タグ別アーカイブ: 静電界は磁界を伴う

慣性座標系の意味不明

(2024/05/10).

『慣性座標系』と言う用語を使ったこと反省する。自分の書いた 32『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質-(電気学会、1987年4月、発表)にも慣性座標系と言う用語を使っていた。後日その資料に、「この慣性座標系と言う曖昧用語の使用は間違いであった。」と反省が記されていた。他にも、その中で数式に間違いもあって、誠にお恥かしい。ただ、この実験結果の報告は電磁場方程式の解釈が主ではなく、所謂コンデンサなどの内部に掛かる静電界に対して、そこに在る筈のない『磁界』が存在する事が最大の報告内容であった。しかし、その後の歳月37年を考えると、伝統的電磁界解釈理論と異なる、あるいは否定する結果を観ないようにするのが通例の科学界の通例なのであろう。それは又、マックスウエルの電磁場方程式それ自身が、無意味な横波解釈式である事の証明でもあった筈だ。それは結果的に、『電界』と『磁界』さえ空間を流れる『エネルギー』の密度分布波の、一つの解釈概念でしか無かった事だったのだ。直流の電気回路の電線路間の空間を光速度で伝播する『エネルギー』の伝送現象と、電波の自由空間の伝播現象と特別異なるものではないのだ。デジタルパルス信号波の『エネルギー』波をどの様なマックスウエル電磁場方程式で解釈するか?正弦波だけで、広く統合した論理性を考えないでは理学理論が教育で笑われてしまう。

ベクトル式で表現すれば、空間分布エネルギー密度δ[J/m]、電波光速度ベクトル
co [m/s] とすれば、
δ co
の光速度伝播現象の電力波 [J/s]となるだけでしかない。

『慣性座標系』に思う。

『慣性座標系』に思う。アインシュタイン選集 3 (共立出版K.K.)にも、P.271. 相対性理論とは? のp.273. に ・・力学において許される”座標系”は”慣性系”という名でよばれている。・・から始まって、幾ら読んでも理解できない曖昧な論述が続いている。この3巻は、論文とは異なるアインシュタインの様々な、講演や記事が纏められた巻である。筆者も、アインシュタインの論文の訳文ではあるが、同選集の1の p.19.に、[A] 運動している物体の電気力学について がある。それが所謂『特殊相対性理論』と呼ばれている論文のようだ。しかし、アインシュタインは『相対性原理』とか『相対性理論』とかの用語を使っている。誰が『特殊相対性理論』と呼ぶようになったか不明に思える。しかし、この論文を読む限りから判断すると、電気力学と言う表現を使っている点で、質量の運動力学と関連付けた認識で、様々な勝手な条件を付加して、極めて人の理解する困難さを織り交ぜて、独自の解釈を展開した論述に思える。その基には、マイケルソン・モーレーの実験の結果が予想に反していた事を念頭に置いたものであろうが、その事には一切触れていない所が誠に不可解な論文である。しかも、アインシュタインは全く電気磁気学についての『実験』を含めて、自身では「科学的な実験」を全く行っていない点が、筆者には理解できないことである。『慣性系』と言う用語自体も、運動力学の万有引力論の重力場の解釈からの単純な論から、独特の数学的論理を駆使しただけの論文に思える。中に、『エネルギー』と言う用語も使われているが、それがどの様な意味かは理解しかねるが。勿論光の空間エネルギー像など認識している筈もない。プランクの定数及び放射特性については知っていた筈だ。

兎に角、物理学理論全体が、アインシュタインの論文によってとても不可解な科学論の世界になったように思う。基礎概念のその物理的意味を自然世界の現実と照らし合わせて、その実像を矛盾の無い確信するまで考える事を放棄してしまった。特殊相対性理論からの一般相対性理論などが唱えられ、それとの関連での『重力波』がどの様な訳で発生するかなど全く論理性もない空想論の科学論の世界となった。ブラックホールが何処に存在すると言うのか❓

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

電気とは何か?

(2024/o4/09).

 『電気』と言う用語の意味が説明出来ない。電気は多く使われている。しかし電気とは何か?と誰かに尋ねても、殆どの人が答えられないだろう。例えば、失礼かも知れないが、現代物理学理論の専門家も答えられないだろう。一応それなりの現代物理学の常識的解釈でお話されるだろうが、多分それも曖昧な答えではなかろうか。

 電気の正体❓ 電気工学、電気物理、摩擦電気、静電気、更に、電子、電荷、電流、電圧等と多くに関係した分野で『電』の文字が付く用語が使われている。専門家であれば、やはり原子や電子周回軌道の構造更に原子核の陽子、中性子など、理解しようもない原理から解かれるだろう。でもいくら聞いても、ただそうですかと頷く以外外なく、理解には至らない。

 そんな電子が原子の周りを回っている等と言う『電荷』のクーロンの法則に縛られた原子構造を納得しろと言われても無理だ。何で原子周期表が『八』の周期性であるかも論理的説明が為されない。原子が何故結合するかも論理的解釈が示されていない。共有結合はクーロンの法則の電荷を否定しなければ、説けない論理だ。原子結合は八表面体の120度軸のマグネット結合(Axial energy flow)しか無かろう。

 最も大切な『エネルギー』と言う物理量が現代物理学理論では認識されていない。今も、マックスウエル電磁場方程式の空間伝播像を頭に描いても、矛盾だらけで、理解などできないし、その式の論理性等信じる事など出来ない。それでも大学の理学部では、電気磁気学理論で、その偏微分方程式が解説されているのだろうが、無意味な授業だ。光の光速度伝播現象を電界と磁界で解説する愚かな事になる筈だ。

 電気とエネルギー。発電技術は殆どボイラーあるいは原子炉で水を加熱して水蒸気の気体圧力エネルギーでタービンの歯車の機械的回転動力エネルギーに変換し、更に発電機で電気エネルギーに変換して、送電線路の電線路の空気空間の内を電気エネルギーを伝送している。

 発電所から送り出される電気エネルギーも、初めは燃料の燃焼などの『熱エネルギー』から始まる。その次にタービンの羽根を回す機械の『回転動力エネルギー』の軸空間の伝送エネルギーに変換される。その回転軸エネルギーの流れは発電機に掛かる負荷側からの反抗力に逆らった回転動力エネルギーが電線路空間に『電気エネルギー』となって送電されるのだ。『電気エネルギー』は電線路空間を流れるエネルギーなのだ。決して『電子』などお出まし頂く余地は無いのだ。
 発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/28)  の図だ。科学技術では、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道線路での蒸気機関車が力強い牽引力の雄姿を見せてきた。発電所も蒸気機関車もそこに『エネルギー』と言う物理量が実在している意味を御理解頂かなければ、物理学理論など幾ら『電子』で解説しようとも、自然の前では絵に描いたお餅でしかない。誰もが日常生活で、『エネルギー』を使いながら生活をしている。しかし学術理論の物理学に、『エネルギー』の意味が認識されていない現実は異様な世界と言わなければならない。理論が空中分解している。

 『エネルギー』を物理学理論の中心に据えるか、『電子』と言う自然世界に実在しない『電荷』概念に御縋りするかが科学者に問われているのだ。

 

電力p=vi [W] の哲学

(2024/04/04).

 物理学理論での電子概念が電気回路の世界に論理的混乱を蔓延させた。

 大学の理学部でこんな電子概念に論拠を置いた物理学を教育している現状が信じられない。

 それは只過去の古い伝統的、歴史的解釈手法に依存した考えない権威の牙城を守っているだけでしかない。

 「自然を観ないようにして居る」と言う物理学者のお言葉を聞いた事が有る。それは正しく、伝統的学説を守り、その学説を否定する現象は受け付けないようにしていると言う事だ。

 昔、『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う概念で電力系統の解釈論を展開した事がある。電力技術者にとっては『電圧』と『電流』は欠く事の出来ない基本的論拠概念である。しかし、筆者を含めてその『電圧』や『電流』がどの様な物理的意味であるかを説明出来ない科学理論の専門家集団群の中に居たのだ。決して『電圧』の単位ボルト[V]が、『電流』の単位アンペア[A]がどの様な物理量を意味したものであるかを解説できなかったのだ。電気回路では、その電磁気現象は全て光速度流の原理の基に在るのだ。決して『電子』や『電荷』がその光速度流の電磁気現象の解釈論拠概念となど成り得ないのだ。

 筆者は、1987(昭和62)年4月『静電界は磁界を伴う』と言う実験による『電荷』概念否定の発表をした。それは世界の権威ある物理学理論の根底を否定する無謀な発表であった筈だ。当時は中曽根臨時教育審議会の教育公務員としての資格のない(公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していなかったとの疑い?)組織職員として邪魔な存在が故の抹殺対象として選ばれて、社会的事件のど真ん中で、教育の政治的中立性から見て論外な政治的事件であったと今は理解できる、そんな中で踊らされていたようだった。そんな中での愚かなる考えでの抵抗の結果が、「不可解」と言う闇に彷徨う結果の己の存在の意味を探る旅に、1988(昭和63)年末に旅立ちをした。あれから延べ36年程経過した。

 今、結局分かった政治的意味は1945(昭和20)年終戦時に、
舞鶴鎮守府のー
 (1939年12月1日故郷から強制的に舞鶴鎮守府へ『戸籍転籍』の行政処置がなされて、1941年には長野県栄村志久見の日本発送電株式会社の社宅に母と妹と筆者の3人で住む、父は既に舞鶴鎮守府に9月に召集されて離れて居た。しかも、その頃10月には既に父は巡洋艦「香取丸」の在役艦となっていた。その年の太平洋戦争突入の8日を過ぎた12月19日家族は「香取丸」に戸籍が移動された。1944(昭和19)年2月11日頃、香取丸は被弾沈没、3月31日香取丸船籍除籍となった。『戸籍』の行へは不明のまま消えた❓)
ー京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅に家族4人で住んで居た。その時から現在までの筆者の身分は何であったのか❓市民権の対象ではなかったか❓と言う事の政治的問題と認識している。

 電力の電気回路における物理的意味は如何なるか❓
 何故電圧と電流の積で電力が評価できるのか?電力の単位ワット[W]とはどの様な意味かと言う極めて基礎的な物理的意味を問うのである。決して『電子』などと言う仮想概念では解説できない筈なのだ。現代物理学理論では、科学技術理論としての電圧と電流の積と言う計算で算定される電力の物理学的意味が説明できない筈なのだ。その意味、訳を物理学者が真摯に考えられるかを問うのである。筆者の研究者としての働き方改革の、研究室の無い天下の野ざらしの研究の実績が認められた上で初めて未来に繋がるのではないかと思う。現状は筆者への政治的虐待だ❣ 研究室など、身分等どうでも良い。
 子供達への理科教育内容の構築を如何にすべきかが問われている筈だ。全ての科学者の社会的責任として!!
 
 電力の意味を問う。全ての物理学に関わる研究者、教育者に、科学研究に携わる科学者に問う。

〈問〉 電力の単位ワット[W] の意味の物理現象をどの様に解釈しますか。

 電気回路で、その信号は1秒間に地球七回り半する。それは光速度の意味だ。
電力p[W]=[J/s] は1秒間のエネルギー量の消費を表現した単位だ。そのエネルギー量とはどの様な物理量だと理解していますか?どの様に空間に存在する物理量と解釈、理解していますか。それが光速度で伝送されるのだ。その『エネルギー』は空間を伝送されるのだ。それは空間に実在する物理量だ。

古い記事、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) がある。

純粋・自然の実相

(2024/03/31).


 自然現象は極めて『純粋』であるとの認識に至った。その意味を表現してみた。空間に流れる『エネルギー』には光のように、空間的寸法も無限に細分化される。素粒子なる概念も『エネルギー』によって構成されるものと解釈する。

 長く電気回路現象の物理的意味を考えて来た。特にこのブログ記事として投稿しながら、自己問答を繰り返してきた。学術機関では何処か不可解な自己に気付いて、研究室が無いことから、雲水の様な天下での研究に費やした。終戦時(1945年)に舞鶴鎮守府、溝尻海軍住宅で迎えた意味はどの様な身分であったかと考えた時、社会的な存在が❓❓筆者の過去の職歴、所属歴及び「退職、免職など」極めて不可解に気付かずに過ごしてきた。市民権で、長く選挙権も無く、投票の権利が無かった意味まで、行政としては理由を明らかに示して欲しい。

 漸く、電気回路現象の物理学的理論が極めて曖昧で、子供達の教育内容として不適切であるとの確信に至った。
 現在の教科書の内容は、科学技術による経済競争の視点から見れば、それなりの教育上の成果を収めて来た。しかし今、ハッキリした事は、『電荷』なる解釈用の概念が論理的には全くの間違いであったのだ。
 如何にこれからの子供達に対する物理学教育を整えるかは、科学理論としての根幹から立て直さなければならないところに在るのだ。理論物理学者が如何に『電荷』なる概念を、その物理的意味を子供達が分かるように解説できるかに掛かっている社会的責任と思う。世界に問うのはその一点だ。

 そのような科学理論の意義を問う題材として、全ての人に考えて頂きたい高周波伝送回路現象での『定在波』の物理現象を提起したい。

 筆者が初めて、研究報告として1967年、新潟県工業教育紀要に投稿した、
 金沢喜平(何故か『沢』だ):分布定数線路実習に対する考察、新潟県工業教育紀要、第3号(昭和42年)の内容に関するものになる(新潟県立図書館所蔵)。
 
 その関係で、エネルギー流と定在波 (2021/02/27) がある。
この内容で、『定在波』が発生する物理現象を如何に解釈するかを問うのだ。決して電気回路で『電子』が導線内を流れる等と言う解釈論では、この『定在波』の発生理由を理解できない筈だ。
 
 『回路定数L[H/m]、C[F/m]に対する訂正』。ここで過去の記事に対する訂正をさせて頂きます。電気回路の『エネルギー』伝播空間構造係数を k として、
    L= μ₀k [H/m], C= ε₀/k [F/m]
 と訂正させて頂きます。ただし、μ₀およびε₀は真空空間の透磁率および誘電率とする。

 
 電気回路での電気物理現象は、電線路空間の『エネルギー』の光速度流である。こんな単純な電気物理現象が、過去の長い科学技術的解釈概念の多くによって、特有な理論で構築されてきたのだ。電流[A=(C/s)] あるいは電圧[V=(C/F)]などと電荷量[C(クーロン)]によって解釈、定義されてきた。それは誤りであった。
 

理論物理学の電荷矛盾

(2023/11/27).

職歴はじめ、人生の立ち位置さえ不可解と、自己認識の混乱の中に居る者が理論物理学を論じる等笑止千万であろう。しかしそんな中だからこそ、折角の人生をせめて子供達の未来への教育の為に、自然科学の真理を伝えるに役立てようと、浅はかな知恵でも生かしたいと思う。

最も、現在の理論物理学の問題点、矛盾点はその理論の根幹としての物理概念・物理量と見做されている『電荷』である。その『電荷』が極めて曖昧で、矛盾に満ちているのだ。その原因は、観ることも測定することも出来ない、目の前の空間を支配している『エネルギー』の物理概念を見落としている事にある。基礎科学論の長くに亘った、論理矛盾がそこに在る。光の空間エネルギー伝播現象の認識が無い科学理論が間違いの根本だ。

『電荷』が何世紀にも亘って、自然世界の実在物理量と見做されてきた、その過去の人類の認識が間違いであったのだ。

自然現象の『電荷』によると考えられて来たものが雷であろう。その現象の物理学的解釈は正の電荷と負の電荷に因るとの認識にあろう。正の電荷と負の電荷が衝突したら、そこには何が現れると解釈するか。それは強烈な光の放射である。その光放射現象は何故起きると考えるか。例えば、

等とも考えられよう。光を放射する原因は様々ある。あの強烈な雷光も電荷の衝突、中和に因った結果と理解しているのが普通のことであろう。
その時、衝突で正の電荷と負の電荷は消滅するのだろうか。消滅するとすれば、電荷が光に分解した、即ち電荷の基の光に戻ったと考えることも出来る。それは電荷が光から構成されていると考えることも出来る。勿論光も結局、エネルギーの空間密度の光速度流なのであるが。その辺の、雷の物理現象、光放射現象との論理的解釈がとても曖昧のまま、見過ごされている。物理学の要の論理性がとても曖昧に、因果関係まで考えずに見過ごされて、何処か思惑論で曖昧のまま唱えられて来たようだ。
この図も古い記事、雷と不立文字 の図だ。

関連記事で、高校生らしい人の質問に、コンデンサとエネルギーと電荷の記事で長々と冗長な自己問答をした。
その記事の最後のまとめに載せた図がある。

この左側の図は電気理論のコンデンサと電荷の関係の図だ。電気回路の教科書の標準的な図だ。しかしこんな単純な電荷の意味を考える図でも、とても多くの曖昧で全く論理性の見えない解釈が科学理論の常識となって放置されてきたのだ。そこには物理学者が真剣に自然世界の姿を直視しようとする心構えが無かったからではないかとさえ考えざるを得ない。疑問を抱かないか、疑問を無視した結果かとさえ勘繰りたくなる。クーロンの法則は同じ電荷は排除する力が掛かる事を述べている。しかしコンデンサでは何故同じ極性の電荷同士が集合できるのか?その事は一切気にもせず、同一極性の電荷が幾らでも集合できる。その訳など何の疑問も抱かない、その非論理性❓こんな話は、科学論には成らない囲炉裏端の会話程度だが、科学者の唱える伝統的な基礎科学理論、取り分け現代物理学理論の論理性を問わなければならない事態を来している。

エネルギー像なしに理論物理学は成立しない

(2023/11/24).

 このブログも『エネルギー』概念から始まった。

エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系
エネルギー(energy)とは?

エネルギーの空間像を認識するには、光の正体およびプランク定数の概念が基本だ。プランクの定数の物理的概念を理解するには、その次元が [Js] である意味を空間的物理像から認識する事が欠かせない。

 光は決して振動する物理的実体など持っていない。エネルギーの空間分布密度の光速度流である。ましてや電子などと言う物理的仮想概念では物理学理論の論理性は保証できない。

 【何故エネルギーが認識されなかったか】
 その訳が『電荷』と『電子』と言う自然世界に実在しない物理概念を仮想的につくり挙げたからだ。
 『電子』の知覚機能像と科学理論の論理
電荷と言う科学的汚点概念
『電荷』という虚像

電気エネルギーの測定法(電流と電力)

はじめに(2020/4/28)
『オームの法則』によって電気回路現象を誰もが容易に理解できる。『オームの法則』は1826年ドイツの物理学者 ゲオルク・オームによって独自に発見、公表された。(実は1781年ヘンリー・キャベンディッシュが発見したが死後数十年後まで知られずにいた、とある。)その優れた技術法則であるが故に『電流』、『電圧』さらに電力の物理的意味を深く考察する必要もなく今日に至った。ちょうど200年少し前の19世紀の初めに『電流』と言う概念が磁気によって電気導体から離れた、空間にその姿を示すという新しい発見が『アンペアの法則』として捉えられた。その『電流』の単位アンペア[A]が電気現象解析の根本技術概念となって、すべての電気量の基本単位系 [MKSA] の基となっている。しかし、ブログの初期の記事に電流は流れず (2010/12/22) を、さらに去年電子は流れず (2019/6/6) を投稿した。それは『電流』と言う技術概念が自然認識の曖昧さを許す科学理論の根幹をなしている現代的社会問題として捉えた論説でもある。科学理論がその特殊な専門家集団の中で、特に分かり難い理数的表現に特化した形式で醸し出されて、一般の市民の科学認識に如何に曖昧な理解の混乱と弊害を及ぼしてきたかを唱えざるを得なかった。世界には決して『電荷』など実在しないのだ。世界の本源に『エネルギー』が存在していることを分かって欲しいからである。

エネルギー矛盾の『バンド理論』

(2023/11/15).

半導体制御情報社会で、その理論的基盤が『バンド理論』となってきた。半導体の PN接合が織り成す不思議な制御性は確かに理解し難い機能と特性を示す。その不思議を解釈する理論として『バンド理論』が唱えられた。その歴史はとても古く、1920年代から1930年代に掛けて唱えられ、完成したようだ。現在情報検索にその『バンド理論』が半導体動作機能の解説の主体となっている。しかしその理論は、PN接合の『電子』の機能の理論的解釈法に成っている。その『電子』のエネルギーについては原子周回軌道との関係で、運動エネルギーの意味が主体となっているようだ。しかし、筆者は自然世界に『(正と負の)電荷』が存在するとは考えない。従って、原子構造の正電荷の『陽子』や負電荷の『電子』やその周回軌道論も否定する。その意味の一つは、原子周期表に有るような8が何故周回性を特徴付けるかについての、その理由も明確でない筈だ。原子構造表面の磁極の8面分割がその周期性の基であると解釈する。それは、分子結合に曖昧な『共有結合』なども否定する事となる。炭素結合の秘め事

長く電気回路動作現象を、その不思議と格闘してきて、昨年一つの結論に纏めた。それは単純な、新電気回路理論である。それは、電気回路の基本的解釈は『電圧』が電源で決まれば、それは電線路導体で構成されるその空間の物理的空間特性透磁率、誘電率に関係した誘導性と容量性の特性値L「H/m], C[F/m]が決まり、その空間特性で電気エネルギーの伝播現象が決まるのである。それは、決して導体の内部を『電子』や『電荷』が流れる様な物理的現象は起こり得ないと言う事を唱えたものである。負荷が電気回路に要求するものは決して『電子』などではなく、『エネルギー [J] 』なのである。光の伝播特性の基本が『光速度伝播現象』である。その光速度は空間の透磁率[H/m]と誘電率[F/m]と言う解釈概念によって決まっている。

現在の物理学理論はそれぞれの専門家が唱えて分野ごとの理論解釈論から成り立っている。それらの全ての理論を統合的に、その矛盾を排除して取り纏める作務が十分為されていなかったと思う。その結果、統合して考察した時、多くの論理的不整合や矛盾が取り残された理論体系となってしまった。

その具体的考察例として、太陽光発電からインバーターを介して、配電線路電力伝送網を取りまとめて、如何に『エネルギー』が変換され利用されるかを考えて見たい。

具体的考察回路。

回路図 太陽光電力変換装置。太陽光発電器で光エネルギーを直流電気エネルギーに変換する。その直流電気エネルギーを半導体制御回路を通して、インバーターによって交流電力エネルギーに変換する。先ず、太陽光の『エネルギー』とはどの様な認識にあるか?それは電波に似た空間を、光速度で伝送する『エネルギー』の縦波である。それは電力 ps[w]。Solar cell の半導体でその『エネルギー』を電気エネルギーに変換する。そこに半導体内部での不思議な電気エネルギー変換現象が有る。そこに『バンド理論』が解釈理論として提唱された。
次に、その発生した直流電力pd[W]を再び半導体回路で配電線路用の交流電力に変換する必要がある。それがインバーター回路である。その正弦波交流電力の低電圧を変圧器で商用電圧に変圧する必要がある。その商用電力が負荷電力pl [W] となる。
ここで指摘したい要点を挙げる。半導体内でどのような現象が起きているかを的確に実験的な検証をもって示す事は筆者の様な研究に不慣れなものには難しい。しかし理屈で、理論に矛盾が有るかどうかぐらいは分かる心算だ。それは狭い専門分野でなく、広い統合した全体像の中に見える事である。『電子』がどの様な『エネルギー』を保持して、電気回路の電線導体内を流れ、その『エネルギー』を負荷にどのような機能によって供給するかの論理的な眼目となる役割が全く見えない点である。幾ら『電子』が理論の便利な操りに有効に思えても、実質的な具体的な論理性がそこに見えなければ、その理論は本当に有効な解釈論とは成り得ないと思う。それは『電子』がどの様に『エネルギー』を負荷に供給するかの一点であろう。光の『エネルギー』は自由空間内の伝播にその本領を発揮する。なお、光は決して振動する実体など持ち合わせて居ない。『電気エネルギー』も空間を伝送する意味は光と同一の特性を持っている。『電子』は空間を光速度で『エネルギー』を伝送する機能を持ち合わせて居ない。

さて、太陽光エネルギーの電力から負荷の要求する負荷電力に対応する瞬時的対応制御がなされる電力制御システムとなり、実用化技術として有効に生活を支えている。ただ一つ述べて置けば、常に ps=pd=pl ではない。途中で『エネルギー』の貯蔵がされており、時間的に回路内での『エネルギー』はその流れを変化させているが。貴重な『エネルギー』の供給システムとして、温暖化抑制にも貢献している。以上がこの回路の機能・役割であろう。

さて、バンド理論として半導体のエネルギー変換の物理的解釈理論が、その道の常識科学論となっている。問題は、『電子』が自然世界に存在しないと言う事実と現代物理学理論の基本概念として『電子』が理論的根源と解釈されている矛盾である。それは『電子』がどの様な『エネルギー』の伝送機能を持ち得るかという最も基本的な、極めて日常生活からの視点に対して何の論理的説明もできない矛盾点と疑問が解消できない点である。それが『電子』の科学理論における論理的機能の説明が出来ない、その『電子』の科学理論における存在矛盾として避け切れない事実である。上の回路系統図で、変圧器の一次巻線内を『電子』が半導体制御回路で例え得た『エネルギー』があったとしても、それをどの様な機能で変圧器二次巻き線に転送できると御解釈なさるのか?変圧器巻線内を『電子』がどの様なエネルギー、例えば『運動エネルギー』を以って巻き線間をどの様な機能でその『エネルギー』を伝送できるかの解釈が出来なければ、やはり理論として有効ではない。変圧器自身もそのファラディの誘導則での『磁束』概念も現実に自然世界に存在する物理量ではないのだ。『磁束』も理論解釈用の仮想的概念でしかないのだ。最近『励磁電流?』との検索が多く見える。変圧器内の『エネルギー』の伝送・転送現象も結局変圧器巻線近傍の空間内を伝送する結果の物理現象でしかないのだ。全く『電子』の機能など必要としない。配電線路では、『電子』は無用なのだ。

一つ述べておこう。市街地の低圧配電線路で、昔はピン碍子がその配線支持に使われた。それは電線間隔が大きいから、電線間の静電容量は小さい。従って、配電線路空間の伝送エネルギー密度[J/m]も小さかった。最近の低圧配電線は平行ビニール絶縁電線が使われ、ピン碍子など見当たらない。電線間隔が小さいことはその『エネルギー』の伝送する空間の静電容量が大きい。だからピン碍子配線よりビニル絶縁電線の方が配電線内の『エネルギー密度』が大きいのだ。配電線路電力容量が大きくなる。しかも、『電子』など無関係に、その配線の絶縁材用内がより多くの『電気エネルギー』伝送に有効なのである。決して導体内など『電気エネルギー』は流れないのだ。熱電効果での『熱エネルギー』は導体金属内も伝送するが。『バンド理論』で絶縁材と導体と半導体の基本的特性として述べられているが、『電気エネルギー』はビニル絶縁材料内を伝送しているのである。

今まで、np接合の機能(電圧とエネルギー)等で、半導体の機能を考えた。トランジスタのコレクタ側の吸熱現象がダイオードの発電機能化の意味であると観る。

電子とエネルギー(バンド理論は魔界か?) もあった。

 科学者の社会的責任として、子供達の教育・学習におけるその学習内容が的確なものであるかを認識していなければならないと思う。その先ず基本に『電荷』、『電子』の物理的実在性をご確認いただきたい。それは電気理論、電気磁気学理論の根源を問う『静電界は磁界を伴う』という電気学会での1987年の口頭発表からの生涯を掛けた、愚かなる我が身の職歴不明の中での、ご検討を皆様へのお願いとしてここに投稿させて頂きます。

電気磁気学理論の不可解❓

 今日は日本の祝祭日 『文化の日』だ。


 この電気回路で、Lamp の物理的機能は何でしょう?

 電源は Power source と言うが、その Power が電力 [W= J/s ] ようなエネルギー [J] の時間微分値となるから、その物理量の意味が曖昧となる。時間的平均値の物理量の概念は、空間に実在量として存在する物と異なる、抽象的で曖昧な概念となる様だ。上図には、エネルギー源 Energy source と電源が供給する『エネルギー』であることを直接印象付けるべく表記した。電源は負荷が要求する物理量が『エネルギー』である事を認識して、表記するべきと考える。その空間概念が物理学理論には無いようだ。

 科学理論の基礎に電気磁気学がある。
 その電気磁気学理論の全体に極めて大きな矛盾を感じていた。それは物理学理論全体に広がる矛盾でもあった。その事が、この WordPress に投稿させて頂いた初期の記事となった。それをここで纏めておく。

 磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。 電流計は何を計るか (2010/11/10) 。電流は流れず (2010/12/22) 。

 10数年かけて、様々な自然世界の現象について、一般社会常識の認識に違和感を抱く事が多くあった。日本雨蛙の生態やら津波現象の物理的解釈やら本当に多くの事で、専門家の論説に違和感を抱き、その都度自分の思いを投稿させて頂いてきた。今に至るも、その思いは間違っていなかったと思っている。

 今月に入り、この11月1日が新潟県の⦅新潟教育の日⦆と定められたようであり、子供達の為の『教育環境』を整える意味でもあるかと考えた。そして思った。今の教科書の内容は、とても子供達に胸を張って進められるようなものでないと思った。これだけ科学技術の恩恵を受けて、便利な世の中に成っているにも拘わらず、子供達には心安らかに日々の生活が、学校生活が楽しく過ごせるかと思うととてもそんな状態でないと思う。それは理科教育で、中学生が『電子』が電流と逆向きの導線内を流れると教えられている一事を考えただけで、空恐ろしさを抱かざるを得ない。決して電気回路の導線内など『電子』が通ることは無い。訳も分からないことを強制的に憶えこませる教育であってはならない。覚えるより自然の姿の不思議さに感動する楽しさを味わえる理科教育の内容が多い教室授業であって欲しい。中学生の理科教育内容はそんな意味で十分と思う。

 このような電子の逆流の説明の現実に、教育の現実に、優れた科学者が多く居られるにも拘らず、子供達の教育内容に心砕いて頂けないのかと。大学の理学部では、本当に現在の電気磁気学の矛盾に気付かないのかと理解出来ない。初期の電気磁気学に関する記事を、もう一度取り上げる手がかりとして拾い上げた。電気回路では、決して『電子』が何の機能、役割も果たし得ないことを解説したい。電流とは何か?について『電子』の意味とエネルギー流更に磁束の意味について述べよう。そんな哲学ともとれる内容であるが、科学的な実験で検証できない空間に流れる『エネルギー』の意味の重要性について御認識頂ければとの思いだ。