タグ別アーカイブ: Magnetic field

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

「今日(2024/05/01)のダッシュボードに載っていた。人事問題の意味を考え始めた切っ掛けだった。周りで何を騒いでいるのか、その意味が分からずに混乱の中かでじっと我慢しながら日々を過ごした。然し年末に雲隠れをした。根本問題に何か在るかと?

根本的疑念が昭和20年8月15日の終戦の日に、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅の住所だった事に関わると認識している。舞鶴市の市民ではなかった。だから、東舞鶴国民学校で4月から4カ月以上勉強したが、入学者名簿には存在しない事を知った。人事問題は、何処で生れ、何処に住み、どの様な経歴を辿ったかが全て確認されて居なければならない筈だ。昭和14年12月1日、貝野村から舞鶴鎮守府所管に『戸籍転籍』。昭和16年9月1日、召集令状。父はその10月巡洋艦「香取丸」の在役艦。その年12月19日、「香取丸」に戸籍異動。昭和19年2月、「香取丸」被弾沈没。同19年3月31日、「香取丸」船籍除籍。その後戸籍に関する行方不明。追記、2024年5月1日。末尾に関連して」

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります(追記:昭和55年3月新聞紙上の教員移動記事に、筆者が退職となっていた。しかしそれはその4月新潟県立新津工業高等学校での離任式で、恥ずかしながら長岡技術科学大学に転勤と生徒に話をした。しかし、実際は新潟県教育委員会には筆者の正式に採用した履歴は無かったようだ。だから、どうも免職処分となっているようだ❓さらに、平成2年7月長岡技術科学大学で、もう一度免職処分に成ったようだ。しかし、新潟県からも、長岡科学技術大学からも直接『免職辞令』を貰ったことが無い。平成2年に精神病院に投獄されて4年に世間に戻ってからすべてが「免職」になっていた事を知った。その免職理由も知らない。今も理解できないで居る。以上、2024年5月1日追記。)。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

電気磁気学理論の不可解❓

 今日は日本の祝祭日 『文化の日』だ。


 この電気回路で、Lamp の物理的機能は何でしょう?

 電源は Power source と言うが、その Power が電力 [W= J/s ] ようなエネルギー [J] の時間微分値となるから、その物理量の意味が曖昧となる。時間的平均値の物理量の概念は、空間に実在量として存在する物と異なる、抽象的で曖昧な概念となる様だ。上図には、エネルギー源 Energy source と電源が供給する『エネルギー』であることを直接印象付けるべく表記した。電源は負荷が要求する物理量が『エネルギー』である事を認識して、表記するべきと考える。その空間概念が物理学理論には無いようだ。

 科学理論の基礎に電気磁気学がある。
 その電気磁気学理論の全体に極めて大きな矛盾を感じていた。それは物理学理論全体に広がる矛盾でもあった。その事が、この WordPress に投稿させて頂いた初期の記事となった。それをここで纏めておく。

 磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。 電流計は何を計るか (2010/11/10) 。電流は流れず (2010/12/22) 。

 10数年かけて、様々な自然世界の現象について、一般社会常識の認識に違和感を抱く事が多くあった。日本雨蛙の生態やら津波現象の物理的解釈やら本当に多くの事で、専門家の論説に違和感を抱き、その都度自分の思いを投稿させて頂いてきた。今に至るも、その思いは間違っていなかったと思っている。

 今月に入り、この11月1日が新潟県の⦅新潟教育の日⦆と定められたようであり、子供達の為の『教育環境』を整える意味でもあるかと考えた。そして思った。今の教科書の内容は、とても子供達に胸を張って進められるようなものでないと思った。これだけ科学技術の恩恵を受けて、便利な世の中に成っているにも拘わらず、子供達には心安らかに日々の生活が、学校生活が楽しく過ごせるかと思うととてもそんな状態でないと思う。それは理科教育で、中学生が『電子』が電流と逆向きの導線内を流れると教えられている一事を考えただけで、空恐ろしさを抱かざるを得ない。決して電気回路の導線内など『電子』が通ることは無い。訳も分からないことを強制的に憶えこませる教育であってはならない。覚えるより自然の姿の不思議さに感動する楽しさを味わえる理科教育の内容が多い教室授業であって欲しい。中学生の理科教育内容はそんな意味で十分と思う。

 このような電子の逆流の説明の現実に、教育の現実に、優れた科学者が多く居られるにも拘らず、子供達の教育内容に心砕いて頂けないのかと。大学の理学部では、本当に現在の電気磁気学の矛盾に気付かないのかと理解出来ない。初期の電気磁気学に関する記事を、もう一度取り上げる手がかりとして拾い上げた。電気回路では、決して『電子』が何の機能、役割も果たし得ないことを解説したい。電流とは何か?について『電子』の意味とエネルギー流更に磁束の意味について述べよう。そんな哲学ともとれる内容であるが、科学的な実験で検証できない空間に流れる『エネルギー』の意味の重要性について御認識頂ければとの思いだ。

過去を振り返って(地磁気と電磁エネルギー流)

 ここに反省を込めて!
 我が珍妙なる過去を記憶の限りで記録してみよう。1988年の暮れに、我が身の存在の意味を確認する為、代わりの研究方法を求めて雲隠れ逃走をした。長く35年程経過した今だから分かった事だ。公立学校共済組合、文部省共済組合の何方にも加入していなかったようだ。それは学校の教員と言う教育者でも、学術研究に携わる研究者でもなかったのか?とその訳と意味を理解し切れていないままに居る・・。政治も行政も正義のために存在すると安易に思って、疑いなど持たなかった。しかし今は、とても不審に思う事が多い。

 32 電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 (昭和63年電気学会全国大会)。

 研究者とは何か? その何も分からない、闇夜を彷徨うが如き過去の時代の流れの中で、発表したものが上の標題の投稿だ。この論考で、明らかに間違っていたと分かったのでその訂正を兼ねて、現在の「地磁気の物理的解釈」を述べておきたい。また、その投稿者名が筆者一人だけである。研究者の所属、講座について何も考えていなかった事を思うと、我が無知を恥じ反省しなければならない。

 前の1987年10月、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収の関する考察」電気学会電磁界理論研究会資料:EMT-87-106. を発表していた。
 それも筆者一人の投稿者である。どこの研究室に所属している訳でもない。ただ、その年、1987年の年末に、パワー研に誘われて、年末の忘年会に参加させて頂いたが、既に研究対象を物理学理論・電気磁気学理論以外に自分のできる研究対象は無いと思っていた。恐ろしき無知を反省すれども他に進む研究の道は無かった。

 上の論文の間違いは、電磁エネルギーの光速度伝播の上空電離層での反射現象として解釈していた事だ。現在の地磁気現象の認識は、地球表面を自転の方向に電磁エネルギーの光速度伝播流が存在する。その電磁エネルギー流と言う解釈は正しかったのだが、電離層での反射現象では無かった。
 しかし、読み返しても面白く意義がある内容と思う。 1.まえがき と 4.むすび には、今の結論に繋がる意味が既に指摘してあったので再掲したい。

1.まえがき  現代物理学の重要な分野に電磁気学がある。筆者はその電磁界解析に対して、Maxwell電磁場方程式は十分条件を満たしていないと考える。真空自由空間における電磁現象を波動の伝播と言う概念でなく、電磁エネルギーの光速度伝播現象として捉え、その必要・十分条件を満たす空間瞬時電磁界ベクトル解析式を提唱した⁽¹⁾。電磁界に対する本理論の意味を簡単な実験によって確認し、直流定電界(静電界のこと)中に磁界が存在することを報告した。この実験事実について考察し、電磁エネルギーの光速度伝播という概念から電磁気学を統一的に解釈することを試みた。その結果電磁界理論の重要な基礎概念である電荷や電流までも棄却しなければならなくなってしまった⁽²⁾。
 自然現象の物理的概念は単純でしかも統一的な基礎概念に必ず就職するという哲学的願望を捨てることはできない。自然現象を深く認識しようとすれば、今までの理論的考察の拠り所としていた基礎概念をつぎつぎと捨て去らなければならなくなり、最後に残るものは電磁エネルギーの光速度伝播現象になると考える。この電磁エネルギーの概念についても現在の十t頃明確な説明はできないが、本論文では不明確ながら電界と磁界という二つの電気的概念を考察の拠り所として、電磁エネルギーの光速度伝播という物理的概念および電磁エネルギーと電磁的質量との等価性について論じる。(また、この電磁エネルギーの反射現象について考察し、地磁気の発生原因を電磁エネルギーの反射現象として捉えるべきであることをていきする。)この部分は明らかに、誤りであったので削除となる。
 
 2. 電磁界と電磁エネルギーの物理的概念  

 3. 電磁エネルギーの反射と地磁気の解釈

 4. むすびー現代物理学の基礎は何かー   現代科学の学問体系は高度に専門化され、各専門分野ごとに独自に発展して来た面もあり、その専門用語にしても分野によってその意味や概念が必ずしも同一とは限らない。自然科学の目的が自然現象の奥にある心理やその基本法則を明らかにすることであれば、各分野の拠って立つ基礎概念が統一されていなければならない。しかし、「多くの点で今日は基礎が不確かで土台が動揺している時代であるように思われる。⁽³⁾」は今日まで続いていると思う。筆者はその統一的な基礎概念として、電磁エネルギーの光速度伝播という概念になるのではないかと思う。Bertrand Russell の「質量は単にエネルギーの一形態である。・・・物理学において基本的なものは物質ではなくエネルギーである⁽⁴⁾。」という言葉こそ物理学の本質を述べていると思う。
 本論文では、電磁エネルギーと質量の等価性や地磁気の発生原因が電磁エネルギーの反射現象であることを論じた。

 現在は、地磁気の原因を 世界は軸性エネルギー流によって創られた。 の中の地磁気とコンパスに示したような現象として捉えている。

参考文献
(1) 金澤:『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質- 昭62年  電学全大
(2) 〃 :電磁エネルギーの発生・伝播・反射・および吸収に関する考察 電学会、電磁研資 EMT-87-106.
(3)W.パウリ:物理と認識(篠田純一訳)p.49. 講談社
(4) M.ヤンマー:質量と概念(大槻義彦他訳)p.159.講談社

オーロラとエネルギー

(2023/05/29).

 はじめに。 オーロラの現象は、おそらく極地の寒気で寒いときに発生するだろう。原因の一つ。それは地球表面を地球の回転方向へ流れる『エネルギー』がある。それが地磁気の物理的原因である。コンパスが北を向く原因は地表面のエネルギー流とコンパスの軸性エネルギー流との近接作用力が原因である。又地表面には水蒸気も流れている。極地が冷気に包まれると、空気中の水蒸気が凍り、軸性エネルギー流の磁気と気体中に残された熱エネルギーが飽和し、光放射現象を起こす。要するに光放射は『エネルギー』の貯蔵限界を越えた結果の発光現象である。〈雷〉が水蒸気の空間放射熱エネルギーの飽和限界での発光現象によって引き起こされる熱(エネルギー)の飽和爆発である。オーロラもそれに似た空間飽和熱エネルギーによって起きる連続的な光放射現象と見做す。オーロラも雷に似た熱エネルギーの光エネルギー変換現象と見做す。初めにオーロラの物理的現象の解釈を示した。

 オーロラと電磁界 を昨日投稿した。オーロラそのものが、自然現象の一つの代表的な神秘に思える不思議である。この様な不思議は、物理学理論の解釈理論の研究対象に成る。天空に繰り広げられる素敵な天然色の饗宴であるから。

この図は次の記事で載せたものだ。また不可解な事に、この図がブログのメディアから消え去っている事である。改めて原図を探し出して載せた。

前に、オーロラの正体は? (2013/04/13)  にも記事を投稿していた。

 遠くの宇宙の天体現象とは少し異なるかもしれない。地球極地の天空に繰り広げられる現象である。しかし、土星や木星にも起こるもののようだ。その現象をどの様な物理現象として解釈するかはとても大切な問題と思う。その意味は、科学技術での研究は具体的な実状として、その実用上の結果が明確に表れるから、評価は明らかである。しかし、物理学理論においては、様々な解釈理論が提唱されるが、その真偽は極めて曖昧である。

 物理学理論と自然現象の解釈理論で、多くの場合で、その理論が曖昧な論理性の上に構築された場合がとても多くあるように思える。それは自然世界に、決して存在しない『電荷』が物理学理論の根幹概念として、現代の科学論の科学常識となった事に原因の多くがあるように思う。その『電荷』が科学研究者によって創造された結果、社会的混乱として未来の不安を醸し出してしまった。それはまた、その根源が空間に実在する『エネルギー』と言う物理量を認識できない科学理論の世界を構築してしまった点である。

 『エネルギー』とは何か? その意味を考えずに今日に至った不可解が厳然と目の前の障壁となっている。

 このオーロラと言う現象は、その『エネルギー』と言う物理量を考えるに好適な自然現象と思った。
 
 バートランド・ラッセル卿が指摘した。世界の物理量は『エネルギー』に集約されるだろう。と指摘された事を#末尾文献#で知った。それは、筆者が考えることと同じである。このブログで、科学理論の意味を考えた初めで、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07)の記事 がある。

 オーロラの魅力はその天空で繰り広げられる、カーテン状の光輝く様子である。極地上空に、どの様な理屈でレース状の地球回転軸を取り巻くような光放射膜を発生させるかの訳が示されなければならない。太陽風が原因で、地球回転軸に対称な帯状の光気膜が出来るだろうか。

 先ず、光の発生原因が何か?その前に、光とはどの様な物理現象の結果として発生するのか。光とは、その空間像がどの様な物理実体なのか。光には振動する物理的実体など何もないのだ。『振動数』は光の検出法上の科学的計測法に伴って捉えられる、その機械的な評価法の数値でしかないのだ。決して横波で振動する実体など何もないのだ。空間に分布した、『エネルギー』の密度波の光速度の進行方向への流れでしかないのだ。

 『エネルギー』は空間を伝播する。理論物理学が専門の研究者に、せめて電気回路の現象を考えて欲しいのだ。そこでは『電子』などは全く不要の概念なのだ。少し古い記事、電線路は『エネルギー』が主役のLC舞台だ (2017/01/07) および昨年の、新電気回路理論 (2022/09/01) をその意味で挙げておく。

Wikipedia には、『エネルギー』とは物体が仕事をする能力の事である。等と解釈が示されている。また、温度とはエネルギーが自然に移動していく方向を示す指標である。等との解説が示されている。気体分子運動論などで解釈する温度ではない筈だ。温度も『エネルギー』が空間構造の内部に貯蔵された『エネルギー』の光と異なった形態の『熱エネルギー』の量的評価概念である。残念ながら、Wikipedia のような解釈では空間に実在する『エネルギー』の物理量を認識できる筈はない。それは電気回路現象から『エネルギー』の意味が解る筈だ。

 #文献#:質量の概念 マックス・ヤンマー 著。大槻義彦ほか訳。講談社。

クーロンの法則の眞相

大変だ。クーロンの法則と言えば無意識に『電荷』に関する法則と思う。それは、『電荷』の単位が「クーロン[C]」であり、フランス人のクーロン (Charles Augustine De Coulomb  1736-1806)の業績を讃えて採用した『電荷』の単位と思い、その関係からの意識によって。

実は、『電圧』の概念がどの様に構築されたか気になって、『電圧概念の起源』として検索して確認した。ボルタの電池の発明の頃の関係としてどの様に測定と概念が採られたか?を調べた。その検索結果の中に、電気の歴史年表と言う記事に出会った。

その記事に、「クーロンは磁石には2つの異なった極があり、同じ極は反発しあい、異なる極は引合う。力は距離の2乗に反比例する。」があった。

その当時は未だ『電荷』の意味がそれ程はっきりと意識されていなかったのではないかと思った。『電荷』に対して『磁気』なら磁石で感覚的にも分かり易い経験的意味で意識できたと思った。

おそらく、20世紀に入ってから、『電荷』の単位「クーロン [C] 」から、誤って磁気に関する法則を『電荷』に関するものと物理学教科書などで解説した事が始まりであった結果ではないかと思った。

クーロンの法則を斬る (2013/01/06)の旧い記事であるが、その中で・・斬る 等と記したが、それはあくまでも『電荷』に対する意味に対してであった。

『電荷』など決して、自然世界に実在する物理量ではない。改めてあらゆる自然世界観を基礎から作り直さなければならない所に立って居る筈だ。物理学理論の根幹から作り直す時代に居るのだ。原子構造の認識も『電荷』では矛盾論のままだから。

電磁気学の論理性❓

物理学の基礎分野に電気磁気学がある。

最近科学論に疑念が膨らんで遣り切れない。

みんな自分の心に生じるものだから、自己責任という事かも知れない。

一つの代表例として「電気磁気学」を取り上げる。

それは『電気』と『磁気』がその基礎概念となっている。

大学の授業で取り上げる内容の代表例が「マックスウエル電磁場方程式」であろう。『電界』と『磁界』がその専門的学理の理解の基礎概念となっている。

『電界』は『電荷』が定義されて初めてその空間概念が確定して、理解できる。『電荷』同士の間に様々な空間的関りが生じる現象の解釈論である。『電荷』には二種類がある。『正』の電荷と『負』の電荷である。しかしその『正』と『負』の空間的違いが如何なるものかについて解説した理論・論理を知らない。昔から先生が仰ったことや書物に書いてある事から、間違いのない真実と信じて疑わずに来たのが『電荷』の実状である。

その科学理論の根本を疑い、『電荷』の実像を理解しようと孤軍奮闘してきた。多くの電気磁気学の法則を考え併せて、その最も基本である『電荷』の概念とその真相を探る発表が『静電界は磁界を伴う』であった。

今改めて、問わなければならない。

大学で電気磁気学を講義されておられる先生方に。『電荷』の空間像をどの様に認識なさって居られるかと。ただ意味も無く『正の電荷』と『負の電荷』が引合うのだと述べるだけで、そこに学術論としての論理性が在るのですかと。

一定の変動しない高電圧を掛けた電極版の間は静電界と言う場の筈です。電気磁気学では『正の電荷』と『負の電荷』が両電極版に集合して、その向き合う空間が静電界と言う場になる。電気磁気学では、その空間場には決して『磁界』は存在しない筈です。

さてそこで、もしその空間が『磁界』で、コンパスが決まった規則による方向性を指すとしたら、その現象を電気磁気学でどのようにご説明為されますか。

その解釈には、『正の電荷』と『負の電荷』の間に何故引合う力が生まれると解釈するかの論理的説明が必要でしょう。『正』と『負』の間にどの様な力の概念が生まれると考えるかの論理性の問題でしかない。『電荷』には、運動力学の基本である『力』を生む対象の慣性は定義されていない筈です。物理学理論の『力』の定義に関わる基本問題の筈です。ニュートンの力学理論を御理解なさって居られれば、力と慣性は表裏一体の基本概念である筈です。『電荷』には慣性は定義されない筈です。なのに何故『力』が発生すると解釈できるのですか。

『磁気』に関しても同じ論理性の問題がある。N極とS極と言う定義概念の、その本質は何ですか。磁束が空間に伸びている像で捉えるようだ。『磁束』は力の原因となるのですか?『磁束』には力学理論の論理的対象としての『慣性』はやはり無い筈です。何故『慣性』の定義されないクーロンの法則が『力』の法則として成り立つと解釈されるのですか。『力』は慣性で抵抗があるからこそ生じる概念ではないのですか。慣性が無ければ、瞬時に無限速度で力の対象が消えてしまう筈です。それが科学の論理性ではありませんか。

電気磁気学と言う余りにも、現代物理学理論の根本理論であり乍ら、極めて曖昧な矛盾論が科学常識として大学で講義されている現状を如何に認識されているのでしょうか。

30数年前の『静電界は磁界を伴う』の実験的検証の意味を問うのです。

コンパスが示す道

今年初めに、磁気に関する記事をまとめた。文末に、「コンパスは自然世界の羅針儀 」。

電磁気学の要-Axial energy flow- (2019/03/03)で原子結合等もマグネットの機能が担っている事を述べた。

コンパスの指し示す意味が科学理論の本質の理解に欠かせないと思った。

コンパスは何故北を指すか?

誠に気が重い。筆者のような謂わば偏屈者が、伝統的で歴史の重みを背負った科学理論に異論を唱える事態をどう理解すれば良いかが分からず、途方に暮れる。

長い科学技術理論(電力工学の半導体電力制御論)に関わったお陰で、あらゆる電気理論の諸法則の深い意味を統合することによって、その関りに於いての矛盾が観えてきた。見えるもの 見えないもの (2015/03/12)にも『電荷』の意味を述べた。『電荷』と同じく『エネルギー』も目で見ることはできない。自然の眞髄は見えないものを観ることに尽きるかと思う。見えるは目で確認できるが、観るはその空間像を見ることが出来ないものを心で捉える意味と解釈する。

コンパスの磁極近傍空間に『エネルギー』が回転して流れていると観る。

『静電界は磁界を伴う』と表現した。しかしもう少し具体的な表現をすれば『静電界もエネルギーの回転流の場である』となろう。電界も磁界も同じ『エネルギー』の光速度流を解釈する技術的評価概念であると。

磁気コンパスの認識で、その磁極の Axial energy flow の方向の見えないものを観る作務であったと思う。何故マグネットの磁気は消えないかが不思議な疑問として残る。

世界は軸性エネルギー流によって創られた (2021/01/04)。

コンパスは自然世界の羅針儀 (2021/01/05)。

エネルギーと素粒子

現代物理学理論の研究内容はとても高度な学問で、筆者のような、その分野の素人にはとても理解の出来るものではない。だから素人がそんな特別の研究に異論を唱える事は、社会的常識からは許されない。しかし同じ自然科学の分野に属する学問であり乍ら、素粒子論の目指すものが一体この自然世界の中の何を探ろうとしているのか位は、誰もが理解できるものでなければならないと思う。『電荷』の存在理由さえ無いと分かった現在、改めて学問の意味を問いたい。何処でどのように関わる道があるのか?スポーツじゃないが、科学論を戦わす土俵は何処にあるのか。

ここでどのように解釈を論じても、専門家は見向きもせず、無視されるだろう。専門家が唱える内容は、量子色力学(QCD)、コペンハーゲン解釈、反水素原子あるいは電子気体モデル等の概念用語の高度専門的学術理論の世界である。しかしここで取り上げる内容は、中学生の学習内容程度の易しい範囲の電気回路論でしかない。しかしその内容は、初歩的でありながら、教科書にも解説されていない、新しい電気回路論である。『電子』の存在理由も無い事を唱える電気論である。

しかし、敢えてその素粒子研究が未来の社会への希望となるかを専門家にお聞きしたい。基礎研究は役に立つかどうかは分からない事でも、研究が大切な事は分かる。それでも科学への理解を深めたい思いを、共通の市民科学意識の深まりの為にやさしい電気回路現象との関係で確認したい。

何を確認したいか?それは空間に在る『エネルギー』はどのような素粒子から成り立っていると現代物理学理論の高度な自然世界の認識から見て解釈されておられるかを理解したい。それほど難しい事ではないと思うが、とても不思議に思うのは、物理学理論では空間に在る『エネルギー』をどの様に理解されているかが分からないのだ。

電気回路のエネルギー。

右図は豆電球の点灯回路だ。懐中電灯と同じだ。ただ、電線路の途中にコイル、電線を巻き付けた部分がある。回路要素としてはインダクタンスと言う。その値を Laa[H] とする。先ず、物理学理論ではこの電気回路現象をどの様に捉えているか。『電子』が回路動作の主役として取り上げられているように思う。しかし、そんな解釈はもう止めなければならない筈だ。その点に関して既に、中学生への応援電気回路論 (2021/05/09) でも解説した。自然現象はとても易しく、素直に接すれば分かり易いのだ。難しい概念で解釈すべきでなく、深い純粋な自然の心に触れて欲しい。それが空間に在る『エネルギー』なのだ。そこで述べた事はランプから放射される光は『エネルギー』であり、電池から供給されるのも『エネルギー』であり、電気回路全体の動作の主役は『エネルギー』であるという事だ。決して『電子』などの出る幕は、電気回路には無いという事である。ー今し方、8月16日10時半頃、上空をヘリコプターがうるさい轟音を挙げて行きすぎた?ー

コイル内の『エネルギー』の存在確認。

今までの論考で、電気回路は電線で囲まれた空間を『エネルギー』が光速度で伝送される現象の機能回路だと分かった。マイナス側の電線の近傍空間を伝送する現象だと。しかしプラス側にコイルがある。一体そのコイルにはどの様な意味が有るのだろうか。この回路の電流 I は電圧を V とすれば、

I= V ÷ R

と計算される。コイルの意味は式には何も現れない。ではコイルは電気現象に何も関りが無いかと言えば、そうでは無い。確実にコイルの中には『エネルギー』が貯蔵されている。しかもプラス側の電線路のコイル内である。その『エネルギー』を物理学理論ではどのような概念で理解しているかが分からないのだ。物理学理論では『エネルギー』が空間に在ると認識しているのだろうか?その『エネルギー』は『電子』など全く関りが無いのだ。もし、電気回路に『電子』が欠かせない論理的基礎概念だと言うなら、その訳を解説して頂かなければならない。『電子』がどの様に『エネルギー』の発生原因であるかを。

コイルの中の『エネルギー』は電気理論では一応、

E=(1/2)Laa×I² [J]

と解釈している。その式を理解するに、電流が『電子』の逆流と解釈するから、その式の『エネルギー』の意味を捉えるのは甚だ難しいだろう。

だからコイル内の空間に『エネルギー』が実在するとの解釈は教科書には無いのだ。何故か空間の『エネルギー』は物理学理論では認識していないようだ。

コイル内の『エネルギー』の実在性の証明。これがまた難しいのだ。コイルに電流が流れると、コイル内には「アンペア―の法則」によって『磁束』が発生するとの解釈を迫られる。自然世界に磁束など全く無くても、物理学理論によって、解釈の手法が決められてしまう。そこでコイル内に『エネルギー』が実在することをどう科学的論理で証明するかとなる。それが磁気コンパスに頼る事になる。有り難きコンパス様、様である。確かにコンパスをそのコイルの傍に近付けると、決まった向きにコンパスが向く。それは実験で確認できる。しかしだ、コンパスがコイル内で力を受けて、向きを変えたとしても、それがコイル内に『エネルギー』が実在する証明になるとは物理学の専門家が認めるかどうかは分からない。元々磁界と磁気コンパスの間の力の原因を物理学理論で、その訳を説明できるかどうかが怪しいのだ。磁気の「クーロンの法則」で、n極とs極の関係で解釈しているだけであるから、磁束があると言っても何故コンパスの向きが決まるかの訳は説明できていないのだ。その訳は空間の『エネルギー』の認識が無いから、磁束と言う物理概念の自然現象の本質を捉えていないからだ。磁束も『エネルギー』のある空間の現象でしかないのだ。それを、Axial energy flow の空間状態と解釈した。参考資料(*)。

コイル内空間に、『エネルギー』の軸性回転流がある。コンパスにもその磁極近傍空間には軸性エネルギー流がある。その空間の『エネルギー』同士の近接作用力が磁気コンパスの向きを決める現象の原理なのだ。すべて空間の『エネルギー』の関係で決まるのだ。『エネルギー』はどの様な素粒子で成り立つのかをお尋ねした。

(*): 25pWD 磁力密度 f = rot(S/v)  日本物理学会講演概要集 63-1-2. p.310. (2008).

お粗末な年賀状。

その年のマグネットへの恋模様。

電荷棄却の原子模型

昨日(7月21日)2回目の『コロナワクチン』を接種して頂いた。

少し頭が気怠い感じがするが、今のところ特に苦痛と言う程の症状はない。有り難い。

『発見と創造 科学のすすめ』 (W.I.B.ビヴァリッジ 著)培風館。を繙いて見た。56ページに付箋が残っていた。

その章 3  時の試練 の扉に

時が真理を明らかにする。セネカ

とある。

日付が2009/10/06.となっている。(孤立した者には 発見の格が大きければ大きい程 その将来には 極端に大きな 困難が立ちはだかる)?

その年の秋、日本物理学会(甲南大学)での発表が、「電荷棄却の電子スピン像と原子模型」の標題であった。

その発表後に、思いを書き記したものだろう。炭素原子の結合を原子表面のマグネット4面結合で解釈するものだ。決して『電荷』概念が論理的に成り立つ訳がないと確信していた。しかしそんな電子を否定する科学論が受け入れられる訳は無いかも知れないとの思いが強かったのだろう。科学論から電子を排除するなど正気の沙汰でない事は分かっていたのだろう。自分を勇気付けたかったのだと思う。

その本の p.58 に「35年間も無視されたグレゴール・メンデルの遺伝学研究はその古典的な例である。」と書かれている。当時は、まだ電圧の物理的意味が『エネルギーギャップ』の認識にまで辿り着くとは思っていなかった。