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ハミルトンの風車からエネルギーを観る

「今日(2024/05/01)のダッシュボードに載っていた。人事問題の意味を考え始めた切っ掛けだった。周りで何を騒いでいるのか、その意味が分からずに混乱の中かでじっと我慢しながら日々を過ごした。然し年末に雲隠れをした。根本問題に何か在るかと?

根本的疑念が昭和20年8月15日の終戦の日に、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅の住所だった事に関わると認識している。舞鶴市の市民ではなかった。だから、東舞鶴国民学校で4月から4カ月以上勉強したが、入学者名簿には存在しない事を知った。人事問題は、何処で生れ、何処に住み、どの様な経歴を辿ったかが全て確認されて居なければならない筈だ。昭和14年12月1日、貝野村から舞鶴鎮守府所管に『戸籍転籍』。昭和16年9月1日、召集令状。父はその10月巡洋艦「香取丸」の在役艦。その年12月19日、「香取丸」に戸籍異動。昭和19年2月、「香取丸」被弾沈没。同19年3月31日、「香取丸」船籍除籍。その後戸籍に関する行方不明。追記、2024年5月1日。末尾に関連して」

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります(追記:昭和55年3月新聞紙上の教員移動記事に、筆者が退職となっていた。しかしそれはその4月新潟県立新津工業高等学校での離任式で、恥ずかしながら長岡技術科学大学に転勤と生徒に話をした。しかし、実際は新潟県教育委員会には筆者の正式に採用した履歴は無かったようだ。だから、どうも免職処分となっているようだ❓さらに、平成2年7月長岡技術科学大学で、もう一度免職処分に成ったようだ。しかし、新潟県からも、長岡科学技術大学からも直接『免職辞令』を貰ったことが無い。平成2年に精神病院に投獄されて4年に世間に戻ってからすべてが「免職」になっていた事を知った。その免職理由も知らない。今も理解できないで居る。以上、2024年5月1日追記。)。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

風景とエネルギー

(2023/06/20).

 筆者には研究者としての位置づけが無いのか。所属、所属歴も不明で科学論を発表する立場が無いのか?研究室も無い事から、『静電界は磁界を伴う』の発表内容を明らかにするため、自費払いで物理学会に加入し、科学研究論を学会発表とブログに投稿して来た。ようやく物理学理論の基礎固めが完成した。理科教育に貢献したいが❓❓その道が観えなく残念である。1987年春からの行方不明の人事問題が解決されない訳が理解できない。「平成2(1990)年7月26日付で、国家公務員法第78条第1号により免職する の人事異動通知書」がある。更に、1964年4月1日の新潟県教育委員会での採用事務無しのまま、の人事問題も筆者の不明が弄ばれてきたまま未解決だ。いずれも共済組合加入歴が不明のまま?。
(注)国家公務員法第78条第一号とは。一 勤務実績が良くない場合 」の意味か。勤務する、即ち研究する環境、研究室が無く、前任勤務場所から人事異動が出来ていないことから、止む無く場所を変えて、研究をしただけだ。『静電界は磁界を伴う』の意味が、管理者側には御理解は無理と思い、『これで終わったね!のお言葉も聞いたので、・・』当該勤務場所では御迷惑と思い、場所を変えて30有余年に亘って研究をしてきた。過去の意味を自己確認の旅も兼ねて・・。

 科学論に入ろう。身の回りを見れば、そこには天然色の風景がある。身の周りの見慣れてきた風景だ。誰もが日常の風景など意識もしない。仕事の事、家庭の問題、あの日に決意した大切な覚悟。そんな思いの中で、風景など意識もしない。学校での物理学の授業で光の話を学習するだろう。プランクの定数の意味を学習するだろう。その次元が [Js] と聞いたがよく意味が分からないのではなかろうか。いや、次元の意味に疑問も感じないのかも知れない。

 学問は日常生活とかけ離れた次元の内容に思える。と学術論と日常生活は全く別物に思っている。

 日常生活で、身の周りに見る自然が物理学と直接結びつく学校教育であって欲しいと思う。

 下手な風景画(?)を恥ずかしげもなく提示する。

 山に入れば、山道の周りに新緑の林、道端に名も知らぬ花が迎えてくれる。風景が見えると言う事の物理的意味には深い自然現象の仕組みが有ると思う。

 光と言う物理量の意味。風景が見えると言う事は、『光の直進性』があっての事である。全風景の各点からの光が自分の眼球に真っすぐ到達するから風景が見えるのだ。決して光は曲がらない原理にある。こんな事は特別取り挙げて、論じる事ではないだろうが、そんな日常の風景にも自然現象と人が生きる生物の深い意味が有ると認識する事が大切と思う。決して学問として勉強するようなことではないだろう。それでも、そんな日常生活の中での感覚に物理学と言う学問の大切な意味が有ると。学校教育が自然現象の日常生活と結び付いた意味で、考慮されることを望みたい。

 今日、あッ!-体温と電圧‐に(いいね)が付けられた。

 体温と電圧が物理学としての自然現象の解釈論に結びつくとは余り考えないと思う。それは『エネルギー』が物理量としては、巷の解釈で『物が仕事をする能力』と言う解釈の定義がされている。そんな定義で『エネルギー』と言う概念が科学論の常識に成って居ると言う怖ろしい現実を看過できない。光はその『エネルギー』の光速度流なのだ。『エネルギー』と言う物理量の流れなのだ。日常風景が目の前に展開されて事を認識できるのも、光と言う空間のエネルギーの粗密の光速度流の物理的現象に依っているのだ。しかし、その『エネルギー』の空間分布などどんなに科学技術が進歩しても、観測する術は無いだろう。そこに自然科学理論による検証による科学的手法の不可能な限界が在るのだ。空に流れる『雲』のエネルギー密度分布(温度+質量エネルギー変換量など [J/m³] )の測量ができないと同じような意味かも知れない。

 緑の葉は植物の基本的構成要素・部位に成っている。緑は光の波長で可視光線の中央部で、5000Å程だ。この緑色は人の心を和ませ、安心感に誘ってくれるように思う。植物の葉と違って、花はその形はじめ色彩で華やぎを競っているようだ。植物の特徴は、太陽光線を吸収してそのエネルギーを有機物(炭素原子とその分子構造体)に変換する優れた機能生物体である。その植物合成体、古代の巨木が地球を大きく育ててきた筈だ。植物の繁茂が地球表面を覆っていた筈だ。その御蔭で、あらゆる動物が生まれ、消滅し、世代・生物体構造が限りない変遷を経て、現在の人間が地球を支配する時に至ったとしか考えられない。地球核の高温灼熱部が中心部にある。その燃焼のエネルギー源として地球殻の回転運動が起き、それが地震現象の基であると考える。地球核へのエネルギー供給の基は地球表面の地殻で、その基が太陽光線である。光と言う『エネルギー』は全ての物質に変換される。その機能を植物が担っている筈だ。緑の葉、葉緑素と言う細胞学の理論で解釈されているようだが、筆者はその詳しい物理現象を知らない。ただ地球等の惑星の成長には植物以外考えられない。

 日常風景で、光の特性として挙げられることは、光同士の間の非干渉性である。光は目の前で、無数の方向に伝送されている。しかしその光の間で干渉現象が無いから、互いの光エネルギーが直進できるのだ。ただ、その伝送空間に異常があれば、陽炎のように光の伝送現象の直進性が損なわれる。その空間では対象の風景が歪んでしまう。即ち、それはその空間を伝送する光のエネルギーの空間密度分布に歪が生じ、光の直進性が損なわれるからだ。こんな光の伝送特性は物理学理論として特別取り挙げる程の事ではない筈なのだが、兎に角空間を伝送する『エネルギー』と言う物理量の認識が現代物理学理論に無いことが、長い過去の理論物理学での大きな欠陥であった訳だ。それが今でも、大学の物理学教室の教育に欠けたままであると言う信じられない現状として、市民が認識すべき問題と考える。大学が考える教育機関としての役割を果たしていないのだ。自然世界に在りもしない『電子』が科学論の基礎概念と成っている現状は恐ろしい事なのだ。

 『電子』概念の無意味な事を論じたいが、小学校もどこに入学したか❓大学への入学さえ不可解で、不可解❓が解けない現状は未来に進むべき立ち位置の基準がないようだ。どの様に過去と未来を結べばよいか?

教員の地位に関する勧告

(2023/06/10).

文部科学省 のページに、標題に関する記事がある。

 1966年10月5日 教員の地位に関する特別政府間会議採択

 その趣旨に照らし合わせて、筆者は一体どのような意味付に成るのか?と考えさせられる。

 どうも、教育・研究の関係能力が無いと見做されていたのではないかと、❓不可解❓から考えてしまう。どうすれば、社会の役に立てるのかと自信が消えて・・。

 特に、1985年からの、中曽根臨教審で、文部省に関わる皆様に大変お世話になったり、御心配を多くの皆さまにお掛けしたと感謝しながらも、社会的な常識に欠け、無知が故の力不足で誠に申し訳なく存じます。

 どうも教育職・研究職の身分で無かったのではないかと、悪い頭で考え込んでしまう。皆様にお助けいただきながら、電気学会で、論文賞(共著の端くれに参加)も頂いたなど、どういう意味かと考えてしまう。

憲法第十条:日本国民たる要件と労働基準法

1986(昭和61)年4月下旬の健康診断。

長岡工業高等専門学校 電気工学科に所属?時の健康診断を受けた。

今日、また愚かなる己に気付いた。今まで、定期健康診断と言う事に関わった記憶が無かった事に。

労働基準法 (昭和22年 法律第49号)から昭和47年に派生した 労働安全衛生法(昭和四十七年 法律第五十七号) がある事を。

 筆者は今思い返せば、冒頭の健康診断を受けたこと以外記憶にない。

 新潟県立新津工業高等学校に勤務(?)していた16年間に、健康診断と言う医師による診断を一度も受けた事が無い。勿論長岡技術科学大学においても同じく、高専との勤務を挟んで、一度も健康診断の対象者としての扱いを受けた事が、経験が無い。

 厚生労働省の労働基準法にも関わる話であることになる。更に、昭和20年4月、舞鶴鎮守府所管に戸籍転籍されたまま、舞鶴国民学校の入学者名簿に無いことから、何処で義務教育を受けたかも定かでない身分からか(?)。日本国憲法第十条 国民の要件に関わる事件か。

 「国民の要件」という意味は法律で定めるとある。誠に不思議な事であるが、法例(明治31年6月21日 法律第10号)の改正が、何か関わるようだ。1.昭和39年【池田勇人 法223号】。2.昭和61年【中曽根康弘 法82号】 および、3.平成1年【竹下登 法27号】の3回の改正の訳はどの様な意味か。

 冒頭の健康診断について。

 とても不思議な事があった。4月は、電気学会の論文誌に筆者の「論文 61ーB39」が掲載された。職員の所属との関係で、今まで無かった職員の定期健康診断の対象に成ったか?その健康診断の結果、庶務課長から精密検査(胃の内視鏡検査)を受けるようにと、日時が指定されて、要請の文書がレターボックスに入っていた。5月のその時は論文執筆で忙しく、指定日時を先に延ばして、内視鏡検査を受けた。しかし、その後更に再び庶務課長から再検査の要請が来た。しかし、最初から胃の異常も感じていなかったので、危険を感じて、2度目の要請は完全に無視した。

 その後は、9月1日の持参の飲み物の味の異常の感じから、吐き出しの事件があった。その日から半年間、極秘に毎日の飲み物には、工具箱を用意し、鍵掛の対策を採って、黙って過ごした。ただ如何に逃げ切るかを考えた。

年度末に向けて、事件となったようだ。『暴れ太鼓』の歌にも成ったか?

長岡技術科学大学も新潟県教育委員会も労働基準法との関係を説明してもらわなければ、とても『特許』等関わることはできない。『電流』は流れず、『電子』の物理学的矛盾論。所属歴が何も無かった事になる。文部省の中曽根臨教審の意味は?

日本雨蛙―遊歩道で―

忘れられない事、その一つに「日本雨蛙」がある。

『電荷』と同じく、専門家の学識、解釈を否定するようなことが多くて、『日本雨蛙』の「オタマジャクシ説」の否定まで、誠に申し訳なく遺憾に思いながら!

2006年6月26日。雨上りの昼頃、遊歩道上でやっと撮った。日本雨蛙の産まれ立ての姿。長く、日の出前の散歩で、小さな雨蛙を見てきた。産まれ立てでも、逃げ足は素早く近寄りがたいのだ。まして、メジャーで寸法を計るのはとても困難だ。1.5㎝に満たない寸法で、スマートな形だ。日本雨蛙は産まれ立てでも、既に雄と雌に違いが有るように思う。この写真は雄のようだ。

この写真は、「雨蛙 その謎」2006年7月20日発行文集の裏表紙にも使った。その2006年7月24日頃の、NHK朝7時のニュースで文集を『ニセ科学』の集まりで取り上げられている様子を見たと記憶している。勿論、雨蛙の専門家は「オタマジャクシ説」であり、小生の日本雨蛙は産まれて、人の目に付く時には決して尻尾は見せない等の解釈は『ニセモノ論』となるようだ。奇跡の遭遇 (2021/10/25) にも関連して。

この日の遊歩道で、幾つかの写真を撮った。その前日から梅雨の終りの相当の雨で、土が柔らくなって、深夜に「日本雨蛙」が生まれるに適している筈と、予測して写真を撮る心算で出掛けたのだ。予想が的中して、多くの産まれ立ての姿に出会えた。

上と下の写真は両方雄か。上は傍に葉草がある。遊歩道の敷石の大きさと雨蛙の寸法が比較できる。

 

これも追掛けて、やっと撮った。雌雨蛙かと思う。

この写真は側溝を見たら、十数匹の産まれ立ての雨蛙が居た。

下の写真も同じ傍のものだ。

みんな産まれ立ての雨蛙で、決して水中のオタマジャクシからの生態の『尻尾』等は人の目には付かないのだ。土から這い出した時は既に『尻尾』は無いのが『日本雨蛙』の特徴だ。

だから、ITの検索結果を見ると、オタマジャクシを田圃から採取して、育てて大きな尻尾を示す蛙を雨蛙と称する記事が多い。

専門家と言うお方の『二ホンアマガエル』と小生の認識とは『尻尾』の違いで区別できる。最近、漸くWikipedia の記事から「オタマジャクシ」の解釈が消えている。また以前ほど、オタマジャクシ説が多くはなくなったと感じる。

 

 

日本国憲法 第53条 日本語の意味

今朝の新聞(新潟日報)記事。

国会召集放置は「違憲」 元最高裁判事、異例の意見書。

と言う記事を見た。

問題の憲法の条文は次のようだ。

第四章 国会

(第四章 国会 に関して、第四十一条 国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。から、第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判・・。の24か条からなる。)

第53条 内閣は国会の臨時会の招集を決定することが出来る。いづれの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

その内の、その条文の太字の部分に関する解釈の問題である。

今日の新聞記事に驚いた。

憲法は、その日本語としての文章はとても易しい表現で、誰もが理解し易いものだ。

今回の事件は、三権分立のとても具体的な、間違いようの無い筈の解釈が、実際の政治の問題として、内閣の読解力に疑問を抱かざるを得ない事案となっている。

問題は、臨時会を要求したのに、結果的に内閣は臨時会を招集しない事に成った。その事に対して、加藤勝信官房長官は今月一日の記者会見で、「内閣に委ねられている」と述べた。

と言うのだ。更に過去の、安倍内閣時代(17年6月)の同じ臨時会の要求に対する、訴訟に対する東京、岡山、那覇の3地裁の問題も指摘された事の内容の記事。

易しい日本語の読解力の問題でしかない筈だ。

「・・の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。」と言う文章の何処に、「内閣に委ねられている」という意味が有るのか。

ここ迄「日本国憲法」の読解力が曖昧では、政府、内閣の政治的機能を信用できない。己の日本語の読み方、読解力も小学校の入学(舞鶴❓ーどこに入学したかの日本に記録が無い)からやり直さなければならないかと不安と不可解に悩む

 

電磁気学の論理性❓

物理学の基礎分野に電気磁気学がある。

最近科学論に疑念が膨らんで遣り切れない。

みんな自分の心に生じるものだから、自己責任という事かも知れない。

一つの代表例として「電気磁気学」を取り上げる。

それは『電気』と『磁気』がその基礎概念となっている。

大学の授業で取り上げる内容の代表例が「マックスウエル電磁場方程式」であろう。『電界』と『磁界』がその専門的学理の理解の基礎概念となっている。

『電界』は『電荷』が定義されて初めてその空間概念が確定して、理解できる。『電荷』同士の間に様々な空間的関りが生じる現象の解釈論である。『電荷』には二種類がある。『正』の電荷と『負』の電荷である。しかしその『正』と『負』の空間的違いが如何なるものかについて解説した理論・論理を知らない。昔から先生が仰ったことや書物に書いてある事から、間違いのない真実と信じて疑わずに来たのが『電荷』の実状である。

その科学理論の根本を疑い、『電荷』の実像を理解しようと孤軍奮闘してきた。多くの電気磁気学の法則を考え併せて、その最も基本である『電荷』の概念とその真相を探る発表が『静電界は磁界を伴う』であった。

今改めて、問わなければならない。

大学で電気磁気学を講義されておられる先生方に。『電荷』の空間像をどの様に認識なさって居られるかと。ただ意味も無く『正の電荷』と『負の電荷』が引合うのだと述べるだけで、そこに学術論としての論理性が在るのですかと。

一定の変動しない高電圧を掛けた電極版の間は静電界と言う場の筈です。電気磁気学では『正の電荷』と『負の電荷』が両電極版に集合して、その向き合う空間が静電界と言う場になる。電気磁気学では、その空間場には決して『磁界』は存在しない筈です。

さてそこで、もしその空間が『磁界』で、コンパスが決まった規則による方向性を指すとしたら、その現象を電気磁気学でどのようにご説明為されますか。

その解釈には、『正の電荷』と『負の電荷』の間に何故引合う力が生まれると解釈するかの論理的説明が必要でしょう。『正』と『負』の間にどの様な力の概念が生まれると考えるかの論理性の問題でしかない。『電荷』には、運動力学の基本である『力』を生む対象の慣性は定義されていない筈です。物理学理論の『力』の定義に関わる基本問題の筈です。ニュートンの力学理論を御理解なさって居られれば、力と慣性は表裏一体の基本概念である筈です。『電荷』には慣性は定義されない筈です。なのに何故『力』が発生すると解釈できるのですか。

『磁気』に関しても同じ論理性の問題がある。N極とS極と言う定義概念の、その本質は何ですか。磁束が空間に伸びている像で捉えるようだ。『磁束』は力の原因となるのですか?『磁束』には力学理論の論理的対象としての『慣性』はやはり無い筈です。何故『慣性』の定義されないクーロンの法則が『力』の法則として成り立つと解釈されるのですか。『力』は慣性で抵抗があるからこそ生じる概念ではないのですか。慣性が無ければ、瞬時に無限速度で力の対象が消えてしまう筈です。それが科学の論理性ではありませんか。

電気磁気学と言う余りにも、現代物理学理論の根本理論であり乍ら、極めて曖昧な矛盾論が科学常識として大学で講義されている現状を如何に認識されているのでしょうか。

30数年前の『静電界は磁界を伴う』の実験的検証の意味を問うのです。

昭和62年5月の怪しさ(人権侵害事件)

長岡高等専門学校から殺害の危機から逃れて、長岡技術科学大学に戻った。

第1点。昭和62(1987)年4月2日頃、仙台市の東北大学で『静電界は磁界を伴う』を電気学会で発表した。その内容が現在の物理学の論理矛盾への研究の原点となった内容だ。すべてその内容につながっている基本研究だ。既に、大学ではもう電力工学での研究は出来ないだろうと覚悟もしていた。しかも人事で、初めから教授、助教授などの身分が転勤に関わるとは意識していなかった。それは新潟県(?)からの大学への転勤(らしき偽装形態?)をも経験していたから。その時に、昭和62年2月、前もっての難波江教授から津端教授に会って欲しいとの要請をお断りした。多分人事関係の話と思った。4月から何が始まるか全く意識もしていなかった。人事の意味を正規で経験した事が無かったから、考える余裕も無かった。

第2点。人事の発端とその問題。新潟県教育委員会での採用の身分でなかったから、昭和55年4月の移動も転勤の人事ではなかった。前職無しの不可解な、技術科学大学への転勤でない採用人事であった。如何にも転勤らしさを新潟年教育委員会は表面上繕った。新聞で昭和55年3月退職者になっていた。最初から怪しい技術科学大学への転勤らしき様相の採用形態であった。『公立学校共済組合』の加入事務手続きも、一切県での採用事務関係の手続きは無かった。十数年後に突然と言う感じで、昭和54年8月「新潟県知事部局(君 健男知事、金子 清副知事-長岡技術科学大学参与)」から自宅宛てに『極秘県外出張の要請書面』が届いた。昭和53年母が亡くなったと同時に新潟県庁、教育委員会関係から不可解な人事関係の要請が届き始めた。『公立学校共済組合の組合員』ではなかった。昭和39年4月から新潟県教育委員会との採用事務手続きを一切受けていない。何処とも契約をしていなかったことを最近始めて知った。みんな偽の『らしき採用形態』で処理されていた。そのような過去の関係からして、文部省人事が可能とは考えられない当時の状況であると解釈できる。

第3点。上記の経過後、昭和62年5月。連休を妻と柏崎の米山会館に行ってきた。その直後、長岡技術科学大学のパワー研、研究棟の廊下で、難波江教授が妙な事を尋ねた。「柏崎に行って来たか?」と、行って来たから「そうだ」と答えた。それが不思議な事に、そのすぐ後に、当時韓国から留学生『ホウ』君がいた。その『ホウ』君がすぐそのあとすぐに難波江教授と同じことを尋ねた。だから行って来たとは答えたが、誠に後で考えれば不可解極まりない事であった。結局その意味が分からず最近まで過ぎてしまった。

この石が柏崎米山会館で購入したものだ。「石の囁き 聞こえますか」に載せた石だ。多分紹介の記事のも書いたと思うが、ある時期この石が戸棚から消えていた。しばらく後に不思議にも戻っていた。気味が悪いが捜査機関の仕業かと考えられる?しかしその記事気がいつの間にか削除されてしまった。全く不可解続きなり!!この石がどうも私が『万引きした』と言う人権侵害事件にでっち上げた物ではないかと気付いた。恐ろしき犯罪国家❓行政❓。不都合な記事は削除される。留学生迄事件の中に取り込んだ、不可解な恐ろしき次第なり。大学事件の顛末がこの辺にあるようだ。

結局筆者の引きこもり事件として片付け続けているようだ。大学でも人事の「退職事務手続きさえさせても貰えず」に今日を迎えた。新潟県教育委員会はじめ、長岡技術科学大学でも人事事務の正規な関係を受けた経験もなく今日に至る。

『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質- この意味を生かしたい。

私は何者でしょう(2)消えた記事

2012年11月の記事で何故か消された記事

貝野村と舞鶴鎮守府の記事と同時期に記事。

プロフィール写真を付けた。名前がプロフィールでは『吉平』あるいは『良平』と表示される。正しい名前の漢字での『喜平』と表示されない。下の記事の住民票に名前の読み仮名『ヨシヒラ』が登録されていないことが原因だろう。矢張り舞鶴鎮守府が原因だろう。

戦後75年間の不可解 (2020/06/23)。新潟県教育委員会の過去と未来 (2013/11/01)。みんな繋がっているようだ。

舞鶴草

(2021/06/13) 。この日の誕生日の花が舞鶴草だ。

『給料の支払いが無い』という意味を考えた。目から鱗・をぶり返すようで心苦しい。昭和46(1971)年4月末に、A型急性肝炎で3か月間入院した。その3か月間も手渡し給料方式だから、給料は配達もされなく、受け取っていない。昭和44年10月から翌45年3月までの住所は何処で、職業身分は?と合わせて❓給料の受取が無い。長岡市行政当局として、住民税はどのような取扱いになっていたのか?新潟県民税はどのようになっていたのか?財務省(大蔵省)の所得税はどのようになったいたのか。日本政府への疑問だらけは??ーみんな舞鶴鎮守府への戸籍転籍(家族4人)昭和14年12月1日 (1939/12/01):新潟県中魚沼郡貝野村、南雲村長。および昭和16(1941)年12月19日:香取丸(巡洋艦)へ戸籍(家族4人)移動、舞鶴鎮守府発令。昭和19年2月7日:香取丸被弾沈没。昭和19年3月31日:香取丸船籍除籍。新潟県中魚沼郡貝野村への帰還記録なしーが原因か?

時と歩んだ世界 の末尾記事:貝野村事件の元か?