日別アーカイブ: 2019年4月5日

恩義に応えたくても・・

體に松亨の壽有り

野上様 (雅号:無我):1月ほど前に、ある美術館にお邪魔して、教えていただいた。小柳様と思っていたが、落款に「野上」の名前があると教えて頂いたので訂正させていただいた。誠に申し訳なく、野上様には失礼をお詫びします。

こんなに我が身を思って頂いたのに、お恥ずかしい限りだ。ロイヤーインバータの研究と言うほどでもないが、昭和46年春誘導電動機の運転をしてみようと、公益法人産業教育振興中央会の研究申請で、研究費を頂いた。しかし、体調が悪く急性肝炎で4月末に病院に入院した。眼が黄色くなり黄疸で絶対安静となった。その同室に入院されていた方が野上様であった。細野先生の特別のお計らいで、3カ月ほど入院させて頂き生命を救って頂いた。野上様が退院されて後、何も仰らずに掛け軸の書を下さった。その時も詳しくお聞きしないで、其れっきりとなり何も知らずに過ごしてしまった。ただ、三条市下田村、あの有名な漢学者、諸橋徹次博士の生家の村であるとは聞いていたように思った。当時は、書道にも筆にも縁が無く、殆ど忘れて過ごした。今から十何年か前に、何軒かその村でお尋ねしたが、分からず仕舞いできた。今その書を見れば、その恩義に答える術もないかと思うだけだ。ただ御蔭さまで、少しは健康で新しい科学論を展開できることを感謝したいと思う。野上様の消息を知ることが出来ればと念じていたい。

後になった振り返っては後悔ばかりだ。当時の新津工業高校の源川 誠校長(後県教育委員会、管理課長に転出)や、電気科の実習の割り振りで先生方にもご迷惑を掛けた。本当に大変だったと思うと申し訳なかった。しかしそのことも全く意識していなかったことを恥じ入るばかりだ。また初代の校長田中 敏夫は学事課長に転出。田中校長は全てを知っていた筈だ。知らぬは自分だけであったとはなさけない。新潟県教育委員会と言う役所の怪だ。

何かロイヤーインバータが現在の科学論の原点になっているようで、不思議な思いがする。