月別アーカイブ: 2024年6月

電圧、電流そして電力の瞬時値の物理的意味

(2024/06/22).

 〈疑問〉こそが自然世界の理解につながると思いながら。前の記事 (電流とエネルギー流)に再び疑念を抱きながら。

 電力 その禅問答 (2021/12/14)。があった。そこに示された図形を使って、再び考えてみよう。

p(ωt)=v(ωt)i(ωt) ?

 電圧、電流そして電力は電気回路現象を解釈する基本概念である。それらの物理的概念を的確に認識するには、その概念の瞬時値の単位あるいは次元を理解する必要がある。

 単位や次元は古くから国際度量単位として定義され、その基準が示され、使われてきた。それが[MKSA]単位系である。その単位からの誘導単位として電圧の単位ボルト[V]、電流の単位アンペア[A]そして電力の単位ワット[W]が決まっている。

 これらの単位は電気回路で主に使われる。電圧、電流そして電力などの電気基本単位が、その電気回路現象を物理現象として解釈するときの物理学理論で使われる。

 しかし、その電気的単位の意味を明確に理解しているかがとても曖昧なのだ。電圧 [V]、電流 [A] そして 電力[W]の概念が物理的な意味として有効なものかと疑わしいのだ。電圧 v 、電流 i を次式で考える。
 v(ωt) = Vsin ωt [V =Wb/s]、 i(ωt) = Isin (ωt-φ)[A =C/s] 
その時、電力 p は
 p(ωt) = VI sin ωt sin (ωt-φ)[W = J/s]
となる。
 
 右図の波形の瞬時値としての意味を考えた時、その時間は時間的経過の無い瞬時の意味である。時間的に磁束の変化率[Wb/s]で、ファラディーの法則の電圧、時間的な電荷の変化率[C/s]としてのアンペアの法則の電流。更に、エネルギーの時間的変化率のワット [W=J/s] も時間的経過を考えないと電力の物理的意味が不明確だ。19世紀では、それらの単位で十分有効であった。しかし、その後物理学理論も新しい解釈が加わり、技術的な状況も変革を来した。そのような状況を踏まえて、過去の物理学理論の基礎となって技術を支えて来た様々な物理学的概念が、今とても論理的に耐え得る状況にないものに思われる。

 その代表的な、極めて曖昧な概念が『電荷』である。そして『電子』である。長い間、理論物理学として科学論の世界に君臨してきた論理性の基礎的概念の『電荷』や『電子』がその役目を果たし得るものかと理解出来ないのだ。誰も『電界』や『磁界』の物理的意味を古い電磁場方程式の中の意味で満足している状況が筆者には理解できないのだ。

 電気回路の電線路空間を伝播する電磁エネルギー。
 
 電磁エネルギー伝播は〈光〉のようなエネルギーが光速度で伝播する意味との関係で認識すべ黄と考える。電気回路で伝送する空間の光と同じ『エネルギー』の流れ、即ち空間に実在するジュール [J] と言う物理量を認識せずに済まされる状況が理解できないのだ。
 物理学理論は『エネルギー流』の実在性の認識を要請するのだ。

 [JHFM]の自然単位系が未来への物理学理論の基礎となるべきと考える。この単位系は古く、光のエネルギー伝播を思いながら、平成2(1989)年に完成したものだ。エネルギー[J(ジュール)]とJHFM単位系

光エネルギーの伝播特性を規定する原理が空間の技術的解釈特性、真空誘電率εo[F/m] 、真空透磁率 μo[H/m] によって決まる。
 光速度 co = 1/√( εo μo ) [m/s]
とすれば、時間 [s] の意味は、[s] = [(HF)1/2] のような次元の意味と繋がる。

 『エネルギー』の空間像を認識して初めて電気量の『瞬時値』の意味の物理学的認識が可能と思う。

電流とエネルギー流

(2024/06/20).

 残念乍ら、『電流』の物理的意味・概念、その定義が『電荷』の時間微分としている事が間違いだった。

 その具体例を提起したい。  

 それが右図の変圧器の V字結線である。
このV字結線は、市中の高電圧配電線で良く採られる方式である。町の中にも小規模の町工場がある。そこでは「モーター」が使われる。そのモーターには殆どが構造が堅牢な三相かご型誘導電動機が採用される。回転子に巻線が必要でなく、銅線の棒がかごのように組み込まれた堅牢な構造の回転子が使われる。しかしそれでも、そのモーター運転には矢張り三相200ボルトの動力配線が必要だ。その時採られる動力配電方式が変圧器2台での、V字結線である。図の電線路は変圧器が2台でも、電源は容量が少し小さいだけで、変圧器3台による三相電圧電源と機能は同じである。

 その図は、1台の変圧器の二次側配線に電流計 A1 が繋がれている。もう一つ200ボルト配電線路側にも電流計 A2 が繋げてある。

 〈問題〉 電流計の A1 と A2 の電流値は同じでしょうか?違うでしょうか?

 (問題のヒント):変圧器2台での三相動力配線は小規模動力配電線路として多用されている方式である。配電線に電流計を繋がなくても、クランプメーターが有るから、何処の電線の『電流』値も簡単に測れる。電圧値が200ボルトの低圧であるから比較的安全でもろう。【注意】ただし、配電線路は許可された技術者しか近寄れない!!

 〈答〉A1とA2は❓。

 

三相電力と無効電力

    (2024/06/17).

     平衡三相電力の計算。

     前に、電力送電システムの物理学 を挙げた。そこでは、三相電力の計算やその物理的意味を示していない。
    電力理論でも、三本の電線で囲まれた空間が三つある。その意味を右図に示した。その三つの空間を『三相』の意味、電気エネルギーが伝送される空間が三空間あるという意味だ。

     三相電力はその三つの空間を通して伝送される。今その線間に掛かる三相電圧を図のように、 Vab, Vbc そしてVcaとし、次の式で考える。ただし、電圧実効値をV[V] とする。

     Vab= √(2) Vsin ωt [V]
      Vbc = √(2) Vsin(ωt-2π/3) [V]
    および 
     Vca = √(2) Vsin(ωt-4π/3) [V] 

     同様に、三相のその電圧に対する電流値を iab ,ibc および ica とする。その三相負荷が平衡負荷でしかもその力率を cos φ とする。負荷の力率がcos φ と言う事は、電気理論で、三相の各相電流の位相がそれぞれの電圧位相より、φ [rad] だけ遅れるか、進むかの意味だ。ここでは、遅れ負荷力率角として-φとした。

     Iab = √(2) I sin(ωt-φ) [A]
     Ibc = √(2) I sin(ωt-2π/3-φ) [A]
     Ica = √(2) I sin(ωt-4π/3-φ) [A] 
     となる。

     三相電力計算。久し振りに三角関数の計算で戸惑った。各相電力は電圧と電流の積で、次の計算で得られる。
     p₁= Vab Iab = 2VI sinωt {sinωt cos φ – cos ωt sin φ}
    p₂=Vbc Ibc = 2VI sin(ωt- 2π/3) {sin(ωt- 2π/3)cosφ ーcos(ωt-2π/3)sinφ}
    p₃=Vca Ica = 2VI sin(ωt-4π/3) {sin(ωt-4/π3)cosφ ーcos(ωt-4π/3)sinφ}

     各相の線間の伝送電力は各相が電線路に対して独立電源として機能する。三相分の電力pは、その合計値p=p₁+p₂+p₃で計算できる。
     三相平衡負荷の場合、三相電力pの計算結果は、

       p=3VI {‥cos φ + ‥sin φ} = 3VI cos φ [W]

     とsinφ の項はゼロとなり、cosφの項だけとなる。相電流の代わりに、一般には線路電流で表現するから、線路電流を  Ip=√(3) I  で表せば

     三相電力の一般的な表式は、線間電圧 Vp と線路電流 Ip によって

      P=√3V Ip cosφ [W]

     となる。

     三相電力の場合には、三相で電力値は直流電源の場合と同じく、一定値の変動の無い電磁エネルギーの流れとなる。大電力の伝送としては、基本的な伝送電力量が脈動の無い直流値になる事は系統機能として有効なものである。ただし、負荷が原則的に、三相平衡で、時間的に変動しない場合ではある。

     さて、ここで考えて見よう。三相電力の sinφ の項は各相では電力の流れとなっている。しかし三相合成するとゼロとなる。その電力分はとても厄介なものでもある。それを「無効電力」と呼ぶ。確かに各相では空間を伝送されている訳で、役に立たないと言う訳ではなく、負荷の特性によって決まるエネルギーの受電と負荷からの電源への帰還分であり、基本的には欠かせない電力分である。単相回路にはこの無効電力の流れが有効電力と変わりなく、計算式で算定出来て、実際の電力分の成分として理解できる。

     瞬時虚電力。

     その無効電力であるsinφの項の電力分を瞬時値として算定できれば、その厄介な電磁エネルギー流成分を制御して消すことも出来る。それで系統の容量にも負担が少なくなる筈だ。近年は負荷などの制御性が複雑となり、系統の無効電力分が不都合なものとなって来た面もある。しかし、その電力の瞬時値が算定できなければ、その厄介な成分を除去できない。その無効電力の物理的現象は、結局三相全体として、伝送線路内を還流している電磁エネルギーであったのだ。電源と負荷の間で、負荷への伝送分と、負荷から電源に返送される電力分が常に等しいと言う事だったのだ。だから差し引き「零」となって計算値として、sinφ の項の成分として消えて算定できない。その無効電力分をある切っ掛けで、瞬時的にどんなに複雑に変化しても、その無効電力成分を瞬時値として測定できることになった。その電力分が無効電力 q である。その無効電力の計測算定値を『瞬時虚電力』と名付けた。それは電圧と電流との回転空間ベクトルの『ベクトル積』の瞬時値として算定できることになった。この瞬時虚電力を計測できることで、新しい電力制御法が確立できた。電力伝送系統回路の、余分なスイッチング制御負荷に依る無効電力の負担が少なく出来ることになった。

     その電力成分の関係を、電線路空間の有効電力(実電力と名付けた)pと三相間で空間を回転している成分の無効電力(虚電力と名付けた)q の物理的意味であった。その意味を図形に示せば、空間ベクトルと回転軸 のような意味となる。

     瞬時虚電力の意味は空間ベクトルの『ベクトル積』によって瞬時値として算定できる。参考文献は、
     赤木他:瞬時無効電力の一般化理論とその応用 電学論B 103,483(昭58-7)。
     

変圧器の物理学

(2024/06/16).

 変圧器は小型の電気回路にも、大電力送電系統にも欠かせない電気技術製品だ。あらゆる場面で必須の電気製品だ。しかしそれは科学技術理論で取り扱われるが、物理学理論は『ファラディーの電磁誘導則』によってその原理を理解してきた。それ以外変圧器の解釈法は見当たらない。物理学としては、余りその原理を極めようとする必要も無かった。また電力技術としても、その物理的原理を問題視する意識も生まれなかった。

 変圧器の技術的機能は『電圧』と『電流』に因る『電力』の供給だ。その機能設備として何も疑問は無かった。しかし、突然疑問が沸いた。変圧器内部の巻き線の電流について「可笑しいぞ❓」と気付いた。流石に、こんな事に気付かなかったとは何と言う事かと⦅驚き、桃ノ木,山椒の木⦆だ。決して変圧器巻線には負荷電流など流れ様が無いと。

 少し変圧器について述べた記事がある。関連事項として挙げておきたい。変圧器の技術と物理。そこには技術的取り扱いによって身に付いた感覚的発想からのものがあろう。

 変圧器技術理論でも、巻線に負荷電流が流れることに成っている。唯、一次と二次の巻き線間で、負荷電流が相殺し合うと言うような意味で無意識に捉え、内部の事は余り意識しなかったのかも知れない。実際に巻線に負荷電流が流れたら、変圧器内部は『銅損』で過熱するだろう。

 『電源』と言う交流用の変圧器や、直流の『電池』もその内部に電子などの『電荷』が流れているとは考えられない。『電圧』を印加すると言う電源設備が供給する、その物理的意味が電線路空間の中に電磁エネルギー、ジュール[J]を供給する機能設備だと考えれば、至極当たり前の物理的意味だったのだ。電源が電線路間に供給・印加する『電圧』が決して正と負の二種類の『電荷』を供給する意味とは考えられない。『電圧』が印加されると言う事は必ず二本の電線の構成する空間に電磁エネルギーによる空間のエネルギーギャップを構成する物理的意味なのだ。決して電線に、正と負の『電荷』という意味不明な物理量・クーロン [C] を供給するような意味での物理概念が『電圧』ではないのだ。『電荷』の正と負を物理的に科学的統合論の基礎・論拠概念として考えれば、正の電荷は『陽子』と、負の『電荷』は『電子』との関係で明確に説明出来なければ『論理性』と言う科学理論の論拠・哲学性がそこに欠落したものになる。それは科学論の専門性(専門家)と統合性(哲学)の問題ともなろう。

 変圧器の巻き線とその巻数比の機能。
  変圧器の二次巻線が発生する『電圧』は交流の『電圧』だ。さてその二次巻き線は一次巻線とは絶縁されている。二次側電線路に『電荷』による『電圧』を供給するとすれば、巻線の導体内に正と負の『電荷』を分離する物理的原理が無ければならない。電子論の専門家が得意な⦅バンド理論⦆での物理原理を巻線内には適用も出来ない筈だ。変圧器の巻き線には、そのコイルの間の空間に1ターン当たりの『電磁エネルギー』分布が流れているとすれば、一次と二次の巻き数比によって電圧比が発生し、変圧器機能の物理的意味として全く問題はない。この事に関係した記事、空間とエネルギーがある。

健康診断から除外の訳は❓

(2024/06/14).

 2024年6月11日の、長岡市の上空の爆音飛行の意味は何か❓❓

 新しく不可解事項を思い出した。筆者は学童期、小学校、中学校そして高等学校の12年間学校保健法の学校健康診断を受けた覚えが無い。
 勿論、新潟大学の学生時にも一度も受けた記憶が無い。

 更に厚生労働省(労働基準法)に関わる法的問題でもあろうが、新潟県教育委員会に関わる16年間にも、何故か筆者だけが健康診断から除外されていた。一度も医師の健康診断を受けた記憶が無い。

 1980年4月からの、長岡技術科学大学でも一度も健康診断の対象とはなっていなかった。学校保健法に抵触すると思うが、どの様に解釈すれば良いか❓

 とても不可思議な健康診断があった。それは1986(昭和61)年4月に初めての学校医による健康診断を受けた。始めてであり乍ら、とても怪しい再診断の通知を受けた。それは5月の初旬に、病院での精密検査を受けるようにとの庶務課長からの要請書を受け取った。論文準備のための都合で日時を変えて診断を受けた。その結果で、もう一度再審査を受けるようにとの庶務課長から要請文書を受け取った。その余りにも「不可解さ」に無視した。その年の4月から、電気工学科の職員の庶務室が誰も居つかない異常な暗い部屋となった。その訳が何故か❓は何となく世間に疎い筆者でも理解できた。

 勿論その後の、長岡技術科学大学でも生涯一度も身体検査を受けたことも無く過ぎた。やはり筆者は昭和20年の舞鶴鎮守府、溝尻海軍住宅の住人であった以降の人生がすべて排除・抹消の対象者であったように思う。

電力送電系統の物理学理論

(2024/06/08).

 電力送電系統と言えば、それは科学技術の粋を集めた総合エネルギー供給の基幹設備である。
 一方、物理学理論と言えば、あらゆる科学技術の理論的基礎を極めた拠り所としての基礎科学理論体系と一般には思われているだろう。

 科学論の世界を、科学技術と基礎理論その二つを結び合わせて観たとき、その現代科学と言われる分野の全体像を纏めて観たとき、そこには途轍もない矛盾がある事に気付いた。しかもその矛盾の実体・原因が余りにも基本的な事柄で、特別に高度な専門的と言う程の内容では無いと言う事であることに驚きを隠せないのだ。だからこそ、有耶無耶にして置けない事態であるから、極めて深刻な社会的な問題なのだ。特別の極めて高度な専門的内容に関する問題ではないと言う点で、理屈を考えれば余りにも単純すぎる、当たり前に気付くべき問題である事が放置されていたという意味で、恐ろしい問題であるのだ。だから今こそ、取り挙げないで置けない事態に在る問題なのだ。

 『電子』と言う概念が、明らかに間違っているのだ。『電子』で解釈する教科書が「嘘」を子供達に教育している事なのだ。その代表的なものは、中学2年生に、電気回路の電線内を『電子』が流れているという内容を教育している事だ。決して『電子』が電線内など流れ得ないのだ。

 しかし、何処でもかしこでも、『電子』と言う言葉に接しない日が無い程、日常的に使われている現実なのだ。

 ご飯を炊く電気釜でも、『電子ジャー』とか『電子炊飯器』とかいう言葉が使われている。決して『電子』でご飯など炊いてはいないのだ。『電子計算機』とも言う途轍もない科学技術機能の『パソコン』を使ってもいる。自然界の究極の物質は『原子』で、その核は『陽子』と『中性子』から成り立ち、その核の周りを『電子』が兎に角回っていると決まっている構造で教えられている。しかし本当は『電荷』など自然世界には無いのだ。だから原子の構造論もよく考えれば「嘘」なのだ。そんなすべての科学論が『電子』で関係付けられて解釈されている。そんな科学論全体を一つ一つ取り挙げて説明する程能力は無いので無理である。しかし、電気回路ならそれ一つで、『電子』が如何に役立たずの矛盾のお飾り概念であるか位は説明できる。

 三相電力送電線路の『相』とは何か?

 『相』とは電磁エネルギーの伝送空間の意味だ。エネルギーを伝送する空間が三空間ある場合が『三相』となる。家庭用に供給される電力線路は『単相』の空間が一面だ。三本の電線 A,B and C で一回線の三相電線路が構成され、その電線間に三つの線路空間が構成される。そこに印加される『電圧』が三つの位相差のVab,Vbc and Vca である。その関係が右図である。

 『電圧』の物理的意味。
 その意味を『電圧』その物理的意味 (2024/02/23) に説明した。『電圧』とは電気エネルギーを伝送する空間に如何程の、エネルギー高密度の状態にできるかの電気技術的評価概念なのだ。決して『電荷』など自然界に存在しない過去の仮定した仮想概念などでの物理的意味などは未来の『物理学理論』の概念としては破棄しなければならない間違いだったのだ。ましてや子供たちへの教育で、『電荷』等曖昧な論拠によるものは使ってはならないのだ。

 『電圧』とエネルギー伝送空間。
 ここで三相電線路の電気エネルギー伝送とその電力について考えて見よう。右図で、電線導体の A と B の間に電圧 Vab が掛かる。その電圧は電源がそこに繋がれた電線路の空間構造で、電線路特性が決まる。どの様な特性かと言えば、電線間にどれ程の高エネルギー分布密度にできるかの、その電線路能力が線路容量で決まるのだ。その容量がコンデンサの様な意味の、『容量』 C [F/m] となる。電線間が狭ければその容量は大きくなる。しかし、電線間が狭ければ、貯蔵されるエネルギー密度が高くなり、空気の絶縁限界を越えて、⦅雷⦆と同じ物理現象の火花放電に移行してしまう。空気は電気エネルギーの絶縁体なのだが、その空気内に『エネルギー』の密度が高くなれば、耐え切れずに放電と言う状態になる。超高圧送電線路の電圧は500KV、1000KVと、とても高い電圧である。それは、送電容量を高くする為に止むを得ないのだ。鉄塔が大型になり、電線路間隔が大きくなる。電圧が高ければ、電線路のエネルギー分布密度が高く取れる。線路容量 C[F/m] が小さく成ることとの兼ね合いで設計される。

 各空間の伝送電力が p1,p2 そしてp3[w=J/s]だ。

 その電力とは決して『電荷』や『電子』の仮想概念の機能で担える『エネルギー』ではないのだ。電力の解説者は誰もが、そして教科書では導体内を『電子』が流れると唱えるが、どの様にその電力を『電子』が伝送するかを解説しないのだ。その事実が、『電子』での解説が無い事実が、物理学理論の全く論理性の無い、曖昧な思惑論でしかない事を証明している。

 電力の空間の伝送能力は、最大伝送電力は、その回路空間の特性値、特性インピーダンス Zo =√(L/C)[ Ω=(H/F)½]で決まる。しかもその伝送エネルギーの伝送速度は光と同じ光速度だ。光の速度で、電線路空間を流れるエネルギーが電気回路の物理現象の真相なのだ。

 伝送電力値の計算は次に譲って一先ずここ迄とする。

 

電磁エネルギーと物理学

(2024/06/09).

 昨日、少し前の記事の電気回路と哲学 (2021/11/02)が観られていた。3年程前の記事だが結構面白い。そこに、リンクで電流計とエネルギー流 (2021/10/23) がある。相当電気回路の回路定数との関係で電磁エネルギーの伝送特性について考えたもののようだ。考え方としては、まさしく正しいと思う。しかし、結果がまだ検討すべき意味が多いかとも思う。

 今、『電力送電系統の物理学理論』としてその電磁エネルギーの伝送現象を検討している。実際の電磁エネルギー伝送現象を理解するには、その電磁エネルギーがどの様な空間を伝送されるかを知らなければならない。決して、『電子』が電線導体の中を流れる等と言う物理学理論の巷や教科書の解説は明らかに矛盾論であり、論理的間違いである。教科書は『嘘』を中学2年生に強制的に憶えさせる状態にある。

 上のリンクの、電気回路と哲学は、そんな意味を考えるに良い記事かも知れない。

 

 

電磁エネルギーに関する考察

(2024/05/30).

 一体、物理学理論とは何処に論理性があるのか?
 ファラディー電磁誘導則・アンペア周回積分則の物理学的矛盾

 今日何となく、古い昔の研究会での報告資料を読み直した。それは、
 ① 電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察 だ。電気学会、電磁界理論研究会資料。資料番号 : EMT-87-106. 1987年10月だ。その内容は、発表者は筆者一人。何処の研究室所属でもない事か?。
ーそう言えば、次の年の同じ電気学会の電磁界理論研究会資料も、筆者一人の発表者名だ。
 ②瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義. 資料番号: EMT -88-145. 1988年10月。ー

 改めて不思議に思った。①の標題が、『電磁エネルギー』のとなっている。内容はその『電磁エネルギー』が放射源から放射され、その伝播、反射の物理的現象を論じたものだった。初めから『電荷』等の概念は排除した論述だ。
 しかも、
5.むすびには、・・・電気磁気学の基本概念である電荷や電流までも疑い、棄却さえしなければならなくなってしまった。と結論付けていた。

 電磁エネルギーとは。
 一体電磁界を物理学理論では、その『電磁エネルギー』とはどの様な物と解釈しているのか❓1987年当時の事を忘れて、その訳を考える機会を失ったまま、気付かずに過ごして来てしまった。筆者は、古くは「パワーエレクトロニクス」と言う分野の電力技術回路から『電気回路』の不思議に惹かれて、その回路動作の意味を勉強してきた。その基は、工業高等学校の子供達に電子回路、電気機器、発電所・変電所更に送配電線路とほほ強電分野の科目を教えてきた。大学の片隅では、窓際で『瞬時実電力・瞬時虚電力論』の新しい空間瞬時ベクトル理論を提案して、少し電力系統の制御理論の新しい分野に貢献したかもしれない。その電力部門では、何を制御するかと言えば、『電力エネルギー』なのである。電力系統は送配電線路で構成されている。そこで供給されるものは『電力エネルギー』なのである。何処までも『エネルギー』が中心課題に成っている。
 1985年4月から、突然工業高等専門学校、電気工学4,5年生に、初めての教えた経験もない『電気磁気学』の授業をする事になった。その十数年前に、すでに変圧器の動作原理で、磁束が励磁電流で発生すると言う解釈を間違いだと確信していた。その基を『ロイヤーインバーター』の動作原理から学習して居た。だから、どの様に電気磁気学を取り上げるかも大きな指導上の課題でもあった。二年間の、その課題に対する回答・結論が、1987年4月発表の『静電界は磁界を伴う』の『電荷』概念否定であった。それからの旅路は、丁度世間から隔絶した『竜宮城』(-舞鶴市の溝尻海軍住宅の近辺にも竜宮町があったようだ-)のお伽噺での浦島太郎に似たものかも知れない。

 今改めて思う事は何故、現代物理学理論に『電磁エネルギー』が光速度で伝播すると言う基本的捉え方が無いのかと言う不可解である。電気信号が1秒間に地球7周り半の光速度で伝播するという意味をどの様な物理的現象と考えているのだろうか?
 決して電線の導体内を『電子』が流れる訳が無いのだ。半導体回路内で『バンド理論』によって『電子』が持て囃されても、一旦電気回路の線電路にその『電子』が流れ出ようとした時、決して光速度伝送の機能を『電子』では発揮できないのだ。『電子』では光速度で『電磁エネルギー』を、『電気信号』を負荷に届ける理屈が無いことは明らかな筈なのだ。電線路はその導体間の空間を『電磁エネルギー』が光速度で伝送する為の電気配線なのだ。スマホの電磁波は電線路の無い空間を伝送されるのだ。何故電気配線だけが、空間を『電磁エネルギー』が流れないで、電線内を『電子』が電気エネルギーを伝送することになるのだ❓余りにも、理屈もなく、論理性のない物理学理論が世界の科学論などと垂れ流されている現状を、知性ある人類の社会は許すのだろうか。

 余りにも⦅学術理論⦆と言う世界の、その専門家集団理論が矛盾をまき散らしている現状を放置できない思いだ。

 前の記事、電荷と不立文字。更に、原子構造論 その虚像

電荷と不立文字

(2024/03/17).

 下書きとして残っていた(2024/06/02)ので先ずは公開とする。

 「不立文字」と言う言葉は東洋哲学の表現内容だ。禪の言葉だ。なにか意味が解らないが、自然科学論と対比した時、深い意味を含んでいるように思う。

 その一つに、『電荷』という科学論の基本概念一つを取り挙げて考えた時、筆者にはその意味が全く分からないのだ。『電荷』と言う物理量を、その自然界に存在する実体として認識できないのだ。そのような時『不立文字』と言う用語が、あてはまる様に思う。自然世界に実在するものは、その空間像が明確に意識の中に描けなければならないと思う。『正の電荷』と『負の電荷』の空間像で、何が異なるのかが示されなければ、その『電荷』と言う概念の物理的意味が誰も理解できない筈ではないのか?しかし、その『正、負』の具体的な『差』がどの様な物理的意味であるか、未だに分からないのだ。引力も排力もその『電荷』の空間に占める相互の『力』となるべき原因があって初めて、物理学理論として唱えることが出来る筈だ。ただ「正」と「負」という意味不明な論拠での解説では『電荷』の実在性とその物理的意味を理解し切れないのではないか。『正電荷』と『負電荷』が対峙したからと言って、雷のような発光現象を引き起こす原因となる論理性はどこにも無い。その光はどの様な原因で、『電荷』によって放射現象を引き起こすかの理由を示さなければならないだろう。その時、『電荷』はどの様な意味で『光』に変換されるかを説明しなければならない筈だ。

 と言うような、極めて伝統的な科学論から懸け離れた日常生活感覚からの疑問が子供達への科学教育では大切な事ではないかと思う。科学者の科学論がそのまま子供達への教育上の指導内容であってはならない筈だ。

 と言うような愚痴ともつかない言説は、科学論ではなく文学論だと言われそうだが、それも承知で今まで『電荷否定論』を唱えてきた。その切っ掛けが、1987 年4月の『静電界は磁界を伴う』の発表であった。それは伝統的科学理論の根幹を否定する内容であった。その意味を責任を以って示すべきと、自己格闘をしてきた。漸く、自信を以ってその意味が説けるかと思う。結局、『磁気』という意味の物理的空間現象にその解が潜んでいたのだ。それは空間を流れる『エネルギー』に在った。その空間を流れる『エネルギー』と言う物理量の存在を認識する事が大切だ。