タグ別アーカイブ: 共有結合

電磁気学の要-Axial energy flow-

1.はじめに
電気磁気学は自然科学の基礎知識として、その習得が科学技術・理科教育で求められる。力学と相まって物理的学習内容の基本となっている。その教育に基づく共通理解が社会的科学認識の基となるから極めて重要な分野である。社会的な科学常識は、お互いに科学論を展開するに、その共通理解の重要な基になる。『電荷』や『磁束』はその電気磁気学の要の基礎概念として、誰もが共通に理解していると思っているだろう。しかし、その中で『電荷』はじめ『磁束』さえもその実像は突き詰めると極めて曖昧な概念であると考えなければならなくなった。だからそのような基礎概念に論拠を置いた科学論は本質的に矛盾を含むものに見えて来る。現在の理科教育の教科書の内容では真の自然現象理解に極めて不十分な内容であることを認識しなければならない事態になったと考える。その意味を「磁気とは何か」と言う視点で考察し、その曖昧な意味を掘り下げて、電気磁気学理論の持つ不完全さを解説したい。軸性エネルギー流-Axial energy flow-を理解することが電気磁気学の眞髄に到達する要点であることを示したい。この事の持つ意味は、今までの科学常識に因って成り立ってきた専門家の意識改革を迫る極めて重大な社会的問題でもある。

2.原子構造と周回電子像の持つ意味
原子核の外殻を周回する電子に原子の周期特性で捉える役割を担わせた原子像があらゆる科学論の基盤として社会の科学常識となっている。この根源的科学常識を疑い、批判することに成らざるを得ない『電荷』概念否定の道を通って来た。その道の長い思索を通して辿りついた到達点は、あらゆる自然現象が『エネルギー』の空間に展開する姿として認識する事であったと理解した。その意味で、改めて現在の原子構造論の電子周回論はその中味を深く突き詰めなければならないと成った。

(2-1)原子像への疑念 『電荷』否定の論理の行き着く先に待っていたのが原子像への疑念であった。その疑念の具体的な点を挙げれば、次のようなことになろう。図1.で示した原子像は曖昧なまま、どのような規則で表現すれば論理的かさえ理解できないままの一つの参考にとの表現図で示した。

  • 何故電子が周回運動しなければならないか。
  • その電子の周回運動の軌道(立体角4π球面か平面か)と回転速度の方向性を何が決めるか。
  • 電子は粒子とか波動とか極めて曖昧な空間認識像で捉えられ、論理的明確さが観えないのはなぜか。
  • 実在するという電子像の、その質量と電荷の空間像が何故示されないのか。
  • 原子という空間構造体をまとめる『構成力』は何か。

原子と言う極めて極微な空間構造体が世界の構成元素として実在していることは、そのこと自体が不思議で有っても、疑いはない。その中味を解剖して明らかに示す事はおそらく無理な話であろう。だから曖昧さは残って当然と考える。1911年以降にようやく原子の構造の論議が始まったのだろう。J.J.Thomson の陰極線発見(1898)が電子として認知されたことが原子の周回電子像の基になったのであろう。その後の量子理論が決定的に電子に電磁気現象すべての舞台で、主役の役割を担わせたこととなったと思う。単純な電気回路のオームの法則さえ導体電線の中を電子が流れる解釈が決定的な電気回路常識となって、現在の科学論の基礎となっている。量子力学での電子には必ず質量が付きまとった素粒子となっている。運動エネルギーでの解釈に質量が必要だから。然し量子力学で伝導帯を自由電子として電気エネルギーの伝送の役割を担っても、電気回路になれば電子が金属導体中を流れるが、電荷だけしか必要としないから質量の意味はどこかに消え失せてしまう。電子とは質量と電荷の混合粒子と思うが、電気回路では電子流はアンペアと言う電荷の時間微分しか意味を成さない事になっている。電気回路では電気エネルギーの伝送速度は光速度に近い筈だが、電子では決してその光速度でエネルギーを伝送する役割の責任は果たせない筈だ。それでも質問が有っても難しい量子力学を勉強してから考えなさいと説明逃れがIT等の質問に多く見られる。電気回路の現象が光速度でのエネルギー伝送として説明できない事は、電磁気現象を本当に理解していることにはならないのだ。そんな単純な日常生活に関係した電気回路の意味から考えても、原子構造論の周回電子論はとても信用出来ないのだ。

(2-2)共有結合に論理性はない 高等学校の1、2年生の時に化学を習った。原子結合で共有結合と言う負の電子同士が誠に魔法のような理屈で互いに結合の担い手となることを教えられた。クーロンの法則の同じ電荷間に働く排力が、何故共有結合ではその訳が説明されずに、無視されるのかと言う疑問が消えない。何故負電荷同士の電子が結合の役割を果たし得るのか。まさか電子質量間に働く万有引力でもあるまい。基本的には電気磁気現象が原子構造体を構成する理論であると考えれば、原子間の結合を担う『力』とは何かと言う疑問になる。また、その基となる原子その物を構成する力は何かとなる。核の結合そのものも『力』が必要な筈だ。陽子と中性子の結合論には中間子論があるが、その意味を理解するだけの能力はないし、電磁気現象としての解釈では理解困難な様に思う。原子間、分子間あるいは原子等の構造体を構成するにはどんな『力』が必要なのか。

  力としてpdfで挿入した。初めて試してみたので見難いかもしれない。中に(3)式として『質量力』などと言う力を入れた。何も特別な意味ではなく、万有引力と言う意味を質量間に働く力と言う意味で表現しただけでしかない。丁度二つの電荷が空間に有れば、電場が生じ電界ベクトルと電荷間に働く力と言う空間像と同じ意味で捉えだけである。たとえば地球と言う質量が有れば、その周りには重力場と言うベクトル空間が有ると看做すだけである。ただそれは、自然現象として空間を解釈する万有引力と言う理論が『眞』であるかどうかは別問題であろう。 電荷間の力の解釈と同じ意味で(3)式は万有引力の一つのベクトル表現法でしかない。(2)式の磁荷mは物理学理論でも実在しないと成っている。(1)式の『電荷』q[C]も否定すれば、一体どんな力を世界の結合の力として捉えれば良いかとなる。もちろん(3)式の質量力などは論外であろう。 そこに「磁気とは何か」と言う事を尋ねなければならない問題が浮上する。

3.磁気とは何か それは「磁気の本質」を問うことになる。電気磁気現象の要が『磁気とは何か』に明確な認識を持つことである。2つほど問題を提起したい。

  • コンパスは何故磁界の方向を指すのか。
  • マグネットを向かい合わせると、そのギャップlの長さに因って何故磁気力が変わるのか。その物理的原因は何か。

電気磁気学では、磁束量φ[Wb]が磁界解釈の基礎概念となっている。ファラディーの法則として、電気理論の根幹を成す重要な概念でもある。アンペアーの法則として、電線導体電流との関係でも重要な磁束で、欠かせない基礎概念であるとの意識にある。インターネット検索でも専門的な解説がある。電子スピンなどと関連付けて解説される。然しその解説に因っても少しも理解できないのは筆者だけだろうか。マグネットから空間に磁束Φが放射(?)されている図で表現される。磁荷は存在しないが磁束が存在するとは、その磁束は何が創りだすのかとなる。変圧器のファラディーの法則から、そろそろ磁束が励磁電流によって発生するなどと言う間違った解釈はやめても良い筈だ。磁束はファラディーの法則の式の積分形で『電圧時間積分』で決まることを知らなければならない。然しだからと言って、それで磁束が自然界に実在する物理量だと決めつける訳にはいかない。磁束も電流と同じく、科学技術概念としての人が創りだした便利な解釈用の概念でしかないのだから。それでは本当は磁束とは何をそのように概念化して利用しているのかと言うことになる。そこが重要な点であり電気磁気学の要となるのだ。答えは空間のエネルギー流でしかない。それは軸性エネルギー流-Axial energy flow-である。巷の解説では、電子スピンと言うが電子がマグネットの表面でスピンをしてその電子から空間に磁束が伸びていると言う意味であろうか。その磁束とは空間にどのような実体を成すものと認識しているのか。コンパスが磁界の方向を向くと言う現象も、やはり力が働いたから向きが決まる訳である。この軸性エネルギー流と言う概念は物理学理論ではなかなか受け入れ難いものであろう。それはもともと物理学には空間にエネルギーが実在すると言う認識が無いように見受けられるから。物理学理論では質量が無いとエネルギーが論じられないように思う。電気コイルの磁気エネルギーと言う時、そのエネルギーは空間の何処に存在していると解釈するのだろうか。コンデンサのエネルギーと言う時、そのエネルギーはどこにどのようなものとして存在していると解釈するのだろうか。電荷はエネルギーには成れない筈だ。磁束もエネルギーではない筈だ。マグネット間のギャップ l が小さくなれば、磁石の引き合う力は強くなる。何故強くなるのかの意味を説明しなければならない筈だ。磁束が太くでもなると言うのだろうか。それでも説明には成っていない。物理学理論でも、電気技術論でもマグネットの表面の磁束密度は一様と仮定すると言う条件を設定するのが一般的である。そこが間違いである。マグネットギャップを変化させると、ギャップ内の磁気模様が全く変わってしまうのである。ギャップを狭めて行くと磁場の強い処はマグネット周辺に移動し、中心部分には磁場は無くなるのだ。磁場一様等と言う条件は成り立たない事を知らなければならない。磁場とは磁束などと言う線束が有る場ではないのだ。ハッキリ言えば磁束など無いのだ。ただエネルギーがマグネット軸に対して回転して流れている現象なのだ。それを軸性エネルギー流と名付けた。要するに空間に質量など無関係に、『エネルギー』が実在している認識がなければならないのだ。光の空間エネルギー分布流と同じ意味である。光のエネルギーを振動数で解釈している限りは、電気磁気学の眞髄には到達できない。

4.磁界の空間像 磁界とは『軸性エネルギー流』である。図に表せば次のようになる。図のマグネット棒と磁界の関係。それはマグネット近傍空間には左ねじの尖端をN極として、ネジを回して進む時の回転方向にエネルギーが流れていることを示す。この回転エネルギーが地球の表面にも流れている訳で、地磁気が具体例としての考える論題としてよかろう。地球の磁気は北極がマグネットのS極で、南極がマグネットのN極である。地球表面を自転の向きに即ち東西南北の東向きにエネルギーが流れていることを知らなければならない。地球の自転が何によって起きているかは、そのエネルギー流が何故在るかを理解することが出来れば分かった事になるのだろう。その自転の物理的意味について解釈を下す事は科学論か哲学か悩ましいこと言えよう。兎に角、このマグネット近傍空間のエネルギー回転流が磁場と言う概念が持つ空間の意味である。光が空間を光速度で伝播する空間エネルギー密度分布波と捉えることと繋がる意味でもある。この質量に関係ないエネルギーの実在性を空間に認識することが電気磁気学の要となるのである。

5.ギャップに因る磁気力の変化およびコンパスの指示の訳  (3.磁気とは何かの答)マグネットの引き合う力は不思議だ。検索すれば、その力の原理を知りたいと質問がある。然し、その解答は的確な説明とは言い難い、何か誤魔化しで逃げているようにしか思えない。残念であるが、本当は分かりませんとでも答えて欲しいのだ。解答者も教科書の解説を習得したからと言って電気磁気現象の眞髄を分かっているとは言えないのだから。決して磁束(自然世界に実在する物理量ではない)と言う科学技術概念では、マグネット間の空間にある『エネルギー』の姿は理解できないのだから、ギャップの長さで磁気力が変化する意味は分からないだろう。教科書に無い意味磁界・磁気概念の本質の記事の意味を知らなければならない。次にコンパスが磁界の方向を指す訳は何か?それも同じような原理の力の問題である。磁束がコンパスの中を通って空間の磁場の磁界と繋がるから、その方向を向く。と解釈して良いのだが、磁束が実際に実在する物理量でないと言うことを認識すれば、その解釈ではやはり正しいとは言えないだろう。試験問題でコンパスがどの方向を向くかという問題なら、磁束の考え方で正しい答えは得られる。知識としてはそれだ宜しいのだ。自然現象を理解するという意味には、この例のように答えられればそれでよいという考え方と、もっと自然世界の本質・真髄を知るべきだという考え方と多様な意見がある筈だ。それは一人ひとりの生き方の問題となるのだろう。磁気が軸性エネルギー流の目に見えない現象だと言うことを知ることに因って初めて、広い電気磁気現象の意味が矛盾なく理解でき、心から安心した納得に至れるのだと思う。それが安堵と言うものかも知れない。地磁気とコンパス(2012/09/13) が一つの解答となろう。

6. 磁気原子像と原子結合 『電荷』否定に因る原子像はどんな姿か。今年は原子周期表の記念の年らしい。8の周期性で特性が決まる原子を周期律表でまとめられた意味は驚嘆に値する知見と言えよう。その周期性から原子構造が周回電子像で解釈される結果に現在の原子構造が共通理解の基を成して来たと思う。周期性は他の原子との結合特性から認識出来るものでもあろう。原子が結合するのは原子の表面が互いに他の原子との安定した接合面を持つ事が出来るからであろう。もし周回電子が原子結合の任務を担うとすれば、その電子は立体角4πの原子表面をどのような道筋で回転運動をしながら、となりの原子と安定した接触面を保てると考えるのだろうか。その空間運動状況を原子結合に結びつけるには、原子核が周回電子の運動を可能にする何次元ものスピン運動をするか、魔術師か忍者の雲隠れ抽象空間を想定できるようでなければ、電子の運動と結合面の空間像を頭に描くことは無理じゃなかろうか。こんな論議は決して科学論の場では誰もが取り上げたくない事だろう。それは教科書の指導内容と異なる反社会的のことで、教育体制に混乱を生むから。科学論は現在の教科書の指導内容の枠からはみ出さないようにしなければならないとの意識が無意識的に思考の根幹を支えているのだろう。まさかこんな基礎の科学概念が否定される筈はないと誰もが教科書の指導内容や科学常識を信じているから。

(6-1)ダイヤモンド結合 炭素は結合手が4で、宝石のダイヤモンド共有結合や有機分子のベンゼン核など結合の代表的な論題となる元素であろう。炭素同士の強固な結合が抽象的な原子表面上の軌道周回運動電子によって生まれると言う曖昧な論理を何故信じなければならないのか。また炭素原子表面は空間的に4面体(直方体)か球面を4等分した接合面と看做すべきだろう。従って、有名なベンゼン核の亀の甲羅の平面的な六角形の構造が何故出来るかにも論理性が観えない。原子結合面は空間的な立体面から出来ている筈だから、結合手が2本と1本でのベンゼン核表記法は有り得ない。まずい記事ながら、参考に炭素結合の秘め事(2012/04/14)を挙げて置く。

(6-2)マグネット原子構造 軸性エネルギー流と言う空間のエネルギー像は『電荷』に代わる電磁結合の統一的理論構築の未来像になると考える。結合エネルギー:不思議の砦 (2018/12/02) で示したマグネット結合の図を再掲したい。マグネット同士を接合すると、接合部でのエネルギー流は隠れるように思える。砂鉄に因ってある程度は確認出来よう。このマグネット同士のN、S間での結合が原子結合の結合手になるとの解釈論を2009年に発表した。その時の図を示したい。

『電荷』否定は陽子、中性子などの素粒子の電荷概念の否定だから、当然原子核内もエネルギー粒子と捉えなければならなくなる。その核のエネルギー粒子の影響がそのまま原子表面に現れると言う考え方を取る。その結果の原子結合は当然の帰結として、図のようなマグネット結合になる。

7. むすび 2009年日本物理学会秋季大会で、“電荷棄却の電子スピン像と原子模型”の標題で関連の発表をした(日本物理学会講演概要集 第64巻2号1分冊 p.18. )。それは丁度10年程前の解釈である。今振り返っても、その内容は現在の認識と殆ど変らないようだ。10年間の思索を通して、よりこのマグネット結合原子構造の解釈に強い確信を得ている。電気回路の電磁エネルギー伝播現象即ち電気磁気学の実像を光速度伝播特性として理解出来たからだ。『電荷』や『磁束』が科学技術解釈概念だと言う意味は、それらは自然世界に実在する物理量ではないと言うことであって、物理学と言う自然世界の真理を探究する学問で使う用語・概念としては適切でない事になる。

論文: 25pWD-13 “磁力密度 f=rot(S/v)” 日本物理学会講演概要集第63巻1号2分冊 p.310.(2008) 。これは磁気がエネルギー回転流であることを論じた論文である。このいわゆる電磁力と言う力については、長岡工業高等専門学校で、既に履歴書が『以下余白』として消されたままの1年8カ月後(?)の昭和62年3月末に、『静電界は磁界を伴う』の電気学会発表の準備中の深夜の睡眠途中で閃いた思い付きであった。その後、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察」電気学会 電磁界理論研究会資料、EMT-87-106.(1987) に(29)式として記した。それは静電界と言うコンデンサ極板間に電圧に応じて、コンパスの指す磁界方向が変化すると言う電磁界現象が存在する事実の理論的解釈論として示さなければならなかったのである。コンデンサ内も電磁エネルギーの流れによってその現象・状況が決まると言う実験結果に基づく発見事実である。ここに科学基礎概念に対する意識革命の必要性が隠されている。

(付記) 関連記事。電気回路理論と電気磁気学の関係(2017/12/06) 。電磁力の本質(2017/10/17) 。

結合エネルギー:不思議の砦

結合エネルギーの世界
最近高等学校の化学の授業内容で結合エネルギーがあることを知った。ヘスの法則も1840年頃の発表であったらしい。しかし1954年に受けた授業の化学には無かった内容のように思うが、勉強しなかった為に知らなかっただけなのかも。筆者の知らない世界の化学であった。時代遅れを恥じる。結合エネルギーと言う用語は、高等学校での電気工学の教科「発変電」を教える時に、原子核分裂の物理現象の解釈理論として学習書を通して初めて学んだ。原子理論の質量ーエネルギー等価則として理解して来た。その原子理論の結合エネルギーを今考え直してみると、混乱してしまうほど理解できていない自分に戸惑う。筆者も高校1年生で化学の授業を受けた。原子結合の共有結合がクーロンの法則の原則に従わずに手を繋ぐ意味が分からず、化学への学習閉塞を来たしてしまった過去が在る。そんな過去を今まで引き摺って来たのかと思うほど、高等学校の理科の科目、化学の結合エネルギーと原子核理論のそれとは真逆の意味ではないかとさえ錯覚するほど混乱をしている。原子の鉄を境にして変わると原子論では唱えられる。そこで、結合エネルギーの物理的意味は『エネルギー』の空間実在量として解釈する時、どのようなものと捉えれば良いか疑問に突き当たる。高校生が学習できるのに筆者には理解できない現在の化学の結合エネルギーのように思う。結論への話がマグネットの結合模様につながればと儚い期待を持って。結合エネルギーの空間像をどのように描き得るかと。

高等学校の理科「化学」での結合エネルギー その結合エネルギーの意味は原子結合での外殻電子の共有結合の結合エネルギーとして解釈しているようだ。その時の電子の結合に果たすエネルギーをどのような物理的意味で捉えているかと解説を読んで確認しても、極めて漠然とした曖昧な意味にしか見えない。共有結合とは、どのように『負の電荷と質量を統合して空間を支配する実在物の電子―これが専門家の素粒子論で曖昧な実在性のままだ―』と言う素粒子が互いに他を共有し合うという結合の理屈が見えない。何故電子同士が結合の力を生みだし得るのか。その共有結合という役割を担う科学論の論理性に基づくエネルギーがどのようなものと捉えているか?その電子同士の結合に関わるエネルギー概念の論理的な解釈・意味合いが全く見えない。それは考える科学と言うより、科学常識を覚える理科教科にしか見えない。生徒も疑問に思っても、授業を邪魔してはいけないから、何故かとは質問もし難かろう。筆者もこの度初めて化学結合の結合エネルギーと言う解説が在ることを知った。検索から学習させて頂いた。しかし残念ながら、筆者の能力では化学での結合エネルギーの意味が理解できない能力不足の壁に突き当たったまま前進できない。その疑問が結合エネルギーの専門家の解説を読んでも、高い砦となって立入れない始末だ。その疑問を恥ずかしながら、ここに記したい。

結合エネルギー 結合エネルギーの意味が理解出来ずに、その疑問の対象に水素、酸素および水について検索から拾った関係式を挙げた。先ず、(1)、(2)式について考える。(1)式は2個(2モルという意味と思う)の水素原子が結合して水素分子になると、432kJのエネルギーが放射されるという意味なのか?水素原子が分子でなくても普通に存在するという意味か。その原子が2個結合すると放射するエネルギーと水素分子で式の等号がエネルギーの等価の意味で成り立つという意味で捉えたくなる。当然質量がエネルギーとして等価換算された意味での等価性として。その上で、2個の水素原子が結合すると、その水素分子は質量が減少して、結合のエネルギーに費やされてしまうそのエネルギーが432kJの結合エネルギーだという意味か?総体として質量のエネルギー変換量と質量の総和はエネルギーとして同じ意味でなければならないと考える。式の等号の持つ意味に照らして、その+432kJの意味が理解できない。(2)式の酸素の関係についても同じく理解できない。(3)、(4)式の水の生成について286[kJ]と言う生成エネルギーが在ることも初めて知った。この式の意味するところは燃料電池との関係でとても興味を持つ。286[kJ]のエネルギー量は化学の標準気圧で温度273[K]での評価量であろう。燃料電池は水素ボンベの高圧ガスが使われるから水素の保有エネルギーは高いものである。そのような実際の技術との関係で解説が欲しい。その時本当の意味で、286[kJ]の意味が分かる筈だ。燃料電池は電気エネルギーの供給源で、電子で解説されるが、この286[kJ]を電子が負荷に運ぶのだろうか。そんな意味が理科の化学に解説して頂かなければ、「理科基礎」への統一は困難だと思うから。

燃焼 前にお恥ずかしいながら、焚火の科学などを書いた。それも今年(2018/05/26)の記事だ。結局この式を知らなかっただけのことであった。炭素と酸素の結合エネルギーと言うことで、高校生の化学の教科書の内容である。そこで考える。焚火の科学にも有る、何が等価であるか である。上の394[kJ]のエネルギーが結合エネルギーと言う意味なんだろう。炭素と酸素が化学的に結合して、炭酸ガスになる。ここで解説によれば、炭酸ガス1[mol]を分解するには394[kJ]のエネルギーを加えないと、構成要素の炭素と酸素に解離することが出来ないとある。その意味を咀嚼すれば、394[kJ]はCO2の分子の中に結合力として内在しているエネルギーと言う訳ではないようだ。それなら結合エネルギーと言う表現の用語の意味とは異なるように思う。分子CO2内に結合の働きとしての役割を持っているなら、その中に在るエネルギーの筈である。従って外部から394[kJ]のエネルギーを加えて要素に分解するという意味とは異なると思う。新しい大学入試試験問題の内容も記憶だけでなく思考力を重視すると考えられているようだ。この結合エネルギーと言う意味を取上げても、そのエネルギーと言う意味を教育する側が具体的にどのようなものと納得できているのだろうか。何かただ教育手法として過去を引きずっているだけではないか。やっと燃焼の意味が分かったかと安心したのだが、良く考えると能力不足から高校生が学習する内容さえ理解できないで混乱している自分の無様を恥じる。疑問が増えるだけで、理解に至らない。炭素C、燃料の薪を燃やす時の化学的燃焼現象を日常生活の中で理解することが自然科学の理科の教育内容として求められることであろう。炭素と酸素を反応させるには条件が在る筈だ。炭素の1モルは炭素分子(ガス)と言う捉え方はしないようだ。炭素がガス化しないと燃焼条件を満たさないだろう。炭素と高温水蒸気との関係での結合もあるようだ。394kJのエネルギーがどのような意味を持ったものなのかが明確でなければならない。燃焼の発熱エネルギーは結合エネルギーとは関係ないものなのか?炭素と酸素の化学的結合で発生する熱エネルギーが幾らか、またその燃焼環境条件が何かが日常生活に関係した自然科学論として教育すべき内容になると思う。山に柴刈りに行って、薪を蓄え生活の竈を守る営みの中で燃料・炭素の酸化現象は飛び抜けた燃焼の意味になろう。単に結合エネルギーで説明が付くとは思えない。そこには原子構造で硬い粒子の原子構成要素と言う捉え方でない、エネルギー粒子が見えるからの解釈である。当然「電荷」は実在しない事になる。同様に水素燃料電池の発電エネルギーと結合エネルギーの286kJとの関係も明らかにされなければならないと思う。

原子核分裂理論の結合エネルギー 

科学技術の拠り所が原子論である。エレクトロニクスは現代社会の情報革命を成した。エレクトロンはその根源概念の電子である。原子構造論がなければ電子もなかった。原子構成の基は陽子、中性子そして電子となっている。人の意識には『電荷』が在って初めて科学を論じられる。自然の世界は『電荷』の支配と人は意識する。その中でその『電荷』を否定する観点から原子構造に疑問を掛ける。原子核分裂元素で発電技術に利用されるのは殆どウラン235である。核分裂における結合エネルギーは化学結合の結合エネルギーとは意味合いが異なる。原子核内の陽子と中性子が結合することによるその原子の質量欠損分を結合エネルギーと評価しているようだ。基の陽子と中性子の質量の総和よりウラン原子の質量が減少していることを質量欠損として捉え、その質量減少分のエネルギー換算値を結合エネルギーと呼んでいる。そのウラン原子核が核分裂すると、エネルギーが放射されるとの論理が核分裂現象の理論となっている。おかしくは無いか?核分裂の前後で少ない質量から分裂後に質量が増える結果になる。ウラン原子が中性子と陽子の質量の総和より増加していれば、分裂によって質量がエネルギーに変換したと理屈が成り立つ。核分裂して分裂後の質量が増えていれば、核分裂で質量がエネルギーに変換されたとは成らない筈だ。原子核理論の結合エネルギーの意味は、核分裂によるエネルギー放射の理屈が成り立たないではないか。確かに分裂後に陽子と中性子になる訳ではないが、分裂後の分裂原子の全ての質量を算定するなど不可能である。検証はできないが、質量が欠損したウランのどこに質量がエネルギーに変換される論拠が在るのだろうか。実際に原子核分裂でエネルギーを利用している。結合エネルギーの意味にはエネルギーを生み出す原理が見えない。もう一つ理解できない原子核分裂理論が在る。ウラン235はウラン鉱石に0.7%しか存在しない。ウラン238は99%も含まれているが、それは核分裂燃料には成らないようだが、その訳は何故か?自然界の存在限界に近い質量のウランでありながら、何故238は分裂しないのか。その理由が明確でなければ原子核理論が論理的とは言えない。人の科学理論の理解し得ない砦の魔境が在るようにも思える。

マグネット結合 

マグネットは天からの贈り物だ。眺めても何も見えないのに、周りに不思議な力を作り出す。魔法の力だ。物理学でも、磁束を作り出す『磁荷』は世界に存在しない事になっている。電束の基は電荷となっているから、磁荷がなければ磁束も無い筈だ。とは言っても電荷が実在しないにも拘らず電束があると解釈されている電磁界理論であるから、磁束を責める訳にもいかない。実在する世界の根源要素はエネルギーだけで十分である。マグネットもその近傍空間、NSの磁極近傍のエネルギー流がその磁気の機能を特性付けているのである。1年程前に水と水素とエネルギー流として絵図にした記事水の妖精七変化(エネルギー)が在る。水素をマグネットのエネルギー流として解釈した。次のマグネット結合になる。

マグネット結合 結合エネルギーは質量欠損と関連付けられている。結合すると安定するから質量が減少すると解説される。質量は全くエネルギーと等価である。その事からマグネットの結合をその原理の解釈法に取れば納得出来ると考えた。マグネットには磁極近傍空間にエネルギー流が在る。3個のマグネットを結合したとする。それが②である。結合した結果、結合面のエネルギー流はなくなる。3個のマグネットで、6個のエネルギー流が有ったのが、その内のエネルギー流4つが消える。エネルギーと結合(2018/10/10)にも有る。

 

原子の解剖

原子は小さい。どんなに頭でその姿を描こうとしても描きようが無い。電子顕微鏡でも原子を捉えきれないのだろう。 『電荷』否定への道で自由電子の意味を考えると、原子模型をどう解釈するかに突き当たる。銅の結晶構造も分からず、どうして自由電子が生まれるかの疑問を解きようがない。自由電子の矛盾の示し方が難しい。困って原子の事を考えてみた。原子1つに 物を観測する 電子顕微鏡と言っても、その原理も理解できないので、原子を観測できるという事が理解できない。顕微鏡として物を観測するのに、電子が物に当たって反射する事で観測できるという事の原理が理解できない。光学顕微鏡は、光が物に当たって反射するからその反射光をレンズで拡大(反射光の方向を屈折率により変える結果の目の錯覚を利用するー虚像ー)して、観測するのだと理解できる。電子が負の電荷を付帯した固い粒子とすれば、物に当たって反射しても物の大きさを拡大する観測結果には成らない筈だ。電子もエネルギーの空間的に集約化された雲のようなものとすれば、エネルギーの波として認識出来るから、光の反射現象と同じ空間的なエネルギー屈折現象を利用した観測装置と看做せ、観測の原理を理解できる。光の波長は可視光線なら空間的寸法で、3800Å以上だから、とても原子寸法数Åと比べれば、観測できるものでない事は分かる。それに対して。電子は空間的に原子より小さいかと教科書的には考えられる。電子は、原子の外殻を廻る原子の構成要素というのが教科書的概念だから。その位小さいなら、原子の大きさなら見えても良さそうだが、それは無理だろう。電子が大きさで解釈できる実在性を備えている訳ではないのだから。雲の大きさを計れるかと言うのと同じ意味で。光のエネルギー波が固まりの光子と言うようなものでないのと同じことで、物との相互作用で寸法などは変幻自在に変わるのだ。原子の寸法は幾ら位かという疑念は、市民的疑問として当然誰もが抱くだろうと思う。専門家が其れにきちんと答えられないのが、現代的自然科学論の問題だと思う。気体原子がボイル・シャルルの法則で体積の膨張・収縮をする等と言う解釈は、現代物理学理論には無い。気体分子運動論は、原子は寸法が変化しないという前提で構築されている。原子は石ころのような硬い塊で、その粒子性で捉えるのが基本概念である。酸素原子が膨張収縮する等は物理学論理に反する事に成る。電子顕微鏡でも、電子が雲のように捉えどころがなくて、原子までもが寸法が変わるとなれば、原子を観測する等と言う事は無理である。原子の舞う世界(2014/04/24)  。原子模型 原子模型 筆者は空間的に頭に描けないと考えが進まない。抽象的な高等数学は能力が無く理解を諦めている。だから形を空間に描いて考える習性が脳の経歴的特性に成っていると思う。だから、いい加減でも良いから頼りに成る形を捉えたい。そんなことで、原子模型を描いてみた。あまり教科書的概念に囚われないように適当に形を図にした。全て、原子も電子も『エネルギー』一つで出来ている世界だという基本原則に立っての解釈である。自由に形も変化するのが当たり前と。そんなエネルギーが様々な容量の原子を構成するという多様性の世界の不思議が堪らない魅力に成る。自然の魅力は固定した解釈を超えた無限の多様性にある。地球上の生命の多様性は誰がどうして創造したか等を考えただけで、震えるほどの不思議にひたれる。高校生の時から『共有結合』の意味が理解できずに悩みのタネであった。負の『電荷』同士がクーロン力に反して何故繋がる力に成るかは、現代物理学の人間的矛盾の姿に見える。やっと教科書を信じなくても何とか解釈できるところに辿り着いた。分子結合は原子の磁気結合(エネルギーの回転流間の相互作用)によると認識すれば良いと。そんな思いで描いてみた原子模型図である。原子の外殻を周回運動する電子等は否定する模型である。原子の中心にはエネルギーの高密度の集約状態の核がある。それと原子外殻は同じエネルギー流の磁気的回転流がある。その核と磁気は繋がっている。量子力学の電子のエネルギーレベル変化を運動エネルギーで解釈する方法はいらない。エネルギーが付与されれば、原子はどのようにもエネルギーを貯蔵する。そのエネルギー量が連続的でなく、飛び飛びに安定性を示すと解釈する。それが原子の周期律表の特徴として表れているのだろう。 結合磁気 炭素結合の秘め事 原子と分子の妙 等に原子結合の解釈を記した。エネルギー流の回転流が電子の姿であり、結合の手になると考える。磁界・磁気概念の本質 が基本に成る。

半導体とバンド理論の解剖

(2020/4/27)追記。力の概念と電気物理 (2019/5/21) 。

『電荷』を否定する。さて半導体の理論はバンド理論が担っている。ケイ素(シリコン)Siの共有結合で真性半導体の結晶構造を理解する。不純物元素により、P型、N型半導体となる。バンド理論で重要なエネルギーレベルの指標に『フェルミレベル』と言う概念がある。何か電子の存在確立が50%のエネルギーレベルをフェルミレベルと解釈するようだ。『電荷』を否定する立場から考えれば、そんなフェルミレベルの意味が理解できない。それは、技術的な半導体製造過程で具体的な設計に重要な役目となっているだろうか。半導体の特性決定に『フェルミレベル』を役立てられるかの問題である。 半導体に関する解説書が書店には沢山そろっている。「バンド理論」の解説である。しかしその意味するところが理解できない。理解できないような筆者がバンド理論を解剖するとはどういうことかと訝しいでしょう。その事を少し素人なりに解剖してみようと思う。理解できないなりに、昔学習に努めた。例えば、オックスフォード物理学シリーズ5 触れ合う原子ー液体と固体の物理ー 三宅彰訳 丸善株式会社 (ATOMS IN CONTACT  B.R.Jennings and V.J.Morris) 等を読んだが、全く自分には理解するだけの能力がない。

半導体結晶とenergy band 半導体結晶構造とエネルギー順位。 半導体素材はシリコンSiが主体であろう。教科書的には外殻の荷電子の数が4個で、立体空間的にダイヤモンド構造を成す結晶体と考えている。その構造を平面に表現できないが、右①のような平面図形で教科書には表されている。シリコンだけの純粋な結晶は絶縁体であろう。そこに不純物が含まれると、導体と絶縁体の中間の電気伝導特性を示すようになる。不純物の混在結晶で、半分導体に近い特性を示すという意味で半導体と名付けたのだろうと考える。そのダイヤモンド結晶の不純物により、結晶構造にひずみが生じる。上の①ではホウ素Bを不純物としてシリコン結晶内に、ドーピングさせた場合の様子を平面図に表した。・・が電子同士が対を成す『共有結合』を表す。炭素結合の秘め事に関連論。原子同士を結び付ける力は磁力であり、エネルギーの回転流であろう。電子の『電荷』等は存在しないのである。さてホウ素Bが結晶に混在すると、電気特性が何故変化するのだろうか。教科書の説明は、ホウ素の最外殻電子が3個で、結晶構造に電子の欠損が生まれ、その欠損部は丁度電子の穴、正のホールと看做せると解釈する。その電子欠損部に向かって、隣の電子が移動すると考えるようだ。その時、電子が逃げたSiに電子の欠損部が移り、また次の隣から電子が移って来ると考えるようだ。次々と電子の移動が起こり、それが電流として半導体の特性を示すと解釈するようだ。電子の移動は電荷間の電界に因る以外は不可能である。どんな電荷分布により、電子を移動する電界が生じると解釈するか。この電荷移動については力学から見た電流矛盾で考えた。ホウ素が混在しても、電気的には原子の電荷は中性の筈である。

半導体と回路素子 半導体と回路素子。 現在の科学技術を支えている基本が半導体製品である。送電系統の大電力制御の半導体製品から、pcのcpuや情報端末まであらゆる基本製品が半導体に支えられている。なかでもその基本となる幾つかを拾い上げて、半導体の特性とその解釈理論を考えてみよう。簡単な製品で、a diode、b transistor、c LEDを取上げて考えてみよう。

diode 。 最も単純な半導体機能はダイオードにある。カソードKに対してアノードAが高電位になる順電圧がかかると、ダイオードはスイッチオンで、導線で繋がったとみれば良い。電源電圧が逆になれば、ダイオードはスイッチオフで、回路が遮断される。こんな電気的動作、スイッチング動作を自動的にダイオードが電圧の逆、順方向を判断して、自動的に切り替える特性を備えている。こんな自動制御機能が半導体の優れた基本特性となる。このダイオードで、電気回路のエネルギー流を一方向だけに切り替える pn 接合の結晶構造の意味をどのように捉えるかである。それが何故かの『疑問』であり、『問答』の原点である。ここで視点を変えて、セレン整流器に触れておこう。古い整流器としての実績がある。調べると、セレンSe(99.99%以上の純度)はp型半導体とある。セレンは周期律の酸素の列にあり、6価であるから結晶構造はダイヤモンドとは異なるだろう。セレン整流器はセレンに錫ーカドミュウム混合体を吹き付けて整流作用を作り出していたようだ。この場合も、半導体のスイッチング機能としてはシリコンダイオードと同じ原理であろう。整流作用の解釈には、幅広い観点からその本質を見極めなければなるまい。

transistor。 次に能動的制御性を備えたトランジスターを考えてみよう。b 図にそのnpn型を記した。そのトランジスターと言う電気回路素子は、特性としてp型のベースBからn型のエミッタEへの信号(普通電流と言う)供給を制御すると、コレクタC側の負荷への供給エネルギー量(出力信号)を自由に制御できる機能を持った素子である。簡単に電流制御半導体素子と言えば良いのだろう。しかし、このトランジスターの空間構造がnpn接合になってはいないのだろう。n型半導体にp型半導体をドーピングして製造されているのじゃなかろうか。三層構造でなく、ドーピングの二層構造ではなかろうか。もし内部接合部の構造が明確に三層のnpn型に構成されているなら、基本特性は2個のダイオードを逆接続しても得られる筈だ。そんな単純なpn接合には決してなっていない筈だ。コレクタ側の接合はダイオードの逆バイアスとなる。だから、ベースーエミッタ間を制御しても基本的にはコレクターベース間は逆バイアスで、ダイオード基本特性から決してスイッチオンの状態には成らない。即ち負荷制御は出来ない筈である。トランジスターの科学技術は現代社会の全てを支える根幹を成している。しかし、その科学的理論は極めて曖昧な論理が世界を支配している。

LED。 三つ目に発光ダイオードを取り上げよう。中村修二氏の功績で、青の光源が得られた。窒化ガリウムGaN系で光の三原色の一つ青色が得られ、三原色が揃ったと言えよう。そのLEDの半導体構造がどのようになっているかが良く分からない。製造過程がどのように成されるかが分からないから、その出来上がった完成LEDの接合部の空間構造の接続状態を認識できない。しかし、pn接続の間にドープ発光不純物(?)が有る訳でもなさそうだ。カソード(n型)基盤の上で、p型アノードの近くにドーピングされているのかと思える空間構造だ。この発光分子材がどのように電源供給エネルギーを吸収して、一定の周期で放射する発光エネルギーに変換するのかが発光色の周波数となる訳である。エネルギー変換機能の詳細は発光物質のエネルギー貯蔵・放射特性で決定されると観て良かろう。白熱電球のフィラメントにタングステンが優れている訳は素材の蒸発や加工性エネルギー変換効率など様々な要因から利用されて来たと同じく、LEDの場合もその素材の発見に掛かっている訳で、分子構造等の空間的エネルギー変換特性は中々捉え難かろう。理論で示すことが難しいのである。技術の利用は理論に関わりなく進展する。殆どの科学的発見は常識的理論から導き出されて来ただろうか。

思考実験。 暗中模索の中で、手掛かりを得たい。半導体とはどんな性質なのかを探りだしたい。決まり切った解説からは新たな手掛かりを得ることは難しかろう。少しでも無理に物理的意味を捉えたいとすれば、上に考えた『疑問』を具体的にすることかと思う。問答実験で別に取上げる。

燃える『酸素』の力とは?

身近な事を考えると殆ど分からない事ばかりだ。『酸素』は『水素』と同じくとても日常に密接な元素だ。しかし、何も分かっていない事に気付く。酸素がなければ生きては行けない。地球には十分の酸素がある。何も答えを得られないままに『酸素』への疑問だけを記す記事ではある。

その酸素の最大の謎はこの地球上に『いつ、どのようにして酸素ができたか』であろう。水も植物もいつどのように生まれたかが分からない。水と酸素が無ければ地球上に生命は誕生しなかろう。水と酸素が植物をどのように芽生えさせたかと不思議に迷い込んでしまう。

酸素は誰が造るか

酸素の働き

そんな大本にまで答えを探すなどは間違いとしよう。

現実の日常生活の中で、本当に基本と思うような事さえ分からないのである。そこで、酸素の働きとはどんな事かと分類してみた。大体3つ程に成るかと思う。

1.空気中の燃焼 火を使うには酸素が要る。透明のガラス容器に燃料を封入して、レンズでその燃料を加熱しても容器内が真空なら、燃えないだろう。いや、燃えるかも知れない?そんな実験はしてないから、結果は想像するだけである。一応仮想実験として、何の経済効果も無さそうな純粋の『物理学』に特化した考察図を挙げておきたい。仮想真空燃焼実験真空容器の中に可燃性の黒い布切れでも封入した。真空管でも良いが、頭に焦点距離の合うレンズがある。『問答』:日光に当てると、布切れは燃えるだろうか?こんな答の見えない問題が、自然現象としてどれ程考える感性を持っているかの自己評価に成るかと思う。Exhaust pipe(用語?) から真空に排気しているとする。考える時は自由な発想が好ましい。光とエネルギーの関係をどう解釈するか、振動数で説明しても良い。ギリシャでのオリンピック聖火の採火式は太陽光線での加熱(反射鏡)方式である。摩擦熱と同じく、光はエネルギーそのものの縦波の流れである。(2017/10/30)追記。一応問答の『答』を書き足す。想像の結果やはり燃える筈だ。真空中でも布切れが太陽光線エネルギーで加熱されるから、熱分解してガスの発光燃焼になる。従って結果的には真空でなくなる。この燃焼は布切れの熱分解で酸素も発生するから酸素燃焼と言えるかもしれない。結果的には、太陽光線が真空容器内に入るため、元の布切れの質量に太陽光線入射エネルギー分だけ等価質量が増加したと同じ意味で解釈すべきだ。即ち光と質量は全く等価であると言う結論だ。

学術的物理学理論による光エネルギーは、「振動数とプランク定数の積」で解釈する。学術論では、市民が『光の振動数』を認識できなければ理解できない高度な理論なのである。市民的感覚論で捉える事を第一に考えたい。お日様に当たると暖かい。それは光の振動数が体を振動させるからではない。光一粒でも、それはエネルギーそのものの流れであり、身体に入り込み、熱エネルギーに成るからである。その光の流れと観る場合は、光エネルギーが質量(分子)内の空間への蓄積に因るエネルギー変換方式による着火(エネルギー放射)と看做す。これは普通の日常的な酸素の燃焼の働きにも関係するものと看做したい。この燃焼における酸素の状態はどのような変化によるのだろうか。単に酸素が何の変化も無しに、燃料の高温加熱でのガス化だけでは燃焼には至らないだろうと思う。「何を言いたいのか?」と訝しく思うだろう。『酸素』原子の8個の電子周回構造を破棄したいのである。IT検索では、まことしやかに『電子』の増減で様々な酸素の活性化を論じている記事がある。『電子』でなく、酸素原子の状態が環境の熱エネルギーに因りどのようにエネルギーが増加し、活性化されるのかの問題であろう。何で電子同士が二つ重なるような『クーロン則』違反の結合論が罷り通るのか。クーロンの法則を斬るに反して電子の負の『電荷』同士が「対を成す引力」を発生するのかを論理的に説明しなければならない。結論を言えば、空気中の『酸素』も加熱の熱エネルギーにより、そのエネルギー量が増えて、活性化した事で燃焼の力を発揮できるのであろう。『酸素』原子そのもののエネルギー量が増減すると解釈する。

燃焼作用における疑問 熱化学方程式と言うものがある。燃料ごとにモル当たりの発生熱量が異なる。炭素、水素、窒素と酸化の発熱エネルギー量が事細かに分かっているようだ。燃料電池が未来のエネルギー源として注目されている。発電装置としての役割で考えても、結局発生熱の『熱エネルギー』の形を変換しているのでしかない。自然科学は、自然の科学的に解釈する方法で、その仕組みを社会生活に利用できれば、それが主目的であり、科学のすべてである様に捉えられているようだ。だから、『酸素』が燃料の元素と化合して発熱するだけ分かれば十分と考えている。そこには何故かという『問答』が欠けている。物理的本質を理解しようと考えないのが、今までの「理科教育」の実情である。子供達の質問と思うが、IT検索のなかにも貴重な『問答』が多くある。しかし、回答者がその質問に十分応えようと考えていない。お座成りの『こういうものだ』式回答で済ませている。最大の燃焼の疑問は「何故酸素が他の元素と異なる性質・特性を持っているのか」である。原子構造上にその本質が隠されている筈である。それを見極めるのが「物理学」の道であろう。『電子』では決して結論には到達できない。何故窒素と少し異なるだけで、特別な燃焼特性を示すのか?

電気エネルギーと熱エネルギーが異なるエネルギーと考えて欲しくない。電気エネルギーも空間の伝播エネルギーである事から、熱の伝播エネルギーと全く同じものである。『電荷』が実在しない事実に立てば、電子と言う実体概念をどのように考えるかが重要な観点となろう。原子構造上のエネルギーの増減をどのような空間に描くかであろう。生活電気と『光速度』ご参照ください。

2.生体内の生命活動エネルギー生産 生命が燃えるにも酸素が欠かせない。血液循環により生体内のあらゆる細胞・組織の生命の機能保全を司る。細胞が生きるには酸素を必要とし、燃えカスを廃棄する。その運搬の役割を赤血球のヘモグロビンが担っている。ヘモグロビンの寿命も120日で再生されるらしい。時間管理されている生命の循環は世界・宇宙に秘められた絶対的原理と観ると、とても不思議に思える。『癌』は生命の循環の原則から、時間管理(細胞再生循環)の狂いによる絶対的原理違反の宿命と観たかった。生命の全体像を思うと、その細胞一つからの営みが全てに広がり、統制制御される活動全体の姿は何と不思議であるかと驚くばかりだ。人間が設計するロボットがあるが、二足歩行一つをとっても、まっすぐ伸ばした足で、つま先立ち歩行の平衡感覚の全体制御性を比較してしまう。そんな細胞に酸素が果たす役割を考えると、『酸素』元素の力は神の力に思える。どんな秘力を尽くして、生命のエネルギーを生み、そのエネルギーをどのように細胞の活動に生かしているのかと考えてしまう。酸素とエネルギー及びその細胞運動への活かし方に不思議を思う。エネルギーが世界の素原と言う解釈から見ると、指先の筋肉運動にエネルギーがどう生体的・生理学的機能を司っているかを考えてしまう。『鉄』が元素周期の変遷の到達点と言う考えもあるようであるから、世界の循環から『元素』も変遷すると観る。エネルギーが世界の素原であるから、元素もエネルギーの局所化の諸相であると観られる。エネルギーと空間と質量に関連して。

生体・生理学的身体活動とエネルギー 確かにヘモグロビンが末端細胞まで酸素を供給しているのは間違いないだろう。それでは、細胞に酸素が供給されるとその酸素はどのような生理学的働きをするのだろうか。単に細胞内の細胞質の分解・再生の為だけに酸素が使われる訳ではあるまい。細胞の生命活動に酸素が必要な筈だ。活動エネルギーを生みだし、そのエネルギーが何に使われるかが重要な視点に成ろう。筋肉のどのような生理機能がエネルギーを運動に変換するか。皮膚感覚をどのようなエネルギーとして神経伝達機能に生かすのか。それらの生命活動全てが酸素の働きにより造り出されるエネルギーによってなされると観る。エネルギーが筋肉の収縮・弛緩に変換される。それがエネルギーが消費されると言う事の意味であろう。二酸化炭素と酸素の呼吸作用におけるTCAサイクルとどんな関係に成るのか等、観えない事ばかりである。

ヘモグロビンは何故赤い? 赤血球の構成分子がヘモグロビンらしい。赤血球と言うように血の色は赤い。ヘモグロビンで、鉄原子Feが酸素の運び手の役を担っているらしい。廃棄する炭酸ガスCo2の運搬もFeが担うとはなかなか上手いものだ。そんなFeがあるが故に赤色となると解釈すれば良いのだろうか。ヘモグロビンの分子構造に占める鉄Feの比率はとても小さかろう。あの血の赤色はやはり色の不思議に挙げて良かろう。色の世界を尋ねてに重ねてみたい。色彩も不思議がいっぱいだ。

3.水、高タンパク質などの分子構成元素 燃焼を司り、エネルギーを生みだす酸素が水素と結び合えば、その分子が燃焼を消す水になると言う。燃焼と消火を繋ぐのが酸素とは。

光合成と酸素 植物の生命活動。地球上の生命を支える基に成るのが緑の森林である。太陽光線と葉緑素の生命の紡ぎ合いに『酸素』がどんな役割を果たしているかと疑問が増える。

クーロンの法則を斬る

(2022/02/23)追記。この記事について、気掛かりが生じた。『クーロンの法則』と言えば無意識に『電荷』に関する法則と思う。その『電荷』の単位がクーロン[C]であるから。しかし、一寸勘違いしていたのではないかと心配になった。フランス人のクーロン(Charles Augustine De Coulomb  1736-1806) は、その当時それ程『電荷』概念が科学基礎物理量と認識されては居なかったのではないかと思った。

実は、「電圧概念の起源」で何時頃から『電圧』と言う用語が使われたかと検索した。ボルタの電池当たりかと、その定義がどの様に成されたかを知りたかった。その関連記事の、電気の歴史年表と言う記事を見た。そこに、クーロンは磁石には二つの異なった極があり、同じ極は反発しあい、異なる極は引合う。力は距離の2乗に反比例する。

と言う記事を見た。この記事で、クーロンは『電荷』などの事ではなく、磁気に関する力について解釈を示したのではないかと、少し安堵した。おそらく当時は未だ『電荷』等それほど意識されてはいなかった筈だ。憶測であるが、多分1900年以降に、クーロンのお名前との関係で、『電荷』の単位「クーロン [C]」から何時の間にか、物理学理論の教科書で『電荷』に関するクーロンが唱えた法則として誤解をした解釈を広めたのではなかろうか考えた。

(2020/5/4)追記。力の概念と電気物理 (2019/5/21) なぜ今まで「クーロン力」の力の物理的概念矛盾に気付かなかったのだろうか?科学パラダイムの恐ろしさを覚える。

物理学理論の中で、電気磁気学がその主要な基礎をなしている。なかでも『電荷』に基づく基本法則が『クーロンの法則』である。電波伝播の基礎方程式を理解するには、マックスウエルの電磁場方程式で解釈するのが普通である。そこでも空間の変位電流と言う『電荷』概念に基づく解釈が求められる。ここで取り上げたクーロンの法則を斬るの標題は『電荷』の実在を否定する立場から、その基本法則と言われる『クーロンの法則』を取上げて、その曖昧さや論理的矛盾を論じて、電気磁気学の根本から、その解釈の誤った全体像を明らかにしようとするものである。(要点として未来の方向性を示せば、次のようになろう)現行教育では、電磁気学のまとめで、マックスウエルの電磁場方程式が重要な学習の要点に成っている。しかし、光の放射現象で、「配光曲線」等の空間分布特性は『エネルギー』の放射現象として、そのまま『電磁エネルギー放射特性』と解釈できる。エネルギーの空間伝播現象が理解できれば、難しそうに見える電磁場方程式など無用の長物である。元もと、電磁波は電界・磁界などの横波解釈(シュレーディンガー波動方程式の正弦波解釈)は誤った仮想概念でしかなく、すべてエネルギーの進行性の縦波で解釈すべきである。だから、振動数と言う意味も横波解釈の仮想的な概念に基づいて定義されたものである。光エネルギーの光速度伝播は「ポインティングベクトル」で理解できよう。電気照明工学の光照射論を学習すれば、電磁エネルギーの縦波伝播の意味が理解できる筈である。照明と配光曲線が参考になればと思う。私がここに述べた事の論拠として、新世界への扉ーコンデンサの磁界ーの記事を上げておこう。

クーロンの法則『電荷』が素粒子理論等の現代物理学の最先端の研究でも、その概念の曖昧さにもかかわらず、ただ存在が暗黙の事実として認められている。クーロンの法則 は 1785年に、 Coulomb’s law として、フランスの物理学者 Charles de Coulomb によって唱えられた法則のようである。上にその法則の意味を数式で示した。電荷間に生まれる力関係を表現したものである。空間の誘電率と二つの電荷間の距離 r の二乗に反比例すると言う意味で解釈される。『電荷』そのものが、質量に付帯する物なのか、独立に存在しうるものなのかさえ明確に出来ないのである。その存在が不明確でありながら、電荷間に遠隔作用力が働くと言うのである。電荷の間の空間の状況がどの様であるかを明確にしなくても、距離の逆2乗則で力の大きさが決まると言うのである。ここでの『遠隔作用力』とは、二つの物の間の空間の関係はせいぜい誘電率で関係づけて、単に離れた物同士の間の距離だけに因る、遠隔的に作用し合う力の意味で捉える。『電荷』が空間に存在した時、その電荷の周辺の状況をどのように捉えるかが極めて曖昧である。電荷は空間的に独立して空間体積を占める物かと尋ねても答えられないのである。大きさが無い物では、その実在性は主張出来ない筈である。存在は空間の体積を占める。『負電荷』が電子に付帯するなら、電子の質量との空間的付帯状況からの関わりを説明しなければならない筈である。以上の空間に存在する『電荷』の状況を考えるには、一つの図面を採り上げて考えたい。電荷とクーロン力

この図は以前『電荷』と言う虚像で取り上げたものとほとんど同じである。先ず空間に電荷Q[C]が有るとしよう。その空間の誘電率がεとする。電気磁気学では電荷から四方に電気力線が放射されていると解釈される。基本的な問題として、空間に電気力線が有れば、その力線が持つ意味はエネルギーを伴うと解釈すべきである。その空間のエネルギー密度を w(r) として図に記した。前に述べた『遠隔作用力』はエネルギーの存在する空間なら、その空間のエネルギーとの関わりから、『近接作用力』と解釈すべき物になる筈である。その意味で、『電気磁気学基礎論』が空間のエネルギーの存在をどのように解釈すべきかが問われている。(2016/05/09)上の図の数式が理論として考えるのに重要な共通理解の基本と看做される。しかしそんな式で表されるような数量を確認する方法など無いのである。理論は数式で書き表すと如何にも真理であるかの如くに強制的に信じる事を要求する。殆ど当てに成らない数式なのであるが、理屈上論理的であるが如き形式論に成っているのだ。実際クーロン力の数量など計れない現実である(追記)。それが『電荷』そのものの存在性、実在性をはっきりさせる基本論点になる。クーロン力は原子構造論の基本的拠り所であるにもかかわらず、その論理性が問われている。2011.03.11 の原発事故がその物理学理論の根底をも揺さぶる事になったと考える。

物理学理論の論拠である『電子像』を問う。(電子の空間的実在性の真偽をただして) 何点かに分けて考えてみたい。①『点電荷』の寸法と意味。 ②『電荷』は中和するか。 ③『電荷』と雷の関係の矛盾。 ④原子構造論の周回電子像の矛盾。 ⑤『電荷』金属遮蔽と磁界矛盾(この内容は、クーロンの法則よりも『電流と磁場』の観点となるので、別に投稿する)などの観点から考えてみたい。

①『点電荷』の寸法と意味を理解できるか? クーロンの法則の解釈に、『点電荷』と言う用語が使われる。前出の図の電荷Q[C]は点電荷と言う。その大きさはどの程度と認識するか。空間的存在を理解するには、その大きさが欠かせない。元もと人間が大きさを捉えるには、目で見える大きさの範囲が基になる。しかし、原子や光子の話になるとその基準は役に立たない。空間寸法も『相対認識』の量である。蚤が見る世界と人が見る世界の違いや、太陽系外から見る世界と顕微鏡を覗いた世界とは異なる。『点電荷』の点がどの程度の大きさと理解すれば良いかは抽象的概念と具象的概念との違いに関係すると言う意味で、考え方を明らかにしておく必要があろう。『点電荷』と言う、その点の大きさ定義しないで論じる事は、科学論の論理性を無視した無謀な科学論になる。何故『点』に拘るかは『電荷』の曖昧さを質すに大切な論点になるからである。『電荷』の最小基本量は幾らか?長さにも大きさの最小基本量は無い。何処までも小さくなる。だから『電荷』にも基本量は無くてもかまわないと言えるかという問題である。長さは実在性を測る物差しである。『電荷』を測る物差しが有るかと言う問いである。『電荷』は存在しないから決して測定できない。ましてやクーロン力を測れる筈もない。以上『点電荷』から自分勝手な論法で、『電荷』概念の曖昧さを質してみた。数式無しの言葉での反論を期待したい。素粒子論の最先端の研究者に聞けば、きっとそれは「波のような物」であるから、もっと勉強をしてから考えなさい。と言うであろう。この問題を『電子像』に関係づけて、まとめてみた。電子概念と仮想像図の仮想電子像は、教科書的な意味に近い電子の像を考えて表現した。電荷と質量の分布をどう表現するかも困難である。その電子が青い外周線で、その影響する範囲がどこまでかも分からないが、その領域も記してみた。それは電界(これも存在しないが)と言う領域の話に繋がる。

②『電荷』は中和するか? プラスとマイナスの電荷が合体したら、その合体物は『電荷』の無い電気的中性体となるか?と言う疑問への物理的解答が欲しい。自然科学の研究は、新しい発見によって新たな発展を促すものであろう。しかし、過去の知見、特に基礎概念など、を全く否定するような科学研究は殆ど受け入れられないのが通例である。それは今までの研究者の功績を否定することに繋がるから。科学研究集団は、その過去の成果を互いに賞賛することにより、より集団的力の強化を経済的利益の裏付けの為に望む本質的特質を備えているから。だから、『電荷』を否定する論理は学術研究集団にとってはとても邪魔なものとなる。一般に、科学的発見は過去の知見を否定することなく、新しい解釈を積み重ねる手法が主流となり、古い法則もそのまま温存しながら、差し障りなく新しい研究分野に集団化するものとなる。『電荷』など有ろうが無かろうが、そんな利益が得られない事柄に関わる暇も考える意識も無いのが、最先端の科学研究者の実情である。理科教育が子供に為になるとか、役立たないとか、嘘であるとか、そんな事を考えるより、勢力が拡大することが当面の目的である。

誰かが『電荷』など存在しないと言わなければ、科学理論の本当の意味が社会に認識されない。怪しい(曖昧と言う意味で)研究に多額の財政負担の負荷が掛けられる事になる。『真理』や「平和」は実現するのがとても難しい。『電荷』にはプラスとマイナスが有る事になっている。それでは、プラスとマイナスの電荷の空間的存在形態の違いを明確に定義づける必要があろう。当然であるが、専門家(特に素粒子研究者で、プラスとマイナスの電荷の存在を肯定する人)は、決してその違いがどの様であるかは論じないし、答えようとしない。専門的研究者に属さない自分のような者が言うのは気が引けるが、素人の論理で『電荷』のプラスとマイナスの意味を探ってみた。電荷が中和する?『電荷』にプラスとマイナスが有ると言うが、その実体は何かが問われている。上にプラスとマイナスの電荷が合体したら、電気的に中和して、電荷が無くなると考えたい。電荷が無くなると言う事は、自然界には長い間で電荷の存在が消滅する筈と思う。上の(1)で、勝手な想像をしてみたが、電荷が消滅する説明にはならない。(2)の電気回路の例題が一番『電荷』のプラスとマイナスの意味を説明していると思う。ー投稿途中でIT遮断されるため、中断するので途中公開するーこの電気回路で、ダイオードで整流してコンデンサを充電したとする。電気理論によれば、コンデンサにはプラスとマイナスの電荷が蓄えられる事になっている。電源電圧の最大値と同じ電圧までコンデンサの電圧が充電される。コンデンサの容量をC[F(ファラッド)]とすれば、貯蔵される電荷量はQ=C・V_m_[C(クーロン)] となる。ただし電源電圧ピーク値 V_m_[V(ボルト)] である。コンデンサの上下の電極表面にそれぞれプラスとマイナスの『電荷』が対極的の貯蔵されると解釈される。そこで電源側のスイッチを開く(OFF)。次にランプ負荷側のスイッチを閉じる(ON)。さて、コンデンサに蓄えられた『電荷』はどのような事になるだろうか?私自身が、半導体の回路に少しは詳しい専門家らしい真似事をしていた。しかしこんな単純な回路で『電荷』の意味を考えた事は無い。コンデンサの電荷がランプの中で合体して、燃え上がる為、発光放射現象を引き起すとでも解釈すれば良いのだろうか?こんな電気の物理現象は、「理科教育」のとても良い例題になると思う。『電荷』の本質の理解と『エネルギー』の深い意味の理解の為に。ランプで起こる現象は、電気技術的な解釈では、ランプがエネルギー変換装置として、コンデンサの貯蔵エネルギーを空間に『熱』と『光』として解き放す放射現象の役目をしているのである。コンデンサの『電荷』のプラスとマイナスがためられて、その電荷が中和したからランプからエネルギー放射が起きたなどと言う理論は全く理解できない事である。『電荷』などの役目は破棄すべきだ。電荷中和問題で、図の(2)電荷はどこに消えるか?でダイオードの整流動作の意味が分からなくなった。ひとつ後の考察材料として、挙げておこう。ダイオードの電荷分離作用先日ダイオードの動作原理を検索で確認した。私が、工業高校で初めて担当した科目が電気科の『電子工学』であった。当時は、未だ教科書は『真空管』回路が主であった。ダイオードやトランジスタは参考程度の走りであったように記憶している。しかし、フェルミレベルや伝導帯、空乏層あるいは禁制帯などの専門用語を何とか理解して教えて来た。しかし、今になって検索しても、昭和39年当時と同じ説明しかなかった。当時教えていた事は今自分が分かっていない事を伝えていただけであると反省せざるを得ない。右図で、トランス2次側には、何処にも『電荷』のプラス、マイナスが初めからは存在しない。しかし、ダイオードを通して電源電圧を整流するとコンデンサにはプラスとマイナスの『電荷』が分離されて蓄電されると言う解釈が常識になっている。こんな当たり前の単純な電気回路でも、私には理解するに、難しい意味を含んでいるように見える。ここでは理解が十分でない私の事を挙げておき、後ほどの課題としておきたい。(2018/11/25)追記。5年後の現在、このダイオードとコンデンサと電荷に関する認識が明確になったと思う。それはダイオードの機能とコンデンサとエネルギーと電荷(2017/08/31)に纏まったかと思う。課題の解決として。

③『電荷』解釈の雷矛盾 雷は天候が荒れる時に起こる。雷雲が生じ、そこから稲妻の発光現象として見られる。ベンジャミン フランクリンが凧を揚げて電気現象である事を突き止めたと伝説に成っているようだ。荒天に凧上げ、更にビリビリと電気を感じて確かめたと言う話は信じられない。感電死間違いない。雷は電気現象として、高電圧工学の調査・研究対象となっている。自然現象は殆どその原因を『電荷』にその理論的論拠を求めている。それ程『電荷』と言う概念は便利である。余りの便利さから、『電荷』の本質を探ろうとはしないで過ごして来た。学術・学理・学問は高尚で、深遠である為、簡単に素人が取り付けない分野であると見られている。雷の正体で、雷は水蒸気の熱エネルギーの空間放出量の限界に起きる現象であると唱えた。まさか、水蒸気の話では、高尚な学術・学理の問題とは言えなかろう。雷が電気現象であると言うのが現在の学術論であろう。しかし、雷の姿はその「稲妻」の発光現象に在り、それに物理的解釈を下すことが重要であろう。『電荷』がどのような物理的論理で、光変換現象を引き起すかの説明であろう。私も衝撃電圧の実験をしていたが、『電荷』の実在性に疑問を持つような事は無かった。「在る」のが当然という固定観念に囚われていたからである。理論の根底に疑問を持つと、どこまでもその究極に迫る事になる。自然の仕組みが少し見えて来ると、感覚で判断しても余り誤った結論に惑わされる危険はなくなるように思う。高尚な数学的論理式が正しい自然感に導く事は期待出来なかろう。『電荷』の意味を考えるのに、何が光変換するかの図を挙げておく。雷と電荷

何度も取り上げたような題材で少し申し訳ない。冬のドアノブの火花や雷は「電気現象」と解釈されている。静電気と言う『電荷』問題でもある。しかしその本質を噛み砕いてみると、以外に別の観方ができるようである。雷の現象を調べるのが高電圧の発生装置で、衝撃電圧発生回路である。その簡略図が①の平板ギャップ放電回路と見做せる。実際は多数のコンデンサとスイッチSの組み合わせの並列・直列切り替えにより、瞬時に高電圧を発生する回路構成に工夫されている。等価的には図の①で解釈できよう。スイッチSオンで、コンデンサの貯蔵エネルギーが瞬時にギャップに供給される。そのエネルギー量がギャップで保持できない時放電と言われる火花放射現象を引き起す。それが「アーク放電」と名付けられる。前段の電荷中和問題での(2)のランプ発光とエネルギー放射現象としてみれば同じものであるが、状況が違う様に見えるだけである。この場合も、コンデンサの電荷がギャップに供給されて、プラスとマイナスの電荷がギャップ空間で、合体して電荷中和を生じ、光に変換したと解釈できるだろうか。電荷の合体中和が光放射現象を引き起すなどの理屈は全く理解不可能である。電気回路は電荷と電流 i で解釈されるが、電荷も電流も物理原理としては教科書的、教育現場用『仮想概念』でしかない。②の雷の『稲妻』火花発光現象も本質的には①のギャップ放電と同じである。ただ違いは、コンデンサのようなエネルギー源が無い。即ち電気的な閉ループが構成されていない。エネルギーが雷雲と地上との間の空間に貯蔵されていたものが、発光の引き金となる状況が生じて、一気にエネルギー放射現象になる結果である。火花放電と言う状況は空間のエネルギー貯蔵限界により引き起こされるもので、電気的な表現によれば、空間の『電界強度』が30kV/cm と看做されている。空間の誘電率 ε[F/m] =1/(36π)×10^-9^[F/m] とすれば、空間の限界エネルギー密度はw≒40[J/㎥] と計算される(初めに挙げた図の 電荷の意味とクーロン力? のw(r)の計算式を参照)。ここで雷と電荷解釈の疑問を採り上げる。②の拡大で③に示す。クーロン力は同じ電荷間には反発力として働く。だから『電子』などの負電荷同士が集中的に集まる事は論理的に矛盾した法則上の解釈である。同じ電荷同士は反発し、異種電荷同士が合体力を生みだす。と言うのが『クーロンの法則』である。空間で光放射現象に発展するには、相当のエネルギー貯蔵がされなければならない筈である。電荷が空間に『クーロン力』に逆らって、局所化するとは論理の矛盾である。

④原子構造論と周回電子像 物心がついた頃から、原子構造はこのようであると教えられて来た。それは誰でも知っている構造である。原子の中心に原子核が有り、その周りを電子が周回運動していると。?原子構造?

何故、このような原子構造であると決められたのだろうか?ラザフォード(Ernest Rutherford (1871-1937)  ノーベル化学賞受賞者) が1911年頃に、原子核の構造についての考えを提唱した。原子の中心に核として、陽子と中性子が有ると示唆した。しかし、電子が周回運動をしているとの解釈は、未だ定着していないようだ。すでに一般的には、電子で原子が満たされているとは考えられていたのであろう。誰が周回運動する電子像の解釈を提唱したのかは分からない。クーロンの法則が、すでに1785年に唱えられていたとすれば、物質が電子で構成されていると言う解釈はすでに科学的常識と成っていたのであろう。原子核の様子が少しずつ明らかになり、誰とはなしに、周回電子論が常識化して来たのであろう。結局、周回軌道電子像は現在も、量子論初め、全ての原子に関わる理論構築の基礎をなしている。周回軌道電子の運動エネルギーの増減で、原子放射光のスペクトル解釈をしている。

上に述べた事を、原子の数例について考えを纏めたので、次に示す。

原子構造の例

原子質量単位

(2013/2/4)の疑問追記は私の間違いでしたので削除しました。ただ、金属原子などにも、1mol のアボガドロ数との関係が成り立つ意味が理解できない。

1月20日は、大学入学試験が有った。自分が上に述べた事を考えると、これからの「理科教育」はどのようにあるべきかと、教科書との乖離に悩みも深くなる。先日(19日)も、NHKの教育番組で、MITの『電荷』に関する講義内容が放送されていた。その講義を聞いて、「エボナイト棒の摩擦」が電荷の実験的検証の題材に成っている。確かに摩擦をすれば、仕事に対するエネルギーがエボナイト棒に蓄えられると解釈できる。そのエネルギーは普通は『熱エネルギー』である。エボナイト棒の周辺空間には確かにその影響が現れている。そのエボナイト棒が他の物を引き付けるからと言って、それが『電荷』が原因であると断定できない筈である。確かに『エネルギー』もその空間的状況では、磁場のN極とS極のように、その回転流方向性として如何にも2極性を示す。だから、『電荷』もプラスとマイナスの2極性に見えるのであろう。その物を引きつけるからと言って、それが『電荷』と言う確認は出来ないであろう。『電荷』の空間的姿の認識も出来ないし、観察もできないのだから。熱エネルギーも電磁エネルギーも『エネルギー』と言う物理量から解釈すれば、同じものである。今までの物理学と言う世界は『電荷』の存在を基礎概念として自然科学の理論を組み立てている。本当に『電荷』の存在を未来の自然科学の『真理』として子供達に教えて行くのだろうか。

『共有結合』 原子構造で、その原子間の結合力・仕組みの解釈の合理性の問題が有ろう。その基本は周回電子が担っているとなっている。化学物質の結合手について、高分子結合まで『イオン結合』や『共有結合』など原子外殻に存在する電子がその役目を負わされている。その殆どは原子の外殻の負の電荷同士の関係で説明されている。もし、クーロンの電荷間の法則の力を自然界の『真理』とするのであれば、原子結合の論理性の矛盾を上げなければならない。クーロン排力の強力な空間領域でありながら、その影響は無視できると言はんばかりに、論理の矛盾を抱えた解釈に成っている。原子同士の強力な結合を実現する解釈法は原子表面の磁力以外は無かろうと考えた。その視点で『ダイヤモンド結晶』について考えた。炭素結合の秘め事

炭素結合の秘め事

#標題下に、『カテゴリー』と『タグ』が入らない訳は?#(投稿 2012/04/15)

[タグ] ダイヤモンド結晶 炭素原子結合 素粒子 質量問答 Education, Electric charge, Energy flow, Magnetic field, Yoshihira のスペース 共有結合 原子磁気結合 原子構造

(2013/04/25)記事の修正。 原子結合の一つの解釈に『共有結合』がある。それは外殻電子同士が互いに相手の原子との結合に、共有した二つの電子の組み合わせとして働くような意味と解釈している。二つの負の電荷がともに結合して原子同士を繋ぎ合せる結合力に成ると言う意味であろう。クーロン力は同じ電荷同士は反発する原則を示す。しかし何故『共有結合』という電子同士が融合するのかを論理的に説明しなければ、科学論ではないと言いたい。こんなところにも、科学論の独善的、権威的な姿が見える。市民はそんな科学論でも、納得するだろうか。その『共有結合』という科学論の正体を解剖しようと考えて、その代表例に『ダイヤモンド』を選んだ。『電荷』とか『電子』などの意味を考える為に、クーロンの法則を斬る

この記事の最初の標題はー「ダイヤモンドの秘め事」ーであった。

炭素結合の秘め事 序章 (2012年4月15日に書きだし)

ダイヤモンドは人に特別な思いを抱かせる。その宝石の価値は輝きと希少な存在にあろう。ここでダイヤモンドを採り上げた訳はその原子結合に秘められた『力』の意味を探りたいからである。ダイヤモンドの硬度は工具などにも極めて有用である。それは炭素原子の結合に秘密が隠されている。その結合を物理学や化学理論では『共有結合』と言う電子結合によって解釈している。私がここで論じる事は『電子』と言う負の電荷を破棄した場合に、どんな原子結合論を考えれば良いかと言う「現代物理学理論」の根幹を否定する論になる。昨年の東日本大震災の2次災害として大きな事件を引き起した福島原子力発電所の問題がある。その事件が様々な科学的問題を引き起したと言わなければならない。市民が「自然科学」に無関心で居られない事を突きつけた事件でもある。原子核理論等には素人である私であるが、以前から唱えて来た科学基礎論が何かの因縁のように、この原発問題でその『原子核理論』にまで踏み込まざるを得ない状況になってしまった。ここで、結論に繋がる基本を示しておきたい。陽子、中性子などの結合を繋ぐ『力』は何かという問題である。古くは、湯川秀樹のノーベル賞対象である「中間子理論」がその解釈に採られている。しかし電荷を否定した筆者にはそれは受け入れられない理論である。素粒子はその根源は「エネルギー流」であるとの認識に立った論理になる。簡単にいえば、全ての核子は『磁気マグネット』である。例えば、「地磁気」とは何か?昭和63年電気学会全国大会 32 電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 で発表した事がある。地球表面を磁気エネルギーが偏西風(2018/11/15追記。この偏西風という方向は地球自転の方向とは無関係であると理解した。地球自転と周回空気層の関係は海流や貿易風としての意味であった。地球自転の方向と地表のエネルギー流とが何か意味を持っているかと考えるが、その訳は未だ分からない。)と同じ向きに回流していると解釈すべきである。エネルギー流から地球の「北極」は磁石の南極、「南極」は磁石の北極である。世界はエネルギーの回転流に因る『力』で結びつけられている。核子の結合力も、ダイヤモンドの結合力も『磁気マグネット』の結合に因ると解釈すべきである。今書いている 放射能と発熱の正体は何か?に関連した話になりそうである。素粒子とは何かを考えて、素粒子ーその実相ー に解釈を提起した。地磁気に関する最近の認識を示した記事が地磁気とコンパスである。

原子と構造 とても大きな問題に取り掛かるには非力である事を考えると躊躇する。しかも内容は世界の物理学基礎理論に対抗するものである。当然科学研究の機関紙に投稿すべきものであり、査読を経なければ意味が無いかもしれない。残念ながら、やむなくブログであるが『真理・真実』と考える『問答』を提起したい。先ず初めに、エネルギーで観る世界ー素粒子ーをご覧いただきたい。さて、『原子構造』をどのように解釈するかの『問答』に入る。単純な例を考えて見よう。原子力発電の核燃料はウラン235と言う原子である。原子番号は92である。核はプラスの電荷を背負った『陽子』92個と電気的に中性(プラスとマイナスの電荷を釣り合うように保有しているから中性と考えるべきか、あるいは電荷その物を保有していないと考えるべきかは極めて重要な『問答』対象の意味を持つと考える)な中性子143個から成り立つようだ。その次に、その核の周りをどの程度離れているかは分からないが、質量とマイナスの電荷を持った92個の素粒子『電子』が核の陽子と電気的に釣り合うように、核の周辺を回っていると教科書では説明されているようだ。私にはそんな92個の電子がクーロン力の反発を避けながら、なんで中心核の陽子とだけ電気力(クーロン力)で釣り合う力が発揮されると考えるのか、その道理が分からない。近くの電子同士の反発力を避けられて、何故遠くの陽子と引き合う引力が生まれるのか?その点は大きな『問答』の対象である。

(2012/04/23)追記分。原子構造論には、その構成素粒子の意味を確認しておく必要があろう。そこで基本素粒子についてファイルにまとめた。エネルギーで観る世界ー素粒子ーでなく、ここに載せて考える。素粒子素粒子の質量は定数として決まった値のようだ。『質量』とは天然の世界を構成する全ての物の基本概念と考えて良かろう。宇宙全体の存在を形作るものであろう。その全体を統べるものである『光』も質量がその基にある。光速度で伝播する限りは光に『質量』は隠されていて、観えない。しかし光も吸収されれば、『質量』に成り、質量が見える。上の3つの素粒子の質量について量的問答をしてみよう。素粒子問答上に示した問答で、やはり電荷が質量にどのように付帯するかを示すことが「素粒子論」の基本命題と考える。しかしその電荷の事は一先ずおいて、質量の解釈問答をしたい。ヒッグス粒子が発見されたと言うニュースがある。ヒッグス粒子が無いと、世界に『質量』が存在しないかの如く報道されている。私はとても信じられない科学報道事件である。その意味で、やはり自分が信じる『質量』の意味を論じておきたい。そこで、一つの質量問答を提起する。質量問答2勝手に大学入試問題として取り上げたらよかろうと思った問題である。こんな問題は、その解答を評価し、採点するとなると難しい事に成りそうだ。自分の科学論の力量不足を恥じながらも、自分なりの『質量問題』の解答をしてみたい。質量問答2の解答ここで述べた解答例は、エネルギーを独立した物理量と認識しなければ、理解されないものであろう。質量とエネルギーの等価性。その認識に係っていよう。

炭素原子と構造 (2012/05/02)追記分。原子の構成素粒子の話から、そろそろダイヤモンドの話に入ろう。原子の外殻周回電子像を否定せざるを得ない事に成ってしまったから、自分なりに原子構造とその結合について、解釈を示さなければならない。『電荷』概念否定に因る原子構造論。原子構造論への視点原子構造論への視点として纏めた。その観点から原子構造を解釈すれば、エネルギー一つの物理量で世界が認識出来ると思う。その視点で、炭素原子とダイヤモンド結晶の話に繋がると解釈した。炭素原子分1炭素原子分1ダイヤモンドは、石の囁き 聞こえますか の内容にも通じる話である。

炭素原子と構造モデル (2012/04/24)追記分。炭素原子の構造を考えてみた。ファイルで提示したい。炭素原子分2卓球の球を使って、その対象点をカラーシールで表示した。しかし緑と青の色分けが解り難いようである。写真の下辺が緑であるが、青色に見えてしまった。青色シールを球表面の4等分面の中心に貼って記してみた。同様に緑も4等分点に貼った。その緑と青の間に白のシールを張ると、白が6等分面に分割することに成る。空間的な認識はなかなか難しい。蛇足の幾何問題。例えば、直径40mmの球面を、上の絵図のように白で6等分すると、一つの面積は幾らだろうか?球面全体の立体角は4πラジアンであるから、(4π/6)×(4o/2)^2^=837.3[㎜^2]と、立体角(球と立体角)で計算できる。上の絵図は球面で原子構造を表現したが、炭素原子が4価であるから、正4面体で表現しても良かろう。炭素原子分3正四面体で炭素原子を捉えてみた。ダイヤモンド結晶の堅い結合は何が支えているか。そこには特別の強力な結合力が潜んでいると考えたい。電子の『共有結合』などのあやふやな力では、そんな力は生まれないと考えた。身近な日常生活で、誰もが経験している物が、磁石の吸引力である。あのそれこそ『距離の逆何乗法則』かと思えるような、近付けば、近付く程強まる吸引力は強固な結合力を支えるにふふさわしい『力』と考えて良かろう。そこで、図に示すような、赤丸シールがS極、青丸シールがN極の磁極とすれば、実に強固なダイヤモンド結晶を支えると解釈した。電気現象を扱う人なら、電荷や、電界等は殆ど力の源と解釈するには、覚束ない程の微弱な物でしかないと感覚的に感じている筈だ。それに対して、モーター初め、電磁石などの電磁スイッチの強力な動作現象は極めて的確で、頼り甲斐の有る技術と認識している。そんな技術感覚的なところから、当然の結論として結び付けた。その正四面体とマグネットの関係を図式化してみる。IMG_0427正四面体の赤いS極面の表面エネルギー流を矢印で示した。青のN極面も同様にエネルギーの流れる方向を示した。電磁気学で、右ねじの法則で磁場と電流の関係を表現しているが、その手法を取り入れると、図に示したように表せる。『左ねじの法則』で、N極方向を進行方向と解釈する図である。しかし逆に、S極をネジの進む向きとすれば、ネジをS極向きで表現した方がよいかもしれない。それなら地球の磁場(北極がS極である)にも『右ねじの法則』で対応できるから。

追記(2012/05/09)の部分。 炭素原子を正四面体で、その原子結合面をマグネットで対応させる原子モデルを提案した。今までの外殻電子軌道の原子構造論に対して、このマグネット結合を比べると、益々『電荷』論が無意味に思える。ダイヤモンドの秘め事のほぼ最終の「秘め事」に辿り着いたと言えよう。ブリリアントカットがどのような研磨面のことかは知らない。しかし、そのカット面の意味も含むかと思う炭素結合単位の『単位結晶』とも見做せる図案を提示したい。ダイヤモンド結晶以上で、結論とする。