カテゴリー別アーカイブ: 電気磁気学

慣性座標系の意味不明

(2024/05/10).

『慣性座標系』と言う用語を使ったこと反省する。自分の書いた 32『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質-(電気学会、1987年4月、発表)にも慣性座標系と言う用語を使っていた。後日その資料に、「この慣性座標系と言う曖昧用語の使用は間違いであった。」と反省が記されていた。他にも、その中で数式に間違いもあって、誠にお恥かしい。ただ、この実験結果の報告は電磁場方程式の解釈が主ではなく、所謂コンデンサなどの内部に掛かる静電界に対して、そこに在る筈のない『磁界』が存在する事が最大の報告内容であった。しかし、その後の歳月37年を考えると、伝統的電磁界解釈理論と異なる、あるいは否定する結果を観ないようにするのが通例の科学界の通例なのであろう。それは又、マックスウエルの電磁場方程式それ自身が、無意味な横波解釈式である事の証明でもあった筈だ。それは結果的に、『電界』と『磁界』さえ空間を流れる『エネルギー』の密度分布波の、一つの解釈概念でしか無かった事だったのだ。直流の電気回路の電線路間の空間を光速度で伝播する『エネルギー』の伝送現象と、電波の自由空間の伝播現象と特別異なるものではないのだ。デジタルパルス信号波の『エネルギー』波をどの様なマックスウエル電磁場方程式で解釈するか?正弦波だけで、広く統合した論理性を考えないでは理学理論が教育で笑われてしまう。

ベクトル式で表現すれば、空間分布エネルギー密度δ[J/m]、電波光速度ベクトル
co [m/s] とすれば、
δ co
の光速度伝播現象の電力波 [J/s]となるだけでしかない。

『慣性座標系』に思う。

『慣性座標系』に思う。アインシュタイン選集 3 (共立出版K.K.)にも、P.271. 相対性理論とは? のp.273. に ・・力学において許される”座標系”は”慣性系”という名でよばれている。・・から始まって、幾ら読んでも理解できない曖昧な論述が続いている。この3巻は、論文とは異なるアインシュタインの様々な、講演や記事が纏められた巻である。筆者も、アインシュタインの論文の訳文ではあるが、同選集の1の p.19.に、[A] 運動している物体の電気力学について がある。それが所謂『特殊相対性理論』と呼ばれている論文のようだ。しかし、アインシュタインは『相対性原理』とか『相対性理論』とかの用語を使っている。誰が『特殊相対性理論』と呼ぶようになったか不明に思える。しかし、この論文を読む限りから判断すると、電気力学と言う表現を使っている点で、質量の運動力学と関連付けた認識で、様々な勝手な条件を付加して、極めて人の理解する困難さを織り交ぜて、独自の解釈を展開した論述に思える。その基には、マイケルソン・モーレーの実験の結果が予想に反していた事を念頭に置いたものであろうが、その事には一切触れていない所が誠に不可解な論文である。しかも、アインシュタインは全く電気磁気学についての『実験』を含めて、自身では「科学的な実験」を全く行っていない点が、筆者には理解できないことである。『慣性系』と言う用語自体も、運動力学の万有引力論の重力場の解釈からの単純な論から、独特の数学的論理を駆使しただけの論文に思える。中に、『エネルギー』と言う用語も使われているが、それがどの様な意味かは理解しかねるが。勿論光の空間エネルギー像など認識している筈もない。プランクの定数及び放射特性については知っていた筈だ。

兎に角、物理学理論全体が、アインシュタインの論文によってとても不可解な科学論の世界になったように思う。基礎概念のその物理的意味を自然世界の現実と照らし合わせて、その実像を矛盾の無い確信するまで考える事を放棄してしまった。特殊相対性理論からの一般相対性理論などが唱えられ、それとの関連での『重力波』がどの様な訳で発生するかなど全く論理性もない空想論の科学論の世界となった。ブラックホールが何処に存在すると言うのか❓

ハミルトンの風車からエネルギーを観る

「今日(2024/05/01)のダッシュボードに載っていた。人事問題の意味を考え始めた切っ掛けだった。周りで何を騒いでいるのか、その意味が分からずに混乱の中かでじっと我慢しながら日々を過ごした。然し年末に雲隠れをした。根本問題に何か在るかと?

根本的疑念が昭和20年8月15日の終戦の日に、京都府舞鶴市溝尻海軍住宅の住所だった事に関わると認識している。舞鶴市の市民ではなかった。だから、東舞鶴国民学校で4月から4カ月以上勉強したが、入学者名簿には存在しない事を知った。人事問題は、何処で生れ、何処に住み、どの様な経歴を辿ったかが全て確認されて居なければならない筈だ。昭和14年12月1日、貝野村から舞鶴鎮守府所管に『戸籍転籍』。昭和16年9月1日、召集令状。父はその10月巡洋艦「香取丸」の在役艦。その年12月19日、「香取丸」に戸籍異動。昭和19年2月、「香取丸」被弾沈没。同19年3月31日、「香取丸」船籍除籍。その後戸籍に関する行方不明。追記、2024年5月1日。末尾に関連して」

はじめに (またの文末の自分の恥さらしで御免なさい。憲法と市民権など全くの無知であった。権力と市民権の関係の教育を受けた記憶も無い)。ハミルトンの風車はブログの最初の科学の記事で、放電現象と電荷・電流概念(2010/08/02)にある。何故ハミルトンの風車を取上げるかには理由がある。新世界ー科学の要ーで示した静電界のエネルギー流についての解釈を早合点したようだ。訂正しなければならないと思ったからである(2017/11/07追記・修正した)。それはコイルとコンデンサの磁気ループについても訂正になる。

ハミルトンの風車

極性とエネルギー流 ハミルトンの風車を検索すると、その回転現象の解説にはイオン風と言う電荷が原因となった説明が成されている。マイナスの3万ボルト程で大きな卍型の針金が相当の速度で勢いよく回転する。しかもプラス側の電極が無いのに、マイナスを印加するだけで良く回転する。昭和40年頃の高等学校での公開実験での強い印象が残っている。1.6mmΦの屋内配線用銅線で構成した直径30,40cm風車実験結果が思い掛けずも成功したのも不思議であった。何も傍にプラス電極が無い、空間に置かれたマイナス電極の風車である。針金の先端からジーと音を立てて噴射しながら回転する。ただし、印加電圧が正極性の時はそれ程強い回転力は得られない。明らかに極性によって異なる電気現象であることははっきりしている。放電管内の流れがマイナス電極側からしか流れない事も良く分かっている事だ。その流れを陰極線と名付けたのだ。その流れる実体を『電子』と呼んで解釈するのが現代物理学理論の根幹である。『電荷と質量』を備えた素粒子が『電子』である。その電荷と質量の空間的描像も明らかに説明できないにも拘らず、『電子』と言う素粒子(レプトン)が実在し得るとの前提で構築された電磁界理論である。その電子と言う『電荷』概念への疑問を抱いたのが電磁界の新世界に踏み込む事になった原点である。ハミルトンの風車の回転現象を電子とイオンで解説されているのが常識論である。結局、電子もイオンも『電荷』と言う実在しない物理量概念で、見えないが故に、簡便な解釈で伝統的に積み重ねてきた理論体系の基礎概念となって、社会的な常識論の根幹となって来たという事であろう。今唱えたい事は電子やイオンに替わって、それに対応する『エネルギー』一つで統一的に解釈すべき基礎理論が求められていると言う結論になる。

針電極 針電極のような金属の先端を尖らせて、負の高電圧を掛けるとコロナを噴射する。それは導線に沿ってエネルギーが針先端から空間に噴射されるからと解釈する。導線周辺にコンパスを近付ければ導線を周回する向きに磁気ループが存在するだろう。それは電流で解釈すれば、それが先端部から流れ込む向きと同じ方向ではある。このエネルギー流の解釈は、電子・電流の解釈との明確な違いを説明するだけの根拠を示せないのが残念ではある。残念であるというより、目に見えないものを科学技術で自然現象を利用するように概念化して来た多くの先人の業績を讃えるべきであろう。然しながら、自然の真底に横たわる眞髄は科学技術概念の奥に隠れているのだ。それはを認識するのは各人の自然科学的感性に委ねられていると言えよう。

平板コンデンサ内のエネルギー流 そのエネルギー流での解釈は、平板コンデンサ内へのエネルギー貯蔵をどう捉えるかに、その有意性があろう。『電荷』貯蔵に因る解釈よりも矛盾は少ないだろうから。コンデンサ内でのエネルギー消費は殆ど無かろう。従って、エネルギー流は平板コンデンサ内で何らかの回転流として貯蔵されるだろうと考える。二枚の電極板に対して、エネルギー流がどのようであるか、上下二つの流れであるか、一つの流れであるかは見えないものを解釈する訳で、そこに悩ましい決断が求められる。新世界ー科学の要ーで示した解釈は二つのエネルギー流で決断した。それは下部電極表面での磁界の方向が決まるエネルギー流を上部と同じ電極表面に沿って流れ込むと解釈したからであるが、その点が少し早合点であったと反省している。それは新世界への扉ーコンデンサの磁界ーで示したように、下部電極表面でのコンパスの指示方向が電極表面に流れるエネルギー流との合成流に因ると解釈したことに因った。コンパスの磁気の意味をそのエネルギー流が原因と解釈する捉え方そのものが新しい科学的世界観でもあり、その事との関係で迷いがあったと反省している。今回上に示した図の平板間の一つのエネルギー流で解釈する方がコンデンサ内でのエネルギー貯蔵の姿としては共感し易いと言う感覚的な意味合いをも含んで決めた。誠に科学実験による検証方法という手法が採れずの感覚論で誠に不甲斐なさも抱かざるを得ないと同時に、混乱を与えたらと申し訳ないと思う。コンデンサ内のエネルギー貯蔵で、二つの流れは不自然であろうと感じるからである。以上の考えから、結論を図のようなエネルギー流で捉えた。この平板電極内の空間とその外部との関係は明確な描像を描くことはできない。コンデンサ貯蔵エネルギーが完全に電源との繋がりがなく、独立したエネルギー流になるかと考えれば、それは無いだろうと思う。その曖昧なまま表現した図である。負極性の場合で示したが、エネルギー流は電源の負側からの供給が主流になるとの解釈をハミルトンの風車から類推したことで、正極の電極板に対して少し反発する流れになるかと考えざるを得ない。それがその電極近傍でのコンパスの指示方向の原因となる貯蔵エネルギー流とコンパスのエネルギー流との兼ね合いの問題であるから。基本的にはそのエネルギー流がコンパスの指示方向・磁気ループの解釈の拠り所と考えざるを得ない点にある。

アーク・火花放電 高電圧工学と言う分野がある。それは電力系統の保全対策として、送電線路への落雷に対する対策や、支持絶縁碍子の性能向上に欠かせない研究分野である。その電気的特性は高電圧試験によって基礎研究が成される。平板電極間でのアーク放電現象はその基本観測である。電界強度の空気限界は大よそ30kV/cm位と考えられている。それ以上の電界で火花放電し、絶縁は破壊される。その火花放電現象の原因は電極間に塵などが入り込めば、その局部的エネルギー密度が高くなり、局部のコロナが全体としての放電に移行してしまうだろうと考えられる。その辺の現象を電極板の『電荷』で解釈しようとしてもなかなか難しいと思う。丁度、雷が空間の状況と水蒸気の熱エネルギーの供給・放出との兼ね合いで決まる事から思えば、電気現象も『電荷』では捉え切れない謎が多いだろうと思う。

『電荷概念の否定』の観点 伝統的科学理論が常識として世界に受け入れられてきた。正と負の対称な二つの『電荷』が世界の根源を支えていて、その『電荷』無しには科学理論を論じられない事になっている。伝統的科学の世界観で共通理解に在る社会的安定性の観点から観れば、『電荷』否定の反社会的科学論は誠に迷惑な事ではあろうと理解はしている。2000年にワープロ代わりにパソコンを購入した。雨蛙や日本カナヘビ、揚羽蝶など身近なものを眺めて、生活の術もなくただ漫然と流されて来た。科学研究の機関に所属する事も不可能な人生の状況に追い込まれた。今過去を知って見れば、職歴も書けない現実が身に染みている。退職の手続き一つした覚えが無い現実。翻弄され続けている身には日本国憲法(特に、第98条1項 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。とあるが、その条項は何の為のものか理解できない。)が欲しい。まさか昭和14年12月1日や昭和39年4月1日に戻る訳にもいかないし、どうしたら良かろうか?平成7年7月(11月の間違い?)には、国会で事務局職員にわざわざ筆者の正面写真までお撮りいただいたので、不審者リストにでも御登録されているかも知れない。身分が不明のまま捨て置かれているかと疑いたくもなる。昭和63年2月にも国会で物議の基になったかもしれないが。当の本人筆者は何も知り得ないまま今日に至る(*1)人定証人喚問。しかし正規でなくても幾らかの現場での経験から、身に付いた電気工学の技術感覚から物理学基礎概念の意味が腑に落ちず、光の伝播現象と物理学基礎概念の実相を我儘勝手な解釈で追い求めてきた。今思う、『電荷』概念否定の感覚に間違いは無かったとそれだけは安堵した。種々雑多な内容をITの世界に恥ずかしげもなく、恐ろしさも知らず綴って来た。パソコンでの情報発信で、学会での正規の学術研究には成らないかもしれないが、専門的学術に無関係の方々にも科学の基礎とは何かと考える意味は伝えられたと感じる。どれも特別科学研究となる様な新しい事でもなく、日常生活で感じる科学感覚が基での考えを発表して来た。しかし、『電荷』否定一つが、科学理論と自然科学の解釈論に未来への課題として無視できない処に在ることだけは示せたように思う。未来に向けた、子供たちへの教育の問題として。

(*1) 人定証人喚問:昭和63年1月中頃、自宅に何処からか『長岡工業高等専門学校の健康保険証』が送付されて来た。長岡技術科学大学の電気系事務室で電気系長にこんなものが送られて来たと見せた。そんなものを持って居てはいけないと取り上げられた。その後、その保険証がどのように処理されたかを確認していない。その数日後、長岡工業高等専門学校の事務職員がやはり自宅に「未だお返し頂いてない保険証をお返しください」と封書が届けられた。身に余る不可解に対処し切れずに、無知を曝して今日まで彷徨って来た。今も不届きなへリコプターが飛んでいる。畏れ多くも国会で不届き者と人定喚問でもして、我が身の悪行の所業を解明して頂かないと死に行く人生に辻褄が付きそうもないと考えている処でございます。(2018/10/12)追記。誠にお恥ずかしい次第であります(追記:昭和55年3月新聞紙上の教員移動記事に、筆者が退職となっていた。しかしそれはその4月新潟県立新津工業高等学校での離任式で、恥ずかしながら長岡技術科学大学に転勤と生徒に話をした。しかし、実際は新潟県教育委員会には筆者の正式に採用した履歴は無かったようだ。だから、どうも免職処分となっているようだ❓さらに、平成2年7月長岡技術科学大学で、もう一度免職処分に成ったようだ。しかし、新潟県からも、長岡科学技術大学からも直接『免職辞令』を貰ったことが無い。平成2年に精神病院に投獄されて4年に世間に戻ってからすべてが「免職」になっていた事を知った。その免職理由も知らない。今も理解できないで居る。以上、2024年5月1日追記。)。『静電界は磁界を伴う』電気学会全国大会(1982)の発表から、脱藩したと観られる 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義 電気学会電磁界研究会資料 EMT-88-145 (1988) の発表まで、すべてロゴスキー電極間の静電界中の磁界模様の実験写真である。電場が磁場であることの証明写真である。電気磁気学の電荷概念を否定しなければ、この写真は嘘になる。世界の構成根源要素は『エネルギー』一つに集約される筈と、ハミルトンの風車の実験(1965年頃実施)に結びついた。

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

マックスウエル電磁場方程式の矛盾

(2024/04/08).

 電磁場方程式は大学理学部などの物理学理論の一つの分野として取り扱われる内容だろう。
 マックスウエル電磁場方程式。 James Clerk Maxwell (1831-1879) によって33歳の時、1864年に唱えられた方程式である。

 しかし残念ながら、その方程式の唱える内容は無意味なものとなり、矛盾に在る。

 過去にも何度かその方程式について問題を指摘していた。分かり易い、具体的な問題は、パラボラアンテナと正反射 (2013/03/06) がある。マックスウエル電磁場方程式の偏微分方程式の示す意味は、電磁波の伝播現象に対して、その光速度伝播の方向に対して、直交方向に『電界』、『磁界』および「変位電流」が空間に展開される絵図で解釈される。その絵図は現実に有り得ない電磁波模様だ。光速度伝播に対して、更に直交方向に現象が起こるとは、電磁波の時間的描像の合成速度は如何程と解釈すれば良いのか?そんな光速度を超えた波動の現象は、この自然世界に有り様が無いのだ。まさに魔術的瞑想理論と成る。それは、具体的にパラボラアンテナへの電磁波の縦波エネルギー波のアンテナ反射面での電界・磁界の物理的空間状態を考えれば、直ちに偏微分方程式が無意味な表現式であると分かる筈だ。電磁波は光速度縦進行のエネルギー密度分布波なのだ。光速度伝播という、それだけでマックスウエル電磁場方程式は時間的空間展開の無理な方程式なのだ。如何に光速度と言う自然世界の原則、その光速度で規定される絶対的原則の意義、その意義の深さを留意して考えなければならない筈だ。

 今回も、『電界』、『磁界』および「変位電流」について、光速度伝播現象としての『エネルギー』に着目して、その矛盾(電荷概念・変位電流)を再度伝えたい。マックスウエル電磁場方程式が空間エネルギーの光速度伝播現象から観れば、全く無意味な方程式である事を。

 『エネルギー』の空間分布波の光速度伝播現象の意味から考えて、『電界』とその方向に流れる『電荷』の移動『変位電流』が光速度伝播方向の直交方向に如何程の速度対応で可能と解釈できるのだろうか。どうも、偏微分と言う高等概念の数式に何か惑わされた解釈論の方程式に成っているようだ。『電磁エネルギー波』の光速度伝播と捉えれば、マックスウエル電磁場方程式など殆ど意味が無い筈なのだ。兎に角パラボラアンテナ表面に到達した電磁波の『電界』、『磁界』の空間ベクトルの金属表面での意味を考えれば分かる筈だ。金属導体面に垂直に入射する『エネルギー』分布縦波の垂直反射現象の『電界』、『磁界』の空間像を考えれば、『電界』、『磁界』など殆ど無意味なんだ。易しい空間の像を描いてみれば、方程式の無意味さが分かる筈だ。電気回路のオームの法則で、『電圧』や『電流』さえも、その単純な『エネルギー』の意味との関係が理解されていないのだ。

 残念なことは、科学者と言う専門的学識経験者は過去の学術理論をそのまま伝達する役割に終始しているとしか見えない。電気回路の空間を伝送する『エネルギー』の波と言う意識が無ければ、電気料金は何(❓)に⦅ 円 / [kWH=(J)] ⦆対して電気料金を支払っているかも考えないのか?素粒子、『電荷』とは何か?と疑問を持って欲しい。『エネルギー』を消費していると言う意識さえない事になる。

 電磁波も空間分布エネルギーの分布密度 w[J/m³] の光速度ベクトル co [m/s] での伝播現象でしかないのだ。

   wc₀ [J/(m² s) ]

 

 

一つの科学実験

一つの科学実験。電気磁気学理論および物理学基礎概念に変革を迫る単純で、明確な科学実験を挙げたい。『それを言ってはお仕舞いよ!!』と誰かに、きっと咎められるだろう。手元に一冊の本がある。昭和59年の訳本で、初版本。「世界を変えた20の科学実験」の標題の本である。世界を変えた20の科学実験

ずっと以前から気掛かりになっていた本である。この表紙の写真が例の有名な科学実験『マイケルソンとモーリーの実験』、地球の速度と光速度の関係の検出実験として知られている手法で採られたと同じ、光の干渉縞の模様である。干渉模様を実験で採る機会に恵まれなかったが、その模様の解釈は教科書に波長との関係で解説されている。マイケルソン・モーリーは結局地球の速度が光の速度に与える影響を検出できずに終わってしまった。その事をアインシュタインは逆に実験の失敗が自然の真理を示す当然の結果だと解釈したのである。そこに大きなアインシュタインの誤算があったと言える。マイケルソン・モーリーの実験的手法と考え方は間違っていなかったのである。残念ながら、現代物理学の『特殊相対性理論』を信奉した理論的拠り所は間違いである。マイケルソン・モーリーの実験は、その腕の長さの調節の難しさや、地球の光規定空間に対する速度の変動を考慮すれば、明確な干渉縞上に現れる実験的光速度に対する「差異」としての結果が得られなかったのである。地球の速度も常時変動している、即ち時刻的に同じくないと考えなければならない。所謂「慣性座標系」と言う概念が採れないのだ。光の実験室での測定では、地球の運行速度は光源との関係での光速度への影響は相殺されて受けないが、マイケルソン・モーリ・の実験の場合は、その考える検出差を求める事は困難であろう。だから失敗したという事になっているだけである。

一つの科学実験 コンデンサ内の磁界20の科学実験に対して、電気磁気学理論に解釈の変更を求める実験として、コンデンサ内に存在する磁場検出実験を挙げたい。

それが昭和62年4月1日に発表した、電気学会全国大会の『静電界は磁界を伴う』である。それに関するカラー写真を一つ再掲したい。自分の人生を掛けた、他に何も無い、たった一つの科学実験データである。この写真の地磁気方位を示した太陽紙上のコンパスはオリエンテーリング用の取り外した磁石である。この磁石はオイル入りである。昭和61年10月に、実験に取り組んだ最初に使った磁石である。この磁石は検出失敗を経験した大切な品物である。もし同じような高電圧での磁界検出実験を試みるなら、オイル入りの磁石では困難である。最初の実験で火花放電でこの方位磁石は焼け傷を付けてしまった。焦げ跡が付いている。その時の失敗が、先行きの自信喪失と生命の保護の意味さえ失いそうで大きな岐路に立ち、研究室内を徘徊していた事を思い出す。その中で、ハタと気付いたのは、オイル内では磁場を検出出来ないという感覚的閃きであった。思い直して、もう一度挑戦する決心を得た。空間の磁場を直接検出する用具を準備した。それが写真の円形磁石とその支持方法である。次の実験に取り組む時の緊張は並大抵のものではなかった。いざ、今日実験するという日の朝、家を出る時から空模様が怪しかった。実験の最中は、天が大荒れに荒れ、雷が鳴り響いていた。誰かに指摘されそうだが、実験ノートなど取っていなかったので少し日付はあやふやだが、おそらく10月30日当たりと思う。天気が大荒れの日であった。だからその時思った。天まで自分が行う実験に怒るのかと。科学の常識に反旗を掲げる自分の思いがどんな事になるかの不安と気持ちの昂ぶりを良く知っているから、そう考えたのが頷ける。何方かが、検証実験をされるなら、直接磁場を検出できるような裸の磁石でなければいけません。

(2015/10/29)追記。関係記事は新世界への扉ーコンデンサの磁界ーおよび『瞬時電磁界理論』とはである。

電気磁気学理論の不可解❓

 今日は日本の祝祭日 『文化の日』だ。


 この電気回路で、Lamp の物理的機能は何でしょう?

 電源は Power source と言うが、その Power が電力 [W= J/s ] ようなエネルギー [J] の時間微分値となるから、その物理量の意味が曖昧となる。時間的平均値の物理量の概念は、空間に実在量として存在する物と異なる、抽象的で曖昧な概念となる様だ。上図には、エネルギー源 Energy source と電源が供給する『エネルギー』であることを直接印象付けるべく表記した。電源は負荷が要求する物理量が『エネルギー』である事を認識して、表記するべきと考える。その空間概念が物理学理論には無いようだ。

 科学理論の基礎に電気磁気学がある。
 その電気磁気学理論の全体に極めて大きな矛盾を感じていた。それは物理学理論全体に広がる矛盾でもあった。その事が、この WordPress に投稿させて頂いた初期の記事となった。それをここで纏めておく。

 磁界・磁気概念の本質 (2010/11/16) 。 電流計は何を計るか (2010/11/10) 。電流は流れず (2010/12/22) 。

 10数年かけて、様々な自然世界の現象について、一般社会常識の認識に違和感を抱く事が多くあった。日本雨蛙の生態やら津波現象の物理的解釈やら本当に多くの事で、専門家の論説に違和感を抱き、その都度自分の思いを投稿させて頂いてきた。今に至るも、その思いは間違っていなかったと思っている。

 今月に入り、この11月1日が新潟県の⦅新潟教育の日⦆と定められたようであり、子供達の為の『教育環境』を整える意味でもあるかと考えた。そして思った。今の教科書の内容は、とても子供達に胸を張って進められるようなものでないと思った。これだけ科学技術の恩恵を受けて、便利な世の中に成っているにも拘わらず、子供達には心安らかに日々の生活が、学校生活が楽しく過ごせるかと思うととてもそんな状態でないと思う。それは理科教育で、中学生が『電子』が電流と逆向きの導線内を流れると教えられている一事を考えただけで、空恐ろしさを抱かざるを得ない。決して電気回路の導線内など『電子』が通ることは無い。訳も分からないことを強制的に憶えこませる教育であってはならない。覚えるより自然の姿の不思議さに感動する楽しさを味わえる理科教育の内容が多い教室授業であって欲しい。中学生の理科教育内容はそんな意味で十分と思う。

 このような電子の逆流の説明の現実に、教育の現実に、優れた科学者が多く居られるにも拘らず、子供達の教育内容に心砕いて頂けないのかと。大学の理学部では、本当に現在の電気磁気学の矛盾に気付かないのかと理解出来ない。初期の電気磁気学に関する記事を、もう一度取り上げる手がかりとして拾い上げた。電気回路では、決して『電子』が何の機能、役割も果たし得ないことを解説したい。電流とは何か?について『電子』の意味とエネルギー流更に磁束の意味について述べよう。そんな哲学ともとれる内容であるが、科学的な実験で検証できない空間に流れる『エネルギー』の意味の重要性について御認識頂ければとの思いだ。

過去を振り返って(地磁気と電磁エネルギー流)

 ここに反省を込めて!
 我が珍妙なる過去を記憶の限りで記録してみよう。1988年の暮れに、我が身の存在の意味を確認する為、代わりの研究方法を求めて雲隠れ逃走をした。長く35年程経過した今だから分かった事だ。公立学校共済組合、文部省共済組合の何方にも加入していなかったようだ。それは学校の教員と言う教育者でも、学術研究に携わる研究者でもなかったのか?とその訳と意味を理解し切れていないままに居る・・。政治も行政も正義のために存在すると安易に思って、疑いなど持たなかった。しかし今は、とても不審に思う事が多い。

 32 電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 (昭和63年電気学会全国大会)。

 研究者とは何か? その何も分からない、闇夜を彷徨うが如き過去の時代の流れの中で、発表したものが上の標題の投稿だ。この論考で、明らかに間違っていたと分かったのでその訂正を兼ねて、現在の「地磁気の物理的解釈」を述べておきたい。また、その投稿者名が筆者一人だけである。研究者の所属、講座について何も考えていなかった事を思うと、我が無知を恥じ反省しなければならない。

 前の1987年10月、「電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収の関する考察」電気学会電磁界理論研究会資料:EMT-87-106. を発表していた。
 それも筆者一人の投稿者である。どこの研究室に所属している訳でもない。ただ、その年、1987年の年末に、パワー研に誘われて、年末の忘年会に参加させて頂いたが、既に研究対象を物理学理論・電気磁気学理論以外に自分のできる研究対象は無いと思っていた。恐ろしき無知を反省すれども他に進む研究の道は無かった。

 上の論文の間違いは、電磁エネルギーの光速度伝播の上空電離層での反射現象として解釈していた事だ。現在の地磁気現象の認識は、地球表面を自転の方向に電磁エネルギーの光速度伝播流が存在する。その電磁エネルギー流と言う解釈は正しかったのだが、電離層での反射現象では無かった。
 しかし、読み返しても面白く意義がある内容と思う。 1.まえがき と 4.むすび には、今の結論に繋がる意味が既に指摘してあったので再掲したい。

1.まえがき  現代物理学の重要な分野に電磁気学がある。筆者はその電磁界解析に対して、Maxwell電磁場方程式は十分条件を満たしていないと考える。真空自由空間における電磁現象を波動の伝播と言う概念でなく、電磁エネルギーの光速度伝播現象として捉え、その必要・十分条件を満たす空間瞬時電磁界ベクトル解析式を提唱した⁽¹⁾。電磁界に対する本理論の意味を簡単な実験によって確認し、直流定電界(静電界のこと)中に磁界が存在することを報告した。この実験事実について考察し、電磁エネルギーの光速度伝播という概念から電磁気学を統一的に解釈することを試みた。その結果電磁界理論の重要な基礎概念である電荷や電流までも棄却しなければならなくなってしまった⁽²⁾。
 自然現象の物理的概念は単純でしかも統一的な基礎概念に必ず就職するという哲学的願望を捨てることはできない。自然現象を深く認識しようとすれば、今までの理論的考察の拠り所としていた基礎概念をつぎつぎと捨て去らなければならなくなり、最後に残るものは電磁エネルギーの光速度伝播現象になると考える。この電磁エネルギーの概念についても現在の十t頃明確な説明はできないが、本論文では不明確ながら電界と磁界という二つの電気的概念を考察の拠り所として、電磁エネルギーの光速度伝播という物理的概念および電磁エネルギーと電磁的質量との等価性について論じる。(また、この電磁エネルギーの反射現象について考察し、地磁気の発生原因を電磁エネルギーの反射現象として捉えるべきであることをていきする。)この部分は明らかに、誤りであったので削除となる。
 
 2. 電磁界と電磁エネルギーの物理的概念  

 3. 電磁エネルギーの反射と地磁気の解釈

 4. むすびー現代物理学の基礎は何かー   現代科学の学問体系は高度に専門化され、各専門分野ごとに独自に発展して来た面もあり、その専門用語にしても分野によってその意味や概念が必ずしも同一とは限らない。自然科学の目的が自然現象の奥にある心理やその基本法則を明らかにすることであれば、各分野の拠って立つ基礎概念が統一されていなければならない。しかし、「多くの点で今日は基礎が不確かで土台が動揺している時代であるように思われる。⁽³⁾」は今日まで続いていると思う。筆者はその統一的な基礎概念として、電磁エネルギーの光速度伝播という概念になるのではないかと思う。Bertrand Russell の「質量は単にエネルギーの一形態である。・・・物理学において基本的なものは物質ではなくエネルギーである⁽⁴⁾。」という言葉こそ物理学の本質を述べていると思う。
 本論文では、電磁エネルギーと質量の等価性や地磁気の発生原因が電磁エネルギーの反射現象であることを論じた。

 現在は、地磁気の原因を 世界は軸性エネルギー流によって創られた。 の中の地磁気とコンパスに示したような現象として捉えている。

参考文献
(1) 金澤:『静電界は磁界を伴う』-この実験事実に基づく電磁界の本質- 昭62年  電学全大
(2) 〃 :電磁エネルギーの発生・伝播・反射・および吸収に関する考察 電学会、電磁研資 EMT-87-106.
(3)W.パウリ:物理と認識(篠田純一訳)p.49. 講談社
(4) M.ヤンマー:質量と概念(大槻義彦他訳)p.159.講談社

空間エネルギーの発見

(2023/07/06)

『静電界は磁界を伴う』の発表(1987年4月)は『電荷』概念の否定の意味でもあった。その後、長い年月を経て辿り着いた結論は結局、『空間エネルギーの発見』であったのかも知れない。

しかしその空間エネルギーは、科学的測定法で測定できないのだ。空間エネルギーの卑近な例は、眼前に広がる『光』であり、その空間分布の中に在る、光の構成原なのだ。光が空間分布した『エネルギー』の粗密の流れでしかないのだ。その粗密の波形の繰返しが光の波長、振動数と言う概念である。

1990(平成2)年7月、大学には与えられなかったので、自宅を研究室として、[JHFM単位系]を纏めていた頃(「物理的概念とその次元」を1998年4月に日本物理学会で発表した)免職処分が下された。

その年の12月中頃、長岡市の悠久荘に強制収容された。絶食の抵抗で、他の病院に転院となり、その後も止むなく精神病院で、一切の薬物は拒否して、食事だけ頂戴し乍ら研究を続けた。それが記事、光の相対速度と空間である。

其れからは、異次元の世界を彷徨いながら、初期の『静電界は磁界を伴う』の科学革命にも匹敵する具体的な解釈論を展開してきた。

電気物理、電気回路理論での諸概念、電圧、電流、磁束、電荷などの具体的な概念の論理的矛盾を解きほぐしてきた。結局、理科教育での教科書の記述内容が矛盾に満ちたものであることを明らかにできたとの認識にある。

最後の、科学理論の矛盾を示す具体的な解説は、コンデンサは『エネルギー』を貯蔵する機能素子である事を解説することで可能と考えた。

コンデンサは決して、『電荷』等を貯える機能素子ではない。

図は変圧器の負荷として、コンデンサを繋いだ回路である。変圧器の巻線内で、『電荷』等発生しようがない筈だ。正の『電荷』と負の『電荷』に巻線内で分離できるだろうか。この図は、温故知新も観点一つで(電磁誘導電圧と電荷)の記事で取り上げたものである。

物理学理論は、過去の長い研究の成果として出来上がった。それは常に新しい物理的概念を付け加えることによって完成した。〈クーロンの法則〉、「アンペア―の法則」、「ファラディーの電磁誘導則」そして陰極線の発見により新しい『電子』の概念が構築されてきた。科学理論は科学技術による生活の質の向上を目的として発展し、解釈理論が生まれてきた。過去を振り返れば、それぞれの『法則』の間で、何処か腑に落ちない違和感を覚えても、新しい技術開発のための解釈理論が時代の花形理論として脚光を浴びてきた。決して『電荷』を否定したり、『電子』概念を否定したりするような科学論は唱えられないで来たと思う。『エネルギー』とは、物が仕事をする能力の意味である。等と解釈定義が唱えられ、それが科学常識となっている。光が『エネルギー』の空間密度分布の周期波とは解釈されない。光の振動数その意味不明 で論じたように、『空間エネルギー』と言う物理的認識がどれ程理解されているか、それは分からない。『空間エネルギー』と言う物理量が自然界に存在するとなれば、今までの物理学理論の基礎概念が、ここで改めて考え直さなければならないことになる筈だから、それこそ科学革命の様な社会的混乱の種となってしまう。とても困難な社会的状況を迎えることになると思う。学問の自由と公共の福祉に反するよう(現在の科学論の社会常識を覆すという意味で)な解釈の社会的問題になるからだ。

このコンデンサの貯蔵する物理量が何か? と言う問題は、『電荷』概念と『空間エネルギー』の概念についての、自然界に実在する物理量は何か?の認識を問う問題なのだ。次も問題んで、その意味を考えて欲しい。物理学理論は、余り具体的な電気技術回路理論に詳しい認識を持ち合わせて居ない専門家の解釈理論の様な感がある。変圧器の電圧波形が『方形波』の場合などで、励磁電流がどの様な意味を持ち、『磁束』の物理的概念が如何なる意味であるかを、電気磁気学理論との整合性で矛盾なく理解できるかを、理論的統合性を問う問題意識をもって考えて頂きたい。コイル空間に発生する『磁束』と言う物理概念と電線内に流れる『電子』と言う解釈論に矛盾がないかどうかを次の問題で考えて欲しい。

更に、電源電圧が方形波を変圧器を通してコンデンサに印加した場合を考えた。それが物理学理論(電荷と電圧)の論理性❓である。

コンデンサの極版間の空間には『エネルギー』が貯蔵されるのだ。決して『電荷』等貯蔵することはできないのだ。自然科学理論は広範囲の内容から全体が構成されている。それぞれの専門家がそれぞれの専門領域に分かれて、独自の解釈理論で認識されるようになっている。全体を統合して統一する研究は中々困難になってしまった。科学理論が矛盾の無い整合の取れた論理的なものになるには、その具体的な場教育として教科書になる筈だ。しかし、その教科書の中で取り上げられる多くの『法則』が何故か極めて矛盾のままの寄せ集めとなっているのだ。電気物理で、電気磁気学で、コンデンサと空間エネルギーの関係を考究すれば、『電荷』概念での解釈より、矛盾の無い論理的に整合の取れた解釈理論が完成できる筈なのだ。その意味を纏めたのが、上の記事である。

この意味が理解できれば、『電荷』でコンデンサの解釈はできない筈だ。大学入試問題に『電荷』など取り挙げられない筈だが如何でしょうか。

『空間エネルギー』について、電磁界と空間エネルギー でも論じた。御理解の参考になるかと思う。

オーロラと電磁界

(2023/05/28).

 オーロラは極地の上空に展開される、気体の発光現象である。地球極地研究所などで研究され、その解説がなされている。

 その中では、太陽風と言う解釈がその主要な発生原因となっているようだ。

 その太陽風は、太陽からの電子とプラスの電荷粒子がその主要な構成粒子と捉えられているようだ。

 そのような、『電荷』が基礎概念となった物理量に基づく電磁気学の教科書の解釈法が基本となっている。

 科学者のほぼすべての皆さんが、現代物理学理論の基本認識の下で科学研究を成されておられる。

 その解釈では必ず『電荷』が、論拠概念の基本となっている。『電界』は『電荷』によって空間に発生する電磁界の発生概念で、『磁界』は『電流(それは『電子』の流れ)』が流れることによって発生する空間の発生概念であると成っている。残念ながら、その現行教科書的な解釈である限り、電磁界の真相を科学的な論理性での理解が出来ていないと、残念ながら言わなければならない。

 ロゴウスキー電極空間の磁界(戻し) (2021/04/16)。更に、新世界への扉ーコンデンサの磁界ー (2011/02/20)。が電磁界の真相を示す実験結果である。 

 少なくとも、物理学理論に関わる科学研究をなさる研究者は、『静電界と解釈する空間には、必ず磁界が存在する』という意味の実験結果を学習し直す必要がある筈だ。その上で、プラズマとは何か?原子イオンとは何か?太陽風とは何か?等、『電荷』概念との関係に明確な解釈をお示し頂きたい。

 オーロラの形状は、とても不思議な天空の女神がお召しなさる、色鮮やかなレースに見える。地球上には、その表面に『エネルギー流』が在るのだ。地磁気とは、コンパスに流れる軸性エネルギー流との間の空間での近接作用力としての結果として検出される電磁気現象なのだ。『磁気』とは全く電流は無関係なのだ。マグネットのN極もS極も、ただ一つのエネルギーの流れる軸性の現象を、両端から見たエネルギー回転流の向きが逆になった状況を解釈した概念でしかないのだ。磁性材料の両端に、その極の周辺を流れる『軸性エネルギー流』なのだ。地球の地磁気も、同じく地球表面のエネルギー流の真相を解釈した状況なのだ。

電流計とエネルギー流

電流計は何を計るか(2)  の結論を印す。

上の回路(2)の電流計は回路のエネルギー流に対してどの様な意味を持つか。

結論。

(2022/08/29)追記、訂正。上の回路で、電力 p が

p=δp/√(LC) とした。この条件は、負荷が電線路の特性インピーダンスに等しい場合である。瞬時電力の具象解剖 (2022/02/03) を参照。

回路のプラス側に電流計A を繋いだ。その回路の回路定数をまとめた。回路定数は単位電線路長当たりの値とする。L[H/m] 、C[F/m] 等の電線路に電流計が接続されれば、負側電線路近傍を伝送される『エネルギー』δp[J/m]が負荷の特性で決まる。そこに電流計が挿入される訳だから、その伝送エネルギー流は乱れる。『エネルギー』はその値や波形を科学的実験で測定できない。電気理論は電圧計や電流計で、その回路現象を捉える。しかし『エネルギー』は観測できない。電流計のコイルに貯蔵される『エネルギー』の量をδa[J]とする。Laa[H]が回路に挿入された時、回路定数をどの様に解釈するか、それを平行二線式回路の定数について に述べた。電線路電圧は電流計の電圧降下分を無視すれば(コイルに平行に抵抗値ゼロと見做せるシャント抵抗SHで回路電流Iを流す)、回路電圧V一定と考える。ただ、電流計接続回路部だけの回路に『エネルギー』分布に変化が起きる。電流計がプラス側に繋がれているから、そのコイル分の『エネルギー』が電圧のエネルギーギャップ条件を乱す事に成る。その『エネルギー』分は負側で保障して、電圧一定条件の『エネルギーギャップ』を保持する事に成る。電流計部の『エネルギー』の伝送速度が遅くなる。その事で、電線路全体の伝送電力p[W]は何処も一定に保たれることになる。負側電線路近傍空間の伝送『エネルギー』密度δA[J/m]および電流計コイルエネルギーδa[J=(J/m)と等価]の間に

δa=(Laa/L)δp

の関係がある。

以上が結論である。『エネルギー』量が計測できない科学的検証の限界が在る。それは文学、哲学と言われるかも知れない。ただ一つ重要な実験結果として、変圧器の奇想天外診断 (2015/06/02) および天晴れ(コイルと電圧とエネルギー)に示した意味が電線路の『エネルギー』伝送の電磁現象の原理を示していると言えよう。