電荷と不立文字

(2024/03/17).

 下書きとして残っていた(2024/06/02)ので先ずは公開とする。

 「不立文字」と言う言葉は東洋哲学の表現内容だ。禪の言葉だ。なにか意味が解らないが、自然科学論と対比した時、深い意味を含んでいるように思う。

 その一つに、『電荷』という科学論の基本概念一つを取り挙げて考えた時、筆者にはその意味が全く分からないのだ。『電荷』と言う物理量を、その自然界に存在する実体として認識できないのだ。そのような時『不立文字』と言う用語が、あてはまる様に思う。自然世界に実在するものは、その空間像が明確に意識の中に描けなければならないと思う。『正の電荷』と『負の電荷』の空間像で、何が異なるのかが示されなければ、その『電荷』と言う概念の物理的意味が誰も理解できない筈ではないのか?しかし、その『正、負』の具体的な『差』がどの様な物理的意味であるか、未だに分からないのだ。引力も排力もその『電荷』の空間に占める相互の『力』となるべき原因があって初めて、物理学理論として唱えることが出来る筈だ。ただ「正」と「負」という意味不明な論拠での解説では『電荷』の実在性とその物理的意味を理解し切れないのではないか。『正電荷』と『負電荷』が対峙したからと言って、雷のような発光現象を引き起こす原因となる論理性はどこにも無い。その光はどの様な原因で、『電荷』によって放射現象を引き起こすかの理由を示さなければならないだろう。その時、『電荷』はどの様な意味で『光』に変換されるかを説明しなければならない筈だ。

 と言うような、極めて伝統的な科学論から懸け離れた日常生活感覚からの疑問が子供達への科学教育では大切な事ではないかと思う。科学者の科学論がそのまま子供達への教育上の指導内容であってはならない筈だ。

 と言うような愚痴ともつかない言説は、科学論ではなく文学論だと言われそうだが、それも承知で今まで『電荷否定論』を唱えてきた。その切っ掛けが、1987 年4月の『静電界は磁界を伴う』の発表であった。それは伝統的科学理論の根幹を否定する内容であった。その意味を責任を以って示すべきと、自己格闘をしてきた。漸く、自信を以ってその意味が説けるかと思う。結局、『磁気』という意味の物理的空間現象にその解が潜んでいたのだ。それは空間を流れる『エネルギー』に在った。その空間を流れる『エネルギー』と言う物理量の存在を認識する事が大切だ。

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