月別アーカイブ: 2014年4月

大気成分の分析法は?

大気成分。窒素(N2)78.1% 、酸素(O2)20.95% 、アルゴン(ArかAr2か?)0.9% 、二酸化炭素(CO2)0.04% そして水蒸気(H2O)が1%~4%程含まれていると検索に出ている。水蒸気無しで、99,99%となる。

気体が混合状態である地球の大気成分を分析する方法は簡単ではないだろう。上の成分分析結果のデータはどこで誰が確定した値だろうか。どのような科学的方法か。自然科学は、常識と決めつけられている事が多いが、本当かどうかが疑わしい。

原子の舞う世界

原子を不思議に思う。科学論では原子に疑問を挟む事は無かろう。しかし不思議な存在と感覚的に受け取らざるを得ない。原子の秘密
そんな思いを筆にした。少し意味が分かり難いかもしれない。「いつ誰が創った」は、原子は周期律表に有るように様々なものである。宇宙の自然が作り上げたのであるが、単純を尊ぶ自然が何故こんなに多くの原子を必要とするかと不思議に思う。その意味を表した。「輪廻転生の道理は」は、自然はすべて移り変わる事を、生まれてまた消え去る繰り返しの世界が自然の道理であるから、原子もその道理に沿う筈と言う意味。「決り文句に・・」は、科学論特に教育において、『原子』は世界の存在の基本物質で、永久に変わらない物、世界の認識も「道徳」を教科にするような決まり切った固執の社会感覚は捨て去るべきとの意味である。

人類は世界を形造る基本は何かと哲学的思いを抱いて来た。物理学も化学も生物学も基本に原子を据えて考える。世界を思えば、そこには『原子』が舞う世界かと考えさせられる。しかし、何か物足りなさを禁じ得ない。それは素粒子論の研究対象であるかも知れないが、科学研究の対象としての捉え方では、普通の生活感覚からは違和感を抱かざるを得ない。

『原子』もエネルギーで構成された世界の実在形態の一つの過程でしかない。だから全ては変化の中に舞う実在と捉えたい。素粒子ーその実相ー

櫻に思う

櫻は日本人の心を映して来たように思う。毎年思う桜が在る。長岡駅東口側に流れる人工の川、福島江が在る。その川沿いも桜の名所。福島江の桜

兜橋から撮った。その中に、45年ほど前に植えた寄り添う櫻二本が在る。アパートの前に植えた。植えた当時はアメリカシロヒトリと言う蝶の幼虫が繁殖して、櫻の若芽を食い散らした。植えた苗木の桜も被害に遭い、新聞紙に火を点けて幼虫を駆除し、桜を守った。その虫の為に川岸の片側の桜は切り倒されて、一時は柳の並木になった。その後幼虫の繁殖も収まり、また桜に植え替えられた。今は両岸が桜の並木に戻っている。

寄り添い1

自分の歩んできた時間に重ねて思う櫻だ。自然は桜を立派に育てたと感慨一入。

マイナスイオンは幽霊だ

今日の朝日新聞別冊Be版に、マイナスイオンの話が出ているのが目に入った。

最近は肝試しと言う言葉も聞かなくなった。子供の頃に聞いた事がある。夏の日に、陽が暮れて暗くなった頃、村の少年団組織で計画された『肝試し』があったと。それは墓地の中で、決められた道を通り恐怖に耐えて、何かを無事成し遂げるような話であった。筆者の頃はもうそんな行事はなかった。村には小学生は3年生から6年生までで組織された少年団(2~30人)がある。6年生が1年間の定例の行事計画の日程等を決める。春に、火の用心の夜周りの班分け(4~5名)が先ずある。夜周りは、棒状の鉄丈で、ジャラジャラと音の出る重い用具と大きな拍子木がその夜周り道具であり、順番に次の班に渡してゆく。御宮様の掃除なども有ったようだ。また1年で最大の行事は「新嘗祭」のような秋の取り入れが済んだ10月の末ごろ、村の引き受けてもらった家に全員が一晩寝泊まりして、夕飯と朝ご飯を食べ一緒に過ごす風習があった。寒くなりがけだから、炬燵も用意して貰って、皆が雑魚寝のように過ごした。米や野菜、味噌・醤油、薪など必要な物を皆で持ち寄り、当番のお世話いただく家の方に面倒を掛けるのである。誤解されると困るので書いておくが、男と女はもちろん別組織の少年団になっている。その夜は、遅くまで起きているものも居れば、早く寝てしまう者も居る。だから翌朝になると墨で悪戯書きされる者も居て、大変である。いじめとかそういう陰湿なものでないから大笑いで少し恥かき位で済んでしまう。色々の耐性を養うには悪いだけでもないのだろう。今は無理な、良き頃の昔話になってしまった。そんな行事を集まって決める『常会』と言うのが時々あり、連帯感を養ったのかも知れない。筆者は余り役に立たない方だったし、『肝試し』だけは経験しなかった。お墓には死人が出ると、野火で燃やすから、十分燃え切らない為か『リンが燃える』と言う様に、青い火がお墓周りに立ちあがったようだ。それを『人魂』とか言って気味悪いものだったのだろう。そんなものも昔は「幽霊」と結び付けて、恐ろしい思いで過ごしたのだろう。

と言う訳で、話が余談ばかりに滑ってしまったが。要は「マイナスイオン」も幽霊と同じで、存在しないニセ科学論の代表的な物と言えよう。マイナスイオンが商売と結び付いて、世の中には沢山出回っているから困るのである。悩ましいのは、明確に科学論として「マイナスイオン」が虚言であると説得できない事なのである。科学者が『電荷』が在るという。それならプラスとマイナスで、自然科学論の論拠として世界の物理学者、自然科学者が論じているのだから、マイナスイオンがないとは言えないだろうから、何とも言いようの無い代物なのである。どだい「電荷」がニセなのだから、『マイナスイオン』は幽霊と言っておくのが適当かと思う。正体の無い存在の怪しいものを幽霊と言うのが古くからの習わしに合っているかと思う。それにしても、『電荷』の空間概念がどんな物かだけは、存在を唱える科学者には明確に真摯に答えて頂きたい。それが科学者の現代的課題と言いたい。市民に対する科学技術社会の責任と。

細胞分裂の意味を問う

(2014/04/23)追記。昨日初めて理解した事。以下の記事(本文)は基本的なDNAの解読コードの存在を知らなかった無知の上での認識で、実に恥ずかしい限りである。しかし、記した疑問などは、解読コードの無知による非難を受けるかも知れないが、余り変わらないように思う。生物学基礎の教科書の内容にはアミノ酸結合の重要なコードに一言も触れていないため、意味が全く理解できなかった。遺伝子解読されて、DNA配列にアミノ酸の情報が隠されている事は、生物科学の教科書で、最初に解説すべき事柄と思う。DNAとアミノ酸の暗号表に明快にコードの意味が示されているので参考に挙げさせてもらう。その重要な知識解説の無い教科書など意味がないと思う。20種のアミノ酸の結合から蛋白質合成がされる仕組みがDNA配列に隠されていた等、その生命の神秘さは単純さの中の自然の極意と理解したい。単純こそ素晴らしいと。遺伝情報コードの存在を知り、また新たな疑問が湧きだしそうな予感がする。

(本文)生命活動の生化学的意味を探ろうとして、初歩的な知識を得ようとしてみた。余りにも高度で、複雑な為どこから学習すれば良いかも分からない。先ず初めは『細胞分裂』と言う現象を確認しようと、いろいろ調べるが、欲しい知識が得られない。何か漠然と彷徨っているだけのようだ。遺伝に関する不思議はダーウインからメンデルの法則を通して、細胞核のDNAの知見に辿り着いた。生命の不思議に寄り添うと、生物学の細胞分裂の解説に辿り着く。しかしそれ以上深みの知見には辿りつけない。何か『細胞分裂』の解説で全て終わったかの如くに、専門家の論説を見ると思える。

蛋白質の生合成は? 細胞分裂とは細胞の死滅と細胞の増殖を司る、生命の保全の基本的仕組みの現象と理解して良いかと思う。しかし、それは『細胞分裂』の教科書的説明からの理解でしかない。細胞がどのような蛋白質かと考えて問うても答えが得られない。DNAと言う決まった4種類のデオキシリボ核酸の配列で、遺伝情報を保持し、その分裂現象で同一の細胞を作り出すという事しか理解できない。それでは例えば『筋肉細胞』を取上げて考えた時、その筋肉は蛋白質で特徴付けられた細胞であろう。筋肉の身体運動を制御する収縮動作を説明する筋肉高分子の遺伝情報はどのような形で再生に働くのかと考えても理解は出来ない。『細胞分裂』がどのように蛋白質の合成に役割を果たすのかが基本的な基礎知識と考える。細胞分裂などを知っても役に立たないように思う。

細胞分裂と生体分化 受精卵が細胞分裂の始まりと言う。細胞分裂で、同じ細胞が増殖しても生体には成らない。単一細胞が増えるだけでは細胞の塊でしかない。全く生体・生命には成らない。だから細胞分裂と言う意味には、何も重要な命の仕組みが言い表されていないのだ。ips細胞などが時代の最先端の医学生理学の研究対象となっている。そこでは再生医療としての最先端研究が進んでいる。細胞がある環境に置かれる事で、様々な細胞に変化するということらしい。それが生体の生成の意味で重要な訳である。たった一つの細胞・受精卵が分裂をして、シーケンシャルに様々な細胞に変化しながら細胞増殖を計る訳であろう。人なら10カ月で生体が完成して誕生する。何が細胞分裂に生体分化の指令を命令するのかが大きな疑問である。『細胞分裂』は何も説明していない。細胞分裂が蛋白質へのアミノ酸合成に何の意味も示していない。中には蛋白質は肝臓で作られるとも説明がある。医学生理学の学問体系は素人が理解できるほど容易なものでないとは分かるが、余りにも市民的な理解に啓蒙的役割を果たしていないようで残念である。細胞の核酸は身体のどの組織の部分でもすべて同じものなのだろうと解釈している。それなら、様々な生体組織が同じくは無い訳であるが、それはどのような細胞の核酸の働きで異なる生体を作り出しているのだろうか?筋肉も神経も皮膚もその細胞の核酸はどのように遺伝情報を細胞分裂で機能を発揮するのだろうか?

専門的研究者に求められる事 細胞分裂がどれだけの意味を持つかを解り易く市民に解説して欲しい。それにはどのような事が解らないかを指摘することが重要と思う。疑問点を明確に示す。それがこれからの専門家に課される課題であり、それに答える義務があると思う。多くの公的予算を使うからには其れが市民に対する義務であり、役割となろう。勝手な要求かもしれないが能力の無い者の言うことと御勘弁の程。

細胞分裂とは何か? 結局筆者には今のところ『細胞分裂』の生命に対する意味が理解できない事だけが分かった。残念ながら、細胞分裂にはあまり重要性が読み取れないのだが、どう理解すれば良いか。

細胞分裂に関して浮かぶ素人の疑問 ①生体維持を司る機構は何だろう。身体に傷を負う。単純すぎる疑問であるが、その傷は細胞分裂で修復するのだろうか。②古くなった細胞を何が何を原因に判断するのか?一つの細胞は自分の細胞の維持管理を支配するのか。あるいは隣同士の全体の繋がりとして評価するのか。③皮膚細胞一つの意味も難しい。皮膚細胞も異なる細胞の層で構成されている。表皮、真皮、皮下細胞と複雑な組織から成り立っている。それらも様々な蛋白質で構成されているのだろう。皮膚の感覚を司る機能はどのような仕組みかも理解できない。微妙な接触感覚の神経細胞は?等も疑問だ。④細胞分解と癌。細胞分裂では生命維持の機能は説明できない。不要な細胞を正常に分解する事が必要である。それは素人なりに考えれば、『細胞分解』の機能と言えよう。細胞の古さを何が判断し、その細胞をどのように分解するかで、細胞の正常な機能が保持される筈だ。もし細胞が正常に分解できないとしたら、その細胞は正常な状態でない訳だから、異常細胞すなはち『癌細胞』の状態に近いものとして残る事になろう。最近は食品にも多くの異常な化学物質が添加されるから、所謂食品添加物が細胞の組織に悪影響を与える事を否定は出来ない筈だ。科学技術の恩恵と同時に有毒か無害かの境界の危険な生活環境に生きているだけ、複雑な身体状況に陥り易くもある。⑤運動する筋肉細胞の働きは細胞連結による機能。細胞分裂で筋肉細胞の身体的運動の仕組みは解釈できない筈で、筋肉細胞がどのようにアミノ酸合成をされるかも不明である。身体運動は筋肉細胞同士の全体の連携作用で機能される訳だと思う。素人としてはその辺の基本的生命活動の仕組みが知りたいと願う。など幾つかの思い付きを上げて見た。余りにも『細胞分裂』が中心になった専門的解説では物足りないのである。

一つの科学実験

一つの科学実験。電気磁気学理論および物理学基礎概念に変革を迫る単純で、明確な科学実験を挙げたい。『それを言ってはお仕舞いよ!!』と誰かに、きっと咎められるだろう。手元に一冊の本がある。昭和59年の訳本で、初版本。「世界を変えた20の科学実験」の標題の本である。世界を変えた20の科学実験

ずっと以前から気掛かりになっていた本である。この表紙の写真が例の有名な科学実験『マイケルソンとモーリーの実験』、地球の速度と光速度の関係の検出実験として知られている手法で採られたと同じ、光の干渉縞の模様である。干渉模様を実験で採る機会に恵まれなかったが、その模様の解釈は教科書に波長との関係で解説されている。マイケルソン・モーリーは結局地球の速度が光の速度に与える影響を検出できずに終わってしまった。その事をアインシュタインは逆に実験の失敗が自然の真理を示す当然の結果だと解釈したのである。そこに大きなアインシュタインの誤算があったと言える。マイケルソン・モーリーの実験的手法と考え方は間違っていなかったのである。残念ながら、現代物理学の『特殊相対性理論』を信奉した理論的拠り所は間違いである。マイケルソン・モーリーの実験は、その腕の長さの調節の難しさや、地球の光規定空間に対する速度の変動を考慮すれば、明確な干渉縞上に現れる実験的光速度に対する「差異」としての結果が得られなかったのである。地球の速度も常時変動している、即ち時刻的に同じくないと考えなければならない。所謂「慣性座標系」と言う概念が採れないのだ。光の実験室での測定では、地球の運行速度は光源との関係での光速度への影響は相殺されて受けないが、マイケルソン・モーリ・の実験の場合は、その考える検出差を求める事は困難であろう。だから失敗したという事になっているだけである。

一つの科学実験 コンデンサ内の磁界20の科学実験に対して、電気磁気学理論に解釈の変更を求める実験として、コンデンサ内に存在する磁場検出実験を挙げたい。

それが昭和62年4月1日に発表した、電気学会全国大会の『静電界は磁界を伴う』である。それに関するカラー写真を一つ再掲したい。自分の人生を掛けた、他に何も無い、たった一つの科学実験データである。この写真の地磁気方位を示した太陽紙上のコンパスはオリエンテーリング用の取り外した磁石である。この磁石はオイル入りである。昭和61年10月に、実験に取り組んだ最初に使った磁石である。この磁石は検出失敗を経験した大切な品物である。もし同じような高電圧での磁界検出実験を試みるなら、オイル入りの磁石では困難である。最初の実験で火花放電でこの方位磁石は焼け傷を付けてしまった。焦げ跡が付いている。その時の失敗が、先行きの自信喪失と生命の保護の意味さえ失いそうで大きな岐路に立ち、研究室内を徘徊していた事を思い出す。その中で、ハタと気付いたのは、オイル内では磁場を検出出来ないという感覚的閃きであった。思い直して、もう一度挑戦する決心を得た。空間の磁場を直接検出する用具を準備した。それが写真の円形磁石とその支持方法である。次の実験に取り組む時の緊張は並大抵のものではなかった。いざ、今日実験するという日の朝、家を出る時から空模様が怪しかった。実験の最中は、天が大荒れに荒れ、雷が鳴り響いていた。誰かに指摘されそうだが、実験ノートなど取っていなかったので少し日付はあやふやだが、おそらく10月30日当たりと思う。天気が大荒れの日であった。だからその時思った。天まで自分が行う実験に怒るのかと。科学の常識に反旗を掲げる自分の思いがどんな事になるかの不安と気持ちの昂ぶりを良く知っているから、そう考えたのが頷ける。何方かが、検証実験をされるなら、直接磁場を検出できるような裸の磁石でなければいけません。

(2015/10/29)追記。関係記事は新世界への扉ーコンデンサの磁界ーおよび『瞬時電磁界理論』とはである。

ライフ写真講座-タイム ライフ ブックス-を見て

どのくらい前か忘れたが、長岡市の踏切傍の古本屋で手に入れたと思う。箱入りの2冊組である。この本には定価が記されていない。きっと特別な、市販されない本であろう。

ライトとフィルムライトと・同ケースひと目中を見れば、並大抵の本ではない魅力にあふれている。TIME Inc.による1970年発行の英語本の翻訳版である。さすが専門家集団の結晶が鏤められている。手元に2巻ある。ライトとフィルム。

もう1巻は特殊撮影(の訳)。

この特殊撮影と訳したPhotography As a Tool には写真技術の粋が示されている。近年はこれ程の専門的に卓越した、貴重な本に巡り合えないように思う。専門性が頼りなくなっていると思うが故にかも知れない。

特殊撮影普段見ることのできない物を写真技術を駆使して、その映像の極限を美しく映し出している。この表表紙の写真は顕微鏡にカメラを取り付けて、溶け易い雪の結晶を収めた写真だそうである。ページをめくると、自動車の一体構造(メルセデスベンツ230SL)を放射線(コバルト60のガンマ線)で、5枚の大きな写真乾板に50時間の露出を掛けて撮った、透かし見せる物や蒸気機関車《この場合は玩具の機関車でした。勘違いをした間違いでした》の全体像(中性子線とX線に依る二つの透視映像)を収めた写真など、度肝を抜く写真に溢れている。中に、生命のはじまりとして、母親の輸卵管の組織がゆらゆらとしているひだの姿、また受胎後15週経過の胎児の写真。どの写真も万々歳と叫びたくなる。

おにやんまの飛翔の極意

改めて思う。おにやんまの飛翔の極意を問う。子供の頃の思い出が生物の不思議の一つとして頭から消えない。あの大きな目玉が薄暗がりの木立の向こうから静かに迫って来る。道の上3,40cmの高さを微動もしないで迫った来る。決して羽ばたきはしない。翅を動かさないのである。その運動の方程式を、運動力学から見て描きようがないのだ。自然の極意を生きているとしか見えない。生物と運動

今日古い手元に有った本-生物と運動ーを見て、また伝えたくなった。この生物と運動の本の最後で、「終わりに:次に何を知りたいか」と有り、p.230.にギンヤンマの飛翔の写真が載っている。ギンヤンマの飛翔の羽ばたきは普通の運動力学に沿っていると思う。しかしおにやんまは違うのである。だから次に知りたいか?に、おにやんまの飛翔を挙げたい。一度記事にした おにやんま (詩心 109号) 。

 

科学と行政ー振り返って未来をー

日本の科学研究がその質と品位で問われている。残念ながら「STAP細胞」事件がその象徴的な事となった。小保方晴子ユニットリーダーと理化学研究所の問題として世界にそのお粗末さを曝した。理化学研究所が発表した検証結果と小保方研究員が不服申し立ての間での詰めの甘さが何故かと疑いの思いを増幅している。何故もっと詳しく調査時点で、理化学研側の調査委員会は小保方氏から詳しく中味を質すことをせずに、曖昧な結論を発表したのか。小保方氏はSTAP細胞は出来ていると主張しているから、それを確認するのが再度の結論に至るに最低の果たすべき責任であろう。市民に対しての責任である。 自分も、能力がなく一人悩んだ27年前を思い出した。長岡工業高等専門学校(中曽根臨時教育審議会の抹殺人事計画)での殺害から生命を守る戦いから逃げて、長岡技術科学大学に戻った(昭和62年、1987年4月)。しかし、戻るべき場所も無い事も考えずの暗夜行路の旅立ちであった。何故殺害されるかの理由が分からない。当時の自分はもっとお粗末で、大学と言う組織の意味も、研究体制も理解していなかった。だから、世間的常識にそぐわない行動をとっていた。周りには誰も相談する人も無く、常識外れの道の上で、何をすれば良いかが分からずに笑われ続けていた。結局長岡技術科学大学に居られなかった。昭和63年9月こっそりと引き払って逃げた。10月にびわ湖湖畔での、電気理論研究会があり、2年前に、長岡工業高等専門殺人学校で採り纏めておいた『静電界ギャップ内の磁気模様』の写真データの投稿資料の発表をした。それからは自己確認の旅に彷徨い続けた。それから10年以上経ってはじめて、自分の自己確認が出来た。舞鶴鎮守府への戸籍転籍が軍歴表に在る事を知った。それが分かっていればもっと何とか抗議も、戦う術も有っただろうが、全くの無手勝流の暗中模索は手足の無い達磨でしかなかった。気付いた時は既に10年過ぎては遅かった。既に研究する所属組織も無く、過去を手繰り寄せれば、どこまでも寄る辺ない自分を知るだけだ。私は何者でしょう(3)故郷貝野村と舞鶴鎮守府。ただ一つ残された自己主張の道は、科学理論の『嘘』を暴く事だけであった。ここまで来て、『電荷』の存在否定と、電荷概念の噓の実体を暴けたという自信だけは得た。ただ、最近日本政府の教育行政機関である文部科学省が、「教育勅語」を国立国会図書館からを拾い出して、完全廃棄した戦時の教訓をひっくり返して、過去に戻そうと画策しているように思える。一体これからの「科学教育(理科教育)」をどう未来に勧めて行くのか、文科省の意識が危険極まりなく、とても心配である。教科書の検定制度がとても教育には危険であると思う。最近になって、新潟県の違法人事行政の意味を知った。教員として働いたと思っていたのに、昭和39年の春から、新潟県教育委員会からは、何の採用通知も無く、辞令交付も無く16年間に亘って過ごした履歴は何だったのか。文部省にも関わりを持ったが、一体その行政はどのような正当性があるのかと今に思う。結局、舞鶴鎮守府の日本軍に関する事項を私の全てを抹殺する事で消し去ろうとしていたと理解できる。戸籍が糊付の偽装工作を通す日本政府で、法務省・外務省・総務省全ての政府機関が関係している問題である。こんな犯罪行政が罷り通る日本なのだ。新潟県教育行政の過去と未来ー犯罪?-。日本に真の科学が育つかとても心配だ。今回の理化学研究所の問題にその心配が重なる。

幽霊人事の顛末記 誰もが理解できないと今になって思う。①新潟県立新津工業高校から長岡技術科学大学への移動。川上正光学長との面接で、割愛人事と言われた。しかし割愛人事とは何かも知らなかった。最初から『助手』と言う話で決まっていたから。しかし、どうもそれはおかしい事だったようだ。②長岡技術科学大学から長岡工業高等専門学校への移動。大学では大変邪魔な存在であったようだ。移動の3月に、急に石崎電気系長から人材を高専で欲しがっているから行かないか?と話があった。不安のまま決まった。高専の村山助教授の研究室に居候の形で自分の研究室でない間借り研究室形式となった。この事は、その部屋には誰でも、何の目的にでも、例え薬物でも、自由に入れる仕掛けと成っていたのだ。村山助教授は研究室の名札もそのままで、2年後に戻るという話。自分も元に戻るという話。ここでの教育環境は、学生実験の担当は細貝教授(ネズミの小便の電気配線における影響を卒研での課題にしていたように聞いた)の実験項目を代理で2年間させられた。授業はほとんど全て、中曽根臨時教育審議会の名の下で、盗聴から授業風景の写真撮影まで、限りない人権侵害を尽くされた。電気科の教官会議では学生の成績に関する話は一度も聞かないで過ごした。卒研の評価もどのように成されたかも知らない。すべて筆者を除外の扱いか?生命殺害の危険を察知し、飲み物食べ物全てを鍵掛の金属工具箱で厳重に管理した。昭和61年9月から翌年3月31日まで、1日も欠かさず幾つかの鍵や鍵穴封印の紙を準備して、生命を守った。③長岡高専から長岡技科大への移動・逃走。昭和62年3月末が予定の期限であった。長岡技科大で邪魔者であった訳だから、帰れはしなかったのだろう。ただ、昭和61年8月、長岡技科大で電力部門の研究会だあった。その時発表したのが電力技術理論として、自分の自信作の「空間瞬時ベクトル解析法と交直変換器への適用」である。きっとその画期的な内容で、邪魔者の見直しが語られたのだろう。しかし、既に長岡技科大での人事には困難があっただろう。電力技術部門での処遇は無理の筈だから。また、更に困難な事態が発生していた。担当授業が『電気磁気学』であった事が、電力技術と電気理論との研究対象変換が『静電界は磁界を伴う』の昭和62年電気学会全国大会の発表となり、益々混乱に拍車をかけてと思う。昭和62年2月下旬、長岡技科大電気の教授から盛んに大学に戻らないでと心配されたが、愚か者の意地っ張りから断り、予定通りの移動を覚悟した。高専の校長が1月には政府の官房副長官に話をしたらしいがその意味は知らない。等いろいろ問題のある事件であった。3月初めに校長に移動の確認に会いに行ったら、人事担当者を呼び、またもや割愛人事だと告げられた。何の意味かも知らない。4月に仙台での電気学会発表をした。その折、家族も一緒に連れて行った。行きも帰りも、うるさい『蠅』や『カラス』が付きまとっていた。2,3匹で。高専から逃走してからは、世間を騒がせるような事件になってしまい、大変な事態を来たした。話が出来、相談できる人は皆無の中での、全く四面楚歌の世界を、只混乱して、馬鹿にされながら過ごした。以上当時の思いを記した。人事は常識に従う世界で、自分が常識にそぐわない生き様であった。科学理論に対する考えも自分は常識の世界と異なるのだ。しかし真理は我に在る。