石ころに命を思う

(2024/06/10) 追記。
 続いて、石ころ。

  この石ころも同じところに在った。単に巨樹からの化石とは言えない。石質を分析しなくてもその質感と結晶模様から、巨大な魚介類か動物の化石と思う。単に石ころと言っても、その成り立ち、年月を思えば地球の歴史の謎が膨らむ。
更に、単に自然の仕組みでこうなったとは思えない、何らかの人の加工の結果としか思えない形だ。

(2024/05/21).
 何時までも、石頭のままで現状認識の困難な竜宮城の夢を見る。

 この地球はどの様にできたのか?道端に転がる石一つも決して最初から石ころではなかったのだ。石ころの素顔を眺めた。

 新潟県にも、夢の島『佐渡島』が在る。佐渡金山で有名な歴史的自然の遺産だ。先日土の中から転がり出た黄金かと思う光る石ころ。黄金は今も市場価値が高騰している。同じ石でありながら、ダイヤモンドもあれば黄金もある。ダイヤモンドが何からどの様に変化して生まれたか?金鉱石がどの様な物から化学変化によって生まれたかは知らない。一つ例を挙げれば、オパールと言う宝石がある。それはアンモナイトの化石である。自然科学理論の地球物理学の対象であろうが❓近くの山がどの様に生まれたかも余り科学論としての解釈が示されてはいないようだ。

     幾つかのころ石を拾って並べた。何処にでも転がっている石ころだ。しかし、こんな石でもみんな個性的だ。色も、その表面の成分も異なる。このように石ころ一つもその辿ってきた道の歴史が異なっているからだ。

 地球が初めから有った訳ではない筈だ。

 太陽が地球を造って来たと解釈する。ここの土には特別の歴史が残されている。その一つと解釈する石が右の物だ。大きさは長さ30cmで厚み10cm程に形作られた切り石だ。表面には薄いガラス質の膜状の面がある。丁度貝などの化石質のようにも思える。その岩石から何らかの意味でこのような形にして利用したものと考える。何に利用したかは分からない。ただ加工した結果の形と考える。
 植物や巨樹も太陽光線が無ければ育たない。岩石も柱状節理も巨樹の化石だ。その植物で育った動物も化石化して石となる。簡単に自然界の意味を表現すれば、光のエネルギーが全ての質量化して今眼の前に在る。だから質量とエネルギーの等価則 (E=mc² [J] )が成り立つ。川にもその川の特徴の石がある。信濃川の上流には、硬い石で浅葱色の特徴を持っている。それはその石が何からの化石化に因った結果であるからとしか考えられない。石器時代の人々がどの様な生活をしていたか多くの謎に思える。巨木だけでなく身の周りに在る木を利用するにも、鋸がある訳でもなく、鉈がある訳でもない。材木一つを利用するにも、金属が無いから全ては『石器』しか道具は無いのだ。土を起こせば、そこには多くの石器の残骸が出てくる。動物の皮を剝ぐにも『石器』しか道具はない。料理をするにも包丁は『石器』しかない。

 石油・原油が地下深くから採掘される。石炭が巨木の化石化したものだと言うくらいの事は知っている。原油が地下深くに在る意味は、そこに地球の地表が有って巨大な生物・動物あるいは恐竜が繁茂していた歴史の結果と思う。何億、何十億年あるいは何千億年かも知れない、そんな長い時間を掛けて今の地球になった筈だ。

 

 

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