから、検証できるような図は示せない。あらゆる電気現象を広く、それぞれの人が深く経験して、認識を深めて到達するより外に、真理に到達することはできなかろう。それは結局哲学になる。

 雷の火花放電に至る空間の現象を、よく観測して、光が何故『電荷』から発生するかの訳を明確に理解するより外はない。『電荷』に論拠を置く限り、論理性はそこには見えない筈だ。〈雷〉の物理現象を理解するには、海から蒸発する水蒸気の『熱エネルギー』の行へと上空の冷気との関係を総合的の捉えて、解釈する必要がある。『熱エネルギー』が何処に消えるかを理解して欲しい。光も熱も同じ『エネルギー』であることを知らなければならない。

 電気磁気現象はすべて、導線内を流れる『電子』等と言う妄想理論には無関係である。すべて光と同じ空気の空間を光速度で伝送する『エネルギー』の流れであるのだ。その『エネルギー』に対する空気の絶縁耐性が火花放電を引き起こす原因である。『エネルギー』分布の空間分布密度勾配が『電界』の意味でもあり、その強度が絶縁破壊の原因となり火花放電となるのだ。こんな話は余りにも、日常生活的で、科学論文にも成らない市民的話題だ。
 
 筆者も、大学学部の卒業研究の課題が『炭素電極ギャップの放電電圧特性』であったと、薄々覚えている。少しは高電圧は馴染みがある課題だ。