月別アーカイブ: 2013年8月

「日本国憲法・基本的人権」、「海軍・戦後処理」、「父と私」と「教育・研究の意義」

今、過去を振り返る。過去に執着するようでは、もう人生も終わりだと言う。自己確認で過去と向き合いながら、既に20数年過ぎた。常に過去だけを見て来たかも知れない。未来を語るにも、その基盤が無い。自然科学の真髄を見極めながら歩いて来た。雷の正体 電流と電圧の正体 クーロンの法則を斬る 電流は流れず 光とは何かー光量子像ー 眼球の光ファイバーと色覚 日本雨蛙 等がブログで投稿した科学論や発見の主なものである。自分なりに、未来への自然科学論の道筋を示したと考えている。しかし、過去未来の自分を見つめれば、言い表せない怒りが渦巻く。日本に自分が存在できないままで終わるのか?それは日本全体の犯罪国家としてしか自分には映らない。それが第二次世界大戦(太平洋・アジア侵略戦争)に原因があると観る。自分なりにまとめてみた。これは新潟市に出向いて、法テラスで何回か訴えた内容の一部からの抜粋。海軍と戦後処理

法律も知らないで、ただ無為に人生を生きて来たようだ。日本国憲法の対象国民から排除されていると同等の状況など知る由もない。『時効』などの問題では済まないと思う。役に立てない意味は、まさか排除した人間の「教育・研究」などを公教育に使う訳には行くまい。残念である。

地球は謎だ!

己の存在は『謎』だ。日本政府の戦争責任と戦後責任は消えない。今日以前綴っておいた朝日新聞連載記事の一部を読んだ。ニッポン人・脈・記2006年8月9日①~29日⑮「戦争 未完の裁き」である。如何に戦争責任を隠蔽し、偽装処理で来たか。戦後は今も戦争犯罪の続きの中に居る。そんな自分が地球は謎だ!などと書く事自体が滑稽である。日常の偶然がきっかけで、地球の生い立ちを問う の記事を書いた。その後、考えれば、地球の存在そのものが謎に思える。地球の原始の姿を想像できない。空想力で描いてみた。原始地球

地球は46億年前に誕生したと言われる。太陽がこの星の系列のエネルギー源だ。太陽の起源が地球誕生の謎の基にある。そんな起源を想像することなど無理な事は承知の上で、空想しても良かろう。何も頼りにできる基礎概念が無い事を認識したうえで、ただ『エネルギー』一つから空想してみようと思う。元素、原子あるいは分子と言っても、その構造さえ理解できない。ただ混沌のみを頼りの冒険である。考える事は、科学常識に縛られないという気軽さが唯一の救いと言う自由な空想である。おそらく、地球の誕生と言える原始の姿は灼熱のガス噴射体かと空想する。灼熱は温度が幾らかも分からない。その熱源が『エネルギー保存則』からどんな燃料供給によって支えられていたかが気掛かりである。それは今の地球の中心核の『熱源の謎』と同じ疑問に基づく想像からの空想である。少なくとも原始の地球の姿を留めているのは中心核の灼熱の混沌に通じているだろうと思う事からの想像でしかない。

地球の運動の起源 決して「万有引力」の法則では、地球誕生時における運動力学的『力』の起源は説明できない。『公転と自転』は地球誕生時の、灼熱の火球に既にあったと考える。「万有引力則」は公転の解釈ように唱えられた法則である。初めに公転していなければ、万有引力則など何の意味もなさない。地球誕生時における自転・公転がどんな宇宙の法理に拠っているかも謎である。

起源の地球の元素構成 ガス噴射体の火玉と思えば、構成元素から噴射されるガス成分が決まってこよう。そんな起源の地球を構成する元素には、酸素、水素あるいは炭素等が存在し得るかも謎である。そんな時代を空想すれば、46億年では短すぎるとも思える。

地球のいのち 余りにも遠過ぎる生い立ちを空想しても、現在の生命の地球までの道筋はすべてが謎の中としか思えない。地球のいのち

空想に妄想に想像を重ねて書き上げた。その思いは謎の夢。初めての生命はどこにどのように生まれたか。人間が猿から枝分かれした等の学説は余りにも我が頭に共鳴する何物も無く、滑稽以外の何ものでもない。学説とは非論理性の権化にしか見えない。海馬様(カイバヨウ)が海から上陸するまでの過程を想像してみるのも生命誕生の起源につながるかと?

いのち誕生の条件 地球が空気で覆われている。直接の太陽光から保護されている。環境温度が適度に保たれている。「水」を製造する植物の生命が無ければならない。空気に、生命を作る成分元素が無ければならない。勝手に付けた用語、海馬様は空想の中に描く脊椎動物の原始形である。初めて脊椎動物がこの地球に生まれる時を空想してみた。どんな形で、どこに発生するかの空想である。おそらく海に様々な魚群が生息するまでに長く、何代もの変化した古生代を経過しているだろう。その中から陸と海の境界で生存できる両生類の原始動物が発生する。多くの種類の両生類に満ちる地球の姿を想像する。それらは既に、猿の原型も、人間の原型も含んでいると想像する。猿から人間が分離したと言う学説をとても信じられない事からの仮想論である。その為に海馬様にお出まし願った。

雪と天然

世界を彩る数『6』を廻って見える物。儚くて、恐ろしくて、美の極み。それが雪の結晶であろう。六花(リッカ)とも言う。六花素描の雪模様である。その結晶の樹枝模様は60度の成長から成る。全体が6っ角形で、心地よさを受ける。

双子素数の規則性とは何か を書いた。それも『6』の規則性がある。空間を座標表現すれば、3次元座標で、『天上天下、東西南北』の立方体の正六面体でもある。拾い出せば、亀の甲羅、ハチの巣模様、ベンゼン核やカーボンナノチューブなど。

『6』が人の心に響くのは、そこに隠れた美の共感があるからであろう。自然の生命の基である、水の分子構造から、創りだされる『雪』の神秘は貴重な考える対象である。中谷宇吉郎博士が天からの手紙と言った、雪の造形美の不思議である。

還暦は、10干12支の一回りで60である。六法全書、六波羅蜜、六甲山、六分儀等と六にまつわる言葉も多い。

雪結晶には水分子が造り出す60度の天然の法則があるのだ。決して万有引力などと言う人間の仮想法則でない、天然の真理が隠されている。

 

地球の生い立ちを問う

今日貴重な本を購入した。地球全史 写真が語る46億年の軌跡 白尾元理 清川昌一 岩波書店 を書店の店頭で見つけて、買った。高価であったが、価値がある。地球全史

写真集と言えるが、内容が地球の地質学的で、殆どが地球の表面に現れた岩石の素顔を撮ったものである。その岩石に対する解釈が、すい星衝突の「クレータ」や「プレートテクトニクス」あるいは微生物との関係で論じられている。専門家の解釈の視点が示されている。素晴らしい地球の岩石の素顔を見て、その解釈に満足出来ないのである。

改めて、この地球星の生い立ちに『謎』だけが見えて来た。p.14,15にメテオール・クレーターの巨大な姿が写されている。しかし、p.16のアップヒーバル・ドームの直径5kmの異様な姿に、本当にクレーターかと疑問が頭を巡らす。その中心の盛り上がった岩石の形状はクレーターと言えるのだろうか。その全体の構造は衝突なら中心部が深く抉られて、周辺部に囲まれた状況を呈すると考える。ところがその写真は、中心部が高く残り、周辺に同心円状に痕跡を残したまま、徐々に低くなった山の形状を残しているように見える。周辺部に幾つも開いた大きな「穴」の痕跡がクレーターとしての衝突の衝撃によってできたものとの解釈には、相当違和感を抱かざるを得ない。この写真が示す『謎』をどのように解釈するかである。今頭を巡る『問答』の刺激は「日本雨蛙」や『電流概念棄却』の時と同じ程の興奮を感じる。これが「科学漫遊の旅」の冒険かもしれない。

岩石の基は? 「巨大樹木」の化石がその痕跡として残っているのだ。p.33~にシアノバクテリアによって形成されるストロマトライトと言う構造物として、示されている。それは正しく、大木の木目を示している。この写真集が示す岩石の姿には、まさしく樹木の木目と言える姿を映し出している。ただ、その樹木の巨大さが、山の大きさとなることを受け入れなければ、辻褄が合わない驚愕が襲い来る。以前想像していた、直径数十メートルの巨木とはケタ外れの大きさである。改めて写真を眺めて、この地球の生い立ちの『謎』の深さに驚嘆する。小さな発見から、大きな『謎』が生まれる。石の囁き 聞こえますか

水 地球の最大の『謎』は水をどのように作ったか。生命の水と言う意味を考える。最初に、大陸ができたという視点で解説される。それは逆であろう。地球が水の星になった訳が、地球の生い立ちの『謎』解きの基で有ろう。水は植物と太陽との創造物である。だから、最初に植物が生まれた。植物が「酸素」を生み、水を生み、地球を水の星に変えて来た。海が出来て、塩がどのように出来たかも『謎』である。魚も動物も『海』が基に産まれて来た。陸から海に入ったと言う学説は逆であろう。生命は海から全てが産まれでてきた。その生命の全ての基が植物である。その思いを天然の精水に記した。

『謎』は謎を生む重層構造である。学術的研究理論について行けない頭を悩ます。誠に申し訳のない事であるが、自分の信じる思いであれば、お許し頂きたい。冒頭の著書「地球全史」の写真が示せないので、余り意味のある記事とはならないであろう。ただ、ダイヤモンドも岩石もそれぞれその生い立ちには深い『謎』を秘めている筈だ。46億年の地球の歴史も、自分には信じるだけの根拠が見えない。『炭素』原子による学術的理論付も、『電荷』と同じ程度の意味にしか理解できないから。

双子素数の規則性とは何か

昨日(2013/08/05)の朝日新聞の科学欄に、双子素数の謎を追え 無限に存在? 無限大のロマン と言う記事があった。双子素数と言う言葉も初めて目にした。いつもの事ながら、感覚的に興味を抱いた。先日、電力系統のひずみ波電流解析をファイルで投稿した。その高調波が6と言う数の魔術的な仕掛けが隠されていた事と何か関係しそうで調べてみた。いつもの事ながら、いい加減な思い付きで申し訳ないが、面白いと思って投稿する。双子素数の規則性

厳密な考察をした訳ではない。何となくこんな規則性かと感じた事をまとめてみた。元数6が重要な意味を持っていそうだ。基数mに対して、プラス1とマイナス1の各素数になるかという問題に思える。

(2013/08/09)追記と訂正。済みませんまた間違いをしました。M=2型を追加する(2013/08/10図表を訂正して載せた)。上の規則で、n=45までを調べてみた。M=2型はすべて双子素数である。M=8型では、n=8,13,43の3例は不適合である。M=0型では、n=20で不適合である。これらの不適合の理由が探りだせれば、規則のより明確なものになるかも知れない。ただ不適合でも、m-1かm+1かのどちらかは素数だ。M=2型はn=57で、m+1=343=7×49で初めての不適合だ。

(2013/08/11) 不適合の規則性  今までのところ、決まった規則性はすべて「7」に有りそうだ。n=8で、7×7。n=13で、7×11。n=20で、7×17。n=43で、7×37。n=50で、7×43。n=57で、7×49=7^3。n=62で、7×53。などで双子素数不適合である。n=65までは、「7」の不適合規則が成り立つようだ。単なる整数の間にある規則性としてみれば、これも不思議な現象である。数の日常生活上の面白味として。この規則に適合しない不適合について、そこにも規則性がありそうだ。規則不適合の7

その具体例をいくつか掲げたい。双子素数の具体例(訂正)

M=0型とM=8型になるようだ。更に、M=2型がある。M=2型の例

上の例が本当かどうかの検証の仕方も分からない。なお、M=8型の例に出ている数1643は素数でないのだろうか。IT検索では、素数に選ばれていないようだ。素数分解と規則?

結局上のような問題で良いのだろうかと考えた。数学には自信が無いので、余り当てには成らないかと思う。なお、元数、基数等と勝手に付けた言葉を使っています。(2013/08/06)追記。早速上の条件に適合していない場合があることが分かった。m=6×13=78は8型であるが、m-1=77で素数ではない。100以下に対しては、6倍の意味が有効でないようだ。未だ証明できないので、大きい数にも、上の規則性が適用できるか不確定である。

(2013/08/08)追記。今思う。IT検索でも、双子素数の規則性は?等の疑問が載っている。しかし、どこにもその解答は見当たらない。新聞に特集されたほどの意味は何なのかと言う気分だ。数の『6』が持つ特別な意味など、今まで整数論でも取り上げられた訳ではないように思う。しかし、ひょんな偶然から、上に取り上げた双子素数の規則性がもし正しいとしたら、どういうことになるか心配だ。何か新聞で騒ぐほどの事など何もないではないかと結論できそうでもある。数学とはどんな重要性を示しているのかと疑問を抱く。複素関数論や虚数概念と同じレベルで。もっと市民の身近に関わる学問であって欲しいと。学問の有識者や学識経験者などの城壁に隔離された社会構造を破壊して欲しいと。(2013/08/10)追記。数学の虚数が嫌いである。数学は苦手だが、幾つか関連記事がある。1+1=?ー数学の論理ー複素数を解剖する雷と指数関数(微分方程式解法の非論理性を指摘)、指数関数の形と特性

電力系統のひずみ波電流解析

少し自分の過去の論文を検索してみた。CiNii やJ-GLOBAL などで試みた。しかし検索結果には『見当たりません』とでる。今でも自分としてはなかなかの研究と認識している。その中の一つを、ここに載せる。

昭和59年電気学会全国大会講演論文集。研究内容は電力系統の分野に属する。多分、どちらかと言うと半導体電力変換分野での発表と思うので、余り関心は呼ばなかっただろう。共著者の承諾も無しに載せるので、問題ではあろうが、電気学会も除籍処分されている事でもあれば、御勘弁いただきたい。またその1年後には、中曽根臨時教育審議会の「不適格教員の排除対象者」のまな板のコイとして、長岡技術科学大学から邪魔者として追い出された。初めから公務員としての資格は無かったのだから。日本の戦後処理の人権侵害行政下にあった。更に、自分の社会性の欠如が集団的組織化に馴染めず、あくまでも独立志向の我儘を通す気性がわざわいともなったのだろう。ただ周囲への配慮など出来ない立場に居たが故の我儘でもあった。新潟県での辞令交付も無い16年間の幽霊教員でもあったことに気付いたのも、60歳になった頃である。昭和59年電全大 ひずみ波電流解析(1)

昭和59年電全大 ひずみ波電流解析(2)

昔の少しは専門分野の研究の臭いだする内容である。電力系統は太陽光発電、風力発電や様々な発電方式が混在したエネルギー源の構成になっている。環境変動発電の連携は直流から交流への電力変換を通した連携となる。負荷もますます歪み電力需要の強まるものになっている。負荷も、電源もインバータ等の静止電力変換装置に依るものであろう。常時スイッチングによる過酷な変動電力動揺の時代である。そんな時のひずみ波の意味を理解するには、上記の論文がその本質を簡便に示している。『瞬時実電力・瞬時虚電力』と言う電気量の概念はなかなか分かり難いかもしれない。しかし、その理論無しに系統の電力を理解するのも困難であろう。その理論の意味を理解するにも役立つかとの、そんな意味を込めて、ひずみ波と言う面から、見て欲しいと考えた。検索すると自分の氏名が金沢で出ている。気分が良くない。