太陽の寸法測定と光空間

突然記事を投稿したくなった。今朝のニュースを見て、自分には理解できなかったからである。先日の金環日食に基づく観測からの「太陽の直径測定」の話である。私が理解できないと言う意味は「宇宙の天体はすべて運動している」事に関する点である。太陽の運行速度は幾らかと光が直線で進行伝播する事。宇宙論の論考の基準に何を根拠にして論じるかの命題である。光は直線的に進む。と言う意味一つをどのように考えるかの基本を決めなければ曖昧な論理になる。人は自分が世界の中心に居ると考えやすいと思う。しかし世界の中心は『光が決める』ものと私は考えている。素人の単純な頭で考える事は高が知れている。難しい数学は手に負えない。「アインシュタインの特殊相対性理論は詭弁論」と言い続けて来た。ただ電磁気学の矛盾から、光の相対速度に辿り着いたのが基本にある。光が世界の王者だと言う意味を単純に表現できないかと考えて、一つの図面に現わしてみた。天体(自転なし)の光軌跡。光の速度は途轍もない速さである。天体の運行速度と光の速度を1つの図面に描き表すなど出来ない。しかし考え方を表現するには光の速度が遅いと考えて仮想することは可能であろう。天体は運行に伴い先ず自転していると考えて良かろう。しかし光の軌跡を表現するに、天体が自転していたら複雑な軌跡になるので、単純化の為に自転なしの天体を仮想した。『光規定空間』に対して運行速度V_S_の回転運動体とする。天体の決まった1っ点から光を放射し続けたとする。各位置0,1,2.・・・8の1周した時の光の位置は『光軌跡』のような線上に瞬時パルスの光が存在すると考えられる。同一方向に『光速度』で光パルスのエネルギーが伝播するから、その瞬時瞬時の位置が光速度で『光軌跡』の形状のまま拡大すると解釈する。これが『光規定空間』と言う意味の1つの説明である。これから続いて述べてゆきたい。

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核分裂を問う

(2012/05/27) 追記。今朝の新聞のトップ記事が福島第一原発の事故炉、4号機の痛ましい残骸映像である。取り返しの出来ない現代科学技術の無残な悔恨の姿を曝している。安全と疑いもせず、素直に信じて来た市民を裏切った専門家の犯罪である。『核分裂の理論』の全てに疑いを抱かざるを得ない。「使用済み核燃料」にウラン235が1%程残る、低濃縮燃料であるらしいことを知った。しかし、その核分裂燃料も一旦は核分裂停止状態で原子炉から引き抜かれたものである。「使用済み燃料貯蔵プール」への搬入時に、どのような分裂停止状態を保ちながらの搬入方法を取るのかを知らない。何故貯蔵プールの燃料が核分裂を起こしたのかが理解できない。建屋が『水素ガス爆発』で吹っ飛んでしまった。核分裂の本当の現象が理解できない自分がもどかしい。何故使用済み核燃料のプールから『水素』が発生して、建屋に充満したのか。その訳を考えるに、核分裂によって生じる分裂物質の中に『水素』が無ければならない筈だ。右にその分裂の状況の想像絵図を示した。陽子pと中性子nも分裂で発生する。陽子pが水素であろうと考える。核燃料棒集合体の形のままプールで冷却されるものと解釈する。原子炉内での運転時核分裂時とプール内での冷却核分裂の状況は当然異なる。燃料棒の放射性核種から熱放射が起こるから冷却が必要なのであろう。その放射する熱とは何かが『核分裂現象理論』で明確に捉えられていないように思う。水素爆発を起こしたのは、ペレット、核燃料棒およびその集合体金属を通して陽子(水素)が建屋内に充満したと考える。中性子と陽子にどれ程の差があるかを現在理解できないでいる。それは『電荷』を否定する視点からやむを得ない。何故中性子の速度が遅く減速された『熱中性子』が核分裂に寄与し、高速中性子や陽子が核分裂に作用しないのかの論理的解釈が明らかでないのじゃないかと疑いたくなる。専門家にとって、私のような素人を説得することは気分を害する事かもしれない。しかし、危険な現代科学の社会的安全性確保の責任がより「専門家」に大きく問われる時代である事も確かであろう。些細な疑問にもきちんと答える事を専門家にはお願いしたい。よろしく願います。そんな意味で素人の疑問を提起する意味があるかと思うのです。(2012/05/28)昨日の新聞記事の細部を読んだ。4号建屋の爆発原因の水素ガスが隣の3号機から侵入したかと書かれている。その記事に衝撃を受けた。4号建屋の水素ガスが何処から来たかが確定できていない。4号建屋の燃料貯蔵プールの燃料集合体は1535体と他に比べて特に多い。プールの冷却水の温度は31度とある。冷却水の供給が事故で停止しても2~3週間は燃料体は露出しないそうだ。それは燃料体上部の水深7mの水がその間に蒸発すると言う意味になる。それ程の発熱量と言うことだ。

(2012/05/25) 追記。福島原発崩壊事故以来、それに関する疑問と解釈を投稿した。その疑問の一つが「使用済み燃料の冷却」が何故必要かと言う事であった。結局使用済み燃料の核分裂が続いているためだと解釈せざるを得なかった。放射能と発熱の正体は何か?にも核分裂の意味に触れている。だから重複する点もある。少し原子炉内の『核燃料ペレット』と言うものがある事を知ったので、その点に対する疑問も挙げておきたい。融点と核燃料溶融事故の関係。余り詳しい情報は検索しても得られないので、自分なりの解釈で描いてみた。原子炉にも「加圧水型」や『沸騰水型』と水蒸気の発生法に違いがある。原子炉の冷却水がそのままエネルギーの利用媒体になっている事はどちらも同じである。ただ高速増殖炉の『もんじゅ』だけはとても危険な冷却材「金属ナトリュウム」が使われる。それは除外する。右図に書いたような原子炉内部構造と考えて良かろう。燃料はウラン235という存在比率の少ない天然の元素を濃縮して利用する。低濃縮ウランをペレットに焼き固めて利用するらしい。そのペレットの溶解温度は2200℃とある。「メルトダウン」と言う言葉は核燃料のペレットが解けて、炉心から格納容器内の底に漏れ出てしまったと解釈した。冷却水が少しでもあれば、水の温度が2000℃を超える事は考えられない。そんな単純な事にも理解できない自分を迷わせる『原子力技術と理論』が悩ましい。

新しいテーマで、初めての記事を投稿する。何を記事にするかと考えたが、自分が現在腑に落ちなかったり、理解できない内容に自然に絞られる。今日は、高等学校の検定教科書の開示がなされたようでもある。『津波』と『原子力発電事故』が物理でも重要なテーマに取り上げられるようだ。そこで自分が分からない現象解説の教科書の記事を採り上げて、論じたいと思う。あくまでも私は素人の域を出ないものである。ただ原子の外殻軌道の電子、その存在を否定するものである。そのような門外漢的観点から、専門家の解説を問ながら、理解を深めてゆきたい。原子核の周りに電子が分布周回している模型が浮かぶ。丁度陽子と同じ数の電子である。そのイメージが右の様に表されよう。その詳細な分布の定義は理論的に示されてはいなかろう。だから右図も適当である。この原子模型から、中心の原子核が核分裂により、エネルギーを放射する事を理解するのが難しい。原子核分裂反応に因り、教科書的説明では、α線、β線およびγ線が放射されると言う。α線はヘリュウム原子、β線は電子線のこと、γ線は粒子性の無い放射光線の様だと説明される。その中で、特に興味を引くのがβ線が電子であると言う点である。それは、核の中性子が陽子と電子に分解して、外殻を周回している電子を考慮せずに、核からβ線と言う電子が直接放射されると言う解釈である。核が分裂すれば、当然外周の周回電子も放射されてしまうと考える方がより容易な解釈であろう。外殻電子と言う電子概念を理論の根幹に据えるならばと言う点での考え方の不明確性を指摘したが、何も原子核の外周を電子が周回していなければならない訳が無いと思う。今回、『原子核分裂』と言う現象を深く理解したいと思って、1冊の辞書をひも解いた。それを見てとても不思議に思った。世界の核理論がこのような理解であるのだろうかと。原子力発電での核燃料ウラン235の原子1つの放射エネルギーが余りにも少なすぎると思った。3.2の10の-11乗ジュールしかエネルギー放射しないと言うのである。電力エネルギーのワット[W]=[J/s]やテレビ1台の100[W]等を考えれば、そんなに少ないエネルギー放射能力では、核分裂など余り役に立たない能力の発電方式ではなかろうか。もし100Wのテレビを5時間点けたとしたら、発電所の発電熱効率を40%で計算すると、ウラン235の原子数Nは次のようになる。

N=100[J/s]÷(3.2×10^-11 [J/nuclear])×(5×3600[s])÷0.4=1.40×10^17[nuclear]  と言う計算になる。たった100Wのテレビ1台を5時間点けただけで、とんでもないウラン原子数を核分裂しなければならない事になる。この核分裂エネルギーの数値がそのまま理論値と認識されていたのかと考えると私は混乱してしまったのである。最も科学理論の根源的な原子論の認識であるから、恐ろしくもある。だから素人ながら、基本から疑問を挙げて見ようと思う。(文頭に追記で続く)。

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ダイヤモンドの秘め事

(2012/05/09)追記。ダイヤモンドの秘め事のほぼ最終の「秘め事」に辿り着いたと言えよう。ブリリアントカットがどの様な研磨面のことかは知らない。しかしそのカット面の基本にも通じるかと思う炭素結合単位の「単位結晶」とも看做せよう。そんな意味で提示したい。

 

 

(2012/05/07)追記。先日のファイル『炭素原子①』に続いて「同 ②』をアップロードした。次の記事にまとめる前に、炭素原子とマグネットの関係を写真だけで投稿する。ここまで来ると、原子構造論で外殻電子軌道論等全く意味の無い論に見えてしまう。電子同士の共有結合など有り得ない論理である。

(2012/05/02) 追記。少し日にちが開いてしまった。そろそろダイヤモンドの話に入りたい。原子構造論への視点 から順次追記する。

ダイヤモンドは上に記した、石の囁き 聞こえますか の内容にも通じる話である。

(2012/04/24)追記。もう少し質量の意味について考えた事をまとめた。結局は質量を光のエネルギーとして解釈することになると思う。光とは何か?-光量子像ー の意味になろう。

(2012/04/23) 追記。新しい追加記事毎に先頭に積み重ねる。原子構造論には、その構成素粒子の意味を確認しておく必要があろう。そこで基本素粒子についてファイルにまとめた。エネルギーで観る世界ー素粒子ー でなく、ここに載せる。

ダイヤモンドは人に特別な思いを抱かせる。その宝石の価値は輝きと希少な存在にあろう。ここでダイヤモンドを採り上げた訳はその原子結合に秘められた『力』の意味を探りたいからである。ダイヤモンドの硬度は工具などにも極めて有用である。それは炭素原子の結合に秘密が隠されている。その結合を物理学や化学理論では『共有結合』と言う電子結合によって解釈している。私がここで論じる事は『電子』と言う負の電荷を破棄した場合に、どんな原子結合論を考えれば良いかと言う「現代物理学理論」の根幹を否定する論になる。昨年の東日本大震災の2次災害として大きな事件を引き起した福島原子力発電所の問題がある。その事件が様々な科学的問題を引き起したと言わなければならない。市民が「自然科学」に無関心で居られない事を突きつけた事件でもある。原子核理論等には素人である私であるが、以前から唱えて来た科学基礎論が何かの因縁のように、この原発問題でその『原子核理論』にまで踏み込まざるを得ない状況になってしまった。ここで、結論に繋がる基本を示しておきたい。陽子、中性子などの結合を繋ぐ『力』は何かという問題である。古くは、湯川秀樹のノーベル賞対象である「中間子理論」がその解釈に採られている。しかし電荷を否定した筆者にはそれは受け入れられない理論である。素粒子はその根源は「エネルギー流」であるとの認識に立った論理になる。簡単にいえば、全ての核子は『磁気マグネット』である。例えば、「地磁気」とは何か?昭和63年電気学会全国大会 32 電磁界の物理的概念と地磁気の解釈 で発表した事がある。地球表面を磁気エネルギーが偏西風と同じ向きに回流していると解釈すべきである。エネルギー流から地球の「北極」は磁石の南極、「南極」は磁石の北極である。世界はエネルギーの回転流に因る『力』で結びつけられている。核子の結合力も、ダイヤモンドの結合力も『磁気マグネット』の結合に因ると解釈すべきである。今書いている 放射能と発熱の正体は何か?に関連した話になりそうである。

原子と構造 とても大きな問題に取り掛かるには非力である事を考えると躊躇する。しかも内容は世界の物理学基礎理論に対抗するものである。当然科学研究の機関紙に投稿すべきものであり、査読を経なければ意味が無いかもしれない。残念ながら、研究機関にも属せない者には、論文を書く手法も、投稿する資金も無い。やむなくブログで教育を受ける学生・生徒に検定教科書と比べて、どちらがより『真理・真実』と考えるかの『問答』を提起したい。先ず初めに、エネルギーで観る世界ー素粒子ーをご覧いただきたい。さて、『原子構造』をどのように解釈するかの『問答』に入る。単純な例を考えて見よう。原子力発電の核燃料はウラン235と言う原子である。原子番号は92である。核はプラスの電荷を背負った『陽子』92個と電気的に中性(プラスとマイナスの電荷を釣り合うように保有しているから中性と考えるべきか、あるいは電荷その物を保有していないと考えるべきかは極めて重要な『問答』対象の意味を持つと考える)な中性子143個から成り立つようだ。その次に、その核の周りをどの程度離れているかは分からないが、質量とマイナスの電荷を持った92個の素粒子『電子』が核の陽子と電気的に釣り合うように、核の周辺を回っていると教科書では説明されているようだ。私にはそんな92個の電子がクーロン力の反発を避けながら、なんで中心核の陽子とだけ電気力(クーロン力)で釣り合う力が発揮されると考えるのか、その道理が分からない。近くの電子同士の反発力を避けられて、何故遠くの陽子と引き合う引力が生まれるのか?その点は大きな『問答』の対象である。専門家は多分説明できないであろう。科学的論理とはどのような事であろうか。曖昧さは日本的「先送り」の特技を物語るように、未来に危惧・危険を忍ばせる。(中断)

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水 その実相

(2012/04/26) 追記。一通り『津波現象』に対する自分なりの解釈の結論に達したと思う。4月8日に、津波(tsunami)を解剖するの冒頭に『津波速度』の概要を載せた。

(2012/03/26) 追記。大変な勘違いで、誤解を生み、御迷惑をかけました事お詫びします。改めて水圧とエネルギーの関係を纏めました。貯水槽、ダムの水位と水圧の関係をグラフとして示した。しかしまだ海岸線での津波エネルギー変換の解釈には到達していません。水圧のエネルギー伝播が浅瀬でどう変換するかの問題です。

(2012/03/24) 追記。当ブログ記事の末尾に「水圧とエネルギー」のファイルを載せた。自分の水力学理論の常識と考えていた『流速度』V=√2gh [m/s] について、 V=√gh [m/s] が正しくて、√2 が不要の間違いと出た。大変申し訳ありませんでした。私の勘違い(バルブ内の水圧と平均水圧を混同した)があるようで、もう一度再検討する。

津波を解剖する の記事を書きながら、津波の速度の意味で、その実態を納得するだけの心境に至れなかった。特に水深の深さと波の速度の関係で、専門的な解釈を素直に受け入れられない。気象庁のホームページでも、水深の深さ5000m では時速800km 、100m では時速100km などと示されている。その物理的な根拠が示されていれば、考える手がかりを得る事も出来る。しかし、ただそうだと示されても、理解できないのである。自然科学はもう少し論理的に導出過程が示されないと、専門家、専門機関としての責任を果たしていると言えるだろうかと心配になる。

そこで自分なりに、基礎から考え直してみたいと思う。『水』とは何かと考えて見ると、それはとても不思議な物に見える。水のこころ、変幻自在と言う意味で、筆にしてみた。泥流の文字が滲んで埋もれてしまった。水は化学的にはH2Oで、水素と酸素の結合分子と言うが、そんな化学的意味で、津波の脅威や水の持つ力と結び付けることができないのである。余りにも多様な姿を我々の前に現わす。原子力発電や火力発電で利用される水の力は「水蒸気」の力である。D51と言う蒸気機関車もその水の蒸気の力である。発電所のあの大きな蒸気タービンを駆動する蒸気は普段の生活で理解できない程の魅力を秘めている。水の蒸気には臨界点と言う状態がある。臨界点の圧力は225気圧、温度は摂氏374度である。そんな状態の蒸気がタービンを回しているのである。その蒸気の密度は水のままの値である。利用すればとんでもない技術の動力源となる。同じ水でも津波の恐ろしさも、その水の持つ力の一つの姿である。

水が持つ姿の多様性を踏まえて波のエネルギーの実態を捉えて見ようと思う。私は信濃川の岸辺で水を日々感じながら生活した。先日、葛飾北斎の浮世絵、富嶽36景「神奈川沖浪裏」のテレビ映像を見入った。あの迫力と波の姿の動きには水の持つエネルギーを理解するヒントがあると思った。以前その波の意味の一端を考えた事がある。『波乗りの推進力』である。波の解釈の一つの具体例として、その記事を少し纏めて見た。波の意味を基本から考えると、ただ津波だけに限ると十分波の本質に迫れないと思う。信濃川で水に戯れて、眺めた風景から少し考えた。川は水の流れである。海も海流の流れがある。日本列島付近には黒潮、親潮として海の流れがある。その干満が瀬戸内海に渦潮も作る。水の流れを川で眺めて見よう。夏になると、深い小淵と言う川の壺のような深みで毎日泳いだ。その断崖の淵に流れる水の様子は淵の底までは及ばない。表面程流速が速い。その流線が水の流れる速度になる。川の浅瀬は水流が底の石につられて、波を打つ。アユが石の表面の苔を削り取った紋様が付いているのが見れる。そんな水の流れに心任せで、ぼんやりしている情景は昔の話に消えて仕舞ったかもしれない。③の流速と近接作用。水の流線どうしに働く力は隣同士の繋がりが水流の流れの分布を構成する。隣同士の作用の繋がりで生まれる力の現象を『近接作用力』という。『遠隔作用力』の代表例が「万有引力」になろう。離れた物同士で力を及ぼし合うと言う「物理学的概念」である。しかし私はこの遠隔作用力を信じない。さて、元の水の話に戻る。勝手な事ばかり書いて誠に気掛かりではあるが、③の図の空気と水の境界面の話をしたい。図の標題が慣性流体と流速である。慣性流体と言う意味は水のように一塊として常に動作の現象に作用すると考えられるような流体を指して表現した。その意味で考えれば、常識的にあるいは理学的な分類からすれば『空気』は流体と言えるか疑問は残る。しかし空気も踏み込んでみれば、その表情は台風や竜巻となる意味には一塊の繋がりで現れる現象と見る事も出来る。その面では、空気も気体であるが、流体と言えるかもしれない。水との接面で互いに流体としての近接作用力が働いている。③の石の面の水は動かない。以上川の水の流れに思いを寄せて見た。こんな詰まらない事を考えた訳は、海の海底に及ぼすエネルギーの伝播現象をどのように解釈すれば良いかの参考になるかと考えたからである。

津波、その現象をエネルギーから捉えて解釈するのが目的である。津波の「津」と言う文字の意味は海と陸との境目の事であろう。その沿岸での波の現象を如何に解釈するかの問題と思う。津波の本質を的確に捉えるには、震源地と地震の規模その形態などに基づく海域全体としての水圧のエネルギー流の捉え方であろう。その水圧という特質を理解するに、「トリチェリの真空」という現象を理解することに意義があると思う。誰もが理解している事であろう。ここで改めて、トリチェリの真空と水圧という観点から考えて見た。 海の津波現象の伝播は、海水の一体的な全体を通した圧力波の伝播現象である。それは海水面上に高波があれば、海底までその水圧が影響する訳である。その圧力の波頭面が水面から海底までの一連の波面として、水面に垂直なエネルギー波が伝わると解釈する。ここで圧力エネルギーとその伝播速度について結論をまとめた。ここで、一つ蛇足かも知れないが、念を押しておきたい。検索などで、津波に速度を水の速度と勘違いしている様子が見受けられるので、波動の伝播速度と水の速度とは異なる事を図で示しておきたい。表面的には波を見れば如何にも高い衝撃波が水の流れであるが如くに見えよう。しかし水面を衝撃状の水その物が移動する訳ではない。波動の前面ではむしろ水は波動の進行方向と逆向きに流れる。それは波動の圧力エネルギーが進行するにつれ、その圧力エネルギーを保持するには、水がその条件を満たすべく、自動的に衝撃波の高さを保つように次々と水が上昇の移動を余儀なくされれて、エネルギー伝播の形態を作る事になる。その水の逆流とも見える動きによって、波動の伝播を継続している。だから、波動は水を運ぶのではない。水はエネルギーの伝播を託されて、波動の形としてその伝播を水が手助けしていると見た方が正確であろう。しかし、そのエネルギー波が海岸に到達した時にはまた状況が異なるのである。ここで、圧力エネルギーについて基礎的な事を問題にして、例題を示そう。

以上で水圧に関する考察は終わる。津波と言う海の現象に対して、水圧を考えると、大気圧が海水面に水頭10.13[m] の重さを掛けている事になる。海底で大気に解放されていない事を考えると、その意味をどう解釈するかの疑問が起きる。 『津波と大気圧』の関係? 陸との境界に到達すると、所謂「津」の波の特性を表す。そこでは、そのエネルギーを保存したまま上陸することになる。そのエネルギーが水深の浅瀬で圧力波としての形態を保持できなくなり、水の速度エネルギーに形態を変換することになる。だから、水その物が大量に陸上に突入することになるのである。その関係を考える為に上に絵図を示した。

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津波(tsunami)を解剖する

(2012/04/08)追記。長く迷いながらの『津波現象』との語り合いの区切りがついたように思う。水 その実相 を通して水の気持ちに触れられたと思う。海岸での津波現象のエネルギー変換について次のファイルにまとめ、津波速度に結論を出しました。

大気圧の意味 津波の本質は上陸後の破壊力に示される。普段無意識で居る「大気圧」の存在である。上陸した水の表面には、1[㎡] 当たり10トンの圧力が圧しかかっているのである。そんな力を受けた水はトンデモナイ馬力で襲いかかる事になる。大地の道路や畑に掛かっていても大気圧など意識しない。しかし津波の上陸した水に対しては重要な意味を持つ。

ここで、上の速度 V の式の数量的具体例を計算する必要がある。海岸部に上陸する『津波の高さ』と言う問題が論点になっている。そこで、(9)式の計算例の前に、圧力波に対する地形の問題を取り上げたい。何処まで津波の高さは到達するのかと言う点である。コンピューターの解析結果が報道されている。極端な場合であるが、下の図の①は海底が平坦であれば、圧力波だけで到来したとすれば、波高値の2倍の高さまで基本的には立ち上がる筈である。しかし水の慣性で、そこまでは高く成らない。圧力波だけであるから、垂直壁面の水の速度はV=0と解釈できる。この速度ゼロで到来する圧力波が2倍近くに高まると言う意味を理解できないかも知れない。丁度送電線路の終端が解放端である場合の、衝撃波到来の反射波の為に端末の電圧が2倍の電圧になると似た現象である。岸壁がある勾配を持っていれば、上の図のように圧力が(9)式の速度Vに因る如く速度を持って上昇うする訳である。この計算例の概略は、エネルギーで見る世界ー津波ーに、ある程度の水の速度がある場合で示してある。

(2012/02/22) 追記。 津波のエネルギーを考えている内に、津波の伝播速度の意味が少し解りかけて来た。それと同時に、津波の強度を計算式に表現することの難しさも分かって来たように思う。津波の計算機での解析結果などがテレビで紹介されている。しかし、その波の波形も上下に波打つ振動波形であるように見える。波動論から計算すれば、振動波形になろう。しかし津波の波形は上下に振動する様には見えないのだけれども、私の勘違いであろうか?なにはともあれ、津波現象を正確に認識するには大変な難題であると思う。地球全体の営みとして捉えなければならないと思う。(*) ここの記事に対して、コメントが来ている。*だから、「地球マグマ」の活動の一環として、地震や津波を捉えるべきと解釈する。マグマと地球の生命   マグマのエネルギー燃焼・供給・放射現象全てが地球の生命を支えていると考える。その燃焼は酸化現象なのかどうかとても大きな疑問である。エネルギー源の供給に地殻変動は欠かせないから、地震現象が起こると?*(コメントに応えるだけの説明が出来ないのが残念である。地震、津波あるいは火山噴火などの突然の自然災害は地球全体の活動の姿である。マグマが無関係とはいえないであろう。だからと言って、マグマに関連付けた論は非難されてもやむを得ないと覚悟している。当然ながら「学術機関の研究」としては論じ得ない内容である。『電荷』の存在の否定も同じ論になるかも知れない。)津波の波動の絵図と津波伝播速度について、記事に加える。

東日本大震災から間もなく1年となる。私のブログ記事 エネルギーで見る世界ー津波ー が比較的多く見られている。それだけ『津波』に対する関心が大きいものと思う。その期待に十分応えているかと考えると、もう少し別の見方で具体的な例を挙げながら論じても良いかと考えた。津波防御対策としての安全を誇っていた堤防さえ、裏目に出る津波の恐ろしさを経験した。津波に対する対策を堤防などでどう整えれば良いかさえ、経験した現在でも方策が立てられないのが現状だろうと思う。それは、津波の本質の一般市民への解説が十分なされていないからでもあるように思う。私の解釈は専門家の解釈と地震現象が地殻の陥没と言う見方で解釈している点で、津波もその海底陥没による真空空間が原因との解釈で、基本的な部分で異なっている。私の解釈の方がむしろ平易に理解し易いかとも思う。そのような観点から、津波を解剖してみたい。

1.津波源ー海底亀裂ー 巨大津波の原因が地震時における海底の地盤陥没だと考える。専門家は地殻の滑りこみ地点で、上の地盤が滑り込みに引きずられて、歪みが貯まり、その解放での上の地盤が跳ね上がる為の海水の撥ね上げが津波の原因と言うように解釈している。そんな海水の撥ね上げで、瞬間的な海水の高波が出来る筈がないと見るのが私の解釈である。そんな撥ね上げで、海岸に到達した時のような、相当長周期の階段状の波には成るまいと解釈する。 (1)亀裂発生の仕組み を図に表現してみた。 (2)津波の大きさを決めるもの そのエネルギーとパワーは何かを考えて見た。海底亀裂の大きさ即ちその亀裂の空間体積Vと、その真空空間の発生する時間微分の大きさがパワーの単位[J/s] の意味に繋がっている。海水の水深H[km],その点の水の比重を ρ[kg/㎥]、重力加速度 g[m/s^2]として、その海底亀裂の真空空間が時間微分の形で発生するとして捉えることは可能である。その値がどの様なエネルギーを表現するものかを考えなければならない。瞬時にその真空空間が海底に生じたとしたら、そのエネルギーは途轍もない値になる。もし人工的にその空間を海底に作る時のパワー、エネルギーがどれほどかを考えれてみればすぐに分かろう。そんな状況のパワーは論理的に計算できないのである。地球の力、パワーだから可能なのである。この亀裂のエネルギーも不思議な形態である。その空間に発生する巨大な「吸引力」と言うエネルギーを吸収して起こすエネルギー源とでも看做さなければならないなのである。人工的な吸引機の『瞬時真空空間』発生機とも見做せるものであろう。静水圧での計算は、その空間のエネルギーはE=gρHV×10^3 [J] 以上と看做せよう。ただし g は重力加速度約9.8[m/s^2] 程度と解釈。このエネルギー量は津波現象の大きさを評価する指標には成らない。津波の巨大さを数量的に評価するとすれば、亀裂の体積Vの時間微分 dV/dt  値に因ると解釈しなければなるまい。所謂「衝撃力」とでも言うべき津波の波頭部の大きさに関係する量と見なければならない。その衝撃の大きさが海の大洋全体に波及する原因となる。海流を引き寄せる基になる。同じ亀裂の真空空間体積でも、徐々に何日も掛けた変化なら全く何の津波も起こさない筈だから。(2012/02/23/ 追記)津波の強度をどのように評価するかはとても難しい。その辺の事をまとめて見た。地震直後の亀裂周辺の水の密度が単位㎥当たり1 ton 以上であろうが、その点の水圧をどう捉えるかも困難である。以上で津波のエネルギーの形態とその概要の解釈は示せたと考える。しかし、明確に計算式で表現出来ないことが分かったと言う事しか説明できない。それも現在の力不足としておきましょう。上の地震震源域での海面の波がどんな様子になるかを自分なりに推定して描いてみた。どんな波動現象が起こるかを、番号で①から④までの変化を表してみた。当然震源地での波の高さはとんでもない急峻な山型になるだろうと考える。それが①の波である。その高さは、海底の亀裂の真空空間が引き起こす原因であり、大海原全体からの引き波現象の基になる筈だ。一点に起こる水の陥没が引き波として広がると解釈する。海岸が遠浅であれば、そこにその引き波が到達すれば、海岸の海底が水の無い砂の平原状態になる筈である。魚がピチピチと跳ねる状態を観測している筈である。急峻な海岸の岸壁であれば、殆どその引き波に基づく水面下降の状況は目立たないかもしれない。上の図に戻ろう。吸引波(亀裂空間が引き込むと言う意味で吸引波と表現した)の特徴は、水の慣性に因る引き波で水面が引き込まれると言う波形を表現した点にあろう。遠くからの、一度波及した水の引き波現象は長く引き続く筈である。確かに震源地での水の波動は上下に振動現象を繰り返そう。しかしほとんど、波の大きさは引き波の強さで決まるだろうから、上下振動の波とは異なるだろうと考える。あくまでも上の図は引き波現象からの推定波形であるから、正確な波形解析に基づいていない事を御理解下さい。④の波形が津波の第一波として、海岸に到達する脅威となる。海岸では地形に因り様々な影響で津波のエネルギーは変化するだろうから、さらに複雑な結果となろう。津波の基の亀裂が一点で起これば、その津波は同心円的に伝播拡大する筈だ。その様子を図で示そう。津波のエネルギーとそのパワーを考える糸口を探っている内に、何となく依然分からないままに放置しておいた『津波伝播速度』の海底深度との意味が分かる様なヒントを得た。ここでその意味について考えた事を示したい。しかし、水中のエネルギーの伝播速度は幾らかと言う基本的な認識が得られない為、明確な結論に至らなかったのが残念である。再び速度に関する解釈上の課題が浮かんだ。課題 津波が海岸に到達したとき、その速度はエネルギーの伝播速度と異なる。津波と言う海水その物の速度に形態が変化している。普通の水面波は水は流れない。エネルギー波だけが伝わる。しかし津波は、海岸に到達した途端に、波でなく流体その物が押し寄せる。この先の『津波速度』の解釈に結論が得られない。今改めて、水中の伝播速度を基礎から考え直している。気象庁のホームページを見ても腑に落ちない。『水 その実相』として改めて新しいブログ記事で、水中の圧力エネルギーの縦波伝播現象について考える。 結論 (2012/04/09)追記。地震に伴う津波現象には、その現象の伝播にも幾つかの「速度」があるようだ。海を伝播する圧力エネルギーの速度は200[m/s]程度と解釈した。その高速度に対して、水の流れる速度はまた別の低い速度である。津波は海岸でその特質を現わし、その水の速度が問題である。その点に対する解釈を、冒頭に示した。

2.市街地上陸後の津波の脅威 アルキメデスの原理。アルキメデス(212 B.C. 没)はギリシャの数学者と言われている。物理学では王冠の偽物かどうかを判定する手法で、有名な原理が『アルキメデスの原理』である。津波が市街地に上陸した後の恐ろしさが、今も映像として目に焼き付いている。その津波の恐ろしさの訳を少し考えておく必要があろう。上陸後の津波の衰えを見せない脅威はアルキメデスの原理にあると考える。全てを津波が浮力に因って、軽々と浮かせて仕舞うことにある。そこで例題を取り上げて見よう。地震の被害でとても印象に残る事がある。それは道路の中央に飛び出した「マンホール」である。その訳を考えて見た。計算すると、水の浮力のすさまじさに驚く。マンホール状のコンクリート製の円筒(底張りの)を水中に埋めるにどのような力が必要かを計算してみた。上の図のような場合で計算してみよう。浮力は F=gρπhr^2  となる。ρは水の密度で、ρ=1 [ton/㎥] である。コンクリートの比重は2.4程度らしい。浮力の計算にはその液状の媒体重量が必要である。参考までに適当な物質の比重を表にまとめて見た。ついでに原発事故でウラン235などの話もあるから、参考に付け加えた。各物質の重量は水の密度の比重倍で計算できる。図の底蓋の厚みが側面と同じで、d=r_2_ーr_1_としよう。その場合のコンクリート円筒の重量 M はほぼそのコンクリート部の総体積V_con_として、M=2.4×ρ×V_con_[ton]となる。この辺の具体的計算例をファイルとして示そう。

この浮力が上陸した津波の威力を考えるに欠かせない視点となる。上の計算例では、僅かであるが、浮力がコンクリート製の円筒重量より勝るから、沈まない結果となる。もう一つ実際の経験に照らして、マンホールが道路上に飛び出す現象を考えて見たので、その計算例も示す。

このような強烈な力を秘めているのが液状化の浮力である。それが津波が市街地に上陸した時にもたらす被害の大きさに繋がるのである。その様子を絵にした。その市街地での建物や車がいとも簡単に津波に流されてしまう。

3.津波のエネルギー保存則は? 津波は軽々と家屋や建物を持ち運ぶ。それは浮力により、底にある隙間から水が入れば、根こそぎ持ちあげる。その津波が重量物を持ち上げるに、一体エネルギーを使うのだろうか。上陸した津波は土砂も瓦礫も水に飲み込み、その全てを水の威力に掻き込むようにして突き進む。そのエネルギーを、持ち運ぶ建造物も瓦礫も土砂も全てを津波の威力を増す形で、増加しながら進む。そのエネルギーをどう計算すべきか途方に暮れる。未解決の問題である。『エネルギー保存則』の自然科学の大原則を如何に津波の解剖役立てれば良いのか?

4.津波予測手法ー海岸引き波ー 一般市民が犠牲になる事が多い。津波の意味を十分理解していない世代になった頃に、忘れた世代の時に再び襲いかかる。海岸近くに居る人が逃げる意識を持てれば、多くの人が助かる事であろう。海岸線で、地震時の海水面の変動を確認できれば、おおよその津波の大きさが認識できるであろうと思う。危険の程度を知る手掛かりとなる筈である。地震後の海岸線での海水面が下がる時が「大津波」の予報である。(2012/02/17 追記)  今日夕方7時のNHKニュースで、地震後の海岸での『引き波』を住人が注意して観察したが、兆候が見えなかった。と言う報告を伝えた。安全に身を守るには、「自分は大丈夫。と言う意識が危険である」と言う点を伝えていた。しかし、十分な現地の住人の観測情報がなかったように思う。その結果どうであったかの結論がなかったと感じた。東日本大震災後の報告として、住民からの観察の実情も報道されて。それらの中には、海岸部の海底が黒々と底が現れたのが無気味であった。等の話も幾つかあった。津波が大きいかどうかは、単に地震の震度の感じでは計れなかろう。この地震後の津波の予測は重要な事柄でありながら、なかなかその対策としての要点、あるいは心構えの拠り所としての要点の解説がなされていない点が大きいように感じる。それには専門家としての役割が不十分な為ではないかと考えざるを得ない。今回の津波が到来する前の海岸部の『引き波』が有ったか、無かったかの調査が基本情報として集められていなければならないと思う。しかし、津波源が「海底亀裂の発生」にあると言う認識がなければ、『引き波』が起きると言う論理的解釈が生まれないから、『引き波』の状況を集めることが難しいかもしれない。だから『引き波』の重要な監視体制も出来るのは難しいか?『引き波』が有ったか、無かったかの調査が欲しい。

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三味線と縦波

波は日常の生活に見られる自然現象である。様々な姿で接する。目に見える現象で判断する時、その表面的な姿から、その波の意味を受け取ろうとする。科学的に捉えようとすれば、学校で学習した事からの理解を求める。標題に、三味線を取り上げ、縦波と解釈しようとの意図を表した。弦楽器は弦を弾いて、音を奏でる。弦を見れば「横波」である。敢えて、その弦の振動を「縦波」として考えようと言う事である。最初にその意味、意図をまとめたファイルで示そう。前回の投稿資料を少し修正しました。やはり弦内のエネルギー分布を納得できる表式化が出来ませんでした。一応、(4)式のままでありますが、現在のところどのように理解すれば良いかが不明です。ただ、「振動数」と言う日本語が物理的な概念としては不適切である点と波の解釈で、「横波」と言う捉え方が自然現象の認識にはその本質を捉えるに不適切である点を伝えたかった。この「縦波」と言う現象も実験的に捉えようとしても、エネルギーの流れる瞬時的状況を裁断的に検出することは至難の業であろう。この辺にも科学的論証と東洋的哲学の自然認識との調和の在り方の命題が残ろう。前ブログ題 光とは何かー光量子像ー で振動数の説明を挿入するつもりであったが、ここに別題として取りあげた。一度削除して再度復元いたしました。

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光とは何か?ー光量子像ー

現代物理学理論は人類の知的財産である学問の積み重ねとしての叡智の宝庫であるように見られている。そこには、自然世界の認識の仕方でどのように分析・判断するかに二通りの観点がある様に思う。同じ自然世界を見るのに、インドを源流とする東洋哲学と近代科学文明を推進して来たヨーロッパの西洋哲学の二通りに分けられると考える。そこには人類発祥の源流にさえも遡る異質性が潜んでいるかも知れないと感じる。東洋哲学は無駄を排除して、純粋な一つを求め続ける思考の求道の精神が基本にあると感じる。それに対して、現代物理学の根底を成す基本を分析すると、西洋的思考の特徴が西洋哲学と同一の歩調を成して拡大構築する基本的特徴で捉えられると感じる。物理学的概念はその認識に於いて、共通の解釈基盤に『数学と数式』がある。宇宙空間にまで人類が行き来できる科学技術の成果を獲得してきた原動力はすべて、西洋の自然科学論がその基を成している。それほど、西洋哲学的思考が自然世界の征服に主導的役割を果たしてきた現実を驚きを持たずに理解せずにはいられない。私がそのように思う事の原因は、現代物理学がその数学的解釈法に基づいて構築されて来たその『基礎概念』に自然の真理を読み取ることが出来ない程の違和感を抱かざるを得ない事態を来たしている事である。その代表的概念を二つ挙げれば、『電荷概念』と『光子振動数』となろう。電荷の否定については今まで多く論じてきた。もう一つの「振動数」という概念を否定する、あるいはその曖昧さを明らかにするために、「光量子像」についての空間的実在性を込めて、論じて見たい。物理学理論は数学的解釈法が主流であるが、それでは不十分であるだけでなく、認識の曖昧性を放置する事態を来たしている。現代は、空間にその基礎概念を明確に描ききって見せる事が『科学者』に求められていると言いたい。その意味で「光量子像」を論じることが、極めて重要な現代的課題の解決の糸口になると考える。光量子像を空間的な視覚概念で捉えるべく、提案して来た。その光量子像を提案するに当りどんな事を考えたかを纏めた。それが上の「光量子とは?」である。光とは何か?-序章ー(2011/09/30) から相当時間が経過した。その具体的な光量子についての解釈を述べたい。先ず初めに光量子一粒の空間描像を示す。その表式、空間的エネルギー密度分布式 δ_q_(ζ)である。

上の(1)式が光量子の空間密度分布を表現したものである。なお、ここに記す内容はすでに2008年12月『詩心 乗せて観世の 帆掛船』物理学解剖論Ⅱ 空間エネルギー で述べたり、日本物理学会の講演概要集に発表した。しかし重要な意味を含んでいるので、一般の市民的理解の広がりの為に書き足したいと思う。普通の科学論は数学的な手法で、高度な数式がその表現の基本であろう。しかし私は空間にその実像を認識できないと良く分からないのである。想像するにも頭の中に描けなければ、理解できない不都合な能力である。上のその意味で、何とか描く空間像をまとめ、それを「具象図」として示した。その光一粒の空間像なら、誰でも理解し易かろうと思う。少し科学に近い論を展開しようとすると、どうしても数式で論じる事も必要になる。そこで「抽象図」として表現したのが、変数ジータζで時間tと位置xを光の1波の波長λ、その周期タウτにより正規化した変数表現で表した。抽象図とは大げさの様であろうが、余りにも高度な数学で表現される「科学論」は誰の為の解説かと不満を持っているので、その抽象化の意味を考える為にも成るかと思ったからである。抽象の代表格である虚数なども何の役に立つのかと。大工の棟梁が建造物を設計するに、その空間構造を頭に描くような事と同じ科学論であってほしい。このエネルギー密度分布式は、その初めは「雷の衝撃波」が自然のエネルギー流の形状を備えているとの認識から取り組み、導き出したものである。その為に、雷と指数関数 を予め書き記した。

光量子の体積積分 光量子の空間エネルギー密度の(1)式を空間の積分により、その光量子一粒のエネルギー量を算定できる。変数 ζ は空間の位置と時間に因るが、時間を停止した状態で捉えれば、空間だけに注目して積分すれば良い。また、ある位置に停止して光速度で通過する光量子のエネルギー通過量を時間積分しても同じ事である。その変数の定義域とエネルギー密度波頭値を整理した表式(1’)を示す。その(1’)式の指数関数の積分で、光量子1粒のエネルギー量が算定できる。結局、光量子のエネルギーは振動数 ν とプランク定数 h との積のhν ジュールと同じ結果には成る。しかし、振動数という概念は光量子が何か横ぶれしながら運動エネルギーを持って光速度で流れるような印象を受ける。光子あるいは光量子1粒という空間の実在認識には、振動数という概念は捨てるべきものである。ν= c/λ=1/τ [s^-1^] のような波長λあるいは周期τで表記することが望ましいと考える。

光量子空間像の解説 一応数式による光量子像を表した。しかしその意味を捉えるには具体的に考える必要があろう。そこで、ナトリウムの炎色反応でオレンジ色の波長で考えて見よう。

プランク定数の物理的意味と波頭値H 結果的には当たり前の結論になった。光量子のエネルギーとその周期の積という意味で解釈できる。

 

プランク定数hは上のように結局光量子1粒のエネルギーεとその光速度で通過する時間の周期τとの積という事に成る。それは普通の物理的「定数」という概念に該当するのだろうか。元もと、光量子のエネルギーは ε=h/τ という式であるから、当然の結果ではある。どんな周期の光量子に対してもそのエネルギーは周期の逆数に比例し、その係数がプランクの定数だと言う意味で取れば、確かに定数と言えよう。h=ετ と書き換えて見た時、プランク定数 h という「定数」の意味なのだろうか、これが「定数」という意味だと理解すべきなのだろうか。また分からない事が増えた。

(続きます)

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国際キログラム原器(質量とエネルギー)

(2012/01/27) 追加記事 天秤と質量 取引用基準重量を国際的に決められるのだろうかと、疑問に成ってしまった。基準重量は地球上のどこに持って行っても、同じ基準値でなければならないと思う。しかし、地上の重力加速度は場所によって値が違うようだ。と言う事は、場所で重量の値が異なるならば、基準値としての役割をどう理解すれば良いのかと、凡才の自分には理解出来なくなった。ところが古くから重力加速度の影響を受けない計測法があった事に気付いた。それが「天秤」である。国際キログラム原器も天秤で比較測定すれば、確かに場所の影響を受けない重力加速度の影響を受けないで、原器としての基準重量を理解できる。右に、その形を勝手な図案で書いてみた。(イ)を天秤と言う。秤と言う文字も忘れかけていた。右図に漢字の4文字熟語「我心如秤(ガシンニョショウ)」を古代文字で書き記した。自分には程遠い名言熟語であるが、そんな心境に成りたいと思う。法律の生命である「公平」が「秤」の文字の意味するところらしい。確かに天が人の世に下す原則が「公平」であらねばならないと言う事なのだろう。そのように解釈すれば、天秤はその基準重量を正確に指し示す指標である事で安心と社会正義を世に示す。『質量』と言う物理概念・物理量は重量とは異なる訳であるが、それは正確に計測できるのだろうか。測定地点の重力加速度が正確に確定できなければ、それも無理な話であろう。天秤を使うとしても、質量の原器を作る事が出来るかが理解できない。なお、右の秤に(ロ)の古い「何?秤」か名前も忘れたが、とても懐かしい秤なので書き記した。今は「デジタル計」が主流になり、こんな秤は使われない。しかし物理の力学的平衡概念を「モーメント」を含めて、天秤の応用例の智慧秤に見える。行商人の量り売りの基準であった。

最近物理量に関する国際基準が色々問題に成っているように感じる。

時間基準 今日の新聞記事に「うるう秒」に関する事が書かれていた。地球の回転周期が年々長引くと言う話である。『国際度量衡会議』で話し合われるとの事である。「うるう秒」の年間調整を取りやめるか、今まで通り「一秒」追加の調整をするかという事らしい。「うるう秒」は確かに悩ましい問題でろう。地球の公転・自転に合わせる時間基準の設定でるから、原則は時間基準1秒の長さをどう決めるかに関わる話である。しかし、世界は全ての取引が現在の時間基準に基づいて進んでいる。うるう秒、閏年の調整をしなくても良いように時間基準を設定できれば事は済むのであるが、それが出来ない訳・要因を確認し、分析する必要があろう。地球の自転・公転周期が年々変動するのであれば、時間基準を厳密に設定する事も無意味な事であり、現在の対処法しか無かろう。大宇宙の自然現象であれば、そう人間の都合良く事が運ばないのである。自然を人間が征服しようという思い上がりが無いかを改めて基準時間の問題が突き付けているように思える。地球の公転・自転周期の微増現象が地球周辺の空間環境の人工的変動ー人工衛星によるエネルギー変動・エネルギー多消費に基づく地球の熱放射ーが影響していない事を祈る。

質量とエネルギー 話は変わる。『質量』とは何か?の問答は重要である。物理学で質量と重量という話はよく問題にされる。地球周辺の重力加速度g[m/s^2] の値で、同じ質量でも重量は異なる。『国際キログラム原器』という重さの取引用基準重量がパリに保管されている。それは『質量』なのか「重量」なのかが考えると解らなくなる。その原器を他の地点に持ち運んで、測定したら、どんなに環境を整えようとしても、同じ重量の計測結果を得る事は難しかろう。それでは『質量』はどうかと考えて見る。その質量という物理量が元もと曖昧な物に思える。明確に認識していないように思うのは私だけだろうか。何故そう思うかは、エネルギーと質量の関係が曖昧だと考える。物理学の『エネルギー』はエネルギーその物を物理量と捉えていない。必ず『質量』に付随した形でしかエネルギーを認識していない。例えば、『光子』も振動数で捉える。それは何か不明であるが「振動」あるいはシュレーディンガー波動方程式の「波」を伴う質量的な『モノ』を仮想して解釈しているようだ。光をエネルギーその物とは解釈していないようだ。アインシュタインが唱えた、E=mc^2 [J] という意味を質量からエネルギーに変換する一方的な解釈にとどめている。m=E/c^2 [Kg] というエネルギーは質量と等価であるという、同じ方程式の意味を認識していない。地球の燃料を、燃料の質量を熱変換で利用して、地球から宇宙にエネルギー放射をしている訳であるが、地球の質量減少という見方で、物理学的には余り考えていないように思う。一方、太陽から注ぎこまれるエネルギーは相当の量である。そのエネルギーは地球の質量として蓄えられているのである。緑の森林は太陽のエネルギーを命に代えているのである。質量とはエネルギーである。『国際キログラム原器』は温度が上がると、周辺の気流による浮力で軽くなると新聞記事にある。それが本当なのかと少し戸惑う。原器を加熱すれば、熱エネルギーが付加される。エネルギーと質量が等価であると言う事から、原器は重くなる筈である。原器は質量の基準では無かろうから、重量の基準と看做さなければならない。地上の異なる地点で、異なる重力加速度となるから、重量もどのように基準としての評価をするかもなかなか難しい事と思う。何かこんな事を、書かずに居られないで書き記す自分を愚かな骨頂に思う。

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色の世界を尋ねて

世界は不思議に満ちている。『色彩』という彩りの意味一つを取り上げても、その自然の深みを知ることが出来ない。日常生活は彩りの世界にある。目に入る光の基の繰り広げられる感覚の世界である。しかし、光には『色』は無い。色の無い光が人に演ずる『色覚』の世界である。何故そんな事が起きているかを考えると、その不思議な意味に取り付かれてしまう。庭の佛相華(辞書を引いたらー仏桑花ーとある。何処かで見間違ったものかとも思うが、「佛」という文字とその姿という意味の「相」が花の呼び名に相応しいと以前から使っていた)、南国の花ハイビスカス、に揚羽蝶が止まる。なかなか羽を広げた写真を撮らせてくれない。赤い大きな花弁と揚羽蝶の彩りが、ひと際『色の世界』を演出して見せる。日中の花びらの赤い色は、何故赤いかが解らない。背景の葉の緑色も同じく、その色の訳の何故かは分からない。解らないと言う意味は、光の物理的意味が理解できないと言う意味である。揚羽蝶の色は『生物物理』の研究対象として、その『鱗粉』の解釈の問題となっているようだ。陽の光が空気を通して揚羽蝶の翅に当たり、鱗粉の構成分子と空洞構造の中での反射共鳴の結果として翅から放射される光が微妙な色模様を演出していると私は解釈している。赤いハイビスカスの花弁は、陽の光を吸収して、何故赤い色に見えるのかを理解できない。いつもの事ながら、最終の決まりが何処に行くかが不明のままに書き出した。書き始めるに当って、相当思考の纏まるに困難と思うような題材を選ぶ時の習慣のような気がする。だから、纏めるに困難でありながらもそこには新たな解釈や斬り込みが予想される時のようだ。一日以上下書きのままにして置いた。検索で「蝶の翅の鱗粉」を調べて見た。相当のデーターが検索に応えられる。電子顕微鏡写真でその複雑な構造が見られる。そこで考えた。『顔料』は日本画等の色彩の材料だ。宝石もルビーの赤や水彩絵の具の色彩も『色』の代表に思い浮かぶ。そこで、その色が何故『色』という個性、特徴を示すのかと考えて見た。「Color cell 」という言葉が浮かんだ。『色』とは『光』と空間を占める『物質』の間に繰り広げられる独特の自然現象である様に思える。物質は分子や原子による空間の構造物である。分子も原子も本来は『色』を持たない。どんな『顔料』もその構成分子が色を持つ訳ではない。色を示す訳は、物質が本質的に『色』を持っている訳ではない。何が『色』を演出するかと言えば、物質が構成する『光』を閉じ込め加工して放射する『色空間』あるいは『光の壺』とでも言いたい分子構造による『格子状微細空間』の仕業として解釈する以外に方法が無い。その『色空間』を「Color cell」と考えた。光について「振動数概念」の捉え方ではこの解釈は生まれないと判断した。『光量子』の一粒の捉え方が決め手である。可視光線の『波長』の寸法と『色空間』の寸法が丁度釣り合う大きさに思える。

色の実相 (2012/01/30/ 追加挿入) もみじの紅葉、銀杏の黄葉また、DVDディスクの色模様を具体例に挙げて考えて見よう。情報化社会だから、検索すれば一通りの知識は容易に手に入る。もみじの紅葉の訳などは、いろいろのサイトに解説されている。ブドウ糖と結合した赤色のアントシアニン系色素が「赤い色」の原因だとある。その分子構造も分かっている。そこまでの解説でほとんどが終わっている。そこに「何故か」と言う疑問が生じるのである。光に「色」は無い。色の無い光がもみじ葉に当たると、何故赤い色の光が反射されて出てくるのだろう。アントシアニン系色素分子の何が赤い光に変換させるのだろうか。赤以外の光をすべて吸収して、赤色の光だけを放出すると言うのだろうか。もみじ葉への入射光の内のどんなスペクトラムをアントシアニン系色素が赤色の光に変換するのだろうか。そんな疑問で「何も分からない」と言う事だけははっきりして来る。確かに、アントシアニン系色素がもみじの紅葉の原因であろう。それだけで、その色素が紅葉の原因であると言うだけで、化学的、物理的解説として済ませるだろうか。色素と言う「赤色」を生む原因はプリズムの分散と同じ原理に因るのか、そうでなければ、色素分子の構造の『色空間』が光の加工・変換の原因になるのだろうか。こんな『疑問』を捉えて、『問答』を頭の中に循環させることが「科学研究」の種となる様に思う。IT「検索」は至極当たり障りのない何となく誰もが暗黙の了解で済ませている程度の「曖昧な認識」の範囲に留まっている。色素が原因だ、程度で満足出来ない疑問感知能力が大事であろう。「DVDディスク」の分散模様をカメラに収めた。ディスクの構造は3層に成っているらしい。表面に有機樹脂の透明な保護被覆がなされている。基底は銀かアルミの光反射鏡に成っているらしい。上の写真の光分散模様は小さな蛍光灯スタンドからの光の反射を捉えたものである。スタンド光源の平面寸法は10cm×7cm程度である。色の分散模様はどうも光源の種類に無関係の様である。白熱電球も太陽光線も光源の大きさによる分散模様の形状は異なるが、分散光の色模様はほとんど同じようである。それも『謎』に見える。そのDVDディスクの分散模様の分析を始めたが、なかなか難しい。難しかったが、何とか考えをまとめて見た。その解釈を上の図に表現した。少し説明が必要かもしれない。DVDディスクのカラー写真を見て、カラーテレビ画像の『光の3原色』に分散されていると解釈した。青B、緑G及び赤Rの三色に分散されている。その各三色はそれぞれ光源の平面像を青、緑及び赤に分散して映し出していると見る。だから、3つの面光源を色分けして見えるように写したと解釈した。それを図解したのが上の図面である。蛇足と思ったが、面光源の光の放射量が方向性を持っているので、その光束Iルーメンの配光特性も一例で示して置いた。面光源の位置(イ)、(ロ)及び(ハ)からの光がディスク面に入射して、保護被覆の有機溶剤での屈折と底の反射面(銀、アルミ)によって、人の目に光が入ることになる。その一連の光のディスク面での屈折・反射は「プリズム」の原理による訳である。面光源の1点(ロ)からのθ方向の光がどの様に屈折反射するかと考えた結果が図の上部に「拡大図」として示した。単純に、一筋の光が3色の波長による教科書的屈折をしている訳ではないと見なければならない。相当広い範囲に各波長の光が分散していると解釈しなければならない。テレビのカラー画像を作りだす液晶画面等も3原色の単純な波長のみから、ビームなどの強さとその合成で光の画像色を様々に変化させていると思う。だから、蛍光灯の面光源からの光も単純な3原色に分散されるかとも考えたが、そうでないと解釈した。赤色成分も相当広い波長の混合波と見ないと説明がつかない。上の図では、点(ロ)からの光の緑色だけが目に入る場合を示してあるが、その(ロ)からの光も角度θの方向の違う光の「青」と「赤」が同時に目に入り、3点の方向性の違う光として映ると解釈した。だから、3つの色分けされた、面光源が同時に目に映るのである。大した事でもないのに、考えると色々複雑な現象と思った。私なりの解釈でしかないので、異論、批判を歓迎します。

 可視光線の寸法と電波波長 光の寸法という空間概念は一般的な物理概念としては認識されていないであろう。『光量子』『光子』という光の物理学的認識では、振動数が理論的な認識の基本的条件となっている。「振動数」がどの様に『光子』の空間的存在形態で捉えられるかについては、物理学理論では問わないで済ましていると思う。振動数が空間にどのような意味を持つかは『問答』の対象とはしない。だから光の寸法という捉え方を物理学では認識していない。私が主張する点は、正しくその『光の空間的寸法』である。そこで、今回ITからの検索などで、集めた電波技術の利用状況と「可視光線」との範囲を波長から纏めて見た。普通は振動数で表示する事が多いと思う。可視光線の配色を同時に表現しようとすると、波長範囲が長く伸びて、簡単ではなかった。適当に切り貼りしてまとめて見た。ここでの『波長』は、その寸法では十分説明できない処がある。それは『波長』を正弦波の1サイクルで捉えるのが「教科書」あるいは『物理学理論』の基本である。しかし、私が解釈する『波長』の寸法は『エネルギー』から見た寸法である為、正弦波の1サイクルには2つの波長が含まれる事に成る。その点は、ここでは一先ず「教科書」の波長で解釈する事にして置く。その点については、エネルギー伝播とその検出回路における「交流条件」という事との関わりがあるので、簡単ではない。さた、可視光線の範囲がここで取り上げる『光の世界』の話の基に成る。光はエネルギーの流れであり、『光子』というような言葉で認識する時に、光の粒子と頭に描くか、雲のようなエネルギーの流れと捉えるかによって、認識に差が表れよう。粒子ならどのように振動するかも頭に描けなければならないと思う。兎も角「色の世界」として話題にする波長の範囲は極めて狭いのである。その範囲だけで人は無限の色彩の世界を享受しているとも言えよう。

追記(2012/o1/25)  今日の朝日新聞1面に「始祖鳥は黒でした」という囲み記事があった。科学誌ネーチャーコミュニケーションに発表される「始祖鳥の翼は黒かった」という記事の話である。まさに、色素・色彩の謎に迫る研究である。しかも誰も見た事の無い「始祖鳥」の化石動物の色彩に関する事である。古生代の世界の色彩は誰も知らない。恐竜の色がどんなに煌びやかであったかどうかなども想像できない。だから画像は全て土色か灰色で描かれている。昔の世界がそんなに単調な色ではなかろうと想像しても、本当の色彩を知る事は出来ない。だから、その一つの研究として「始祖鳥」に挑戦した事は意味があろう。しかし、翼の色が「メラミン色素」から単純に「黒」と結論付けた事を私は理解できない。まさに私が『色彩』という物の本質をどう捉えるべきかを考えたのが上の記事である。蝶などの昆虫や雉などの鳥類の色彩の『色の世界』の仕組みが謎に満ちていると思うからである。タンパク質に本来色がある訳ではない。元もと光に色がある訳でもない。煌びやかな色の輝きは翅の構造が生み出すものであろうと見る。だから、この度の記事を見てとても理解できるものでないと思った。

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電圧ー物理学解剖論ー

電気回路を考える時、電圧と電流が基本に成る。電流についてはその概念を否定する論を展開して来た。しかし『電圧』については余り論じて来なかったと思う。そこで、電圧の意味も考えて見ようかと思った。先ず身近な生活に関係する乾電池を取り上げて見よう。乾電池の電圧は 1.5 V である。そこで、その電圧値 1.5 V はどんな原因で、その値に成るのかと考えたが、まったく理解できない事に気付いた。確かに測定器、電圧計かテスターを使えば、メーターの指示値は 1.5 V 付近の値を指示する。乾電池の電圧は直流だから、その測定器の型は「可動コイル型」が普通である。その内部構造は電流計に直列に高抵抗が繋がれた形で、言わば『電流計』としての働きをしていると見る事が出来る。私も電気の専門家の部類に属して、少しは知っている心算で居たが、乾電池の電圧の値が決まる理由が解らない事に気付かされた。乾電池の中味は、塩化アンモニウム、塩化亜鉛およびデンプンを練った物、さらに複極剤である同じような練り固めた物が内側にあり、プラス電極の炭素棒とマイナス電極の亜鉛で構成されるとある。乾電池の電圧が何故決まるかを検索しても何も回答が無い。電子が何個出るからとかの解説があるが、そんな解説は何の理解の足しにも成らない。電荷がプラスとマイナスの電極の間に発生するからと言われても、どれだけの電荷が分布するのか等、誰も説明できないのである。単一、単二、単4と形状も寸法も異なるのに、どれも同じ電圧 1.5 V である。単4用の電子と単1用の電子も同じ電子であろうから、寸法が異なれば、静電容量と言うコンデンサの容量は異なる筈である。電子の電荷で説明するなら、形状が異なる事による静電容量が違えば、電圧が異なるのが、電気理論の基本的論理である。

電荷と電圧 電荷で電圧を解釈するなら、電圧の単位を考えておかなければならない。電荷の量をQクーロンと仮定して、その電荷がコンデンサの静電容量Cファラッドの幾何学的形状・寸法から決まる電気要素に貯められたとする。その時の電圧Vボルトは、V=Q÷Cで決まるのが電気理論の基礎である。だから、『電荷』による説明は、解説としては、学習しようとする真剣な学習者に対して、いい加減で曖昧な解説を押し付けるものであると言えよう。乾電池の電圧を決める要因は、その長い技術の積み上げによる『化学物質等と電極材料との組み合わせ』で決まると、単純に解釈すべきであり、電荷がどうのこうのの解釈で決まるのではない筈である。電荷なら寸法で、電圧が異なるのが電気理論からの結論である。寸法が違っても同じ電圧となるのは、『電荷』論は間違いである事を示している。もう少し静電容量と電荷の関係を述べておく。コンデンサは並列に接続すればどんどん容量は増加する。電池の持つコンデンサ容量を基本として解釈しないと、電荷による電圧概念の説明は付かない。今、電池のプラス、マイナスの極に大きな容量のコンデンサをつないだとする。当然全体とすれば、電池の静電容量が増加した事と同じ意味で解釈できよう。だから電池の外形・寸法による静電容量と電荷の量との兼ね合いとして、電圧を解釈する事は無理であると考える。要するに乾電池の電圧値は『電荷』と言う物理概念では説明できないのである。電池内部の化学物質の詰め物の「物理・化学的解釈」が論理的に説明できていないのである。技術と科学理論の間に横たわる問題・課題である。一応乾電池の話はひとまず置く事にする。

交流回路を含めて、電圧の意味を 考えて見ようと思う。 100 V 50 Hz の交流電源で考えて見よう。電圧形は交流用の「可動鉄片型」に成る。この測定の電圧形も乾電池の話で示した電圧形と同じく、計るものは電圧形に流れる電流値を高抵抗で微弱量に制限して、その電流の電磁石の力で鉄片が吸い込まれる回転トルク力の角度量を指示値として示しているだけなのである。先ず電圧として測定指示している数値が何であるかをきちんと捉えておく必要がある。技術と理論の概念との関係を正確に理解することが、科学理論の実情を捉えるに大切な事と考えて、こんな些細とも思える話を記すのである。結局、電圧値として表示する値は、メーターの中に流れ込む『電流』に基づく「磁場エネルギー」の力を利用しているだけである。測定器は『磁気』の空間エネルギーを利用している物がほとんどであろう。電荷によるクーロン力等教室授業の為だけの無駄な概念であると言いたい。(原子理論も電子電荷の軌道論で構築されているが、悪いけれども、そんな理論は捨てるべきである、内緒話)

電圧の次元 ここで電圧の意味を纏めておきたい。

エネルギー[J(ジュール)] とJHFM単位系』をご参照ください。

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