カテゴリー別アーカイブ: 教育問題

所属歴不明と学術研究

(2024/05/22).

 学会での研究発表によって現在の電気物理学、電気磁気学理論の矛盾を論じたい。しかし現在も、過去も研究者としての所属歴がないようだ。どの様に社会的貢献が出来るのかと己の無力に呆然と、40年近くを過ごした。

 自分で物理学会費を収めているようでは、所属が無いことになる。

 昭和60年7月1日 助教授の辞令を受け取った。しかし考えて見れば、過去の履歴―公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していないとなれば、その辞令の割印を押す基礎資料が無かったとしか考えられない。文部省共済組合に加入してなかったとなれば、研究者としての人事基礎資料が無い。

 先日、5月20日に少し記事の閲覧数が増えた。帆掛け船―面舵取舵梶の跡アンペアの法則を解剖する研究の歩み
 等が多くみられた。

 今日も矢張り、貯金通帳の不可解。更に紹介。 等が観られた。

 1945年8月15日:終戦。その時、京都府舞鶴市の海軍住宅:溝尻海軍住宅に家族全員で住んで居た。私は海軍の軍人と言う事に成るのか❓その後の学歴が分からない❓その辺にすべての人事記録の基礎があると思うが、どの様に理解すれば良いか❓小学校入学から、大学卒業までの記録が『無し』❓❓

 上の人事問題および学術研究始末は筆者の責任か❓文部省の責任か❓

石ころに命を思う

(2024/06/10) 追記。
 続いて、石ころ。

  この石ころも同じところに在った。単に巨樹からの化石とは言えない。石質を分析しなくてもその質感と結晶模様から、巨大な魚介類か動物の化石と思う。単に石ころと言っても、その成り立ち、年月を思えば地球の歴史の謎が膨らむ。
更に、単に自然の仕組みでこうなったとは思えない、何らかの人の加工の結果としか思えない形だ。

(2024/05/21).
 何時までも、石頭のままで現状認識の困難な竜宮城の夢を見る。

 この地球はどの様にできたのか?道端に転がる石一つも決して最初から石ころではなかったのだ。石ころの素顔を眺めた。

 新潟県にも、夢の島『佐渡島』が在る。佐渡金山で有名な歴史的自然の遺産だ。先日土の中から転がり出た黄金かと思う光る石ころ。黄金は今も市場価値が高騰している。同じ石でありながら、ダイヤモンドもあれば黄金もある。ダイヤモンドが何からどの様に変化して生まれたか?金鉱石がどの様な物から化学変化によって生まれたかは知らない。一つ例を挙げれば、オパールと言う宝石がある。それはアンモナイトの化石である。自然科学理論の地球物理学の対象であろうが❓近くの山がどの様に生まれたかも余り科学論としての解釈が示されてはいないようだ。

     幾つかのころ石を拾って並べた。何処にでも転がっている石ころだ。しかし、こんな石でもみんな個性的だ。色も、その表面の成分も異なる。このように石ころ一つもその辿ってきた道の歴史が異なっているからだ。

 地球が初めから有った訳ではない筈だ。

 太陽が地球を造って来たと解釈する。ここの土には特別の歴史が残されている。その一つと解釈する石が右の物だ。大きさは長さ30cmで厚み10cm程に形作られた切り石だ。表面には薄いガラス質の膜状の面がある。丁度貝などの化石質のようにも思える。その岩石から何らかの意味でこのような形にして利用したものと考える。何に利用したかは分からない。ただ加工した結果の形と考える。
 植物や巨樹も太陽光線が無ければ育たない。岩石も柱状節理も巨樹の化石だ。その植物で育った動物も化石化して石となる。簡単に自然界の意味を表現すれば、光のエネルギーが全ての質量化して今眼の前に在る。だから質量とエネルギーの等価則 (E=mc² [J] )が成り立つ。川にもその川の特徴の石がある。信濃川の上流には、硬い石で浅葱色の特徴を持っている。それはその石が何からの化石化に因った結果であるからとしか考えられない。石器時代の人々がどの様な生活をしていたか多くの謎に思える。巨木だけでなく身の周りに在る木を利用するにも、鋸がある訳でもなく、鉈がある訳でもない。材木一つを利用するにも、金属が無いから全ては『石器』しか道具は無いのだ。土を起こせば、そこには多くの石器の残骸が出てくる。動物の皮を剝ぐにも『石器』しか道具はない。料理をするにも包丁は『石器』しかない。

 石油・原油が地下深くから採掘される。石炭が巨木の化石化したものだと言うくらいの事は知っている。原油が地下深くに在る意味は、そこに地球の地表が有って巨大な生物・動物あるいは恐竜が繁茂していた歴史の結果と思う。何億、何十億年あるいは何千億年かも知れない、そんな長い時間を掛けて今の地球になった筈だ。

 

 

慣性座標系の意味不明

(2024/05/10).

『慣性座標系』と言う用語を使ったこと反省する。自分の書いた 32『静電界は磁界を伴う』ーこの実験事実に基づく電磁界の本質-(電気学会、1987年4月、発表)にも慣性座標系と言う用語を使っていた。後日その資料に、「この慣性座標系と言う曖昧用語の使用は間違いであった。」と反省が記されていた。他にも、その中で数式に間違いもあって、誠にお恥かしい。ただ、この実験結果の報告は電磁場方程式の解釈が主ではなく、所謂コンデンサなどの内部に掛かる静電界に対して、そこに在る筈のない『磁界』が存在する事が最大の報告内容であった。しかし、その後の歳月37年を考えると、伝統的電磁界解釈理論と異なる、あるいは否定する結果を観ないようにするのが通例の科学界の通例なのであろう。それは又、マックスウエルの電磁場方程式それ自身が、無意味な横波解釈式である事の証明でもあった筈だ。それは結果的に、『電界』と『磁界』さえ空間を流れる『エネルギー』の密度分布波の、一つの解釈概念でしか無かった事だったのだ。直流の電気回路の電線路間の空間を光速度で伝播する『エネルギー』の伝送現象と、電波の自由空間の伝播現象と特別異なるものではないのだ。デジタルパルス信号波の『エネルギー』波をどの様なマックスウエル電磁場方程式で解釈するか?正弦波だけで、広く統合した論理性を考えないでは理学理論が教育で笑われてしまう。

ベクトル式で表現すれば、空間分布エネルギー密度δ[J/m]、電波光速度ベクトル
co [m/s] とすれば、
δ co
の光速度伝播現象の電力波 [J/s]となるだけでしかない。

『慣性座標系』に思う。

『慣性座標系』に思う。アインシュタイン選集 3 (共立出版K.K.)にも、P.271. 相対性理論とは? のp.273. に ・・力学において許される”座標系”は”慣性系”という名でよばれている。・・から始まって、幾ら読んでも理解できない曖昧な論述が続いている。この3巻は、論文とは異なるアインシュタインの様々な、講演や記事が纏められた巻である。筆者も、アインシュタインの論文の訳文ではあるが、同選集の1の p.19.に、[A] 運動している物体の電気力学について がある。それが所謂『特殊相対性理論』と呼ばれている論文のようだ。しかし、アインシュタインは『相対性原理』とか『相対性理論』とかの用語を使っている。誰が『特殊相対性理論』と呼ぶようになったか不明に思える。しかし、この論文を読む限りから判断すると、電気力学と言う表現を使っている点で、質量の運動力学と関連付けた認識で、様々な勝手な条件を付加して、極めて人の理解する困難さを織り交ぜて、独自の解釈を展開した論述に思える。その基には、マイケルソン・モーレーの実験の結果が予想に反していた事を念頭に置いたものであろうが、その事には一切触れていない所が誠に不可解な論文である。しかも、アインシュタインは全く電気磁気学についての『実験』を含めて、自身では「科学的な実験」を全く行っていない点が、筆者には理解できないことである。『慣性系』と言う用語自体も、運動力学の万有引力論の重力場の解釈からの単純な論から、独特の数学的論理を駆使しただけの論文に思える。中に、『エネルギー』と言う用語も使われているが、それがどの様な意味かは理解しかねるが。勿論光の空間エネルギー像など認識している筈もない。プランクの定数及び放射特性については知っていた筈だ。

兎に角、物理学理論全体が、アインシュタインの論文によってとても不可解な科学論の世界になったように思う。基礎概念のその物理的意味を自然世界の現実と照らし合わせて、その実像を矛盾の無い確信するまで考える事を放棄してしまった。特殊相対性理論からの一般相対性理論などが唱えられ、それとの関連での『重力波』がどの様な訳で発生するかなど全く論理性もない空想論の科学論の世界となった。ブラックホールが何処に存在すると言うのか❓

体温と赤血球

(2024/04/29).

 実は初めに、「体温とパルスオキシメーター」と言う表題で記事にした。しかし削除した。4月29日の新聞(新潟日報)にパルスオキシメーターの原理の発明者、青柳卓雄の記事が載っていた。素敵な業績だ。医学関係の事については門外漢の筆者は初めて知った事だ。その事で、体温の意味について赤血球との関係としての認識を纏めようと思ったのがその切っ掛けだ。パルスオキシメーターも赤血球の酸素量の意味に関係した結果を評価した原理の計測器と思う。赤血球の赤色はその内部からの放射エネルギー量によって決まるものと解釈できる。それは赤血球の内部での燃焼現象による結果のエネルギー放射量の評価に因る値だ。決して酸素を運ぶ機能ではなく、体温保持のエネルギー放射源としての意味が赤血球の機能だ。

 再び、その記事との関連として、体温と赤血球として下書きにして置いたものを取り上げる(2024/05/03 記)。

 皆さんは体温について考えた事がありますか?
 体温について、検索の解説を見ても良く分からない。そこには学術論に特有な、理由を示さない曖昧な解説が殆どだ。それらの記事を見る限り、誰も良く分かっていないように思える。特に『赤血球』の基本的機能が余りにも曖昧な認識にしかないと思う。ヘモグロビンで酸素を何処かに供給し、炭酸ガスを肺まで運び出すような解説だ。全く『体温』がどの様に保たれているかを考えない解釈だ。中に、アデノシン三リン酸(ATP)が関係している様な解説があるが、全く理解できない頓珍漢な解説に思える。

 体温の物理的意味とは❓ それは体の全身の『エネルギー』の分布の量を評価した技術計測量、温度の「 [℃] 」だ。そんな単純な『エネルギー』評価の物理的意味の筈なのだ。

 その原因は単純である。体温の物理的意味が分かっていないのだ。物理学と言う自然科学の基礎・基本を研究する学問において、物理量の『エネルギー(ジュール [J] )』の認識が無いのである。体温は体の細胞の機能を働かせるに必要な、全身の『エネルギー分布』を保持する量の、計測技術による評価概念量『℃』の数値と考える。

 電気回路の電圧の物理的意味が分からなかったのだ。電圧の単位ボルトの物理的意味が分からなかった。電気回路の電線で囲まれた空間を『エネルギー』が流れる現象が電気回路の物理的意味だ。その電線路空間の『エネルギー』分布量が電線路のコンデンサ特性C[F/m]で決まる。それと同じ意味で、体の構成物質・細胞の誘電率の特性値によるコンデンサ容量[F/(m³)] とエネルギー分布密度[J/(m³)] の比率から決まる評価量に関係した物と考えられる。

 温度 t[℃]=[(J/F)^1/2^] に関係した意味で、外界の気温との関係で、放射される体表面の放射エネルギー量の計測値の筈だ。

 『エネルギー』は温度も電圧も熱もすべてその技術評価物理量の基本で、同じ基礎量であるから。 

 今まで考えた体温と赤血球などに関する記事を拾い上げておく。

 1.体温と身体活動エネルギー「基礎理科」を想定して
 2.体温とエネルギー
 3.体温36度5分に思う
 4.体温と呼吸
 5.あッ!-体温と電圧-
 6.赤血球が謎運ぶ
 7.呼吸の意味を問う
 8.体温と基礎代謝
 9.体温と肺機能

 まとめ。
 余りにも、医学生理学の学術論から懸け離れた、素人と思える内容の解釈を記事にした。しかし、現代の科学論が余りにも専門的な極端に高度な内容になっていて、市民が理解できる内容ではなく、とても特別な自然科学論となってしまった。自然の世界の基本は、それ程複雑の筈はないと思う。確かに、医科学の血液検査の分析や生体の神秘は複雑で高度な専門性の知的知識の分野となった。しかし、電圧や体温の物理的意味が易しく説明出来ないようでは、何処かあやふやな基礎の上に踊らされているようで、自然科学者の統合的な科学論が疎かになっているようで心配だ。その問題点が教育における、『電荷』、『電子』および『イオン』等を基に解かれる教育内容だ。身近な『体温』の物理的意味を問う事で、一つの問題点として取り上がた。

自然の世界と科学論の世界

(2024/04/30).

 今年も桜の世界はほとんど終わった。桜の花見は春に人の心をも華やかで、平和な一時に浸れる世界に連れて行ってくれる。

 自然の世界は人の心を縛らない。科学理論の世界は人の心を決まった法則に縛り付け易い。

 学校で、教科として理科や物理学を学ぶ。教えられた事を記憶し、その解釈法を学習して修得しなければならない。

 最近思う。物理学理論と自然世界の間には大きな断裂が深い溝となっていると。科学理論は経済競争の手段として、自然界を利用する視点での解釈法に取りまとめられたものだ。それが多くの『法則』となって人々の意識を縛り付けている。自然界を利用する共通の手段の統一化が図られた。それが物理学理論であり、多くの何々の法則だ。

 科学理論の法則とは何か?

 科学理論は自然世界の現象を利用する為に、人がその便利な利用法を共通理解の手段としてまとめた解釈法である。決して自然世界の真理を捉えたものではない。便利な解釈方法を述べただけである。それを信じれば、自然世界に抱く恐れや、恐怖から解放される安心感が得られると言う事もあろう。みんなと共通意識で繋がる安心感が得られる。

 科学理論の法則の欠格問題。

 それは、その法則の唱える内容を『何故か❓』と言う視点で考える事から、人の意識を遠ざける欠格問題を含んでいる事である。決して、『電荷』とは何か?『電子』とはどんな空間構造体か?等と殆ど人は疑問を抱いて、考える事をしない。

 〈問答〉の欠落した科学理論体系。

 理論:解釈法の羅列が科学理論体系となった。

 〈万有引力の法則〉:代表的法則だ。
 ニュートンが唱えた万有引力の法則。リンゴの落ちる現象を見てその解釈法に閃いて、法則を生み出したと言われている様だ。確かに重力加速度G[m/s²] が地球表面に在ると解釈すれば、殆どの運動の現象は実際の運動を正しく計算できるのだろう。しかしその「万有引力の法則」はどの様な法則かと言えば、自然世界に『質量』が有れば、他の『質量』との間にすべて引合う引力が存在すると言う解釈法を唱えたものだ。地球と月の間に、〈万有引力の法則〉を適用したとしても、地球も月もその『質量』が分からないから、その法則が正しいかどうかを検証はできないと思う。太陽の周りに地球が一定の規則で、公転し、更に地球が自転している物理的現象の意味を知りたいと思っても、〈万有引力の法則〉では理解することはできない。確かに〈万有引力〉で運動の意味を解釈できると思えば、何となく精神的な不安からより安心に居られるかも知れない。何も考えなくて済むから。そんな意味を、社会的安定化の意味を学術理論の権威は備えていると思う。

 『禪問答』がある。その究極の到達点の一つが、『色即是空 空即是色』であるのだろう。『質量』は『エネルギー』である。E = mc² [ J ] がある。その『エネルギー [J] 』が目の前にある事実を人は認識できない。光が『エネルギー』の空間分布構造体であることを認識できない。

 「クーロンの法則」、「アンペアの法則」は『電荷』に関する法則だ。その『電荷』概念を基にして、新しく『磁束』が自然世界に存在すると言う意味を生み出した解釈法だ。『電荷』と『磁束』の間の物理的意味を、その空間における物理的関係をどの様に解釈すれば良いか等と、『禪問答』は殆どしない。『何故か❓』とは問わないで済ます。

 光の屈折問題。何故光は伝播媒体間の境界で、その進行方向を変える『屈折』現象を起こすか?その解釈法にホイヘンスの原理がある。確かに光は境界面で屈折する現象の在ることは誰でも理解できる。ホイヘンスの原理の解釈法が唱えられたとしても、『何故か❓』と言う疑問には全く答えて居ない。それは一つの解釈便法でしかなく、何もその『屈折』の物理的現象に答えていないのだ。単なる解釈法を唱えただけでしかない。光を『エネルギー』光速度伝播現象と捉えない限り、プリズムの屈折現象の物理的意味など理解したとは言えない筈だ。科学技術は幾らでも精密なレンズを作り出し、高度の写真撮影技術は開発できる。光の空間像を理解しなくても。だから光が『振動』する物理的意味など無いにも拘らず、科学理論は『光の振動数』で高度な学術理論が展開される。教育では、『光の振動数』が重要な指導内容となって、子供達に記憶させる。『振動』する物理的実体など光には存在しないのだが、実験室での科学論的解釈法の共通手法に成っているからでしかない。『何故か❓』と疑問を持って、考える事は車座社会では邪魔者として排除され易いのだ。参考(#):プリズム問題で、ご迷惑を掛けたことお詫びしたい。所属が無いことで、大切な内容であったが、発表を故意に欠席した。気持ちに整理が出来ずの所業で、関係者に御迷惑をお掛けしてしまった。他にも多くの発表を無断で欠席し、御迷惑をお掛け致した。しかし内容は全て貴重なものである。

 しかし、科学法則は社会的共通解釈法の世界の構築によって、科学論の専門家の集団体制には大切な事なのだ。

 (#) 金澤:28aYE-2 プリズムと光量子の分散 日本物理学会、第64回年次大会。64-1-2. p.405.(2009).

 

摩擦電気から見る迷走科学理論

(2024/04/26).

 摩擦電気の事を述べようと思った訳がある。雷のエネルギー像 について考えている。その雷と電気の解釈が専門家の学会誌での解説記事が余りにも不可解な曖昧論である。その内容で、上空での氷が落下時に摩擦で『電荷』が発生するとある。摩擦電気の専門家の奇妙奇天烈な解釈である。『正電荷』は陽子でもなく、『負電荷』が電子でもなく、要するにプラスとマイナスの『電荷』がどの様な原子との関係であるかも何の説明もなく、氷の摩擦で分離・発生すると成っている。そんな非論理的な解釈が専門家の学術論である?そこで摩擦電気の意味を考えた。

 『電気』と言う用語はとても曖昧な内容である。静電気、摩擦電気などが代表的曖昧例である。電気エネルギーと言えば少しは具体的な意味が見えるかも知れないが、やはり誰もその物理的意味、現象を理解できない状態にある。電気物理学と言う分野の専門家さえよく理解できていないのだ。『電荷』や『電子』が自然世界に実在していると考える科学者には誠に申し訳ないが、それは明らかに古い物理学概念を踏襲した方々の、間違った理論の、教科書の間違いの内容に従った考え方である。

 摩擦電気❓ (2022/12/20) にも述べた。前の記事、物理学理論の混迷と基礎概念の矛盾 (2024/04/20) にも関係する内容でもある。

 摩擦電気とコンパスの記事、Friction heat and Compass (2020/03/22) でも述べた。この記事でも述べたが、要するに物理学理論で、空間の『エネルギー』の流れと言う物理現象を認識していないのだ。だから、仮想的にその『エネルギー』を『電子』などで取り扱う理論体系になってしまったのである。コンパスは地磁気や磁界を検出する検出器だ。電界を検出する器具はないが、磁界だけは簡単に検出できる、それが磁気のコンパスだ。然し磁気についても物理学理論は磁束で解釈するから、マグネットの表面の『エネルギー』の流れと言う認識はない。それが物理学理論の決定的間違いである。マグネット表面は軸性エネルギー流の場なのだ。磁気も熱も同じ『エネルギー』と言う物理量の空間的形態でしかないのだ。コンパスを準備して、何かプラスチック系の定規などを紙にでも擦って摩擦して御覧なさい。『摩擦電気』じゃないが、定規に熱が籠る。その定規をコンパスに近付ければ、コンパスが反応して回転移動する。逃げるか、近付くかの運動を起こす。決して摩擦で『電荷』が発生した訳でなく、摩擦熱がプラスチックなどの絶縁物質の近傍空間にその『エネルギー』の流れる状況を生じた結果である。『熱』も『静電気』と物理学理論での誤解による解釈の意味も同じ『エネルギー』の形態なのである。静電界と言う場も静磁界と言う場も同じ『エネルギー』の空間形態でしかないのだ。

 先ずは『摩擦電気』とい物理学理論の根幹を成す誤解の意味を解説して置く。

 更に大切な物理的認識が無ければ、物理学理論の矛盾は解消できない。それは『光』の空間像の認識である。光が『エネルギー』の光速度伝播現象である意味を理解する事だ。光には振動する物理的実体など無いのだ。

 

マックスウエル電磁場方程式の矛盾

(2024/04/08).

 電磁場方程式は大学理学部などの物理学理論の一つの分野として取り扱われる内容だろう。
 マックスウエル電磁場方程式。 James Clerk Maxwell (1831-1879) によって33歳の時、1864年に唱えられた方程式である。

 しかし残念ながら、その方程式の唱える内容は無意味なものとなり、矛盾に在る。

 過去にも何度かその方程式について問題を指摘していた。分かり易い、具体的な問題は、パラボラアンテナと正反射 (2013/03/06) がある。マックスウエル電磁場方程式の偏微分方程式の示す意味は、電磁波の伝播現象に対して、その光速度伝播の方向に対して、直交方向に『電界』、『磁界』および「変位電流」が空間に展開される絵図で解釈される。その絵図は現実に有り得ない電磁波模様だ。光速度伝播に対して、更に直交方向に現象が起こるとは、電磁波の時間的描像の合成速度は如何程と解釈すれば良いのか?そんな光速度を超えた波動の現象は、この自然世界に有り様が無いのだ。まさに魔術的瞑想理論と成る。それは、具体的にパラボラアンテナへの電磁波の縦波エネルギー波のアンテナ反射面での電界・磁界の物理的空間状態を考えれば、直ちに偏微分方程式が無意味な表現式であると分かる筈だ。電磁波は光速度縦進行のエネルギー密度分布波なのだ。光速度伝播という、それだけでマックスウエル電磁場方程式は時間的空間展開の無理な方程式なのだ。如何に光速度と言う自然世界の原則、その光速度で規定される絶対的原則の意義、その意義の深さを留意して考えなければならない筈だ。

 今回も、『電界』、『磁界』および「変位電流」について、光速度伝播現象としての『エネルギー』に着目して、その矛盾(電荷概念・変位電流)を再度伝えたい。マックスウエル電磁場方程式が空間エネルギーの光速度伝播現象から観れば、全く無意味な方程式である事を。

 『エネルギー』の空間分布波の光速度伝播現象の意味から考えて、『電界』とその方向に流れる『電荷』の移動『変位電流』が光速度伝播方向の直交方向に如何程の速度対応で可能と解釈できるのだろうか。どうも、偏微分と言う高等概念の数式に何か惑わされた解釈論の方程式に成っているようだ。『電磁エネルギー波』の光速度伝播と捉えれば、マックスウエル電磁場方程式など殆ど意味が無い筈なのだ。兎に角パラボラアンテナ表面に到達した電磁波の『電界』、『磁界』の空間ベクトルの金属表面での意味を考えれば分かる筈だ。金属導体面に垂直に入射する『エネルギー』分布縦波の垂直反射現象の『電界』、『磁界』の空間像を考えれば、『電界』、『磁界』など殆ど無意味なんだ。易しい空間の像を描いてみれば、方程式の無意味さが分かる筈だ。電気回路のオームの法則で、『電圧』や『電流』さえも、その単純な『エネルギー』の意味との関係が理解されていないのだ。

 残念なことは、科学者と言う専門的学識経験者は過去の学術理論をそのまま伝達する役割に終始しているとしか見えない。電気回路の空間を伝送する『エネルギー』の波と言う意識が無ければ、電気料金は何(❓)に⦅ 円 / [kWH=(J)] ⦆対して電気料金を支払っているかも考えないのか?素粒子、『電荷』とは何か?と疑問を持って欲しい。『エネルギー』を消費していると言う意識さえない事になる。

 電磁波も空間分布エネルギーの分布密度 w[J/m³] の光速度ベクトル co [m/s] での伝播現象でしかないのだ。

   wc₀ [J/(m² s) ]

 

 

電気とは何か?

(2024/o4/09).

 『電気』と言う用語の意味が説明出来ない。電気は多く使われている。しかし電気とは何か?と誰かに尋ねても、殆どの人が答えられないだろう。例えば、失礼かも知れないが、現代物理学理論の専門家も答えられないだろう。一応それなりの現代物理学の常識的解釈でお話されるだろうが、多分それも曖昧な答えではなかろうか。

 電気の正体❓ 電気工学、電気物理、摩擦電気、静電気、更に、電子、電荷、電流、電圧等と多くに関係した分野で『電』の文字が付く用語が使われている。専門家であれば、やはり原子や電子周回軌道の構造更に原子核の陽子、中性子など、理解しようもない原理から解かれるだろう。でもいくら聞いても、ただそうですかと頷く以外外なく、理解には至らない。

 そんな電子が原子の周りを回っている等と言う『電荷』のクーロンの法則に縛られた原子構造を納得しろと言われても無理だ。何で原子周期表が『八』の周期性であるかも論理的説明が為されない。原子が何故結合するかも論理的解釈が示されていない。共有結合はクーロンの法則の電荷を否定しなければ、説けない論理だ。原子結合は八表面体の120度軸のマグネット結合(Axial energy flow)しか無かろう。

 最も大切な『エネルギー』と言う物理量が現代物理学理論では認識されていない。今も、マックスウエル電磁場方程式の空間伝播像を頭に描いても、矛盾だらけで、理解などできないし、その式の論理性等信じる事など出来ない。それでも大学の理学部では、電気磁気学理論で、その偏微分方程式が解説されているのだろうが、無意味な授業だ。光の光速度伝播現象を電界と磁界で解説する愚かな事になる筈だ。

 電気とエネルギー。発電技術は殆どボイラーあるいは原子炉で水を加熱して水蒸気の気体圧力エネルギーでタービンの歯車の機械的回転動力エネルギーに変換し、更に発電機で電気エネルギーに変換して、送電線路の電線路の空気空間の内を電気エネルギーを伝送している。

 発電所から送り出される電気エネルギーも、初めは燃料の燃焼などの『熱エネルギー』から始まる。その次にタービンの羽根を回す機械の『回転動力エネルギー』の軸空間の伝送エネルギーに変換される。その回転軸エネルギーの流れは発電機に掛かる負荷側からの反抗力に逆らった回転動力エネルギーが電線路空間に『電気エネルギー』となって送電されるのだ。『電気エネルギー』は電線路空間を流れるエネルギーなのだ。決して『電子』などお出まし頂く余地は無いのだ。
 発電技術とエネルギー伝送空間 (2022/05/28)  の図だ。科学技術では、産業革命で蒸気機関が発明され、鉄道線路での蒸気機関車が力強い牽引力の雄姿を見せてきた。発電所も蒸気機関車もそこに『エネルギー』と言う物理量が実在している意味を御理解頂かなければ、物理学理論など幾ら『電子』で解説しようとも、自然の前では絵に描いたお餅でしかない。誰もが日常生活で、『エネルギー』を使いながら生活をしている。しかし学術理論の物理学に、『エネルギー』の意味が認識されていない現実は異様な世界と言わなければならない。理論が空中分解している。

 『エネルギー』を物理学理論の中心に据えるか、『電子』と言う自然世界に実在しない『電荷』概念に御縋りするかが科学者に問われているのだ。

 

電力p=vi [W] の哲学

(2024/04/04).

 物理学理論での電子概念が電気回路の世界に論理的混乱を蔓延させた。

 大学の理学部でこんな電子概念に論拠を置いた物理学を教育している現状が信じられない。

 それは只過去の古い伝統的、歴史的解釈手法に依存した考えない権威の牙城を守っているだけでしかない。

 「自然を観ないようにして居る」と言う物理学者のお言葉を聞いた事が有る。それは正しく、伝統的学説を守り、その学説を否定する現象は受け付けないようにしていると言う事だ。

 昔、『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う概念で電力系統の解釈論を展開した事がある。電力技術者にとっては『電圧』と『電流』は欠く事の出来ない基本的論拠概念である。しかし、筆者を含めてその『電圧』や『電流』がどの様な物理的意味であるかを説明出来ない科学理論の専門家集団群の中に居たのだ。決して『電圧』の単位ボルト[V]が、『電流』の単位アンペア[A]がどの様な物理量を意味したものであるかを解説できなかったのだ。電気回路では、その電磁気現象は全て光速度流の原理の基に在るのだ。決して『電子』や『電荷』がその光速度流の電磁気現象の解釈論拠概念となど成り得ないのだ。

 筆者は、1987(昭和62)年4月『静電界は磁界を伴う』と言う実験による『電荷』概念否定の発表をした。それは世界の権威ある物理学理論の根底を否定する無謀な発表であった筈だ。当時は中曽根臨時教育審議会の教育公務員としての資格のない(公立学校共済組合にも文部省共済組合にも加入していなかったとの疑い?)組織職員として邪魔な存在が故の抹殺対象として選ばれて、社会的事件のど真ん中で、教育の政治的中立性から見て論外な政治的事件であったと今は理解できる、そんな中で踊らされていたようだった。そんな中での愚かなる考えでの抵抗の結果が、「不可解」と言う闇に彷徨う結果の己の存在の意味を探る旅に、1988(昭和63)年末に旅立ちをした。あれから延べ36年程経過した。

 今、結局分かった政治的意味は1945(昭和20)年終戦時に、
舞鶴鎮守府のー
 (1939年12月1日故郷から強制的に舞鶴鎮守府へ『戸籍転籍』の行政処置がなされて、1941年には長野県栄村志久見の日本発送電株式会社の社宅に母と妹と筆者の3人で住む、父は既に舞鶴鎮守府に9月に召集されて離れて居た。しかも、その頃10月には既に父は巡洋艦「香取丸」の在役艦となっていた。その年の太平洋戦争突入の8日を過ぎた12月19日家族は「香取丸」に戸籍が移動された。1944(昭和19)年2月11日頃、香取丸は被弾沈没、3月31日香取丸船籍除籍となった。『戸籍』の行へは不明のまま消えた❓)
ー京都府舞鶴市の溝尻海軍住宅に家族4人で住んで居た。その時から現在までの筆者の身分は何であったのか❓市民権の対象ではなかったか❓と言う事の政治的問題と認識している。

 電力の電気回路における物理的意味は如何なるか❓
 何故電圧と電流の積で電力が評価できるのか?電力の単位ワット[W]とはどの様な意味かと言う極めて基礎的な物理的意味を問うのである。決して『電子』などと言う仮想概念では解説できない筈なのだ。現代物理学理論では、科学技術理論としての電圧と電流の積と言う計算で算定される電力の物理学的意味が説明できない筈なのだ。その意味、訳を物理学者が真摯に考えられるかを問うのである。筆者の研究者としての働き方改革の、研究室の無い天下の野ざらしの研究の実績が認められた上で初めて未来に繋がるのではないかと思う。現状は筆者への政治的虐待だ❣ 研究室など、身分等どうでも良い。
 子供達への理科教育内容の構築を如何にすべきかが問われている筈だ。全ての科学者の社会的責任として!!
 
 電力の意味を問う。全ての物理学に関わる研究者、教育者に、科学研究に携わる科学者に問う。

〈問〉 電力の単位ワット[W] の意味の物理現象をどの様に解釈しますか。

 電気回路で、その信号は1秒間に地球七回り半する。それは光速度の意味だ。
電力p[W]=[J/s] は1秒間のエネルギー量の消費を表現した単位だ。そのエネルギー量とはどの様な物理量だと理解していますか?どの様に空間に存在する物理量と解釈、理解していますか。それが光速度で伝送されるのだ。その『エネルギー』は空間を伝送されるのだ。それは空間に実在する物理量だ。

古い記事、エネルギー(energy)とは? (2011/09/07) がある。

純粋・自然の実相

(2024/03/31).


 自然現象は極めて『純粋』であるとの認識に至った。その意味を表現してみた。空間に流れる『エネルギー』には光のように、空間的寸法も無限に細分化される。素粒子なる概念も『エネルギー』によって構成されるものと解釈する。

 長く電気回路現象の物理的意味を考えて来た。特にこのブログ記事として投稿しながら、自己問答を繰り返してきた。学術機関では何処か不可解な自己に気付いて、研究室が無いことから、雲水の様な天下での研究に費やした。終戦時(1945年)に舞鶴鎮守府、溝尻海軍住宅で迎えた意味はどの様な身分であったかと考えた時、社会的な存在が❓❓筆者の過去の職歴、所属歴及び「退職、免職など」極めて不可解に気付かずに過ごしてきた。市民権で、長く選挙権も無く、投票の権利が無かった意味まで、行政としては理由を明らかに示して欲しい。

 漸く、電気回路現象の物理学的理論が極めて曖昧で、子供達の教育内容として不適切であるとの確信に至った。
 現在の教科書の内容は、科学技術による経済競争の視点から見れば、それなりの教育上の成果を収めて来た。しかし今、ハッキリした事は、『電荷』なる解釈用の概念が論理的には全くの間違いであったのだ。
 如何にこれからの子供達に対する物理学教育を整えるかは、科学理論としての根幹から立て直さなければならないところに在るのだ。理論物理学者が如何に『電荷』なる概念を、その物理的意味を子供達が分かるように解説できるかに掛かっている社会的責任と思う。世界に問うのはその一点だ。

 そのような科学理論の意義を問う題材として、全ての人に考えて頂きたい高周波伝送回路現象での『定在波』の物理現象を提起したい。

 筆者が初めて、研究報告として1967年、新潟県工業教育紀要に投稿した、
 金沢喜平(何故か『沢』だ):分布定数線路実習に対する考察、新潟県工業教育紀要、第3号(昭和42年)の内容に関するものになる(新潟県立図書館所蔵)。
 
 その関係で、エネルギー流と定在波 (2021/02/27) がある。
この内容で、『定在波』が発生する物理現象を如何に解釈するかを問うのだ。決して電気回路で『電子』が導線内を流れる等と言う解釈論では、この『定在波』の発生理由を理解できない筈だ。
 
 『回路定数L[H/m]、C[F/m]に対する訂正』。ここで過去の記事に対する訂正をさせて頂きます。電気回路の『エネルギー』伝播空間構造係数を k として、
    L= μ₀k [H/m], C= ε₀/k [F/m]
 と訂正させて頂きます。ただし、μ₀およびε₀は真空空間の透磁率および誘電率とする。

 
 電気回路での電気物理現象は、電線路空間の『エネルギー』の光速度流である。こんな単純な電気物理現象が、過去の長い科学技術的解釈概念の多くによって、特有な理論で構築されてきたのだ。電流[A=(C/s)] あるいは電圧[V=(C/F)]などと電荷量[C(クーロン)]によって解釈、定義されてきた。それは誤りであった。